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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

千葉県船橋市のマンホールカード

2019年08月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

昨日に続いて千葉県船橋市のマンホールカード。

2016年8月1日、第2弾として全国40自治体で44種類(累計64自治体74種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。 船橋市のマンホールカードは、本庁舎5階の船橋市建設局 下水道部下水道河川計画課で頂けます。

1989年に設置開始されたマンホールには「五大力船」と「サザンカ」がデザインされています。

【現行デザインは1989年、「一目で船橋市だと分るマンホール蓋」をテーマに市民にデザインを募り、その応募作品から決まりました。 蓋の中央に大きく描かれているのは五大力船(ごだいりきせん)です。江戸時代の船橋の海は幕府の御菜浦(おさいのうら)として、魚や貝を 献上する良好な漁場でした。五大力船はその時代の船橋の海に頻繁に出入りし、江戸を中心とした海運で活躍していた船です。また、デザインには、 船橋市の木の「サザンカ」もモチーフとしてあしらっています。このカラーデザイン蓋は、船橋市の中でも一部にしか設置していないので、一見の 価値ありです。】

船橋市(ふなばしし)は千葉県北西部に位置する市です。市川市、習志野市、鎌ケ谷市、白井市、八千代市に隣接。葛南地域にあって、船橋商圏を形成し、県都「千葉」に対して商都「船橋」と呼ばれるほど商業が盛んです。中世には海老川河口の港、近世には佐倉街道・御成街道など交通の要所となり、船橋御殿や船橋宿の宿場町として栄えてきました。「市の木:サザンカ」「市の花:ひまわり:かざぐるま」を制定。

1937年に船橋町・葛飾町・八栄村・法典村・塚田村が合併し市制を施行、船橋市となりました。

キャッチフレーズは「生き生きとしたふれあいの都市・ふなばし」


千葉県鎌ケ谷市のマンホールカード

2019年08月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

千葉県の記事を続ける前に、これまでに配布された千葉県内のマンホールカードの紹介を。本来であればカードも旅の記録の一つなのですが、生憎とこれらの自治体は未訪問の為、交換していただいたカードとなります。

2016年8月1日、第2弾として全国40自治体で44種類(累計64自治体74種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「千葉県鎌ケ谷市」のマンホールカードは「鎌ケ谷市役所 4階都市建設部下水道課」でいただけます。

1992に設置開始されたマンホールには「一本の”大樹"をモチーフに、四季の移り変わりを表現」したデザインがされています。

【このデザインは、一本の”大樹"をモチーフに、四季の移り変わりを表現したものです。市章をあしらった中央の幹から、四方八方に すくすく伸びる枝と葉をパターン化し、青空に向かって見上げるイメージをデザインしました。また、鎌ヶ谷市の特徴である多彩な交通網を大樹の枝に なぞらえ、成田・羽田の両空港や東京都心、県内の都市部へと放射状に行き来できる利便性も表現しています。ローマ字の最後に付く"F"は汚水を 意味するもので、一方の雨水管蓋には"R"を付けて区別しています。ちなみに、写真は全国的にも珍しい東経140度線上のマンホール蓋です。 ぜひ見つけてみてください。】

鎌ケ谷市(かまがやし)は千葉県北西部の東葛地域に位置する市です。柏市、白井市、松戸市、市川市、船橋市に隣接。市域は下総台地と谷津田からなり、標高は約13から28メートル。「ゆれにくい街 鎌ケ谷」として宣伝。新しい市街地として鎌ケ谷市役所周辺の開発が行われています。「市の木:モクセイ」「市の花:ナシの花:キキョウ」を制定。

1889年に鎌ケ谷村が成立、1958年に町制を施行、1971年に市制が施行され現在に至っています。

キャッチフレーズ「は緑とふれあいのあるふるさと 鎌ケ谷」


ご当地マンホール in 千葉県東庄町 

2019年08月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

香取郡東庄町(とうのしょうまち)は千葉県北東部、香取地域に位置する町です。東は銚子市、南は旭市、西は香取市に、また県を跨いで茨城県:神栖市に隣接。町の中央は北総台地の一角をなし、標高の最高地点は小南城山地先で56.5メートル。また、北部・南部に傾斜し低地を形成し、最低地点は笹川港付近で1.6メートルとなっています。低地は水田に利用され、台地は斜面が森林に、上部の平地は畑作に利用されています。集落は、笹川地区が国道356号沿いに街区を形成しているほか、それぞれの地区では集落形態で分布しています。地名は、昔この地域が東氏(とうし)の荘園であったことに由来。「町の昆虫:オオムラサキ」「町の鳥・コジュリン」を制定。

キャッチフレーズは「”躍動・連携・地域力 とうのしょう”~共に築き合う 地域の力がみなぎるまち~」

明治22年(1889)、町村制の施行により、香取郡笹川村・橘村・神代村・東城村が発足

1907年、笹川村が町制を施行、香取郡笹川町となる。

1955年、笹川町・橘村・神代村・東城村が合併、香取郡東庄町となりました。

昭和40年12月1日制定の町章は「地域が手をつなぎ、町が丸く平和に栄えることを象徴したもので、『庄』の字を中に「と」「う」「の」を円にデザイン化してあります。」公式HPより

マンホールは未設置ですが、上水道関連では町章つきの消火栓・仕切弁等がありました。

松下電工(現・ナショナル)の浄化槽の蓋も、昔は何度か見たような気がしますが今ではすっかり目に触れることもなくなりました。でも実際のところはどうなんでしょう?

無印制水弁、「ビニベン」というのは、製品の部位、もしくは製品の用途の名称のようで、決して「コンビニ弁当」の略では有りません😅

東庄町イメージキャラクター『コジュリンくん』。町の鳥:コジュリンをイメージして2000年に誕生。「コジュリン」は、利根川のアシ原に住んでいる珍しい鳥で、羽は茶と白、ホオジロの仲間ですが、スズメより小さい鳥です。

撮影日:2019年3月13日


ご当地マンホール in 千葉県旧飯岡町・旧海上町・旧干潟町(旭市)

2019年08月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

旧海上郡飯岡町(いいおかまち)は千葉県東部、九十九里浜の最東端に位置した町です。銚子市、旭市、海上郡海上町に隣接。日本武尊ゆかりの玉崎神社や、屏風ヶ浦、刑部岬等の風光明媚な景勝地を抱える町としても有名。また江戸期において、付近一帯の網元として漁業経営を行い、海岸に護岸を築くなど社会政策に貢献した侠客「飯岡助五郎」の出身地としても知られています。

飯岡海岸は、飯岡町から大東岬までの60kに及ぶ砂浜で、1996年に「日本の渚100選」に選定された風光明媚な海岸線です。 毎年7月下旬から8月下旬まで開かれる海水浴場は、海水浴やサーフィンで賑わいます。

明治22年(1889)、町村制の施行により、海上郡飯岡町・三川村・豊岡村が発足。

1954年、飯岡町が三川村、豊岡村の一部と合併、海上郡飯岡町(2代目)が発足。

2005年、旭市、海上郡海上町、香取郡干潟町と合併、旭市となりました。

マンホールには「飯岡灯台・九十九里海岸・刑部岬・町の木:黒松」が描かれています。(カラー蓋は、飯岡灯台手前の道路に設置)

昭和43年(1968)6月制定の町章は「中央部に「岡」を配し、左右両方に「イ」、全体は丸で想像しました。」

上水道関連は「仕切弁・制水弁・空気弁・消火栓」の4点セット。防火水槽が揃えば完璧だったのに・・

「飯岡灯台」の側で見つけた「日立化成」のマンホール。企業蓋の括りかしら?

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旧海上郡海上町(うなかみまち)は千葉県東部に位置した町です。旭市、銚子市、海上郡飯岡町、香取郡干潟町、東庄町に隣接。海上の歴史は古く、町域で発見された遺跡のうち、岩井大仲山西遺跡は縄文時代後期の頃の遺跡と見られており、少なくともこの頃には人々が住み始めたと思われます。また町の台地にある45ヶ所の遺跡のうち、35ヶ所は古墳時代の遺跡です。江戸時代初期まで存在した椿海は、「干潟八万石」と呼ばれる千葉県を代表する穀倉地帯に変貌、首都圏の食糧供給基地の一端を担い、農業を基幹産業として発展しています。「町の木:エンジュ」「町の花:オオムラサキツツジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「豊かな自然と健康な人をはぐくむ 活力あるまちづくり」

明治22年(1889)、町村制の施行により、海上郡鶴巻村・嚶鳴(おうめい)村・滝郷村が発足。

1954年、滝郷村、嚶鳴村、鶴巻村が合併、海上郡海上町が発足。

2005年、旭市、香取郡干潟町、海上郡飯岡町と合併し旭市となりました。

海上町独自の蓋はかなりの時間を費やし、町章のある「空気弁」を見つける事ができました。

同じ趣味をお持ちで探されている方、袋公園溜池沿いのカラータイル歩道上のこの位置に、一枚設置されています。

昭和32年(1957)9月20日制定の町章は「ウナカミの文字を三村合併に由来する三つの輪として結ぶことで団結と和を象徴しデザイン化したものです。」旧公式HPより

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旧香取郡干潟町(ひかたまち)は千葉県の北東部に位置した町です。八日市場市、旭市、香取郡:山田町・東庄町、海上郡:海上町に隣接。町名は、かつて「椿の海」と呼ばれた大きな湖の干拓に由来。 町の半分が「干潟八万石」と呼ばれる広大な水田で占められています。しかし湿田地帯である為、麦、大豆、飼料作物などの栽培は困難な地域で、最近では湿田のメリットを生かした飼料生産の試みが成されています

明治22年(1889)、町村制の施行により、香取郡古城村・庄内村・万歳村が発足。

1890年、庄内村が改称、香取郡中和村になる。

1955年、古城村、中和村、万歳村が合併、香取郡干潟町が発足。

2005年、旭市、海上郡飯岡町、海上町と合併、旭市となりました。

独自の蓋は、旧役場の前に町章のある「仕切り弁」が一枚のみ。

昭和45年(1970)4月10日制定の町章は「「干」と八万田の「田」を図案化したものです。」

撮影日:2014年5月18日&2019年3月11日

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2019年3月の千葉への車泊旅では、旭市にある「道の駅:季楽里あさひ」にて車泊をさせて頂きました。

お値段につられて買ってしまった「イチゴ」。好奇心に負けた「飯岡貴味メロンドーナッツ」。イチゴは普通に美味しく頂きましたが、おやつを好奇心で買うのは止めようと反省の材料に😅

車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏


ご当地マンホール in 千葉県旭市・旧旭市

2019年07月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

旭市(あさひし)は千葉県の北東部、海匝地域に位置する市です。2005年7月1日、旧旭市、海上郡海上町・飯岡町、香取郡干潟町が合併して誕生しました。銚子市、匝瑳市、香取市、香取郡:東庄町に隣接。市の南部は美しい弓状の九十九里浜に面し、北部には干潟八万石といわれる房総半島屈指の穀倉地帯となだらかな丘陵地帯である北総台地が広がっています。市の中央部を東西に、JR総武本線と国道126号が通り、周辺は市街地として発展。豊かな自然を生かした近郊農業が盛んで、千葉県内第1位・全国第5位の農業産出額を誇っています。「市の木:黒松」「市の花:紫陽花・椿」を制定。

キャッチフレーズは「ひとが輝き海とみどりがつくる健康都市“旭” ~日本一住みよいまちを目指して~」

マンホールには「太平洋から昇る朝日」と「市の花・木:黒松、紫陽花」が描かれています。(カラー展示蓋は、旭市浄化センター内に展示しています)

2005年10月29日制定の市章は【新旭市の将来都市像「ひとが輝き海とみどりがつくる健康都市“旭”」をイメージし、旭(asahi)の頭文字「a」をモチーフに、青色は海を、緑色は豊かな自然を、そして全体のシルエットは、それらの自然と大地の恵みの中で、健康で元気はつらつと躍動する旭市民と、未来へと飛躍する活力ある旭市の姿を表しています。】公式HPより

独自マンホールはまだ無く、見つけられたのは市章付きの上水道関連の蓋が数種。 消火栓、量水器の二種ですが、それでも何も無いよりは・・・

旭市イメージキャラクター『あさピー』。真っ赤なトマトの帽子に緑の野菜の羽。しっぽにイワシの尾びれを持つ、ひよこの男の子。地元旭市の特産品を全身でPRしています。

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旧旭市(あさひし)は千葉県の北東部に位置した市です。八日市場市、海上郡飯岡町、海上町、香取郡干潟町に隣接。市名は「旭日昇天のような勢いをもって発展することを願った」ことが由来とされます。旭市鎌数に鎮座される「鎌数伊勢大神宮」には、砂地という悪条件を逆手に取った「落花生」栽培の成功を記念した碑が、また椎名内海岸にはイワシやアジなどの魚群を網に追い込む「あぐり漁発祥の地」記念碑が建立され、先人の功績を今に伝えています。「市の木:黒松」「市の花:紫陽花」を制定。

旧キャッチフレーズは「人と地域が輝くまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により海上郡網戸村・成田村・十日市場村と、匝瑳郡太田村が合併、海上郡旭町が発足。

1954年、海上郡旭町が市制を施行、旭市となります。

旧旭市の集排マンホールには、旧市章の下に「蛍」と「へら鮒」が描かれています。

 
 

旭市鎌数にある袋公園内の溜池は「へら鮒」の釣り場としても有名で、毎年春と秋に釣り大会が行われるそうです。

昭和39年(1964)2月17日制定の市章は「旭日昇天を図案化したもので、日の丸は太陽を、「ア」は波頭と躍進する旭市を象徴しています。」旧公式HPより

上水道関連、市章付き仕切弁

消火栓

防火水槽

撮影日:2014年5月18日&2019年3月11日

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「旭」の名前の由来について、室町幕府滅亡後、当地を治めていた戦国武将・「木曽義昌」(朝日将軍・木曽義仲の19代子孫)は善政をしき、領民に慕われました。時は過ぎ文政7年(1852)、京都の歌人・野々口隆正が当地を訪れ【信濃より いづる旭をしたひ来て 東のくにに 跡とどめけむ】と、義昌公を偲んだ歌を詠み、これにちなんだとされています。


ご当地マンホール in 千葉県匝瑳市&旧八日市場市&旧野栄町

2019年07月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

匝瑳市(そうさし)は千葉県北東部、成田空港からは約 20km の距離に位置する市です。2006年1月23日に八日市場市と匝瑳郡野栄町が合併して誕生しました。北は香取市と香取郡多古町、東は旭市、西は山武郡横芝光町に隣接。「匝瑳」という市名は難読漢字の一つで、市の前身が匝瑳郡一帯であったことに由来します。市域の南部には九十九里海岸があり、市の主要部分は平坦地で土地改良により整地された広大な田園地帯。北部は下総台地の緩やかな丘陵地帯となっています。「市の木:イヌマキ」「市の花:チューリップ」「市の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「海・みどり・ひとがはぐくむ 活力あるまち 匝瑳市」

2019年3月時点では匝瑳市の新旧どの自治体にも、独自のデザインマンホールは有りません。

2006年5月14日制定の市章は「海の波と緑の葉を表すデザインで匝瑳市の「匝」の字と、いきいきした匝瑳市民を表し、匝瑳市がシンボライズされています。橙色は「活力」、緑色は「成長」、青色は「未来」を表しています。」公式HPより

消火栓の知章は「八匝(はっそう)水道企業団章」。匝瑳市と横芝光町に水を供給する企業です。

市役所敷地の一角に「基本水準点(水準測量に用いる際の標高の基準)」

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八日市場市 (ようかいちばし) は、千葉県の北東部に位置した市です。旭市、匝瑳郡野栄町、光町、香取郡山田町、多古町に隣接。北部の丘陵地と南部の平坦地から構成され、その南端は九十九里海岸に面しています。植木・苗木の産地として知られており、市名は、毎月八日に市が開かれ、市場町として発展したことに由来。「市の木:イヌマキ」「市の花:ツバキ」「市の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、匝瑳郡福岡町・平和村・椿海村・匝瑳村・豊栄村・須賀村・共興村・吉田村・飯高村・豊和村が発足。

1915年、福岡町が町名を改称、匝瑳郡八日市場町となる。

1954年、八日市場町が匝瑳郡平和村、椿海村、匝瑳村、豊栄村、須賀村、共興村、吉田村、飯高村、豊和村と合併、八日市場町が発足。同年、市制を施行、八日市場市となります。

2006年、匝瑳郡野栄町と合併、匝瑳市となりました。

マンホールは市章のある規格蓋が、旧市役所前(現匝瑳市役所)に一枚だけ設置されていました。

昭和29年7月1日制定の町章は「「八日一バ」の文字を円形に図案化したものです。」

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匝瑳郡野栄町(のさかまち)は千葉県の北東部、九十九里浜沿いの太平洋に面した町です。八日市場市、光町に隣接。町域には「野手浜海水浴場・堀川浜海水浴場」があり、シーズンには多くの海水浴客が訪れます。「町の木:クロマツ」「町の花:サザンカ」「町の色:グリーン」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、匝瑳郡野田村、栄村が発足。

1954年、栄村、野田村が合併、匝瑳郡野栄町が発足。

2006年、八日市場市と合併、匝瑳市となりました。

昭和52年(1977)9月6日制定の町章は「円の上半分は「の」・円の上二本の線は「サ」・円の下半分は「サ」を表したものです。」

町章のある蓋類は無く、見つけられたのは「八匝水道企業団章」の仕切弁と消火栓のみ。

撮影日:2019年3月11日


ご当地マンホール in 千葉県多古町

2019年07月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

香取郡多古町(たこまち)は千葉県北東部、北総大地の東側に位置する町です。匝瑳市、香取市、成田市、山武郡:芝山町、横芝光町に隣接。町中央部を南北に流れる栗山川の流域は、低地で水田地帯が広がり多古米の産地に。北部及び東部は台地が広がり畑地帯を囲むように山林が緩傾斜面となっています。弥生時代から稲作が盛んに行われ、現在でも多古米はブランド米として知られ、また特産の「やまといも」は、全国2位の生産量を誇り、その生産額は全国1位と言われています。「町の木:サザンカ」「町の花:アジサイ」を制定。

キャッチフレーズは「人・文化・自然 みんなでつくる 潤いのまち 多古」

明治22年(1889)、町村制の施行により、多古村、東条村、久賀村、中村、香取郡常磐村が発足。

1891年、多古村が町制を施行、香取郡多古町(初代)となる。

1951年、多古町、東条村が合併、香取郡多古町(2代目)を新設。

1954年、多古町、久賀村、中村、常磐村が合併、現在の多古町となりました。

集排マンホールには町章を中心に「多古米の稲」と町の花「アジサイ」が描かれています。

昭和50年6月18日制定の町章は「緑豊かな田園都市として発展する多古町の姿をデザイン化したものです。円を支える三本の柱は、農業、工業、商業を象徴し、これらが調和したまちづくりへの決意と願いがこめられています。」町HPより

上水道関連の蓋は、町章付きの消火栓・仕切弁・制水年・量水器。

多古町マスコットキャラクター『ふっくらたまこ』。多古町で生まれ育ち、米づくり農家の夫と子どもがいる新米かあさん。みんなに愛されるお米の妖精です。

町内には、昭和17年(1942)に建てられた「旧多古郵便局舎」が当時のままに残されています。外壁腰壁部分には昭和初期に流行したスクラッチタイルが張られており、建物に堅牢な印象を与えています。

正面入口脇に残された特注の陶板には、郵便局章に桜:葉があしらわれ、今も往時を忍ばせます。

撮影日:2014年5月19日&2019年3月11日

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2014年5月の千葉県への車泊旅では「道の駅・多古」にて車中泊をさせていただきました。「あした葉のジョー」「あじさいだー」等々、ユニークなサイダーの名称は今も語り草😄

そして翌朝一番に買った搗き立ての白餅の美味しさ、今も懐かしく思い出されます。
車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏


ご当地マンホール in 千葉県芝山町

2019年07月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

山武郡芝山町(しばやままち)は千葉県の北東部、山武郡の最北端に位置する町です。成田市、富里市、山武市、山武郡横芝光町、香取郡多古町に隣接。都市雇用圏における成田都市圏に含まれており、北総台地のほぼ中央、成田国際空港の南側に位置し、町域の殆どが航路の真下にあります。町内には、5世紀から7世紀ごろまで作られた古墳群があり、埴輪などが多数出土。現存する古墳だけでも99基あり、消滅したものを含めると計280基の古墳が存在したことが確認されています。

「芝山」の由来は町の南部にある観音教寺の別称「芝山仁王尊」によります。「町の木:山桜」を制定。

キャッチフレーズは「活力ある 緑の大地と空がふれあうまち・芝山」

明治22年(1889)、町村制の施行により、武射郡二川村と武射郡千代田村が発足。

1897年、郡制の施行により、山辺郡・武射郡の区域をもって山武郡が発足。

1955年、二川村と千代田村が合併、山武郡芝山町が発足。

マンホールには、「成田空港の飛行機・埴輪・町の木:山桜」が三つの輪の中に描かれています。

もう一種には「町内の古墳から出土した馬型埴輪」と、周囲に「町の木:山桜」が描かれています。

下の「馬型埴輪」はわかるけど、上に重ねた顔は何だろう?埴輪トーテムポール??

昭和41年2月17日制定の町章は「円型は合併の和と結束とを示し、4枚の翼は町の飛躍を表しています。 」公式HPより

道の駅「風和里しばやま」でお客様をお迎えするのは、芝山町キャラクター『しばっこくん』。町内で出土した「人物埴輪」が、ある日下界に飛び出し、翼をもったの男の子になりました。翼についているサンダーソニア風ロケットエンジン「ソニアジェット」と、芝山町章を逆さまにしたような顔がチャームポイントです。

撮影日:2014年5月19日&2019年3月11日

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2014年5月、2019年3月と二度の千葉の旅では、「道の駅:風和里しばやま」で車中泊をさせていただきました。真夜中の白子海岸の波の音が強烈だっただけに、飛行機の音はとても素敵な子守唄代わり。 はじめて食べた「いちじくベーグル」はとても不思議な味わいで食べ応え十分でした😊

そうそう、イチゴは本当に甘くて美味しくて、口の中一杯に春を堪能したのも素敵な思い出です。車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏


ご当地マンホール in 千葉県旧山武町&旧蓮沼村(山武市)

2019年07月18日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

旧山武郡山武町(さんぶまち)は千葉県のほぼ中央部、九十九里平野の外れに位置した町です。東は松尾町、西は八街市、南は成東町及び東金市、北は芝山町及び富里市に隣接。町の東部は平坦な地形ですが、西部は丘と平野が入り乱れる特殊な地形。九十九里平野と下総台地のほぼ境目にあり、谷津田といわれる谷あいの土地に作られた田が目立ちます。「山武杉」で知られる林業が盛んですが、過疎による後継者不足が課題となっています。「町の木:スギ」「町の花:山百合」を制定。更に四季の花として「春:スイセン・夏:アジサイ・秋:ビジョザクラ・冬:サザンカ」を制定。

旧キャッチフレーズは「杉の町 さんぶ」

明治22年(1889)、町村制の施行により、武射郡睦岡村、日向村が発足。

1897年、郡制の施行により、山辺郡・武射郡の区域をもって山武郡が発足。

1955年、睦岡村、日向村が合併、山武郡山武町が発足。

2006年、山武郡成東町・蓮沼村・松尾町と合併、山武市となりました。

昭和39年1月1日制定の町章は「山武町の頭文字「山」を図式化し、中央に山武杉の成育を象徴したもの。」旧公式HPより

上水道関連は、町章付き「仕切弁・空気弁・急速空気弁・双口消火栓」

旧町役場の敷地内に設置されていた「防火水槽」。消防徽章だけで自治体を表すものはありませんが、洒落たデザインだったので。

 

「INPEX (国際石油開発帝石)」の文字が書かれた「水取器」のハンドホール。

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旧山武郡蓮沼村(はすぬまむら)は千葉県の房総半島北東部に位置した村です。北は横芝町、南西は成東町、北西は松尾町に隣接。寿永年間(1182~1185)、上総介平広常が誅せられた時、その孫光宗は家老由井隼人はじめ従者27人とともに海岸伝いに当地まで落ちのび、河中の小島に仮家を建てて居住。50年後の暦仁元年(1238)、光宗は永住の計画をたて、やがて子孫が繁栄して本村が形成されたと伝えられています。村域は九十九里平野の真ん中に位置し、起伏は全くないといっても良い平坦な地形です。「村の木:マキ」「村の花:ひまわり」「村の鳥:千鳥」を制定。

1889年、町村制施行に伴い蓮沼新田,平野新田が合併して武射郡蓮沼村が成立。

1897年、郡制の施行により、山辺郡・武射郡の区域をもって山武郡が発足。

2006年3月27日に、山武郡成東町・山武町・松尾町が合併し、山武市となりました。

残念ながら蓮沼村独自のマンホール等は全く見つけられず、上水道関連の蓋も無し。とりあえず「村の木:マキ、村の花:ひまわり、村の鳥:千鳥」のカラータイルがありました。

昭和43年6月1日制定の町章は「蓮沼村の「ハ」の字を日の出に、三本の線を水平線として図案化しました。洋上に日の出を表現し、発展する蓮沼村をイメージしたものです。」旧公式HPより 

閉庁の記念碑でもあればと思いましたがそれも無く、ここまで何もないと落ち込みます😓

撮影日:2019年3月19日


ご当地マンホール in 千葉県旧松尾町(山武市)

2019年07月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

旧山武郡松尾町(まつおまち)は千葉県東部、九十九里平野のほぼ中央に位置した町です。北は芝山町、山武町、南は蓮沼村、東は横芝町、西は成東町に隣接。明治元年に遠江国掛川藩主太田資美の入封により、大堤、田越、猿尾、八田、4か村の山林荒地22万坪余を開拓して誕生した「松尾」に端を発し、地名は、掛川城の別称を用いたといわれています。木戸川沿いには千葉県史跡に指定されている「大堤権現塚古墳」があり、大刀を初め、多数の鉄鏃、金銅製の耳環や、水晶製切子玉、勾玉などが出土しています。松尾町松尾には、1887年に建てられたヘボンゆかりの「九十九里教会(国登録有形文化財)」があります。木造下見板張りの外壁に切妻屋根、正面に入母屋屋根の玄関ポーチが付けられた建物は、軽やかな印象を与えアメリカ的なものを感じさせます。

明治22年(1889)、町村制の施行により、武射郡松尾村が発足。

1897年、郡制の施行により、山辺郡・武射郡の区域をもって山武郡が発足。

1898年、山武郡松尾村が町制を施行し、松尾町(初代)となります。

1955年、山武郡大平村、豊岡村と合併し、改めて松尾町(2代目)を新設。

2006年3月27日に、山武郡成東町・山武町・蓮沼村が合併し、山武市となりました。

マンホールには町章を中心に「町の花:キキョウ」と、町名からの「松」が描かれています。

農業集落排水マンホールには、四つの円の中にデザイン化した「松」が描かれています。

昭和34年1月10日制定の町章は「「松葉」の形をデザイン化してあり、2つの円は「円満」と「発展」を意味しています。」旧公式HPより

撮影日:2019年3月10日