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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 千葉県旧本埜村(印西市)

2019年10月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

旧印旛郡本埜村(もとのむら)は千葉県北西部、印旛沼の東に位置した村です。東部から北部にかけて栄町、東部の印旛沼は成田市、南部は印旛村、西部は印西市に隣接。首都東京から40km圏、県都千葉市から30km圏という都市近郊にあって恵まれた自然環境・生活環境を有しています。南部と北部は地質が関東ローム層からなる標高20~30mの丘陵地帯。北部と東部は、利根川や印旛沼によって造り出された沖積平坦地で、県立印旛手賀自然公園などを含む水田地帯となっており、冬には優雅な白鳥の姿も楽しめます。「村の木:ギンモクセイ」「村の花:菜の花・水仙」「村の鳥:白鳥・メジロ」「村の魚:鯉」を制定。

旧キャッチフレーズは「緑豊かな明るい本埜」

明治22年(1889)、町村制の施行により、印旛郡本郷村、埜原(やわら)村が発足。

1913年、本郷村、埜原村が合併、印旛郡本埜村が発足。

2010年、印西市に編入、印西市本埜となりました。

マンホールには村章を中心に、「村の木:ギンモクセイ」と「水辺に泳ぐ魚」が描かれています。

「村の花:水仙」を中心に、「村の魚:鯉」が左右に描かれています。 どちらも、汚水用と雨水用のマンホールがあり、デザインもそれぞれに同じものです。

大正2年(1913)4月1日に制定された村章は「束ねられた稲穂の中に「本」を配したもの」。個人的に好きな知章です。

「印旛広域水道」は、印旛地区7市1町1企業団の九団体に水道水を供給する事業。「長戸川水道企業団」に供給された水は、印西市の旧本埜村の一部にも給水されています。

「印旛広域水道」略して「印広水」・・・言葉の響きだけで実際の文字を見ないと、ちょっと危ない略語😅

撮影日2019年3月17日

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ご当地マンホール in 千葉県旧印旛村(印西市)

2019年10月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

旧印旛郡印旛村(いんばむら)は千葉県北部、北総台地のほぼ中央に広がる印旛沼の北西側に位置した村です。東は印旛沼をへだてて成田市、南は印旛沼を境として酒々井町・佐倉市、西は印西市・八千代市、北は本埜村に隣接。昭和41年(1966)6月、印旛沼捷水路(しょうすいろ)工事でブルドーザーによる掘削作業中にナウマン象の化石を発掘。 当時日本でほぼ完全な化石が発掘されたのはこれが初めてで「ナウマン象の化石発掘の地」としても有名です。今現在、日本全国いくつの自治体が「ナウマン象の化石発掘地」を標榜しているのか、調べてゆくと面白そう😄 「村の木:大王松」「村の花:山百合」「村の鳥:カイツブリ」「村の魚:ナマズ」を制定。

旧キャッチフレーズは「自然豊か心豊かに育てあう印旛村」

明治22年(1889)、町村制の施行により、印旛郡六合村・宗像村が発足。

1955年、六合村、宗像村が合併、印旛郡印旛村が発足。

2010年、印西市に編入。

マンホールには「印旛沼捷水路に架かるアーチ橋」と「水路に泳ぐ魚」が描かれています。

旧印旛村域で見かけた街灯。印西市の魚で、印旛沼に生息する「鯰」。 ユーモアたっぷりの「鯰」が街灯の灯りに照らされたら、どんな表情になるのでしょう😃

昭和40年(1965)4月30日制定の村章は「頭文字の「印」を小円で象り、大きな円の中に「バ」を示したものです。」

上水道関連の「空気弁」と「仕切弁」、それぞれに「印旛村章」付き

千葉ニュータウン内と周辺の「仕切弁・双口消火栓」は、旧:千葉県水道局章。

撮影日2019年3月17日

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ご当地マンホール in 千葉県印西市

2019年10月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

印西市(いんざいし)は千葉県北西部に位置する市です。柏市、我孫子市、白井市、八千代市、佐倉市、成田市、印旛郡栄町、酒々井町に、また県を跨いで茨城県北相馬郡利根町に隣接。市の北部を利根川が流れ、北西部には手賀沼、南東部には印旛沼があり、自然林に代表される豊かな植生など、自然環境に恵まれています。また、情報発信都市東京と国際空港都市成田を連絡する重要な地域にあり、印西商圏を形成する商業中心都市で、業務核都市に指定される千葉ニュータウンの拠点都市でもあります。「市の木:桜」「市の花:コスモス」「市の鳥:メジロ」「市の魚:なまず」を制定。 利根川、印旛沼、手賀沼等に囲まれた印西市では、「なまず」はとても馴染み深い魚だそうです。

キャッチフレーズは「ひと まち 自然 笑顔が輝くーいんざい」

明治22年(1889)、町村制の施行により、印旛郡木下町、大杜(おおもり)村、船穂村、永治(えいじ)村が発足。

1913年、大杜村が町制を施行・改称して印旛郡大森町が発足。

1954年、木下町、大森町、船穂村、永治村が合併、印旛郡印西町が発足。

1996年、印旛郡印西町が市制を施行、印西市が発足。

2010年、印旛郡印旛村と本埜村を編入、現在に至っています。

マンホールには、市章を中心に「市の花:コスモス」が写実的に描かれています。(カラーマンホールは、イオンモール千葉ニュータウン周辺の、歩道上。)

汚水・雨水、同じデザインですが、花の大きさが微妙に違う等、コレクター心をくすぐります。 基本的には汚水用のマンホールの方が、カラーの違いや親子蓋も含めて、種類が多いようです。

同じデザインの雨水マンホール。汚水も同様ですが緑部分の剥げ具合が残念。

上水道関連の「空気弁・消火栓」もマンホールと同じデザインでカラーとモノクロタイプを設置。

「制水弁」はカラータイプが一種類。

昭和55年(1980)10月1日制定の市章は「印西町章として制定されたもので、市制施行後に継承。印西の文字を図案化したもので、円は、市の融和を意味し、円満に力強く発展する姿を表しています。」公式HPより

上水道関連の「仕切弁」「空気弁」「量水器」

「東京ガス」の大型マンホール、中央のコーポレートシンボルは、1985年10月に、創立100周年を迎えた節目として制定。

印西市マスコットキャラクターは、市の花・コスモスと同じ色のサイの『いんザイ君』。「印」の文字の印鑑がトレードマーク。コスモス色ですが男の子です!、尻尾にコスモスの花が咲いていますが、男の子です!!😅

市内六ルートを走る「ふれあいバス」のマスコットキャラクター『ポン太』& コン助』。 同じルートなら何処まで乗っても100円なので、バスを利用して市内を巡る人には良いですね。

撮影日:2019年3月17日

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ご当地マンホール in 千葉県神崎町

2019年10月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

香取郡神崎町(こうざきまち)は千葉県の北端中央部、利根川の南岸に位置する町です。東は香取市、西と南は成田市に、北は利根川を挟んで茨城県稲敷市、稲敷郡河内町に隣接。都市雇用圏における成田都市圏に含まれ、平野部は関東平野に含まれる水田地帯となっています。江戸時代には利根川の水運で栄え、醸造関連遺産は近代化産業遺産に認定されています。「町の木:クスノキ」「町の花:バラ」「町の鳥:メジロ」を制定。

(久々に長い)キャッチフレーズは「自然と人とふれあいのまち 神崎町 発酵の里・健康笑顔のまち こうざき ―みんなで創る 健康・安心・子育て応援のまち―」 

明治22年(1889)、町村制の施行により、香取郡神崎村・米沢村が発足。

1890年、神崎村が町制を施行、香取郡神崎町(初代)が発足。

1955年、神崎町と米沢村が合併、神崎米沢町が発足。同日、改称し香取郡神崎町(2代目)となりました。

独自のデザインのマンホールはありませんが、消火栓には「利根川に架かる神崎大橋」が描かれています。

茨城県とを結ぶ利根川に昭和42年に開通した架けられた、下路3連アーチの「神崎大橋」。神崎町のシンボル的存在です。

昭和32年(1957)4月1日制定の町章は「町名のコウザキを図案化したもので「町の和」と「発展の願い」を込めて作成されました。」公式HPより

町章付きの「制水弁」

水道局関連の知章付き「制水弁」

神崎町PRマスコットキャラクター『なんじゃもん』。なんじゃもんじゃの木の分身で2000歳。お酒と発酵食品が大好物で大のお祭り好き。注連縄をされると願い事が叶うんだそうです。神崎町松崎にある「道の駅:発酵の里こうざき」では、立体的な『なんじゃもん』がお迎えしてくれます。

撮影日:2014年5月17日&2019年3月16日

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ご当地マンホール in 千葉県栄町

2019年09月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

印旛郡栄町(さかえまち)は千葉県北部中央、利根川流域に位置する町です。成田市、印西市、また県を跨いで茨城県:北相馬郡利根町、稲敷郡河内町に隣接。平野部は関東平野に含まれ、町の西北部と南部は平坦な水田地帯。東部の台地は下総台地で山林や畑が多くあり、南には印旛沼、中心部には利根川と印旛沼を結ぶ長門川、西は将監川などの川に囲まれています。町内には国の史跡に指定された「龍角寺古墳群」や「岩屋古墳」などの古墳が良好に保存されています。「町の木:サザンカ」「町の花:リンドウ」を制定。

キャッチフレーズは「水と緑の田園観光都市 ~きらめきのなかで笑いがこだまし未来(あす)をうるおすまち~」

明治22年(1889)、町村制の施行により、下埴生郡境村、印旛郡布鎌(ふかま)村が発足。

1892年、下埴生郡境村が町制を施行し、改称して安食町が発足。

1955年、印旛郡布鎌村と安食町が合併し、印旛郡栄町となります。

1956年、茨城県稲敷郡河内村生板鍋子新田と龍ヶ崎町歩を越境編入、現在の町域となりました。

マンホールには、「イメージキャラクター『ドラム』と町の花:サザンカ」が描かれています。

昭和31年(1956)4月3日制定の町章は「円満な町政と躍進「栄町」の発展を表し「栄」を図案化したものです。」公式HPより

上水道関連の消火栓蓋には、水道事業団の知章と「長門川水道」の文字が記されています。

町役場の敷地内にあった消火栓は、水道事業団の知章のみで、自治体を現すものは何もありません。

栄町イメージキャラクター『龍夢(ドラム)』。栄町に伝わる「龍伝説」をモチーフとして誕生。 名前は、龍=ドラゴンの「ドラ」と、町民に夢や未来を与えたいとの願いから夢の「ム」を合わせて名付けられました。

撮影日:2019年3月17日

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ご当地マンホール in 千葉県旧下総町・旧大栄町(成田市)

2019年09月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県
旧香取郡下総町(しもふさまち)は千葉県北部のほぼ中央に位置した町です。南・西は成田市、東は香取郡神崎町、大栄町に、北は利根川をはさんで茨城県河内町に隣接。下総の地名は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つである「下総国」が由来となっています。暮らしの営みは古く、先縄文時代に遡り、平安時代から室町時代までは千葉六覚の大須賀氏の支配地として、江戸時代は高岡藩、淀藩、旗本の所領地として発展してきました。利根川沿いの一帯は水田地帯が開け、水郷早場米の産地としても有名です。「町の木:モクセイ」「町の花:コスモス」「町の鳥:鶯」を制定。
 
旧キャッチフレーズは「利根川の育む みどりと文化の町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、香取郡滑河町(初代)・高岡村・小御門村が発足。

1955年、滑河町が高岡村・小御門村と合併、滑河町(2代目)を新設。同日下総町に改称。

2006年、香取郡大栄町と共に成田市に編入されました。

マンホールには、全体に描かれた町章の中に「町の花:コスモス・町の鳥:鶯」、周囲に「町の木:キンモクセイ」がデザインされています。

昭和49年6月24日制定の町章は「「下」を人文字に、輪は合併した三町村を表し、「総」を中心に配しています。」

撮影日:2014年5月17日&2019年3月18日

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旧香取郡大栄町(たいえいまち)は千葉県の北北東、香取郡の西部に位置した町です。成田市、佐原市、香取郡:神崎町、下総町、多古町、栗源町、山武郡:芝山町に隣接。北総台地の一角を占める地形は、台地の中央に大須賀川が細い帯状に流れ、不整形な馬てい型の水田とこれを取り囲む畑作地帯により成立。ベニアズマを中心としたサツマイモは生産額・作付面積と共に全国トップクラスで県内第一位の生産量を誇ります。町名は、大須賀村と昭栄村との合併に伴い、「大」と「栄」を併せて「大栄」としました。「町の木:サザンカ」を制定

旧キャッチフレーズは「いきいきとした新しい時代を開くまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により香取郡昭栄村・大須賀村が発足。

1955年、昭栄村、大須賀村が合併、香取郡大栄町が発足。

2006年、香取郡下総町と共に成田市に編入されました。

集排マンホールには、町章を中心に「町の木:サザンカ」がデザインされています。

昭和49年8月1日制定の町章は「大栄町の「大エイ」を丸く接続して図案化したもので大須賀村、昭栄村の2村合併を意味し、町民の"和"と"協調"を表現しています。」旧公式HPより

撮影日:2014年5月17日

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ご当地マンホール in 千葉県成田市&旧成田市

2019年09月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

成田市(なりたし)は千葉県の北部中央に位置する市です。2006年3月27日、香取郡下総町・大栄町を編入し、現在の市域になりました。印西市、富里市、香取市、印旛郡酒々井町、栄町、香取郡多古町、神崎町、山武郡芝山町に、また県を跨いで茨城県稲敷郡河内町に隣接。印旛地域にある業務核都市で、成田都市圏の中心都市であり、成田商圏を形成する商業中心都市。国家戦略特区、構造改革特区、国際観光モデル地区、国際会議観光都市および拠点空港都市であり、成田山新勝寺門前町の歴史的町並みは日本遺産に認定されています。昭和53年(1978)に開港した日本最大の国際拠点空港「成田国際空港」を有し拠点空港都市としても知られます。「市の木:梅」「市の花:アジサイ」を制定。

キャッチフレーズは「空港(そら)、交流(ふれあい)、希望(ゆめ) 創造都市 成田」

マンホールには、市章を中心に「市の花:紫陽花」、周囲に「市の木:梅」が描かれています。

2006年4月29日制定の市章は【成田市の頭文字「N」を人の姿に重ね合わせたイメージをデザインし、四肢の伸びは躍動感と疾走感、中央の赤は成田市民の熱い情熱、「NARITA」は日本と世界との交流拠点としての国際空港都市を表し、成田市の明るい未来への飛躍とさらなる繁栄への願いが込められています。】公式HPより

宇宙からやってきた、成田市特別観光大使『うなりくん』。語尾に「うな」を付けるのが口癖です。

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旧成田市(なりたし)千葉県の北部中央に位置する市です。市名の由来は「稲の出来が良い土地の為「熟田(なりた)」が「成田」となる説。開墾を行い、なりわい(なりわい業)の田「業田(なりた)」が「成田」となった等の説があります。古くから成田山新勝寺、宗吾霊堂の二大霊場を有する門前町として発展。明治時代には宮内庁下総御料牧場が置かれるなど、1950年代まで観光と農業の振興を二大施策とした純農村型都市として発展してきました。

明治22年(1889)、町村制の施行により、印旛郡成田町・八生村・中郷村・久住村・豊住村・遠山村・公津村が発足。

1954年、印旛郡成田町・公津村・八生村・中郷村・久住村・豊住村・遠山村が合併、成田市が誕生。

マンホールには、市章を中心に「市の花:紫陽花」、周囲に「市の木:梅」が描かれています。(カラーマンホールは、イオンモール成田店のタイル歩道)

「成田市役所新庁舎落成」の文字と、市章を中心に周囲に「市の木:ウメ」がデザインされたマンホールは、市役所周辺に設置されています。

旧市章は昭和29年5月7日に制定【周囲の六輪は成田町周辺六カ村(八生村・中郷村・久住村・豊住村・遠山村・公津村)を表し、中央の輪を抱き、「成」を配したもので、また、各輪各々が重なっているのは、和による大同団結を意味したものである。】公式HPより

シンボルマークを中心に「NTT・NCTV・Vsen」の角蓋

【歴史的な門前町の門の字と成田の頭文字nを背景にして、本市の基本理念“自然ふるさと、健康からだ、愛情こころ”あふれる未来の姿と成田空港へさまざまな国から飛来するイメージを三つの翼で表し、門前町の“静”と空港都市の“動”を象徴化したものです。】公式HPより

上水道関連の蓋は、旧市章の付いた「制水弁」「排泥弁」「消火栓」。

同じく上水道関連の「仕切弁」には、市章ではなく○の中に「成」の文字の知章。

「千葉ガス」は千葉県北部を営業区域とした一般ガス事業者、2016年に東京ガスに統合されました。

「成田山新勝寺」の門前町の入り口、片隅にひっそりと残された「印旛郡成田町道路元標」。

「宗吾霊堂」の駐車場の片隅に残されていた「印旛郡公津村道路元標」。どちらも合併と共に消えていった地名ですが、片隅に残された「道路元標」はその地に確かにあった町の存在を主張しています。

撮影日:2014年5月20日&2019年3月18日

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ご当地マンホール in 千葉県横芝光町&旧横芝町&光町 

2019年09月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

山武郡横芝光町(よこしばひかりまち)は千葉県北東部に位置する町です。2006年3月27日、山武郡横芝町と匝瑳郡光町が合併して発足しました。東は匝瑳市、西は山武市、北は香取郡多古町、山武郡芝山町に隣接。成田空港の南側、太平洋に面し、九十九里浜および九十九里平野のほぼ中央に位置しており、中央部を九十九里平野最大の河川である栗山川が流れています。町内には国史跡の「芝山古墳群」や「小川台古墳群」があり、千葉県最古の形象埴輪が出土されています。またそれ以前の貝塚の出土から縄文中期にはすでに人の居住の形跡を見る事が出来ます。「町の木:梅」「町の花:桜」「町の鳥:コアジサシ」を制定。

キャッチフレーズは「栗山川の流れがはぐくむ 人・自然・文化が共生するまち ~協働のまちづくり~」

2006年3月27日制定の町章は「横芝光町の「よ(横芝)」「ひ(光)」をモチーフに、九十九里浜と太平洋、緑溢れる新町を組み合わせ、全体で新町建設に躍動する町民を描き「栗山川の流れがはぐくむ人・自然・文化が共生するまち」をデザインしました。」公式HPより

役場近くで唯一見つけた、「八匝(はっそう)水道企業団章」の規格消火栓。

横芝光町マスコットキャラクター『よこぴー』は、九十九里の海からやってきた謎の妖精。帽子には町の木「梅」と町の特産品の「ねぎ」。体は町の特産品「トマト」で、九十九里浜をイメージしたチョッキを着ています。

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旧山武郡横芝町(よこしばまち)は、九十九里平野のほぼ中央に位置した町です。山武郡松尾町、蓮沼村、香取郡多古町、匝瑳郡野栄町、光町と隣接。九十九里浜沿岸地域のほぼ中央にあり、東は栗山川、南は九十九里浜に接し、南北に細長い地形をしています。 町の北部は起伏のある丘陵地帯で、畑地や森林からなる台地を形成、中央部から海岸部にいたる南東部は平地が続き、宅地や水田、畑作地帯になっています。「町の木:梅」を制定。

旧キャッチフレーズは「人、環境にやさしい横芝町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、武射郡(むさぐん)旭村・大総村・上堺村が成発足。

1892年、旭村が改称、武射郡横芝村となる。

1897年、横芝村が町制を施行、武射郡横芝町(初代)が発足。

1955年、武射郡大総村、上堺村と合併、改めて横芝町となる。

2006年、匝瑳郡光町と合併、山武郡横芝光町となりました。

集排マンホールには、町章を中心に「町の木:梅」と「栗山川の鮭」が描かれています。栗山川は千葉県で唯一、鮭が遡上する川で、サケ回帰の南限とされています。(町立大総小学校付近の歩道ブロックの横に一枚)

昭和34年(1959)3月16日制定の町章は「「ヨコ芝」の文字を図案化したもので、三つの分線は、旧3町村を意味しています。また全体を円で構成し、その周辺に4枚の翼を配してありますが、円は合併により 新しく誕生した町が円満に融和することを、翼は未来への躍進を象徴しています」旧公式HPより

上水道関連の蓋は「山武郡市広域水道企業団章」の「消火栓」と「制水弁」

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旧匝瑳郡光町(ひかりまち)は千葉県の東部、県立九十九里自然公園の中央に位置した町です。東は八日市場市・野栄町、西は栗山川を隔てて山武郡横芝町、北は香取郡多古町に隣接。町域の約70%は農地と山林で、町の北部一帯はゆるやかな丘陵地帯が断続し、台地は畑、低地には水田が広がっています。また中央部以南は、土地改良事業によって整然とした田畑がならんでおり、それが白砂青松の九十九里浜へ続いています。町名は、将来の栄光と一致団結、また輝かしい発展を願って「光町」と命名。「町の木:黒松」「町の花:桜」を制定。

旧光町の指定史跡「尾垂(おだれ)ヶ浜」にある、町指定史跡「成田山上陸地」。今回の旅で改めて成田山の歴史に触れる事が出来ました。

明治22年(1889)、町村制の施行により、匝瑳郡の南条村・東陽村・白浜村・日吉村が発足。

1954年、南条村、東陽村、白浜村、日吉村が合併、匝瑳郡光町が発足。

2006年、武射郡横芝町と合併して山武郡横芝光町となりました。

昭和30年3月制定の町章は「「光」の文字を図案化したもので、四つの空間は合併の関係4村を意味し、それを円によって「団結」と「輪」をシンボライズさせています。」旧公式HPより

旧光町域、二度の訪問でしつこく探しましたがマンホールらしいものは皆無。なんとも寂しい結果になりました。

撮影日:2014年5月19日&2019年3月10日

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ご当地マンホール in 千葉県八街市

2019年09月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

八街市(やちまたし)は千葉県北部の中央に位置する市です。千葉市、佐倉市、富里市、東金市、山武市、印旛郡:酒々井町に隣接。標高14~70mの下総台地の上にあり、市の面積の半数以上が畑や田とされ、西瓜・里芋・人参・生姜など県内でトップクラスの生産量を誇り、特に「落花生」の生産量は日本一を誇ります。地名は、明治新政府の政策により、江戸幕府の放牧地であった小金・佐倉両牧の開墾順序に新しい地名がふられ、八番目の入植地として八街と命名された事に由来します。「市の木:金木犀」「市の花:ヒマワリ」を制定。

キャッチフレーズは「ひと・まち・みどりが輝く ヒューマンフィールドやちまた」

明治22年(1889)、町村制の施行により、印旛郡八街村・川上村が発足。

1919年、八街村が町制を施行、印旛郡八街町(初代八街町)が発足。

1954年、印旛郡川上村と合併、改めて印旛郡八街町が発足。

1956年、山武郡山武町沖渡の一部を編入。

1992年、八街町が市制を施行、八街市が発足しました。

マンホールには市のキャラクター「ピーちゃん&ナッちゃん」と「市の木:キンモクセイ」が描かれています。

昭和39年11月1日制定の市章は「八街の「八」を上下に組み合わせ、中央にダイヤの形を配して、力強い発展と融和の市民理想を象徴しています。」公式HPより

上水道関連の蓋は「仕切弁」「排水弁」。

八街市のイメージキャラクター『ピーちゃん&ナッちゃん』。特産品の落花生がモチーフです。黄色の帽子をかぶっている『ピーちゃん』と赤い水玉のリボンをしている『ナッちゃん』は、八街の畑のたくさんの落花生の中から出会い、恋に落ちました。

八街に落花生が導入されたのは明治29年頃、文違区、住野区で栽培されたのに始まると言います。その後、大正初期には特産地となり、昭和24年には日本一の生産を誇るまでになりました。現在、収穫量は全国1位を誇り、「日本一の八街の落花生ブランド」として称賛されています。 八街駅前に建立されたとてもリアルな巨大「落花生」。落花生賛が添えられています。【いつ知らず 葉は茂り 花咲きて 人知れず 土に稔りぬ】

日本一の味と生産量を誇る八街の「落花生」。「落花生」は、咲いた「花」がしぼんで地中に「落」ち、実が「生」まれます。秋になると、地中で育った豆を掘りかえし、畑に円筒状に積み上げて、ひと月ほど乾燥させます。その光景は落花生の野積(ぼっち)と呼ばれ、人々に親しまれています。毎年義姉からお裾分けで頂く「八街の落花生」。おかげ様で隣国のピーナツとは縁のない豆生活をおくっています😊

撮影日:2014年5月19日&2019年3月18日

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ご当地マンホールとマンホールカード in 千葉県佐倉市

2019年09月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

佐倉市(さくらし)は千葉県北部の印旛地域、下総台地の中央部に位置する市です。千葉市、四街道市、八千代市、印西市、八街市、印旛郡酒々井町に隣接。市域は、印旛沼の南に広がる台地、傾斜地からなっており、その間を鹿島川や高崎川、小竹川などが流れ、印旛沼に注いでいます。古くより佐倉藩の城下町として栄え、市内には佐倉城跡や武家屋敷群が現存し、国際観光モデル地に指定され、城下町の町並みは日本遺産に認定されています。また佐倉順天堂を中心とした蘭学の先進地であり「西の長崎、東の佐倉」と呼ばれた西洋医学の街としても知られています。「市の木:桜」「市の花:花菖蒲」を制定。

キャッチフレーズは「歴史 自然 文化のまち ~「佐倉」への思いをかたちに~」

明治22年(1889)、町村制の施行により、印旛郡佐倉町・臼井町・内郷村・志津村・根郷村・和田村・弥富村・千代田村・旭村が成立。

1937年、 佐倉町と内郷村が合併、印旛郡佐倉町が発足。

1940年、千代田村が町制を施行、印旛郡千代田町となる。

1954年、佐倉町、臼井町、志津村、根郷村、和田村、弥富村が合併、市制を施行し佐倉市となりました。

マンホールは市章付きの規格蓋ですが、噂では、某地区にのみ企業が設置したコアラの蓋があるそうです。が・・何処にあるかを把握していない為、探しにいけませんでした。

昭和30年4月1日制定の市章は【馬のくつわにつける金具である「鐶(かん)」を、花びらに見立てて、桜の花を形どったものです。 鐶は、乗馬の際、馬を引き締める大切な金具であり、佐倉市の発展への強い意志を表すもので、桜は、平和な田園都市を表現したものです。】HPより

上水道関連では「制水弁」「空気弁」「消火栓」「防火水槽」

佐倉・城下町400年記念事業イメージキャラクターとして2010年に誕生した『カムロちゃん』。その昔、佐倉城に棲んでいた〈妖かし〉で、こう見えて400歳だそうです。 コンセプトは「ゆるキャラ以上、萌えキャラ未満」・・分かったような分からないような😓  でもまぁ・・可愛いは正義なので許可(笑)

撮影日:2014年5月20日&2019年3月18日

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マンホールカード 頂きました

2022年1月15日、第16弾として全国41自治体で42種類(累計621自治体822種類 )のマンホールカードの配布が 開始されました。「佐倉市」のマンホールカードは、「佐倉市立美術館」で頂けます。

2021年に設置開始されたマンホールには「文様化された市の花々」がデザインされています。

「このマンホール蓋のデザインは、佐倉市と歴史的につながりが深い関係にある(学)女子美術大学の学生が、市の花々(桜、花菖蒲、チューリップ、コスモス、竹)を文様化してデザインしたものです。 佐倉市では、江戸時代から名桜と呼ばれる品種をはじめとする桜(市の木)や、緑・黄・白など色とりどりの花菖蒲(市の花)が咲き誇ります。 印旛沼湖畔の佐倉ふるさと広場では、オランダ風車を背景に、”香る””八重桜””移り色”といった特徴のチューリップや色とりどりのコスモスが一面に広がります。 武家屋敷通りに隣接した小径(こみち)「ひよどり坂」では、美しい竹林を見ることができます。」

コメント
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