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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

県立コウノトリの郷公園 in 兵庫県豊岡市祥雲寺

2023年08月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市祥雲寺字二ヶ谷の一画、広大な敷地内に、人とコウノトリが共生できる環境と、学習の場を提供することを目的として設立された「県立コウノトリの郷公園」

国の天然記念物であり、兵庫県の県鳥、豊岡市の市の鳥「コウノトリ」。羽は白と光沢のある黒、口ばしは濃い褐色で脚は赤く、目の周囲に赤いアイリングを持つ、コウノトリ目コウノトリ科に属する鳥類別名、ニホンコウノトリ

兵庫県北部の但馬地域には、コウノトリの野生繁殖個体群が日本で最後まで残っていましたが1971年に絶滅。それ以降、長い間、飼育下で保護増殖の努力が続けられてきました。そのかいあって、コウノトリの再導入が2005年9月24日の5個体のリリース(放鳥)により開始、2020年までに計74個体が野外に放たれました。

ケージの中ではなく、自由に動き回るコウノトリが見たい。豊岡にはそんな希望を叶えてくれる場所がある・・今回の但馬方面の車泊旅:楽しみの一つが今回のコウノトリ郷公園への訪問。

園内には「自然観察・学習ゾーン」があり、実際に餌をついばみ羽を休めるコウノトリを間近に見る事が出来ます。こんなにも美しい鳥が翼を広げ、かって但馬の空を自由に飛び交っていた時代があったのです。

まったくもって月並みな表現ですが、水辺を行き交うコウノトリの姿は本当に美しくて優雅。時折、羽を広げる姿などが見えると、もうそれだけで感動で満たされます😊

PM3時過ぎは餌やりタイム。タイミングが合えば、野生のコウノトリが見られる事もあるそうです。この時間にココに来れば美味しい食事がある事を知ってるのはサギも同じらしく、かなりの数のサギがせっせと美味しい餌にありついていました😅

併設された「豊岡市立コウノトリ文化館」ではコウノトリの飼育の様子や、放鳥に使われたゲージの展示等々、どれも非常に興味深いものばかり。

館内に入ると真っ先に目に映るのは、天井高く舞うコウノトリ・・の模型・・模型ですが綺麗です。

この剥製のコウノトリは、ここで飼育していたコウノトリでしょうか?大空高く自由に飛びまわっていた頃のままの美しい姿で、私たちを出迎えてくれます。その美しさが伝えてくれるものは、いかに大切に守られているかという事実・・・剥製の賛否は別にして素直に感動しました。

これは人工飼育の際に使われる時の「模擬くちばし」

かつて日本列島には、コウノトリが普通に棲息していました。けれども様々な要因が重なり、いつしか日本の大空を翔るコウノトリは完全に絶滅してしまいます。この空に再びコウノトリを・・・そんな願いを籠めて1985年、ロシアより幼鳥6羽を受贈し、飼育場での飼育が開始。試行錯誤の繰り返しの中、人工飼育開始から25年目の1989年、ついにコウノトリのヒナが誕生。

2005年には野生復帰の第一歩となる試験放鳥がスタート.。秋篠宮皇継殿下:紀子妃殿下ご臨席のもと、放鳥式典が行われました。

2007年には国内の野外では46年ぶりとなるヒナが巣立ちました。以後毎年野外繁殖が成功し、2020年には、野外コウノトリが200羽を超え、国内の各地でコウノトリを見かける機会が増えています。

2006年の歌会始、秋篠宮両殿下はこの放鳥の瞬間を待ちわびた人々の感動と喜びを御歌に詠まれました。

【 人々が 笑みを湛へて見送りし  こふのとり今 空に羽ばたく 】皇継殿下
【  飛びたちて 大空にまふこふのとり  仰ぎてをれば  笑み栄えくる 】妃殿下

そしてこの年の九月六日、皇室の未来を担う日嗣の皇子がお生まれになられました。日本に神の存在を感じた・・鳥肌の立つようなあの感動が今も忘れられません。お健やかに、ただお健やかにと願いあげます。🙏

子宝を運ぶと言われるコウノトリ。コウノトリ郷公園では、大切な人に思いを伝える手紙もこんな風に大切に守ってくれてます😊

【ほろびゆくものは みな美しい しかし 滅びさせまいとする願いは もっと美しい】元兵庫県知事:阪本勝氏 心に響く言葉です。

訪問日:2011年3月30日

 


養父(やぶ)神社~Ⅱ~ in 兵庫県養父市養父

2023年08月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

「養父神社」本殿後方に鎮座される「摂社:山野口神社」。御祭神は『大山祗神』。別名を「山の口のおおかみ」。流行り病を避け、憑き物を落とす神として広く信仰されていました。

切妻造の本殿は江戸時代末期の造営で、養父神社社殿と共に登録有形文化財の指定。場所的なものも有るのかも知れませんが、正面に向かい合った時の張り詰めた空気感。この一帯に満ち溢れる清浄な気、その独特の感覚はおいそれと経験できるものではありません。

静謐な神域を守護されるのは、建立年代不明の何とも不思議な表情の狛犬さん一対。鼻の周りの栓彫りは、獅子頭の口元をなぞった物なのか・・・阿形さんの上目遣いが妙にツボって、滅多に見られないお顔です。

社殿の細部に施された彫刻も非常に見応えのあるもの。斗栱の彫刻は「松に鷹」。吽形に相当する鷹は松の枝で羽を休めて

阿形に相当する鷹は、松の枝から羽を広げて身を乗り出し、今にも飛び立ちそうに・・

貫彫刻は獅子と龍・・・険しい視線に見つめられると思わずたじろぎそうになる迫力・・・阿吽ともに本当に怖いくらいの表情で参拝者を見下ろしています。

本殿の前方に鎮座される三間社流造の社殿は、同じく有形文化財に登録された「摂社:五社神社」『天熊人命(あめのくまひとのみこと)、天照大神、素戔鳴命、月讀命(つくよみのみこと)、五十猛命(いそたけるのみこと)』を祭神とします。

境内左の杜中に鎮座される「琴平神社」、御祭神は『事代主命』。拝殿の奥に屋根つきの渡があり、本殿と繋がっています。

本殿右側後方に鎮座する「迦遅屋(かじや)神社」、御祭神は『奥津彦命・奥津姫命・猿田彦命・表米親王(ひょうまいしんのう)』。別称を「猫の宮」と称し鼠除けの信仰があります。

【 おぼろ月 歩けばふれる 白れんげ 】『豊島明楽(養父市養父)』。

境内にあった「トキホコリの群生地」、トキホコリって初耳ですが、群生というからには植物?

で、調べたところイラクサ科一年草の植物と判明。ちなみに「トキ」=時々、「ホコリ」=蔓延るの意味だそうですが、変わった名前ですね。

円山川に沿った小さな集落の一帯は、兵庫県下でも有数の紅葉の名所として知られています。御朱印を頂くべく二度目の参拝となったこの日は、「やぶ紅葉まつり」の開催中という事で、境内は燃えるような秋色の只中。

錦秋の赤に朱塗りの欄干は、別世界への入り口にも思えるような不思議な妖しさ。

参拝日:2011年3月31日&2014年11月20日

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御神名一口メモ

『天熊人命(あめのくまひとのみこと)』、天照大神の命令で、月夜見尊に殺された「保食神」の死体から生じた神。五穀、牛馬、蚕などを持ち帰ったとされる。

『表米親王(ひょうまいしんのう)』、彦坐王を出自とする但遅麻国造家の一族で、日下部氏の始祖とされる。


養父(やぶ)神社~Ⅰ~ in 兵庫県養父市養父

2023年08月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

養父市養父市場に鎮座される「養父(やぶ)神社」。式内社(名神大社2座、小社3座)、旧社格は県社。天平9年(737)の「但馬国税正帳」に「出石神社」「粟鹿神社」と並び、但馬三ノ宮として知られています。

御祭神は『倉稲魂命・大己貴命・ 少彦名命・谿羽道主命(たにはみちぬしみこと)・船帆足尼命(ふなほそこねみこと』。「養父の明神さん」と呼ばれ、農業の神として知られています。

由緒沿革「崇神天皇30年(皇起594年)御鎮座。仁明天皇承和十二年に無位養父神を従五位下に叙し清和天皇貞観十一年従五位上養父神を正五位下に叙され十六年正五位上を加う」公式HPより

石段参道の先に隋神門

隋神門の内より神域を守護される随身様。

隋神門からまっすぐに、銅板葺き入り母屋造の拝殿は、江戸時代末期:元禄9年(1609)の造営。拝殿額には「山野口大明神 養父大明神」の両神名が記されています。

拝殿に至る境内の左右より神域を守護されるのは、明治32年(1899)4月建立の出雲丹後系の狛犬さん一対。すっかり苔むしていますがその迫力はいまだ衰えを知らずです。

拝殿間近の左右より神域を守護されるのは、明治26年(1893)9月建立の日本狼さん一対。「兵庫県神社誌に、かって狼を使令(しれい)とする一対の大石があり、猪や鹿のため田畑が荒らされた際に、当社に参拝して「狼をお借りしたい」と願うと社人が、その石に繋いでいた鎖を解く。すると猪や鹿がに荒らされることが無くなったという。」今は、狛狼様がそのお役を継いでいるのかもしれません。

その昔、大切な田畑を荒らす猪や鹿から作物を守る益獣として大切に守られてきた日本オオカミですが明治38年にほぼ絶滅。その結果、原生林などの裸地化が進んでいるそうですが・・ともあれ、農村の守り神であった日本狼に敬意を表して画像追加(笑)

養父市のHPによると阿形さんが雌で、吽形さんが雄なんだそうです。百聞は一見にしかず・・是非とも現地で確認下さい(^^;)

桧皮葺入母屋造・千鳥破風の本殿も、拝殿と同時期の造営とされ、共に兵庫県登録文化財に指定されています。

本殿屋根の上から神域を守護する銅板細工の鬼達。銅板の緑と真っ赤な口元のコントラストは、魔除けには十分すぎる迫力。

約1800年前から伝わる養父神社の御渡祭「お走りさん」神事。昔、円山川一帯が泥海であった時、斎神社の祭神『彦狭知命』が、城崎の瀬戸の山を切り開き泥海を美田に変えた神恩に報いるため、五社明神の名代として礼参に赴いた事が起源とされます。神輿を担いだまま首まで浸かって大屋川を渡る「川渡御」は勇壮果敢といわれ、 但馬三大祭りの一つとされています。

「御神輿の前面一部」

大屋川に架かる「大屋橋」の高欄にあった「お走りさん」の写真。

「神輿庫」

境内左手に鎮座される「御霊神社」。御祭神は『伊弉諾尊、伊弉冉尊』。社殿は元の御本殿であり、応安二十年(室的時代)の建立。この方向から皇居、神宮が遥拝できます。

神社建築・狛犬ファンには必見の境内社など見所はまだまだ在りますが、続きは明日のブログで。

参拝日:2011年3月31日&2014年11月20日

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御神名一口メモ

谿羽道主命(たにはみちぬしみこと)』、四道将軍の1人。第9代開化天皇の皇孫で、彦坐王の御子。

『船帆足尼命(ふなほそこねみこと』、彦坐王五世の孫で、但馬国造。

 


甘棠亭(かんとうてい)&青谿(せいけい)書院 in 兵庫県養父市八鹿町

2023年08月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

養父市八鹿町伊佐に残る「甘棠亭(かんとうてい)」「延宝4年(1676)3月3日、時の出石藩主『小出英安公』が伊佐の新田開発の視察に赴くことになり、藩主を迎える休憩所として建てられたのが甘棠亭です。」但馬の百科事典より

一重入母屋造で茅葺、内部は上段の間と下段に分けられており、藩主を迎える格式を持つ建物。向かって左隣に見えるのは築200年以上と言われる「小出家本宅」

甘棠亭が建てられた際、庭の一角に「九思の松」という黒松が植えられ、県の文化財にも指定され、長らくシンボルとなっていましたが、昭和52年に滅失。現在は石碑が建立されています。

甘棠亭の向かって右に建つのは「旧小出医院」。1918年(大正7)に『小出揚』によって完成。建設に際しては、地元大工『斉藤文次郎』を使わして、「東京帝国大学の付属病院」を実見させたと言う逸話が残されています。建物は木造平屋建、寄棟造、桟瓦葺きで、布基礎石積みの上に外壁は大津壁塗り。1998年まで現役で使用されていました。

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養父市八鹿町宿南、静かな山間の一画に残る「青谿(せいけい)書院」

文化10年(1813)に八鹿町宿南の農家に生まれた『池田草庵(そうあん)』は、10歳で母を、12歳で父を亡くします。広谷村の満福寺に入山して6年間修行を続け、その後18歳で寺を出て京都の相馬塾に入門。わずか1年足らずで塾頭になり、30歳にして帰郷、この地に私塾「青谿書院」を開塾しました。

建物は自宅兼塾舎を兼ねたもので、茅葺2階建の主屋に瓦葺の平屋が付属。

塾舎内の様子

陽明学を学ぶ学者であった草庵は、「慎独(しんどく)」という教えを説き、門人たちと寝食をともにして、弟子の教育に没頭。 明治11年に亡くなるまで、教えを慕って入門した門人の数は全国30ヵ所から673人にのぼり、日本の近代化を担った多くの人材を育成しました。

「青谿書院記」碑。明治11年(1878)に草庵が65歳で亡くなったとき、門人たちは先生の死を悼み、その2年後に「青谿書院記」の文章を石碑に刻み庭の端に建てました。石碑の文字は、明治時代の3大書家と言われる『長三州(ちょう さんしゅう)』の揮毫によります。

「青谿書院池田緝(しゅう)読書之處也(青谿書院は池田緝の読書する処なり)で始まる碑。

「但馬聖人」と称された池田草案が開いた私塾「青谿書院」。江戸時代の私塾が現存するのは全国的に見ても珍しく貴重である事から、昭和45年に県史跡に指定されました。

訪問日:2014年11月21日

 


八柱(やはしら)神社 in 兵庫県養父市八鹿町

2023年08月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

養父市八鹿町八鹿に鎮座される「八柱(やはしら)神社」。御祭神は『天穂日命、天忍穂耳命、天津彦根命、活津彦根命、多岐津主命、多岐津姫命、熊野樟日命、市杵島姫命』「八大荒神」とも称されます。

創建は不明。八大荒神は八台龍王とも称され、地域の歴史における様々な禍いを払う神として数々の奇瑞を顕し、人々の暮らしを守って来た神として今日まで守り伝えられてきました。

「県登録有形文化財指定・本殿。桁行一間、梁間一間の入母屋造で、屋根は柿葺。建立年代を示す資料は残っていませんが、建築様式から文化年間(19世紀前期)とみられています。装飾性に富んだ建築で、獅子、木鼻の象、波と兎など、繊細で精巧な彫刻がみられます。また、屋根は複雑で丁寧なもので、入母屋造の本殿には、正面に千鳥破風を付け、さらに軒唐破風を重ねています。当初の部材が状態の良いままで多く保存されており、地域の歴史や文化の特徴を示すものとして、貴重な建築物です。」現地案内より

覆い屋の中、本殿前左右より神域を守護されるのは、出雲構えの獅子一対。場所的にもそれほど大きな作品ではありませんが、丁寧に彫り込まれた台座も含めて、良い顔立ちをされています。

本殿向拝には親子と思われる獅子の彫刻。彩色が元々の物なのか、最近の物なのか不明ですが、目を引く事は確か。

貫の彫刻は阿吽の兎。目と口中の色付けも、向拝の獅子同様いつの時代の物か不明。

脇障子の彫刻は「梅に孔雀」。反対側は場所的な制約があって、きちんと画像に捉えられませんでしたがかなり凝った構図でした。

本殿:向かって左に鎮座される「境内社:天満宮」。

本殿:向かって右手に鎮座される「境内社:粟島神社」。

隣の赤い屋根の祠にはお地蔵様が納められています。

道路元標を探しに来て見かけた神社でしたが、思いがけなく素敵な神社に出会え、朝からご機嫌なスタートとなりました。

参拝日:2011年3月31日

 


粟鹿(あわが)神社 in 兵庫県朝来市山東町

2023年08月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

朝来市山東町粟鹿に鎮座される「粟鹿(あわが)神社」。式内社(名神大社)で但馬国一宮。御祭神は天美佐利命(あめのみさりのみこと)・日子坐王命(ひこいますおおきみのみこと)・日子穂穂手見尊(ひこほほでみのみこと)』

御神紋は「抱き茗荷」

『阿波奈岐尊(あはなぎのみこと)・伊弉奈岐尊・天照大日孁尊・籠神(このかみ)・鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)・月讀尊・素盞嗚尊・豊玉姫尊』を配祀。

創祀年代は不詳。「一説には、崇神天皇の御代、粟鹿山の麓に創立されたといい、また、景行天皇十二年、天皇が筑紫の熊襲を征圧した時に勅して天皇の祖を祀ったとも。神功皇后三韓征伐の際に神助ありて凱旋後に奉幣使を立てたという。天正九年(737)の「但馬国正税帳」にも「朝来郡粟鹿神戸祖代六十六束二把」とある古社。粟鹿の名は、昔、粟鹿山の洞穴に住む一頭の鹿が、粟三束をくわえ、村に現われ、人々に農耕を教えたという。その鹿を祀ったのが、当社であるという。」

約600年前に建てられた市指定文化財「勅使門」。本柱間の両開きの唐戸には透かし彫りの欄間をつけ、羽目板には鳳凰が刻まれています。

「日の出門」と称される隋神門。

「粟鹿神社木造著色随身倚像:一対二体」。江戸時代初期頃の作。寄木造による彫刻で、2011年3月16日・朝来市指定有形文化財に指定。

「粟鹿神社木造著色狛犬像:一対二体」。江戸時代頃の作で、寄木造による彫刻。吽形像は角を有する。2011年3月16日・朝来市指定有形文化財に指定。・・・阿吽ともにものすごい迫力、お日様の下でなければ見る自信がありません(^^;)

拝殿

拝殿前より神域を守護されるのは、昭和9年(1934)1月3日建立の出雲丹後狛犬さん一対。呉市の石工『白井三次』氏の刻。

阿形さんの前足の間にすっぽりと収まる仔狛。きかん気そうな顔で参拝者を見つめ返してくれます。

綺麗に整えられた土俵。奉納相撲があるのでしょうか?

社務所に展示されていた全国一宮の絵馬。これだけの絵馬を奉納されると言うのも凄いですし、それを見る機会を得た私たちは実に幸運でした。

境内には他にも沢山の摂社・境内社が鎮座されていましたが、時間的な制約に急かされて、本社のみの参拝で終わってしまいました。

参拝日:2014年11月20日

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御神名一口メモ

天美佐利命(あめのみさりのみこと)』、『大国主命』と『天止牟移比賣(あめのとむいひめ)』の子供。

『日子坐王命(ひこいますおおきみのみこと)』、『崇神天皇』の弟、『丹波道主命(たにはみちぬしのみこと)』の父。

『阿波奈岐尊(あはなぎのみこと)』、黄泉国へ赴むいた伊弉諾尊は阿波岐原(宮崎市)で禊ぎを行っている。この事と関連があるのかもしれないが詳細は不明。


旧上久下村営上滝発電所記念館 in 兵庫県丹波市山南町

2023年07月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

丹波市山南町上滝字八ヶ坪、川代渓谷沿いにある「旧上久下村営上滝発電所記念館」。周囲を450メートル前後の山々に囲まれた篠山川沿いの一画に立つ赤レンガの建物は、存在そのものが灯りとなって私たちを導きます。

大正9年(1920)、当時ランプ生活であった氷上郡上久下村では、村長の平藤徳蔵氏たちの尽力により、同年12月に水力発電所の工事に着工。大正11年(1922)6月に上久下村営上滝発電所が竣工。翌大正12年1月8日から送電が開始され、山南町となった昭和38年までの40年間、地域の生活を支える重要な施設として稼働してきました。

ランプの明かりから白熱球の明かりに変わったその時、村人はどのような思いを抱いたのでしょうか。想像の域を超えない事は承知の上で、それは明日に続く希望そのものだったと思えるのです。

夜を昼にと変えた・・発電所祝い歌の一節が、深く胸に染み込みます。

「市南部を東西に流れる篠山川の右岸に築かれた旧水力発電所施設。桁行9.2m梁間6.5m、切妻造、煉瓦造2階建で、外装イギリス積とし、1階に長方形上下窓、2階には欠円アーチ形の窓を配する。村が独自で建設、運営した近代水力発電施設の一つである。2008年4月18日 登録有形文化財(建造物)とする。」文化遺産オンラインより

川代(かわしろ)渓谷は、篠山盆地より流れ出た篠山川の上流、東西4kmに渡って延び、篠山盆地より溢れ出た奔流により築かれた渓谷です。 

篠山川流域に分布する1億2千年前以上の白亜紀の 陸成の主として礫岩・砂岩・泥岩からなる地層で篠山層群とも呼ばれます。

「岩脈(がんみゃく)は、地層や岩石の割れ目にマグマが貫入して板状に固まった火成岩体。中心火道から放射状に伸びる岩脈がしばしば見られる。露頭で目にするのはその板状の岩体の断面のことが多いため、筋のようなものと思いがちである。」現地説明

断層(だんそう)とは、岩石または地層が断ち切られて、その面(断層面)を境に両側がずれている現象。 また、それによってできた割れ目。

渓谷の岩面についての説明があまりにも分かりやすかったので、ついつい、話がそれてしまいましたが(笑)、2006年8月、この川代渓谷にて恐竜の化石が発見されました。白いコンクリートの上にピンクの恐竜の絵がある部分が、丹波竜発見の地層群です。

丹波市のマスコットキャラクターにもなった「丹波竜」は、竜脚類である大型草食恐竜ティタノサウルスと同種のものといわれ、大きさは10m以上もあり、国内最大級と考えられています。

丹波市のHPなどを読んでいると、ついつい時間を忘れてしまいそうなほど、発掘作業の様子は壮大で緻密で、男子ならずとも胸がワクワク。この白いコンクリートの下に、もしかしたらその恐竜の欠片が残っているかもしれない・・そう思うだけで、胸がドキドキします(⌒∇⌒)

福知山線「下滝駅」。思い込みが強くなると、建物の全体像まで恐竜に見えてきます(笑)

下滝駅前の恐竜の親子

恐竜化石発見地の案内板と顔出し

丹波竜の里公園のモニュメント

見るもの聞くものすべてが興味深く、予想外に時間が過ぎてしまいました。あれこれと見たいものもあったのですが、時間切れ。あてにならない「またいつか」を願って、丹波市を後にします。

訪問日:2014年11月19日

 


青垣あちこちウォッチ in 兵庫県丹波市青垣町

2023年07月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

旧青垣町に入って最初の交差点「小倉」。運よく信号待ちで捉える事が出来た、東経135度を指し示す「子午線標識塔」

江戸時代、宿場町として栄えた佐治地区。今も往時の面影が町のそこかしこに残されています。

交通の要衝でもあった佐治地区に残された、市指定文化財の「佐治の道標」。「右 由し満(湯島:城崎)」「左京大坂」「天保六年(1835)」。画像には見えませんが 「左 いくの(生野)」と刻まれています。 

丹波市青垣町小倉にある浄土真宗本願寺派寺院「西往寺(さいおうじ)」。鐘楼門の佇まいに惹かれてちょっと寄り道。

木鼻彫刻は象眼が施された獏。もしかしたら象眼ではなく塗りの巧みさで象眼に見えたのかもしれませんが、真偽は不明。

境内に建立されていた銅像二体。ちゃんと確認しなかったので、何方の像なのか不明(^^;)

丹波市青垣町西芦田にある道の駅「あおがき」。お土産用に新鮮なお野菜をたくさん買い込みました。

この日は焼き立ての丹波栗も購入。おまけして頂いて7個で五百円(⌒∇⌒) 熱々の焼き栗の美味しい事と言ったら!!その時の写真の顔が全てを物語っています(笑)

道の駅にあったパラグライダーのモニュメント

訪問日:2014年11月20日

 


清薗寺(せいおんじ) in 兵庫県丹波市市島

2023年07月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

丹波市市島町下竹田にある「高野山真言宗寺院 鎌倉山:清薗寺(せいおんじ)」丹波市西国霊場第三十二番。麻呂子親王御作の『薬師如来』を本尊とします。

大江山の鬼退治が伝わる「清薗寺」は、用明天皇の息子であり聖徳太子の弟である麻呂子親王により創建されたと伝えられます。

戦国時代には明智光秀による丹波攻略の際に全焼したとも伝えられ、仁王門や薬師堂(本堂)などに、僅かに往時の面影を残すのみとなりました。

寛政7年(1795)に再建された「仁王門」。寛政九年に落慶法要が成されたと伝えられます。

門の内より睨みをきかせるのは明和四年(1767)5月に造立された仁王像。長い年月を経ても残る鮮やかな朱がさらなる凄みを与え、見るものを圧倒させます。

仁王門の彫刻「波ウサギ」

仁王門の彫刻「虹梁を噛む獅噛鬼」

仁王門の中央真後ろに建つ総高2.73m、石英粗面岩で造られた県指定文化財:八角石燈籠。南北朝時代、貞和3年(1347)の銘があり、火袋に四仏の梵字、中台側面に散蓮華が彫りこまれています。

鮮やかに彩られた境内

旧市島町指定天然記念物「推定樹齢、五百年:清薗寺の大杉」。薬師堂の傍らにある事から、落雷から御堂を守ってくれる御神木とされています。

麻呂子親王御詠
【 雲はれて みどりに晴る 空みれば るりの光の 月ぞさやけき 】

参拝日:2014年11月19日

 


興禅寺(こうぜんじ) in 兵庫県丹波市春日

2023年07月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

丹波市春日町黒井にある曹洞宗別格地「大梅山:興禅寺(こうぜんじ)」。仏師:春日作による『釈迦如来』を本尊とします。

「戦国時代の山城「黒井城」の下館跡。戦国の城主は、合戦のとき山城にたてこもり、平時はふもとの下館で政務を行いました。水をたたえた七間濠、高石垣と白いぬり塀をめぐらせた興禅寺は、当時の館の風情をよく今に残しています。天正7年、明智光秀の重臣斉藤利三が城主となり、娘のお福(春日局)がここで生まれ3歳まで育ちました。」丹波市観光協会HPより

石垣の高さは約5m程度で、黒井城と同様の「野面積み」となっており、山上の黒井城とともに「黒井城跡」として国の史跡に指定。

七間濠に架かる石橋を渡った先に聳える、朱塗りの楼門

楼門は三間一戸の二層造で観音像が安置されています。宮津市にある智源寺からの移築で、創建年代は不明ですが元禄年間改修の記録が残されています。楼門の前には「春日局出生地」の碑が建立されています。

楼門内において『釈迦如来』を守護されるのは、「広目天」「毘沙門天(びしゃもんてん)」

興禅寺の前身は、丹波国で勢力を誇った豪族『赤井直正』が開基したとする「誓願寺」で、黒井城落城50年後の寛永3年1626)に、少し離れたこの場所へ移転。真言宗から曹洞宗に、寺号も興禅寺としました。

「心字池」を中心とした庭は、足利将軍の従兄弟である『近衛前久』の設計と云われています。

参拝日:2014年11月19日