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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

玄武洞(げんぶどう)~其の一 in 兵庫県豊岡市赤石

2023年08月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市赤石、円山川東岸にある国指定の天然記念物「玄武洞(げんぶどう)」

大体において、植物、地質・鉱物で国の天然記念物と言うのは、無知な私たちには「なんちゃ~良うわからん~???」な代物なのですが😅、流石にこれは一目見て「わ~~~~ぁ!!!」。足も目も釘付けになる光景。

160万年前に行われた火山の噴火によって山頂から流れ出したマグマが冷却され、冷えて固まる時に作り出された玄武岩溶岩の厚い層が形成。その後、河川による侵食によって玄武岩塊がむき出しとなり、その割れ目(節理)が顕著で切り出しやすかった事から人々が採掘し、その採掘跡が洞窟として残されました。それが今日、目にする玄武洞です。

ここで切り出された玄武岩は周辺地域で漬物石や石材として使われており、現在でも城崎温泉の大谿川護岸や豊岡の石積みなどで見ることができるとか。確かにれ程綺麗に整った岩石が採取できるのは、魅力だったかもしれません。

もちろん公園内の敷石にも使われていますが、それは天然記念物指定の前に整備されたものなので、今はそういった事には厳しい規則があるようです。

ちなみに私が歩いている踏み石には、ハートの形の玄武岩もあったらしいのですが見つけられませんでした。っていうか・・柱状節理の玄武岩でハート型って無理があるように思うのですが😅。

ちなみに、現在こんな風に玄武岩を採取していいのは、日本広しと言えども「玄武岩の玄さん」だけ。良い子は絶対に真似しないように😆

一番の見所である玄武洞の洞窟内では、柱状節理によって亀甲状の天井や、5~8角の石柱がみられるそうですが、もちろん現在は立ち入り禁止の為、遠目で見るのみ。

六角形の無数の玄武岩が積み上げられた不思議な美しさ・・江戸時代後期の文化4年(1807)、幕府の儒学者『柴野栗山』がここを訪れた時、その様が伝説上の動物「玄武」の姿に見えることから「玄武洞」と命名。

明治17年に岩石の日本名を定める際、東京大学の『小藤文次郎博士』が「玄武洞」の名から、この岩を玄武岩と命名したそうで、洞窟が岩の名前の由来だったとは、初めて知りました。

昭和6年(1931)2月20日、「玄武洞」は国の天然記念物に指定され、周辺地域一帯は、昭和38年(1963)に山陰海岸国立公園となり、現在に至っています。

玄武は中国の想像上の動物で、四方を守護する「四神獣」の一つ。北方を守護する水神は、長い脚と蛇の尾を持つ亀に似た「玄武」。名付けた人物が目にした景色は、私たちが目にしている景色と同じものだったのか・・興味は尽きません。

四神獣の一つで五行説における西方の白虎から名づけられた「白虎洞」。既に命名されていた「玄武・青龍」に因んで採用された命名でしょうか?

とはいえ、白虎洞の中央部分、あの縦に伸びる節理の部分が、ちょうど虎の背のように見えるのが凄いです。

🌸同じく四神獣は水を司り天翔ける東の青龍。鳳凰とも呼ばれる南の朱雀。明日は青龍洞・南朱雀洞、北朱雀洞の紹介です。

訪問日:2014年11月21日

 


豊岡市内~あちこちウォッチ in 兵庫県豊岡市

2023年08月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

2011年の豊岡市への車中泊では、狛犬目当てのご亭主殿の希望で、多くの神社参拝をしました。まるで豊岡市にはコウノトリと神社しか無いような印象ですが、そんな事はありません(笑)。たとえば日本一の「かばんの町」として知られる豊岡市、公用車にも豊岡杞柳細工の柳カゴがラッピングされています。

兵庫県北部(但馬国)をエリアとする全但バスも、ごらんの通り😆

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12月14日は忠臣蔵のクライマックス、 四十七士が吉良邸に討ち入りした日です。実はここ豊岡は、その忠臣蔵の立役者『大石内蔵助』の妻『理玖(りく)』の生誕地なのです。

但馬国豊岡藩京極家の家老『石束毎公』の長女として誕生し、赤穂藩浅野家の筆頭家老『大石良雄』と結婚。その後の主君の刃傷、藩の取り潰し、主君の仇討、本懐・そして全員の切腹。長男の主税ちから)はまだ16歳の若さでした。理玖は残された遺児を育て上げた後、落飾し『香林院』と称し広島で没します。その彼女の遺髪塚が、豊岡市日撫(ひなど)の「正福寺」にあります。

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豊岡駅通商店街には、私の大好きな近代歴史的建築が残されています。ヨーロッパ風の建物は、1925年の北但大震災の2年後に旧豊岡町役場として、復興建築のシンボルとして建設。

その後、旧豊岡市役所本庁舎となり、2011年の新本庁舎建設に伴い、現在は「豊岡市議会議場」や「豊岡稽古堂」として使用されているそうです。

かつての銀行建築の面影を残す重厚なルネッサンス建築の建物は、旧兵庫県農工銀行豊岡支店として昭和9年(1934)に建設。「山陰合同銀行豊岡支店」を経て、2005年に豊岡市役所南庁舎別館として改造されました。

役目を終えた建物は、2014年4月に「豊岡1925」というお菓子を中心テーマとした複合施設となったそうです。

先述の建物と向かい合う位置にあり「中央街路(大開通り)の偉観」といわれた「旧豊岡郵便局」。昭和2年の建築で旧南庁舎として使われていましたが、新本庁舎竣工に伴って解体されたとか・・・利便性を考えるとやむを得ない事ですが、何とか残して欲しかったと今も思います。

これらの建物が有った大開通りの商店街、愛称は「サンストークアベニュー」と言います。疲れてふと腰を下ろしたベンチには「コウノトリ放鳥記念ベンチ」の文字。あれ・・やっぱりコウノトリに戻ってしまった😅

という事で「コウノトリ悠然と舞う豊岡市」でした。

訪問日:2011年3月30日

 


三木嶋(みきしま)神社 in 兵庫県豊岡市日高町

2023年08月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市日高町清冷寺に鎮座される「三木嶋神社」。御祭神は『天照御魂神(あまてらすみたまのかみ)』

古事記では『天火明命(あめのほあかりのみこと』。日本書紀には『天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)』と称され、太陽神、農業神の神格を持ちます。

創立年月不詳。一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と続く境内の正面に、入母屋造りの大きな拝殿が建ち、その後ろに廊下で繋がった本殿鞘堂が続きます。

その拝殿前左右より神域を守護されるのは、大正8年春:建納の出雲丹後系の狛犬さん一対。傷も剥落も無く、奉納された当時のままの、がっちりした姿で参拝者を迎えてくれます。

赤く染まった境内の一画に鎮座される境内社「祇園牛頭天王」、御祭神は『素戔男尊』。牛頭天王は神仏習合での別名であり、釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされています。

「境内社:稲荷大明神」。御祭神は『正一位:稲荷大明神』。ちなみに日本の神社で一番多いのが「お稲荷さん」だそうで、確かに本社・末社を問わず何処のお社にも鎮座されています。

稲荷社の前より神域を守護されるのは、まるでサイボーグのような神狐さん一対。機械彫り独特の固い線が、逆に面白みを感じさせてくれます。

参拝を終えて出口に向かう私たちを包み込むようなお日様の赤。この地は、まこと太陽神が鎮座されるにふさわしい場所なのだと感じさせられます。

参拝日:2011年3月30日

後記:太陽神で『天照御魂神』というと『天照大神』と勘違いされる方もいますが、二神は全く別の神格を持たれる神様です。

 


加陽(かや)天満宮 in 兵庫県豊岡市加陽

2023年08月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市加陽に鎮座される「加陽(かや)天満宮」。御祭神は『菅原道真公』

この社に案内等は無く、勧請年月・縁起・沿革等全て不明。拝殿と渡り廊下で繋がる本殿は覆い屋の中。

一見すると一般家屋のようにも見える拝殿。

その拝殿前より神域を守護されるのは、昭和7年(1932)3月建立の出雲丹後系の狛犬さん一対。阿形さんの口元がすっぱりと切り取られたようで痛々しい限り・・

更にもう一組、拝殿前より神域を守護されるのは、昭和62年10月吉日建立の出雲構えの狛犬さん一対。吽形さんは片足に玉を持っています。

拝殿彫刻は獅子と・・・・何でしょう? 真正面から見てしまうと正体不明の神獣になってしまいました(^^;)

覆い屋に守られた御本殿。天満宮の梅の木は満開で柔らかな香りを振りまいています。

その梅の木の下で神域を守護されるのは、おそらく先代さんと思われる出雲構えの狛犬さん一対。阿吽共に尾が付け根から欠けているのがとても切なくてなりません。

足元に大切に置かれた一対の尾・・・この尾を体に付けてあげる事は出来ないのでしょうか? まだ今なら間に合うのでは??

次に出会えることがあるのかどうか・・今となっては自信はありませんが、心に残った狛犬さんのアップを。

境内社、社名:御祭神共に不明。

少しづつ太陽の光が薄れ始める境内。振り向いた先に静かに鎮座される社殿に一礼をし、急かされるように次の目的地へと車を走らせます。

参拝日:2011年3月30日

 


小田井縣(おだいあがた)神社 in 兵庫県豊岡市小田井町

2023年08月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市小田井町に鎮座される「小田井縣(おだいあがた)神社」。式内社:縣神社に比定される古社。御祭神は『國作大己貴命(おほなむちのみこと)=大国主命』

由緒「創祀年代は不詳。大昔、この豊岡附近一帯は泥湖で、湖水が氾濫して平地のないとき、来日岳のふもとを穿ち、瀬戸の水門を切り開き、水を流し水利を治めて農業を開発されたのが國作大己貴命です。第十代崇神天皇の御代(前86)、四道将軍丹羽道主命は大神の偉徳を聞き、深くその功績を讃え、
天皇に奏上し、勅許を得て、大神を地方開拓の祖神とし、ご神霊を鎮祭したと伝えられます。」

鳥居の近くより神域を守護されるのは、皇紀2600年:昭和15年(1940)建立の岡崎現代型狛犬さん一対。後に某国より大量生産されて興味を失ってしまった岡崎型ですが、この頃の狛犬さんには威厳も力強さも十分備わっています。

入り口鳥居を潜るとやや広めの参道が続き、突き当たり左に、おみくじで白く埋まった簡潔な造りの神門が建っています。

神門の正面には入母屋造り唐破風付きの拝殿。拝殿の後方には、元文年中(1736~1740)造営の流麗な春日造の本殿が鎮まっています。

社殿幕には「抱き沢瀉(オモダカ)紋」

本殿・縁の左右より神域を守護されるのは、かっては玉眼をお持ちだったと思われる木製神殿狛犬さん一対。空ろな眼窩が過ぎていった時間を物語っています。遠目なのと、すでに夕焼けに染まりつつある境内+私たちのデジカメ&腕ではこれが精一杯。

拝殿前より神域を守護されるのは、明治42年(1909)吉日建立の出雲構え型の狛犬さん一対・・吽形さんは酷く損傷しており、見れば、足元に剥落したお鼻が・・・何とか形のあるうちに修復できないものでしょうか。

境内右側に鎮座されるのは「境内社:柳ノ宮神社」。毎年8月1日、2日に行われる「柳の宮例大祭:豊岡柳祭り」。神輿渡御や花火大会等々、豊岡市市街地域の最大のお祭りだそうです。

御祭神は『天照大神』と『建速須佐之男命』の誓約によって生まれた『五男三女神』。「杞柳・かばん産業」の守護神とされます。

拝殿前左右より神域を守護されるのは出雲丹後系の狛犬さん一対。阿形さんの足元には毬で遊ぶ子狛がいます。

境内社「川下神社」。御祭神は『祓戸四柱大神』

「祓戸」は穢れを祓う場所を意味し、「四柱大神」とは「川(もしくは滝)の神・海の神・風の神・地底(霊界)の神」を指します。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、岡崎現代型の狛犬さん一対。量産型に比べると断然良い表情です(^^;)

「境内社:恵比須神社」。御祭神は『事代主命』

「境内社:稲荷社」。御祭神は『豊遠加姫命(とよおかひめのみこと)』

参拝を終えて境内を後にした時に見かけた「出町大いと場跡」の碑。裏に「城下町豊岡の北の玄関として千石船の廻船も荷あげをし堀川橋と共に隣国まで知られた船着き場」と刻まれています。円山川左岸のこの地は、かっては千石船が行き交う活気に溢れた場所だったようです。

参拝日:2011年3月30日

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御神名一口メモ

『豊遠加姫命(とよおかひめのみこと)=豊受大神=大物忌神(おおものいみのかみ)=豊宇気毘売神・・他』、食物の神。


中嶋(なかしま)神社 in 兵庫県豊岡市三宅

2023年08月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市三宅に鎮座される「式内社・中嶋神社」。御祭神は『田道間守命(たじまもりのみこと)』。『天湯河棚神(あめのゆかわたなのかみ)』を配祀。式内社で、旧社格は県社。「菓祖・菓子の神」として、日本各地の製菓業者の崇敬を受けています。

由緒「田道間守命は、第十一代垂仁天皇の命を受け、常世の国より「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)=橘」を持ち帰ったが、 天皇は既に亡くなっており、その御陵に「非時香菓」を献げて殉死。景行天皇は、御陵の池中に墓を造らせた。推古天皇の御代に、命の七代目の孫「吉士中嶋の君」が当社を創立。中嶋神社の名は、御陵の中の命の墓が、中の島に見える ところから名付けられたと言われる。「非時香菓」を持ち帰った故事より菓子の神様として祭られるようになった。」境内案内より抜粋

境内入口の鳥居の傍らには「お菓子の神様 田道間守命の生誕地」の碑。社務所には、毎年四月の第三日曜日に開催される「橘菓祭(菓子祭)」のポスターが貼られています。

二間社流造檜皮葺:朱塗りの本殿は、正長元年(1428) に但馬の領主:山名氏により再建。室町中期の特色をよく示しているものとして国重要文化財に指定されています。

二の鳥居からまっすぐに伸びる参道の先に拝殿。

拝殿の左右より神域を守護されるのは、大正9年建立の出雲丹後系狛犬さん一対。

広く開放的な拝殿と、それに続く朱塗りの本殿。

本殿の階段下左右には、木箱に納められた木造の神殿狛犬が、神域を守護されています。

透かし塀の隙間からではこれが精一杯ですが、中々に精悍な顔立ちの一対。おそらく長い時間をここで過ごされたのでしょう。脚部の傷みが気にかかります。

拝殿に奉納されていた絵馬は「横浜菓子業奉賛委員」。まるで旭日旗を思わせるデザインで、某国の魔除けには効果ありそう😅

「境内社:皇大神宮(内宮)・豊受大神宮(外宮)」

「境内社:秋葉神社」「境内社:稲荷神社」

「境内社:若宮神社」「神庫」

神庫の真っ白い漆喰の壁には端正な「橘」が、鏝絵で施されています。屋根には「橘」の神紋。御祭神が持ち帰ったと言う「非時香果(ときじくのかぐのこのみ)」にあやかったものでしょう。

参拝日:2011年3月30日

 


金毘羅神社 in 兵庫県豊岡市野上尾崎

2023年08月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市野上尾崎に鎮座される「金刀比羅神社」。御祭神『大物主大神』『大国主命』「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」とされ、別名『三輪明神』とも称します。

神社は丘の中腹にありますが、車に乗ったまま一の鳥居、二の鳥居を潜って参拝できます。駐車場から石段の参道があり、その途中に三の鳥居。さらに石段参道が続き遠くに社殿が見えています。

流石にこれだけの石段の昇り降りは、色んな意味できつい・・

由緒によれば「後西天皇の御代、寛文年間の創建で、城崎町結村の吉左エ門の勧請と伝う。もと当山山上に三本松と称する古末があり、夜毎奇光を放ち誰もが不思議がっていたが、円福寺の住持:源智上人が三夜にわたって霊夢を感じ「光輝を放つは象頭山金刀比羅の大神である。当山は有縁の霊地ゆえ来た。堂宇を建立すれば庶民の千載万難を救うであろう。」と告げられます。夢から覚めた上人の許に吉左エ門が来たので、霊夢を語り、力を合わせて堂宇を建立した。」

拝殿前の軒下、左右より神域を守護されるのは、文政3年(1820)10月10日建立の出雲丹後系の狛犬さん一対。傷も磨耗もない、完璧に美しいこの神獣さんが、170年以上も前に作られたものだなんて!

多くの神社で、何体もの出雲丹後系の狛犬さんを見てきましたが、まさに奇跡の出会いです。この感動をアップで(⌒∇⌒) 「(阿)どや!すごいやろ!」

「(吽)ムフフ~~ン。喜んでもらえて何より~💛

まるでお寺の堂宇を思わせる社殿、軒下には沢山の絵馬が奉納されています。

社殿の縁側左右より神域を守護されるのは、出雲丹後系の石製神殿狛犬さん一対。

社殿向拝の龍は迫力満点。『大物主』は蛇神であり水神ともされますが、まさに水神の使いとされるに相応しい姿。

木鼻には獅子と獏。ふさふさとした巻き毛は見るからに柔らかそうで、目には玉が嵌め込まれており、細部にわたるまで素晴らしい迫力。

境内には沢山の境内社が鎮座していますが、いかにもお寺に縁の「役行者」には妙に納得。

「境内社:三柱神社」。「境内社:貴船神社」

「境内社:伊崎神社」

「境内社:地神」

足元には春の季節を告げる「ふきのとう」

境内から見た豊岡の町並み、こうして見ると、随分と高い場所まで来たのがわかります。

参拝日:2011年3月30日

 


酒垂(さかたれ)神社 in 兵庫県豊岡市法花寺

2023年08月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市法花寺に鎮座される「酒垂(さかたれ)神社」。御祭神は『酒美津男命(さかみずおのみこと)・酒美津女命(さかみずめのみこと)』。御祭神が酒の神である事から、「酒樽」に掛けて「さかたるさん」とも呼ばれます。

社伝によれば「白鳳3年(675)の夏に当地を治めていた物部韓国連久々比命という郡司が贄田(神田)に酒造所を造り、酒解子神、大解子神、子解子神の酒造3神を祀って神酒を醸造。これを祖神に供えて五穀豊穣を祈願したのが創祀であるとする」

中近世に「大蔵大明神」と称された事を示す拝殿額。隣に「酒垂神社」の拝殿額も並びます。

割拝殿から見る本殿

本殿覆屋は宝永の大改造の際の新設で、文政6年(1823)の造替。その後、昭和の修理に際しても改築されており、それ自体も貴重な建築物です。

覆屋の内、本殿前左右より神域を守護されるのは、建立年代不明の出雲丹後系の狛犬さん一対。

「社蔵の棟札によると永享10年(1438)釿始・嘉吉元年(1441)柱立・文安元年(1444)遷宮・造営の大工は伴大夫大伴久清で蟇股にはこの時の墨書も誌されている。建物は一間社流造こけら葺で、木割の太い柱に三ツ斗組をのせ、中備えは半肉彫の蟇股を飾り、妻組は虹梁大瓶束を組む。これらの建築細部技法は当時の建築様式の特徴を示す優れたもので、殊に建立年代や工匠名が明確であり、建築史上価値の高い神社建築遺構として昭和33年5月に国の重要文化財指定をうけ、棟札も附指定された。」境内案内より

向拝中備えの蟇股の横に、転法輪の周囲に亀甲形を配した透彫の琵琶板という珍しい彫刻。中央の二人は、多分囲碁をしていると思われますが詳細は不明。

貫彫刻は阿吽の像。綺麗な歯がちょっと羨ましい(^^;)

いかにもお酒の神様を奉る神社らしい奉納絵馬。

境内入り口・鳥居の左右に、玉垣に守られた「瓶(かめ)石」。酒をくみ入れる瓶を指すもので、一方は大杉を切った跡から見つかったとか。

左(上)の「甕石」は少し丸く、右(下)の「甕石」は長く尖った形をしています。実際に瓶として使えたとも思えないこの二つの石が表す物が本当は何なのか・・気になります。

「境内社:稲荷神社」「境内社:八幡神社」

かつて鳥居の西側に樹齢600年を数えた神木の杉が2本聳えていましたが、枯死のおそれがあるため昭和59年に伐採。跡地に氏子中による「大杉追憶ノ碑」が建てられました。

参拝日:2011年3月30日

 


穴見杵(あなめき)神社 in 兵庫県豊岡市大篠岡

2023年08月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市大篠岡に鎮座される「穴見杵(あなめき)神社」。御祭神は『船帆足尼命(ふなほそこねのみこと)』

創建は不詳。「式内社・穴目杵神社に比定される古社。近世には八熊明神と称していましたが、明治2年に現社号に改称。」覆い屋の内に鎮まるご本殿には「八熊大明神」の社号額が大切に架けられています。

幾つかに折れ曲がった参道の石段を上がった先、正面に「境内社:淡島社」

拝殿を正面に見る参道の脇より神域を守護されるのは、建立年代不明の出雲丹後系の狛犬さん一対。石材の脆さもあるのでしょうが、長い年月が過ぎた事を思わせる風貌です。

開放的な拝殿前左右より神域を守護されるのは、文久元年(1861)6月建立の、出雲構えの狛犬さん一対。

高く上げられた尾。低く構えた姿勢で参拝者を見上げる目線は、見ようによっては優しくも厳しくも変化します。

拝殿内の奉納額は、武人と樂人が向かい合って「笙(しょう)」を吹いている図ですが、題材は不明。

境内から見る豊岡盆地

拝殿向かって右手に鎮座される「境内社:稲荷神社」

参道入り口近くに祀られる小さな祠。「地神」と思われますが確信はありません。

参拝日:2011年3月30日

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御神名一口メモ

『船帆足尼命(ふなほそこねのみこと)』、第九代開化天皇の皇子。彦坐王(ひこいますのおう)の五世の孫で、但馬開拓の祖。


久久比(くくひ)神社 in 兵庫県豊岡市下宮

2023年08月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市下宮に鎮座される「式内社・久久比(くくひ)神社」。御祭神は『久久遅命(くくのちのみこと)』。

由緒「この社は延喜神名式に記される但馬国城崎郡二十一座のうちの小社で、もと胸形(宗像)大明神と称され、木の神 久久能智命を奉祀した式内社ですが、神社の創立年代は不詳。一説には多紀理比売命・天湯河板拳命(あめのゆかわたなのみこと)を祀ると言われ、末社には八幡社(事代主命)、三柱社(少彦名命)、稲荷社(保食神)の三社がある。」神社案内より

二の鳥居正面に寄り合い所を兼ねた神門

神門の奥に入母屋造りの拝殿

拝殿の蟇股彫刻は、おそらく御神紋を現しているのでしょうが、大きく羽を広げて寄り添う鳥のようにも見えます。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、明治37年(1904)7月吉日建立の出雲丹後系の狛犬さん一対。但馬に入ってから、出雲丹後系の狛犬さんが多くなりました。

日本書紀に「木の精・くくのち」の記述がある事から「久久遅とは木の神々の総称」と考えられてきました。また社名の「くくい」はコウノトリの古称・鵠(くくい)であり、かってこの一帯は久久比村と呼ばれていました。

拝殿の奥に鎮座される国指定重要文化財の本殿は三間社流造、こけら葺きで、室町時代:永正4年(1507年)の建立とされます。

江戸時代の記録では「胸形(宗像)大明神」とも称した古社。社殿額には「胸形大明神」の神名が刻まれています。

向拝彫刻は、逆巻く波を従えて大きく身をくねらせる龍。

木鼻彫刻は阿吽の麒麟

境内社「稲荷神社」。御祭神は『保食神』

鳥居の内より神域を守護されるのはお顔の大きな神狐さん一対。

「日本書紀によれば、垂仁天皇の皇子『誉津別(ほむつわけ)』は、三十歳になっても言葉を発する事が出来なかったが、ある日、空を飛んでいる「鵠(くぐい)」をご覧になり、「あれは何という鳥か」と言葉を発せられた。天皇は大いに喜ばれ、『天湯河板挙(あまのゆかわたな)』に、この鵠の捕獲を命じた。彼はこの鵠が飛び行く国々を追って廻り、但馬国(出雲の説も有)で捕らえ、天皇に献じた。その功績により『天湯河板挙』は、鳥取連(ととりのむらじ)の祖神となった。」境内案内より
コウノトリ伝説とよく似た話は各地にあり、代表的な地が「鳥取」。古代、白鳥を捕らえて朝廷に献上する「鳥取部」に由来し、捕らえる場所も、現在の大阪・三重・岐阜・福井・岡山・島根・広島・熊本と広く日本中に分布しています。 ただし、これらの伝説では「白い大きな鳥=白鳥」であり「コウノトリ」と明記されているのは但馬のみです。

拝殿内に保存されていた御神輿。かなり古いもののようですが、大切にされてきたのがとても良く分かります。

古来よりこの一帯は、「コウノトリ」が数多く大空を舞っていた地域だったそうです。「コウノトリ悠然と舞うふるさと」を合言葉に続けられた取り組みは、徐々に実っています。いつの日か、この上空を舞うたくさんの「鵠=コウノトリ」を見られる日が来ますように。

参拝日:2011年3月30日

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御神名一口メモ

『久久遅命(くくのちのみこと)』、伊耶那岐・伊耶那美二神の神生みによって、風の神・山の神・野の神と共に生まれた木の神。 

『天湯河板拳命(あめのゆかわたなのみこと)』、山城国の「鳥取連(ととりのむらじ)」、伊勢国の「美努連(みぬのむらじ)」、河内国・和泉国の鳥取氏の祖とされる。