goo blog サービス終了のお知らせ 

車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

舞子公園と移情閣 in 兵庫県神戸市垂水区

2023年06月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

神戸市垂水区東舞子町、その昔、垂水区の西側あたりから明石市の東あたり一帯の浜は「舞子の浜」と呼ばれており、須磨の浜と並ぶ名所として知られていました。『歌川広重』の「播磨舞子の浜」では、風と波の作用によって自然に「根上り松」のような形となった白砂青松の美しい海岸風景が描かれています。

昭和61年(1986)から始まった「明石海峡大橋」の建設。関連工事によって新しく南側の埋立地が県立舞子公園として整備され、週末には明石海峡大橋などを目当ての観光客も数多く訪れ、市民にも憩いの場となっています。

今回の私たちのお目当ては、舞子公園内に2000年に移築された「孫文記念館 」。旧称は「孫中山(そんちゅうざん)記念館」。大正4年(1915)に建築された日本最古のコンクリートブロック造建造物として、国の重要文化財に指定されています。

建物は、当時神戸で活躍していた華僑の貿易商で相場師の『呉錦堂(ご きんどう)』の、舞子海岸にあった別荘「松海別荘」を前身としています。大正4年の春、その別荘の東側に八角三層の楼閣「移情閣」が建てられ、外観が六角に見えるところから、地元では長らく「舞子の六角堂」として親しまれてきました。

私が初めて舞子の浜で「六角堂」を見たのは、小学生の時・・。夏休みの宿題の題材にと、明石に住む叔母がここに連れてきてくれました。絵が描き終わるまでの長い時間を付き合ってくれた事・・いま改めて懐かしく思い出しています。

海岸に座って写生をした記憶の中の六角堂はこんなに鮮やかで綺麗でなかったけれど、こんなに上から下まできちんと見えなかったけれど・・・「異国風の建物ってなんだか素敵だ」と思ったのは確か。

多分この時の出会いが、日本に残された洋風建築に対する興味への第一歩であったのだと、今ならはっきり断言できます。

本来ならば建物内の見学も楽しみたかったのです。特に八角形の中国式楼閣の「移情閣」・・この別称は「八方どの窓からも違った景色に出合い、我を忘れる」ということから名づけたとも言われています。六甲山地、瀬戸内海、淡路島、四国と「移り変わる風情」を楽しめる、それを自身の目で見て記憶に留めておきたかった・・

それでも、今度はここをメインにまた来ようと言われて納得したのは私。何しろバイクタンデムでの帰省の途中・・。内部の見学なんてし始めたら実家に辿り着くのは真夜中になります。

隣接する橋の科学館も、ほんの入り口だけで終了。広大な公園の散策も明石海峡に架かる大橋を下から見上げて終了。

ああ、そう言えば、本州四国連絡高速道路・本州四国連絡橋のマスコットキャラクター『わたる君』と、ツーショットで写真だけ写したかな。 

綺麗に整備された舞子の浜公園から見る明石海峡大橋、向こうに見えるのは淡路島です。「淡路花博」の為に初めてこの橋を渡ったのは2000年、それから7年後の2007年に「おのころパーク」に。ねぇ、いつかそのうち、明石海峡を渡ってマンホール収集に行こうね・・・そんな風に語らっていたいつかそのうちは、翌年の2010年9月、4度目の車中泊地として実現しました。

訪問日:2009年9月19日

 


神戸市内あちこちウォッチ in 兵庫県神戸市

2023年06月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

神戸市中央区、JR神戸駅東側に位置し、海を見下ろす立地の観覧車が目印の「神戸ハーバーランド」。昭和57年(1982)11月に貨物駅としての営業を終了した旧国鉄の湊川貨物駅や沿岸一帯の工場の跡地約23haを、昭和60年に再開発。1992年9月に街開きされました。

対岸のメリケンパーク側に神戸ポートタワーや神戸海洋博物館といった観光施設が揃うのに対し、ハーバーランド側には神戸モザイクなどの複合商業施設が林立しており、少し大人のお洒落な神戸といった感じでしょうか。

で、今回モザイク側を選んだ理由は、何かのチラシで目にしていた「モザイクジャズフェスティバル」。海を見ながらジャズに触れられるなんて、いかにもお洒落な神戸に似合いのイベント(⌒∇⌒)

と・・・とても楽しみにしていたのですが、すでに演奏者の周囲は黒山の人だかり。軽快な音楽は聞こえますが、人垣の中に立っていると、香水なのか、葉巻なのか、それとも体臭なのか・・・何とも形容しがたい匂いにむせて咳が止まらなくなり、早々に退散(^^;) しばらく海風に吹かれて呼吸が整うのを待つことに。

そんな時、高浜岸壁の南端にちょっと不思議な建造物を発見。側の説明で神戸港に現存する最古の信号所建造物「旧新港第五突堤信号所」と知りました。1990年に新港第5突堤で信号所としての役割を終え、今はハーバーランドのシンボルタワーとして人々を出迎えています。

折角のハーバーランド訪問でしたが、もう一度あの人ごみの中に戻る気力も無いので、早々に帰路に着くことに。バイクに戻る道すがらに見かけた「史跡 明治天皇御用邸跡」の碑。

二つの「稲荷大明神」の鳥居額が掛かる朱の鳥居。祠は清潔にお守りされています。

神戸市内にはかなりの数の歴史的な建造物(ビルディング)が残されています。まだデジカメがなかった頃、ビルディング巡りをして沢山の写真を残しましたが、今はその元気もなく(^^;) 手元にはバイクのタンデム席から通りすがりに写した写真がわずか二~三枚。ここは三宮の高架下、当時大学生だったご亭主殿が二度目のデートで連れて行ってくれた場所ですが、おもちゃ箱をひっくり返したような商店街にワクワクしたのを覚えています。

「神戸朝日ビルディング」は明治44年(1911)旗手組の施工。昭和9年(1934年)に建てられた旧神戸証券取引所の外観部分を低層部に再生利用し、1994年に「旧日豪会館」として竣工されました。アーチ型のファサードが印象的で、クリスマスシーズンには毎年可愛らしいクリスマスツリーが飾られることでも有名です。

「商船三井ビルディング」は、大正11年(1922)に大林組によって、旧大阪商船神戸支店として竣工。大正期のオフィスビルとして唯一現存する建物で、海岸通沿いに面して建つレトロな建物のなかでも、ひときわ目をひくアメリカルネサンス様式の華やかなビルです。

東洋一の貿易港として賑わった神戸の中心部、旧居留地の最南端を走る海岸通。そこには他にもまだ幾棟かの建物があり、ほぼ全部が国の登録有形文化財に指定されています。1995年、未曽有の大震災を経て、それでもなお不死鳥の如く復活した神戸の町並み。その建物をもう一度ゆっくりと見て歩きたいと思いながら、結局・・叶わずに終わってしまいました。

訪問日:2007年5月5日

 


篠山玉水ゆり園in兵庫県篠山市

2021年07月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

約4000㎡(15000㎡)の敷地に約60種10万本の百合が色とりどりに咲き誇る「篠山玉水ゆり園」。更に紫陽花は約1000株。これだけ煽っていただければ篠山市乾新町までの2時間弱のタンデムなんて、もう完全に余裕です😄(このブログを書いている時点で、住所は丹波篠山市黒岡、敷地面積は15000㎡に変わっていました)

どれもとっても綺麗なんですが、写す人が上手じゃないので、この綺麗さは多分伝わらないだろうと思いつつ・・・

それでも、多分素晴らしいんだろうな・・という雰囲気さえ判ってもらえれば良しという事にします😅

赤、黄、ピンク、白、オレンジ、クリーム・・・濃く、淡く、時にはむせ返るほど強く甘い香に包まれて歩く通路。左右に隙間なく植えられた百合の通路を歩くなんて、間違いなく生まれて初めての経験です。

花壇一面を埋め尽くす百合は整然として綺麗ですが、こんな風に木々の間に植えられた百合と言うのも又格別の風情があって、散策がよりいっそう楽しくなります。

ちなみに、私達が来園した当時の市の観光案内では「篠山玉水ゆり・あじさい園」と紹介されていました。紹介どおり、6月のこの季節は紫陽花がこの上なく美しく咲き乱れており、もう大満足です。

そうそう、園内には篠山城の井戸水の水源地、史跡「玉水」があるのですが、何故か私の画像フォルダには説明だけしかありません😔❓ 今思い返してもそれらしいものを見たのかどうか・・・全く記憶にないのです。

ところがこの紫陽花と上の案内の撮影時間は全く同じ・・・という事はこの紫陽花はその小池の側に咲いていたものの筈。う~~~ん、なんで花だけで終わってしまったんだろう・・狐につままれたような変な感じです😔❓

紹介が前後しましたが、この日の昼食は「篠山皿そば処・いずみや」の生蕎麦。時間的には少し早めだったのですが、今食べておかないとゆっくり花を楽しむ余裕がなくなると言うご亭主殿に合わせました😄

皿蕎麦は初めての私ですが、蒸し暑い日に涼しい場所で頂く生蕎麦はとても美味しく箸が進み、以来、数少ない外食メニューに仲間入りです。蕎麦好きのご亭主殿、私が残した一皿も食べ終わって、更に皿を三枚追加😄

訪問日:2005年6月25日


荒牧バラ公園 in 兵庫県伊丹市

2021年07月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

世界のバラ約250種1万本が広さ1.7ヘクタールの南欧風のおしゃれな園内一帯に咲き香る「荒牧バラ公園」。我が家から伊丹市荒牧まではタンデムで二時間強。市内の渋滞はいささか辛くは有りますが、結構お気に入りの場所だったようで5月・10月のバラの季節になると、何度か訪れていました。

例によって例のごとく、花の写真はお世辞にも上手といえない私ですが、まぁ、元々自分の思い出の記憶として書き綴っているブログなので、下手なのも個性と割り切って😅

一括りに黄色いバラと言っても、花びらの形も付き方もこんなに違うんですね。この一番華やかなバラは「ローズヨコハマ」。京成バラ園芸の作品です。

名称不明😅

名称不明😅

「ブルーバユー」はドイツから

名称不明😅

ベルギーからの白バラは「パスカリ」

紫系のバラは、数ある中でも特にお気に入り。こんなに大輪のバラが我が家に咲いたらなんて・・・まぁ、無理ですが😔 ちなみに二枚とも固有の名称は分かりません😅

同じく京成バラ園の「緑光」二枚、これも好みのバラです。

見た瞬間に赤い絞りの長襦袢を思い出してしまった「オレンジスプラッシュ」はアメリカから。個人的にはあまり好みでない色合いですが、変わっているという点ではダントツかもしれません。

ピンク系も薄紫系もとても優しい色合いなのに、こんなにガッツリと花びらが密集してしまうと、華やかな美しさ以前に暑苦しいイメージが😔。でもって、どちらも名称不明😅

花も美しい、それを取り巻くステージも美しい、それはもう!ついつい何度でも足を運びたくなって当然。近くに住む花好きの方が心底羨ましいデス!!

こんなに広大で手入れの行き届いたバラ園ですが、何と入園は無料!!初夏と秋のバラの季節には本当に大勢の人で賑わいます。お弁当持参でのんびりと芝生に寝転がるもよし、綺麗なバラにうつつを抜かして時を忘れるのも良し。

「ローザ フェティダ ペルシアーナ」。薔薇の原種と表記されていました。

バラの原種と言えば、根は染料に、花はお茶に、果実はローズヒップとして食用にもなり、晩夏の季語としても使われる「ハマナス」。・・・・何処かの何方かさんとは似ても似つかない可憐で有用で美しい花なのにねぇ・・・・可哀そうに・・😅

ともあれ、季節ごとに咲くバラはどれも手入れが行き届き、とても綺麗で華やか。そんな荒牧バラ園のシンボル的存在ともいえるのが『井上武吉氏』作の平和モニュメント、三本の赤い柱です。それぞれが自由・平等・人類愛を象徴し、柱の周りを囲む渦巻き状の広場が、無限の宇宙を表現しているんだそうです。

訪問日:2005年5月~10月&2007年6月2日


淡路ワールドパーク「ONOKORO」 in 兵庫県淡路市

2021年07月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

淡路市塩田新島にあるテーマパーク「淡路ワールドパークONOKORO」。今回一押しのお目当ては、世界の有名な建築物が1/25で再現されたミニチュアワールド。

広大な園内には他にも遺跡の世界、童話の森のゾーン、兼高かおる旅の資料館などと盛りだくさん。多分・・良いお年頃の大人でも十分楽しめるのではと秘かに期待😄 で、園内で一等最初に出迎えてくれた「黄金のピラミッド」

ピラミッドだから当然スフィンクスも居るわけで、これもまばゆいばかりの金色。

江戸後期に活躍した洲本市五色町出身の豪商・高田屋嘉兵衛(1769~1827年)が走らせた北前船「辰悦丸」。帆布で作られたドームの中に、その勇姿を再現した木造船が展示されています。

傍らで采配を振るう『高田屋嘉兵衛』

それではいよいよミニ世界旅行へ出発。まずはエンパイアステートビル&自由の女神・・・・・なんですが、何というか・・ものすご~~~く微妙😅

この街並みはどこの景色の再現?何となく世界の都市のプラモデルを見ているような気分。いやまぁ、よく出来ているから良いんですが。

ミニチュアワールドのトップは、タイ・バンコクにある「ワット・アルン」。アユタヤ時代に建立されたもので、塔の高さは67m。アルンとは「暁」を意味し、明け方に朝日を浴びるとこの塔が幻想的に輝くことから「暁の寺」とよばれるようになりました。

インド・アグラにある「タージ・マハル」。ムガール国王シャー・ジャハーンは、愛妃の死を悼み、22年(1631~1653)もの歳月をかけてペルシャ風の墓を完成させました。高さ74mの大ドームを中心に4角に塔を配した左右対称型の白大理石寺院です。

ドイツ・バイエルンにある「ノイシュバンシュタイン城」。バイエルンの国王:ルードヴィッヒ2世が17年(1869~1886)の歳月をかけて造った城ですが、実際に城で暮らしたのは僅か102日間だったそうです。

西暦72~80年、イタリア・ローマに建設された「コロッセオ」。コロッセオとは巨大を意味し、ローマ遺跡のなかでも最大を誇ります。長径188m、短径156m、高さ57m、4階建ての楕円形闘技場で約5万人が収容できたといいます。

B.C3世紀頃、古代中国の秦の始皇帝が騎馬民族の侵入を防ぐために設けたと言われる総、延長6700kmに及ぶ大城壁「万里の長城」

ニュージーランドにある「クライストチャーチ大聖堂」。ビクトリア風ゴシック建築で、本堂は約1000人が収容できます。1864年に建築がはじまりましたが、不況による資金難で完成までに40年を費やし、1904年に完成しました。      

フランス・パリにある「ノートルダム寺院」、1163~1250年頃の建築とされ、ゴシック様式の最高峰といわれる建物です。正面には「最後の審判」、「諸王のギャラリー」「アダムとイブ」などの名彫刻が施され、中央入口には通称「ばら窓」と呼ばれるステンドグラスが嵌めこまれています。

スイス・モントレーにある「シヨン城」、13世紀頃の建設と云われていますが、現在のシヨン城は19世紀に荒廃していた城を復元。湖の人魚が城主に思いこがれた切ない伝説が残されています。

スペインにある「セゴビア城」。14世紀頃、エンリケ2世がすでにあった城跡を基に再建。15世紀に活躍したカトリア女王が即位した場所です。高さ57m、スペインの城の中で最も美しく幻想的なイメージがあり、かつて軍事要塞だったとは思えない佇まいです。

ロシア・サンクトペテルブルグにある「ピョートル噴水宮殿」。ピョートル大帝がロシアにベルサイユ宮殿以上の宮殿を造ろうと計画し、後の女帝エカテリーナ2世の手によって1709年に完成。総面積1000haの敷地内には、正面に大滝と100以上もの大小の噴水があります。

イタリアロマネスク様式の鐘楼「ピサの斜塔」。この場所は地盤が弱かったため建設当時から傾きはじめ、傾斜を修正しつつ8層(高さ54m)の塔を完成させました。(現在も年間0.2mmずつ傾斜している)。この前に立つと誰もがやってしまう「ピサの斜塔」片手支え、もしくは指支え😆

「遺跡の世界」、最初はメキシコの「巨石人頭像」。メソアメリカ最古の文明とされているオルメカ文明は、紀元前12世紀から3世紀にかけて発達し、人像や祭壇、石碑などが造られました。

9世紀から12世紀にかけて中央アメリカで栄えた、トルテカ族の都トゥーラ。トゥーラのケツァルコアトル宮殿(舌を噛みそう・・😓)の前室を支えていたと云われている「戦士の柱像」

紀元前から8世紀まで栄えたとされる、コロンビアのサン・アグスティン。古墳の入口にある「墓守の石像」。中央は牙のある神像、その両側を2体の番人が守っています。

どの建物も微妙に良く再現されており😄、ミーハー度では誰にも負けない三人、大人げなく楽しんでいます。そう、今回も例によってJ🐣さんが一緒。気の合う仲間が増えると楽しさも倍増します。

到着の時と比べて一段と怪しさが増してきた空模様・・それでも折角来たのだからと貪欲に歩き回っていたのですが、とうとう雨に振り込まれてしまいました。とりあえず雨宿りに駆け込んだのは、フランス・パリにある「エトワール凱旋門」。ナポレオンの戦勝を記念して建てられた、高さ50m、幅45mもある巨大な門で、壁面には、ナポレオンの勝利への道が刻まれています・・・って、誰も聞いちゃいません😩

雨宿りも兼ねて「兼高かおる旅の資料館」へ。ここでは興味深い世界各国の民芸品や人形など、様々なものが展示されています。

一目で用途の分るものから、何これ??と頭を傾げるもの、危険なものや怖いもの・・さらにちょっとグロいもの等々・・これって・・呪いの人形??

雨が小降りになってきたところで「童話の森」へ。多分これが最初で最後かもしれないし、明石海峡大橋を渡って、高い駐車料金と入場料を払って来たのだから😄、何だって楽しまなきゃね。

このまま雨がやんでくれるかなと期待していたのですが、またしても空は真っ暗。どうしようかと悩む間もなくパーク内も激しい雨。帰りの時間の事もあるしそろそろ引き上げです。あ、帰りに「たこ煎餅の里」に寄ってくの、忘れないでね~🌸&j🐣

訪問日:2007年9月16日


灘黒岩水仙郷 in 兵庫県南あわじ市

2021年07月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

「淡路島の南。標高608mの諭鶴羽山系から海を臨む45度の急傾斜7ヘクタールにわたって500万本もの野生の水仙が風にそよぐ様は壮観。展望台からは、水仙のレモンイエローと穏やかな海のブルーのコントラストが見事です。」

良く晴れた真冬の一日、早朝からネットで見かけた名所紹介の言葉につられて、南あわじ市灘黒岩にある「灘黒岩水仙郷」に出かけてきました。朝がつらい私が、珍しく早起きしてお弁当も作り、温かい飲み物も問う意思準備万端。

今回は普段一緒にいない家族を誘ってのドライブ。その所為ばかりでもないでしょうがいつもより気持ちが弾んで、心もウキウキ。駐車場に車を入れたら、いざ水仙郷へ!!と勢い込んで、ふいと見上げた瞬間の衝撃・・・いやもう予想を遥かに超えて、言葉をなくしそう😱

あのつづら折れの段々道を上るのかと考えただけで、一瞬心が折れそうになりましたが、いえいえ、なんの!私にはどんな時でも頼りになるご亭主殿がついています😠

焦らずゆっくり・・疲れて深呼吸をすれば甘い水仙の香が体中を満たし、軽くめまいを覚えるほど・・こんなにも圧倒的な数の水仙なんて生まれて初めての経験、この感覚を何と形容するのが正解なのでしょう?

一足ごとに展望所に近づいていく、もう少し上に・・あそこまで行ったらもう少し上に。この時点で下ることなどすっかり失念😅

ひたすら上り続けて、ふっと振り向いた先に広がる海。太陽を反射して輝く海面はとても穏やかに凪いでいます。はるか彼方に見える島影は国生み神話が残る「沼島(ぬしま)」

もう少しよく見ようと身を乗り出した瞬間・・うわぁ~~~~!!こんなに急斜面だったんだ!と自分の迂闊さに愕然😣

そうと気が付いた瞬間に足が震え、脇の下に嫌な汗・・何を隠そうこの私、メリーゴーランドにさえ乗れないほどの高所恐怖症😅!
「標高608mの諭鶴羽山系から海を臨む45度の急傾斜」、今さらですがこのフレーズを実感しました。

ここまで来てしまうと、それ以上の頂上を目指すこともできなくなりました。しゃがみこんでしまいそうな私の手を握って、笑いながら一緒に降りてくれるご亭主殿。

水仙の濃厚な甘い香に混じって香ってくるのは膨らみ始めた梅の花。何という贅沢な時間。こんな時間を(できれば平地で)もっと沢山二人で体験したいね。

無事に下界にたどり着いたところで、なんだか変な銅像を発見。怖いもの見たさで近寄ってみれば、船山馨の小説『お登勢』をモデルにした像だそうです。テレビドラマでは『音無美紀子』『沢口靖子』が演じたお登勢さん・・・失礼を承知で言えば、蚊に刺された腕が痒くて搔きむしっている女の人と解説したら、周りの観光客十数人に大うけされました😆 それにしても一体どこの国に発注したんだろう??

訪問日:2010年1月9日

今日・明日の淡路島紹介は、今回の車泊とは全く別の日時に訪問したものです。おそらく再訪は無理だろうし、と言う事で、ついでの紹介😅。


七福神巡り第6番:長林寺 in 兵庫県洲本市(旧五色町)

2021年07月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

続いては、洲本市五色町都志万才にある「高野山真言宗:平楢山・長林寺」。淡路島・四国三十三ヶ所霊場巡り第十八番札所。『十一面観世音菩薩』を本尊とします。

由緒「天平9年(737)、僧行基がこの地に七堂伽藍を創建し、本尊十一面観音菩薩像を安置したのが創まり。塔頭十二坊を構え仏教弘通の霊場として威容を誇っていた。その後廃れるが、本高上人が再興。守護大名であった細川成春とともに、淡路西国三十三霊場を草創したとされる。延喜元年(901)、菅原道真が九州に赴くとき当地にとどまり、長林寺の御堂に参詣された折、「都を志す」と誓った。以来、ここを「都志(つし)」と呼ぶようになったという。さらに寺のある集落をいつまでも栄えるように、と「万歳の里」と名づけたとされる。そのため、ここは今でも「都志万歳」という地名となっている。」

淡路島七福神第6番札所〜大望成就を授けるみ寺〜長林寺。大望の神:福禄寿様をお祀りしています。「福禄寿様は、中国の神様で、人々と言うより中国道教の理想である幸福、俸禄の意味を持ち南極老人星の化現として現われた神とされています。大望、長命「良い事」わかっていてもなかなか実行できないのが人の常です。他人より「一味ちがう」大望成就の人生を謳歌するために朝夕、福禄寿の誓願を読み、誦んひてみてはいかがでしょうか。
「分を越えて求むることなく、財を費やさず、陰徳を積むものは福に恵まれる。」との教えはお顔で表し、宝寿は「君親の恩を忘れず、行状を慎み、天分を守るものは禄に恵まれる。」、そして鶴亀で「飲食大酒を禁じ、色欲を慎み、気血を養うものは寿運に恵まれる。」表します。」
公式HPより

境内には、五色浜にちなんだものと思われる、石で作られた福の神様が勢ぞろい。手にした持ち物からそれぞれを推察できて、楽しませていただきました。

御詠歌【仰ぎみる その御頭の長きごと 延寿の徳を 与えまします】

長林寺の境内には寺内社と思われるお社が幾つか祀られていましたが、そこから二社の紹介。まずは朱塗りの鳥居の奥、稲荷神が祀られます。

神域を守護されるのは瓦で作られた小さな神狐さん一対。この何とも言えない愛らしさは何をモデルにしたのでしょう😊。

鳥居の内側、白い塀で囲われた中には水の流れがあり、弁財天様が祀られています。

祠の前左右より神域を守護されるのは、まるで小熊のように丸々と太った可愛らしい狛犬さん一対。花崗岩の固い体に刻まれた表情は限りなく穏やか。

長林寺の紹介、最後は当ブログではほぼ恒例に近い「本堂屋根より参拝者を見守り魔を退ける飾り瓦の獅子に鬼」。だってね、本当に良い表情だったんですよ。

参拝日:2010年9月19日


洲本八狸物語 in 兵庫県洲本市

2021年07月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

洲本八幡神社の鳥居前に、無料の足湯をそなえた洲本温泉潮騒の湯があり、今日も今日とて温泉三昧の狸さんたちが賑やかにおしゃべりを楽しんでいます。

「おい坊主、ちゃんと石鹸は持ったか?」「うん、大丈夫!ちゃんとおっ母ちゃんが用意してくれたよ」

「おや、向こう麓のポン次郎さんじゃないか。随分久しぶりだなぁ。まぁ、こっちに来てあったまりなよ。」

「おやおや、今日も皆さん賑やかだね~。どうだい一杯。これ豆助、皆さんにも一杯つけてあげな」「そうですか。でも坊ちゃんの分はありませんよ」

「アハハ、昼間っからお酒なんか飲んでるとお父っちゃんに叱られるよ~」ニコニコ元気に笑っているのは、柴右衛門の長男柴助。今はかわいい子狸ですが、後に、全国に修行の旅に出て立派に柴右衛門の後を継ぎ「病気平癒の神様」になります。

さて、ここで登場した『柴右衛門』こと「淡路の芝右衛門狸」。洲本市の裏山の三熊山の頂上に、妻のお増と暮らしていた芝居好きの柴右衛門。長い話なので簡単に端折ると「不幸な出来事で妻を殺された柴右衛門、せめてもの慰めにと中座の芝居見物をしたのですが、木戸銭は葉っぱのお金。とうとう正体がばれて殺されてしまいました。ところがそれ以降、中座には客が途絶え、これはあの狸の祟りに違いない・・・そこで関係者一同が、狸の住処であった三熊山にお参りをして、狸の霊を慰めたところ、中座は元のにぎやかさを取り戻しました。」

三熊山に住む芝居好きの狸『柴右衛門』。毎日のように人間に化け、大阪・道頓堀まで大好きな芝居見物に出かけていました。お金はもちろん「木の葉」・・・。日本三大狸の一匹で、「芝居の神様」。今は洲本八幡神社の境内で参拝者を出迎えています。

コモード56商店街で愛嬌を振りまくのは、柴右衛門の女房『お増』。夜な夜な木の葉のお金で城下へ買物に。でも、化かされたお店はかえって繁盛したそうで、「商売繁盛」の神様なのです。

柴右衛門の娘で、とびきりの美狸『お松』。若い狸君たちにとても人気があり、引く手あまた。「美人の神様」で、女性の守り神として親しまれており、洲本アルチザンスクエアの一画に立って観光客を迎えてくれます。

『武左衛門』現住所は淡路弁才天・厳島神社の境内。毎日、夜ふけに見廻りに出て戸締りの悪い家を探しては、家の外から鍵をかけて懲らしめたと伝えられる「防犯の神様」。閉じ込められた人はどうやって脱出したんだろう?

堀端(農人橋跡)の茂みの中、正体不明の不思議な物体は、お酒が大好きな『桝右衛門』。夜の城下の安全を守り、酒に酔って絡む者や乱暴者 を、大入道に化けて懲らしめたという、「 水商売の神様」です。

寺町付近、みつあい館前でそろばん勘定に余念がないのは、洲本の狸の長老『宅左衛門』。狸達がその日暮しなのを嘆き、困った時にお互いお金を融通しあう頼母子講を始めました。「金融の神様」です。

8丁目の交番付近を住処にするのは、千草川の土手に住んでいた『川太郎』。昔の洲本の関所を守り、川を綺麗にすることを使命に思い、毎夜、川や土手の点検や清掃を行いました。「交通安全」の神様です。

「日本三名狸・淡路の芝右衛門狸」、ちなみに後の二つは「佐渡の団三郎狸」と「屋島の太三郎狸」だそうで・・・阿波狸合戦で有名な『金長たぬき』は選外でした😅

訪問日:2010年9月20日


国瑞彦(くにたまひこ)護国神社 in 兵庫県洲本市山手

2021年07月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

洲本市山手に鎮座される「国瑞彦(くにたまひこ)護国神社」。御祭神は『蜂須賀家政公』。『蜂須賀茂韶公・洲本市出身の護国英霊』を配祀します。

由緒「明治3年(1870)、庚午事変(稲田騒動)の後始末として、徳島県名東群田浦鎮座の県社国瑞彦神社より御分霊を勧請し、明治10年(1877)洲本八幡神社旧別当寺龍宝院跡に設立。その後境内整備を明治12年(1879)まで行い、本殿拝殿が建築された。大正8年(1919)に最後の徳島藩主蜂須賀茂昭公を祭神として迎えた。戦後、洲本市遺族会の強い要望により大東亜戦争で亡くなった郷土出身の方々を合祀。記念事業として、ご本殿の屋根の葺き替え、幣殿の建設、社務所(遺族会館を兼ねる)の改修などの境内整備が昭和30年代末(?1964)まで行われた。」兵庫神社庁HP

生い茂る木々の間から垣間見る御本殿

本殿左右より神域を守護されるのは、神殿狛犬を思わせる狛犬さん一対。扁平頭に滑らかな肌、背中に張り付いた尾も個性的。

正面から見ると・・なんか可愛い😊

「忠魂碑」

参拝日:2010年9月20日


厳島(いつくしま)神社 in 兵庫県洲本市本町

2021年07月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

洲本市本町に鎮座される「厳島(いつくしま)神社」。御祭神は『市杵島姫命』。厳島神社の敷地内に商店街があるのか、商店街の入り口に鳥居が有るのか・・判断に迷うところ😅

創建は不詳。祭神の『市杵島姫命』が『弁才天』と習合していたことから、現在でも「淡路島弁財天」、通称「弁天さん」として親しまれており、縁結び・交通安全・学業成就などのご利益があるとされます。

御神灯が掲げられた境内入り口。

境内入り口左右より神域を守護されるのは、明治30年6月建立、『石工:山口萬平』の銘が残された😉由緒ある狛犬さん一対。吽は仔狛を、阿は飾り毬を手にしていますが、阿形さんの口元の剥落が少し残念。

仔狛の頭にのせられた前足。よく見るとわかるのですが、仔狛を傷つけないように爪がしまわれています。石工さんの優しさが垣間見られる場面。それにつけても仔狛のお尻が可愛い!

〆鳥居の奥にまっすぐ伸びる参道、その正面に建つ拝殿。

拝殿の横には干支の大絵馬が飾られており、参拝者の撮影スポットとして人気がありそう。

摂社:荒神社

摂社:出世稲荷社

芭蕉:句碑 【雲折々 人を休むる 月見かな】

参拝日:2010年9月20日