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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

御徒士町武家屋敷群&青山歴史村 in 兵庫県丹波篠山市

2023年07月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

篠山城跡の西、外壕側の道沿いに面した丹波篠山市西新町の一画。この一帯にはかって藩主の警備にあたった御徒士衆の家屋が数多く現存し「伝統的建造物群保存地区:御徒士町武家屋敷群」として、また「美しい日本の歴史的風土100選」の一つにも選ばれています。

武家屋敷群の中で一際目立つ、茅葺屋根の「小林家長屋門」。文化年間(1804~1818)に、篠山藩第12代藩主青山忠裕がその老女のために修築した屋敷の長屋門で、篠山城下の武家屋敷門を代表する建物です。

時折聞こえてくるのは、名も知らぬ鳥の声と堀を渡る風の音・・他に観光客の姿もない静かな佇まいの中に立っていると、ふいと髷を結ったお侍さんが出てくるような錯覚を覚え、思わずもらす感嘆の声もヒソヒソ(^^;)

時代劇の舞台そのままの景色は、昔見た映画のワンシーンと重なって懐かしいような不思議な感動を呼び覚ましていきます。時代劇が大好きだった父の影響だったのか、子供の頃から「眠狂四郎」に憧れ、長じて収入を得るようになって初めて買い揃えたのが「柴田錬三郎:大全集」(笑)

と、ついつい脱線してしまうのはいつものお約束(笑)。江戸時代末期築の武家屋敷「安間家」。1994年10月から翌年3月にかけて全面的な改修を行い、現在は「安間家史料館」として一般公開されています。

安間家は篠山藩主:青山家の家臣で、「高12石3人扶持」の禄を得る下級武士。天保元年(1830)以降に建てられた武家屋敷で、茅葺:曲屋形式の母屋と瓦葺の土蔵が現存し、当時の武家の暮らしを伝えています。

屋内には、安間家に伝来した古文書や日常に用いられた食器類・家具をはじめ、 のちに寄贈を受けた篠山藩ゆかりの武具や史料等が展示されており、いずれも興味深い物ばかり。 

この日は七月七日の七夕の日。裏口に設けられたふち縁に笹飾りが揺れ、密やかな青笹の匂いと相まって何とも言えない優しい時間を紡ぎだしています。

御徒士町武家屋敷群からほど近く、丹波篠山市北新町にある「丹波篠山市立:青山歴史村」。出迎えてくれるのは「旧澤井家長屋門」

青山歴史村は、篠山藩主青山家の別邸「桂園舎」を中心に、全国的にも珍しい漢学書関係の版木1200余枚、 篠山藩政文書等、江戸時代の歴史文化を物語る史料の数々を収蔵した3棟の土蔵から成っています。

一見井戸のように見えたものは、篠山藩政時代に使用していた石製の金庫で、市指定文化財「石造金櫃(せきぞうかねびつ)」。篠山城大手馬出の北側には、 篠山藩貨幣司が藩関係の金融取引を行っていた掛所があり、その土蔵床下の土中に埋められていたものです。 花崗岩製の板石を組み合わせた櫃で、上蓋は6枚の板石が並ぶようになっています。

青山氏の家紋青山銭」入りの瓦

「桂園舎」

「桂園舎」を管理してきた「財団法人青山会」の由書碑

訪問日:2007年7月7日

 


篠山城址と大書院 in 兵庫県丹波篠山市

2023年07月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

慶長14年(1609)、天下普請の城として、徳川家康が十五ヶ国、二十の大名に夫役を命じ、縄張奉行に『藤堂高虎』、普請奉行に『池田輝政』を起用し、豊臣家ゆかりの諸大名を抑えるために築城された「篠山城」

完成後『松平康重』が八上城から移り、以後、徳川譜代の有力大名であった松平氏3家8代と青山氏6代の治世のもとに藩政が行なわれ、明治4年(1871)に廃城。城址には堀や石垣、天守台が残っており、馬出の遺構は、国の史跡に指定されています。

本丸二の丸に作られた3カ所の井戸のうち最も規模の大きい二の丸北に残る「井戸」。上部の直径は2メートル、底へいくほど広くなっているといわれ、水面までの深さは14メートル、水深は8メートルもあります。

城址から見下ろす石垣と内堀

「大書院」は、慶長14年(1609)の篠山城築城とほぼ同時に建てられたと考えられ、以後、幕藩体制が終わるまでの 約260年間にわたって、篠山藩の公式行事などに使用されました。廃城令に際し、二の丸御殿大書院は篠山尋常小学校の校舎として。また明治43年(1910)からは多紀郡公会堂として利用されてきましたが、昭和19年(1944)1月6日 、失火により焼失。現在の大書院は2000年4月に復元されたものです。

建物内に展示されていた精巧な模型。北正面に唐破風をつけた車寄があり、 東に中門が突き出す様式で、内部には8つの部屋。藩主の着座する上段の間は、大床、違棚、帳台構、 付書院が設けられています。

本丸跡に鎮座されるのは青山家の遠祖『青山忠俊公』を御祭神として明治15年(1882)に創建された「青山神社」

境内に残された御神木

明治45年(1912)から大正11年(1922)まで、二の丸に存在した「兵庫県立篠山高女跡」の碑。

丹波篠山市庁舎の正面から見る大書院。外堀に写る影は折々の季節に彩られながら、静かに篠山の城下を見守っています。

訪問日:2007年7月7日&2009年5月30日

 


世界の貯金箱博物館 in 兵庫県尼崎市西本町

2023年06月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

尼崎市西本町北通、この一画に尼崎信用金庫職員が趣味で集めたものを元に1984年4月に設立された「世界の貯金箱博物館」があります。古代から現代まで、日本はもちろん、欧米・アジア・中東など世界62ヵ国、約13,000点を超える貯金箱を収蔵する世界最大級の貯金箱博物館。

尼崎信用金庫では、貯蓄と人々の暮らしの関わりを示す資料として「貯金箱」に着目。レンガ作りの初代本店を改修し、昭和59年4月に、収集した貯金箱約600点を展示し「昔の貯金箱博物館」として一般に公開してきました。

その後収蔵点数が増加したため、1990年12月に、2代目の本店を改修。「世界の貯金箱博物館」と改称して拡大オープン。現在、世界62ヵ国約14,000点の貯金箱が収蔵されています。

入口正面のメイン展示コーナーでは、世界中の鳥の貯金箱が展示されています。このスペースは季節やイベントに応じて中身が入れ替わるそうですが、それにしてもすごい種類と数(^^;)

貯金箱と言えば豚さん!と言われるくらい有名な豚の貯金箱。ある時、知人と節約の話になった時「私はピンクの豚さんを太らせるのがとっても苦手なんです」と真顔で言われ、大爆笑した事があります。

鳥も豚も良いですが、個人的に動物の貯金箱と言えば「猫」。招福万来の招き猫さんは何と言っても鉄板中の鉄板!!前列に変なのが二体混ざってきますが、無視してください(笑)

福と言えば何と言っても!(こればっかり)、日本を代表する美人の「お多福さん」。今は「おかめ」とか言われて笑いを誘う担当ですが、平安のその昔は美人の代名詞だったんですよ。

女性ばかりではありません。福を招く事ではピカ一の「福助さん」。古いお店のウインドウなどに、今も時折見かける事があります。

でも福の神と言えば、この御両人の右に出る方はいませんよね。屋根の縁起物になったり、福笹の飾りになったり・・「恵比須:大黒様」のコンビは永久に不滅です。

七転び八起きの「達磨さん」。コツコツとためたお金で欲しかったものを購入できた時の喜びは、きっと最高の気分の筈。

「明治の初め、浅草の今戸焼土人形の一種として生まれた宝珠の貯金箱。如意宝珠といわれ、願望成就の珠、意のままに望みを叶えるといった縁起の良い珠。大きな目的のために小銭を少しづつ貯める器として最初に造られ、縁起物貯金箱の代表的なものです。」公式HPより  こちらでは来館記念として、縁起が良いとされる宝珠の貯金箱がプレゼントされます。

今も昔も、人は何かの為にと一生懸命にお金を貯めていたようです。でも昔は銀行は無論ですが、貯金箱なんて小じゃれた物もありません。そこで床下に銭坪を隠してお金を入れていました。時代劇なんかで、畳をはがして溜まったお金を数える場面が出てきます。

日本のお伽噺、昔話に題材をとった貯金箱。前列、たて島の着物を着ているのは、「ゆるキャラ」選挙の組織投票が指摘されて、グランプリを逃がした「こにゅうどうくん」のお父さんの「大入道」さん(笑) 見れば見るほど多彩で、これで入場無料だなんて太っ腹すぎ!

展示品の多彩さに思いがけず時間を忘れてしまった私たち、信用金庫のマスコットキャラクター『信ちゃん』に見送られて終了です。

「世界の貯金箱博物館」の北側に隣接するのは、2001年6月1日にオープンした「尼信博物館」。2階の常設展示室では、旧尼崎城に関する資料が展示され、復元模型も設置されています。また、世界の貨幣も体系的に展示されており、中々に興味深い内容のようです。

初代:貯金箱博物館として活用された「尼崎信用金庫記念館」。1990年1月5日「尼崎市都市美形成建築物」の指定を受けた記念名盤の下に、記念館の詳細が記されています。

「大正10年6月6日、有限責任尼崎信用組合(現尼崎信用金庫)創業時の本店事務所。初代組合長 小森純一翁所有の建物であったが、戦後当金庫所有となり、創業時を偲ぶ記念館とした。当初、現在の約50m南に建っていたが、新本店(当時・現本店別館)建設に伴い昭和47年、現在地に移し再建した。建設時期は明らかではないが、地元の古老の記憶などによれば、明治30年代には既に小森家の建物の一部として建てられていたようで、尼崎に現存する数少ない明治時代の煉瓦造りの建物として、貴重な歴史の証人である。」銘板より

尼崎市出身・在住の漫画家『尼子騒兵衛』さん作の「あましん・イメージキャラクター『あまちゃん・しんちゃん』。昔の丁稚さんコンビです(⌒∇⌒)

訪問日:2009年9月19日

 


伊居太神社(いこたじんじゃ)&近松公園 in 兵庫県尼崎市

2023年06月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

尼崎市下坂部に鎮座される「伊居太神社(いこたじんじゃ)」。御祭神は『武甕槌神・天児屋根命・経津主神・姫大神』相殿に『市杵島姫命』。摂津国河辺郡の式内社の伊居太神社の論社の1つとされます。

由緒「創祀年歴は不詳。境内にある「伊居太古墳」は、坂合部連の氏族祖神の古墳とされる。その後古墳上に神社を建立して祖神を崇敬。当初は氏族の首長大彦命之及び子孫を御祭神として、長歳月にわたり祀られたが、藤原氏の全盛期、当地域を支配した藤原の祖神である春日大社を勧請奉祀。人皇第60代醍醐天皇が制定された延喜式神名帳に、川辺郡に式内小社伊居太神社とあるのは、当神社である。古老の伝承によれば昔、春日大社より神の使者、白い神鹿が到来したと云う。明治6年、村社に列せられる。」兵庫神社庁HPより

拝殿の前より神域を守護されるのは、ボールのような毛束と波口が特徴の浪花タイプの狛犬さん一対。三つ房付きの注連縄がとてもよくお似合い。

社殿が建つのは前方後円墳「伊居太古墳」の上とされており、墳丘長:約92メートル・後円部 直径:約46メートル・前方部 幅:約53メートルで、墳丘長は尼崎市内では最大規模。古墳時代中期の5世紀末頃の築造と推定されています。しかし墳丘が削平されていたこともあって古墳に関する出土遺物は見つかっておらず、伊居太古墳が確かに古墳であるとする積極的証拠は得られていません。

「伊居太神社」の近く、尼崎市久々知に回遊式日本庭園風の公園「近松公園」があります。目的はマンホール収集だったので、入り口付近をちらっと見ただけで終了(^^;)

近松の名を冠していますが、入り口近くに『近松門左衛門』のブロンズ像があるくらいで、特に関わりのある場所でもないようです。そうそう、公園に隣接した広済寺には彼の墓所があるそうで、知ったのは帰宅後の事。

園内は春先から水仙や桜が、初夏には池の周囲に菖蒲が咲きほこり、また秋には美しい紅葉など、四季折々の風情が楽しめ、芝生広場、休憩所などがあり、季節ごとに多くの人で賑わうとか・・。基本的に駐車場が併設されていない場所ではゆっくり散策は無理・・まぁ市民の為の憩いの場所ですから・・(^^;)

参拝&訪問日:2009年9月19日

 


西宮市立今津小学校・六角堂 in 兵庫県西宮市今津

2023年06月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

西宮市今津二葉町「今津小学校」の敷地に、木造下見板張り、寄棟造桟瓦葺2階建の洒落た洋風の建物があります。正門に南面して六角堂校舎が建ち、両翼に別棟の平屋建ての洋風校舎が配された建物が建てられたのは明治15年(1882)の事。

今津小学校の独立学舎として建てられた洋風の近代的な建物。建設費は、当時の今津・津門村の1年間の予算と同額の8000円。その内5200円は村民有志326名の寄付金により賄われ、地域をあげての大事業であったといいます。校舎を洋風建築で建てたのは、明治10年(1877)に布達された「兵庫県公立学校建築法」にて洋風校舎が推奨されていたこと、近くの西宮小学校が既に洋風校舎で竣工し刺激を受けたこと、文明開化の流れのなかで地域の教育にかけた熱意が大きかったことが背景にあったと言われます。

にわかに出現した六角形の塔屋を持つモダンな洋風校舎は近在から見学者が訪れるほど有名になり、それは地域の人々の誇りでもありました。太平洋戦争の戦禍を免れ、小学校の敷地内で校舎建替などに伴い何度か移転された後、現在の「酒蔵通り」に面した位置に移設。小学校校舎、今津公民館と用途は変わってゆき、昭和39年に取り壊しの危機を見ますが、人々の保存すべきという熱い思いにより「幼稚園の園舎」として使われることになり、当時の県知事によって正式に「六角堂」と命名されました。

1998年、校地南側正門横の現在の地に今津小学校学舎として移築改修され、1階は六角堂の歴史資料の展示コーナーと地域の人々へ開放する集会室、2階は視聴覚室として使用されています。

1998年「兵庫県さわやか街づくり賞(建築部門)」を受賞。2021年1月には、地域の景観づくりに重要な役割を果たしている「兵庫県景観形成重要建造物」に指定されました。

黎明期の日本国において、子弟の教育がいかに重要視されていたか、それを如実に物語るのが今も各地に残された学校建築だと思います。愛媛県・  山口県・岡山県・静岡県・ 滋賀県・三重県・石川県・ 山梨県・長野県・福島県・・私達が訪ねた明治の学校建築は、数え上げれば枚挙にいとまがありません。それほどまでに人々は教育を重んじ、また子弟も良くそれに応えてきました。残された校舎建築を見るたびに、人々の熱い思いがダイレクトに心に響き、胸が熱くなります。

訪問日:2009年9月19日

 


灘五郷(今津郷・西郷)白鹿 in 兵庫県西宮市

2023年06月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

兵庫県の灘一帯にある5つの酒造地「灘五郷(なだ ごごう)」は、神戸市に位置する「西郷・御影郷・魚崎郷」、西宮市に位置する「今津郷・西宮郷」で構成されています。

日本酒造りに適した上質の酒米と、ミネラルが豊富な上質の地下水:宮水に恵まれ、寒造りに最適と呼ばれる六甲颪(おろし)が吹き、そして何よりも製品の水上輸送に便利な港があったことから、江戸時代以降、日本酒の名産地として栄えた灘五郷。

西宮市今津地区の酒蔵地帯:今津郷「大関」・「扇正宗」・「金鹿」などの銘柄が醸されています。甲子園にほど近い「今津港」、ここに「大関」の醸造元『長部家五代目長兵衛』によって文化七年に建之・安政五年に再建された市指定重要有形文化財の「今津灯台」があります。

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西宮市浜脇・用海地区の酒蔵地帯・西宮郷「白鹿」・「日本盛」・「白鷹」・「喜一」・「金鷹」・「灘一」・「寶娘」・「島美人」・「徳若」などの銘柄が醸されています。

西宮市鞍掛町にある、辰馬本家酒造「白鹿記念酒造博物館」。「生活文化遺産である酒造りの歴史を後世に正しく伝える」ことを目的に、昭和57年に設立された酒ミュージアムです。

博物館施設となった酒蔵館は、明治25年に建築された旧辰馬喜十郎内蔵、旧辰馬喜十郎住宅、旧辰馬喜十郎店から成り立ち、入り口近くの轍の上には、酒樽が積み込まれた大八車が展示されています。

立てかけられた道具の数々

酒蔵館には、昭和46年に西宮市指定有形民俗文化財に認定された灘の酒造用具一式517点、 酒造用桶・樽づくりの道具一式167点が展示。

酒樽づくりの様子を再現したコーナー

平成7年の阪神淡路大震災で全壊し、甚大な被害を受けた旧酒蔵館。破壊され散乱する収蔵品の数々・・・・・。

当時、大阪在住であった我が家も、人的被害こそ無かったものの・・あの日の記憶は生々しく鮮明で、今でも何かの瞬間に、砕け散ったコレクションの数々・・お気に入りの食器の破片で流した血の色を思い出してしまいます。様々な痛みにどう自分で折り合いをつけたのか・・・言葉に出来ない多くを飲み込んで、結局、建て替えたばかりの我が家を売却し、新たな終の棲家を今の地に求める事になりました。

再建された「明治の酒蔵・酒ミュージアム」の近くにある、県指定文化財「旧辰馬喜十郎住宅」

Wikipediaによると「日本人大工、山下某に神戸旧居留地の英国領事館を模すように命じたと伝わる1888年(明治21年)築の擬洋風建築。木造総2階建の母屋(外壁2面は煉瓦積)と木造平屋建の附属屋で構成される。列柱を配したベランダや両開き鎧戸など北野町異人館群と同様のコロニアルスタイル建築の特徴を有す。」

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西宮市用海町、日本盛の工場敷地内にある「日本盛酒蔵通り煉瓦館」。日本酒をテーマとし、日本盛のアミューズメントスポットとしてオープンした、ちょっとおしゃれなレストラン兼日本酒のミュージアムです。

ガラスで作る酒器・オブジェなどの制作過程を見学。あれ?酒蔵見学の筈なのに・・・(^^;)

訪問日:2006年8月13日

(※)山田錦の誕生は大正期であるとのご指摘を頂き、江戸時代以降、日本酒の名産地として栄えた灘五郷の酒米「山田錦」の固有名詞を削除いたしました。ご指摘、感謝いたします。

 


灘五郷(魚崎郷)浜福鶴&櫻正宗 in 兵庫県神戸市

2023年06月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

神戸市東灘区魚崎・本庄地区の酒蔵地帯・魚崎郷「浜福鶴」・「櫻正宗」・「道灌」・「松竹梅」などの銘柄が醸されています。

レンガ造りの高い煙突に惹かれて立ち寄ったのは、神戸市東灘区魚崎南町にある「浜福鶴吟醸工房」

こちらでは酒造りの全工程が、ガラス張りの通路越しに見学できると言う事で、さっそく申し込み。

ガラス越しに見る巨大な醸造タンク。

近代的な機械とは対象的に整然と並べられた昔の酒造の道具たち。

フロアの突き当りに展示されていた「飾り樽(祝樽)」。単体だと大きさが伝わりにくいのですが、左右に掛けられた木梯子に登らなければ、樽の上部は見えません。

見学を終えた私たちに、お酒にまつわる楽しい話をして下さった浜福鶴の大将。自慢の一本を手にポーズをとってくれました。下戸の私に勧めてくれた甘酒はとても美味しく、自分用のお土産に(〃∇〃)。

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神戸市東灘区魚崎南町にある「櫻正宗記念館“櫻宴”」

一階はショップとカフェ、二階は酒造道具の展示と酒蔵ダイニングで構成。

二階:響宴蔵町通りは、創醸400年、創業300年の歴史を物語る酒造道具や懐かしい看板ラベル等の展示スペースで、個人的にはこのスペースが一番のお気に入り。ただし・・写真に残すには私のコンデジは相当に役不足(^^;)

ズラリと並ぶのは、未開封の櫻正宗の酒たち。趣向を凝らした酒瓶はライトの輝きの中にお行儀よく整列し、それだけで美しいアート作品。

櫻正宗の名を表す焼き印。

醸造に最も適していると言われる灘の「宮水」、これを発見したのは六代目当主『山邑太左衛門(やまむら たざえもん)』。天保年間、磨きぬかれた灘の宮水を用い、ひときわ精白の良い酒を送り出した「櫻正宗」「江戸一」の看板は、幕府の政策で生み出された「御免関東上酒」など足元にも及ばない、これこそ江戸で一番と言う自負なのです。

寛政年間,、徳川幕府は関八州拝借株を貸与し、関東の商人や農民に「御免関東上酒」の製造を命じ、江戸で直接小売販売を行わせる事で 関東地方の酒造業の保護, 育成を行いました。しかし生き物を扱うかの如き酒造りは成功を収めたとは言えず、殊に最終過程である「火入れのさじ加減」を会得するには至らず、関東の酒蔵品質が飛躍を見せるのは明治時代後期からであったと記録されています。

訪問日:2006年8月13日

神戸市から西宮市と順を追って紹介したつもりが、何故か神戸の魚崎郷が西宮市の後に・・・(^^;) コースの都合で市を跨ぐのは良くある話ですが、きちんとブログ投稿の日付を確認しなかった自分にちょっとばかりショックを・・(笑)

 


灘五郷(御影郷)白鶴&灘泉 in 兵庫県神戸市東灘区

2023年06月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

神戸市東灘区住吉南町、白鶴酒造本社に併設する「白鶴酒造資料館」

明治43年(1910)頃に建造し、昭和44年まで本店1号蔵として稼働していた酒蔵をそのまま資料館に転用。日本酒醸造に関する博物館で、入口には新酒の出来を知らせる酒林と注連縄が張られています。

館内では等身大の人形を使った酒造りの様子が再現されており、道具だけとは違って興味深さもひとしお。

別のコーナーでは、蔵元から酒造りの全責任を任された杜氏集団の生活風景が再現されていたりと、一つ一つに驚いたり納得したり。酒は一滴も飲めない私ですが、日本酒の世界って本当に奥が深く、興味をそそられます。

つま先の冷えを防ぐ為に用いられた藁の雪駄「つまご」

「ガラス製の蓋」

「十升瓶」

膨大な酒瓶のラベルの一部

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神戸市東灘区「灘泉・泉勇之介商店」。初代泉勇之介により、明治15年に創業。銘柄「灘泉」は、立地する灘と姓(泉)に由来し、大震災で付近の酒蔵が全滅する中、昔ながらの姿を残す唯一の蔵元と言う事でしたが、生憎と本日休業の看板が下がっており、外観だけの見学となりました。

灘に残る唯一の木造酒蔵をはじめとした建物類は、国指定の登録有形文化財として、また酒蔵の2階は多目的貸しホールとしても活用されていましたが2013年に廃業。地元では酒蔵を残すための署名活動もおこなわれましたが、実を結ぶことなく取り壊されてしまったそうです。

訪問日:2006年9月23日

 


灘五郷(御影郷)菊正宗&瀧鯉 in 兵庫県神戸市東灘区

2023年06月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

神戸市東灘区・御影地区の酒蔵地帯・御影郷「菊正宗」・「白鶴」・「剣菱」・「福壽」・「灘泉」・「泉正宗」・「大黒正宗」などの銘柄が醸されています。

神戸市東灘区魚崎西町にある「菊正宗酒造記念館」。館のテーマは、「酒造りの原点を知ること。酒造りの過程から用具類に至るまでの知識や現物とのふれあい、灘の酒を醸す技・水・米・風土、酒造りの情熱や伝統にまつわるこだわり、また日本酒をめぐる新しい楽しみ方や文化の姿・・・など現在・過去・未来を自在に駆けめぐる日本酒の世界を展開し、「知るは楽しみなり」をあますことなく感じ取れる空間です。」公式HPより

旧酒造記念館は、万治2年(1659)に神戸・御影の本嘉納家本宅屋敷内に建てられた酒蔵を、昭和35年に現在の地に移築。国指定・重要有形民俗文化財の「灘の酒造用具」や小道具類566点等を展示する「酒造記念館」として一般開放されました。

しかし阪神淡路大震災によって旧酒造記念館は倒壊。幸いにもがれきの下から手作業で拾い出した酒造用具や小道具類は、ほとんどが無事、あるいは修復可能な状態であった為、全面建て替え工事の末、4年後の1999年1月に復興オープンしました。

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神戸市東灘区御影石町にある「瀧鯉蔵元倶楽部・酒匠館」。門を入った私たちを出迎えるのは、宝暦8年(1758)の建築とされる「木村酒造:長屋門」

当時のパンフレットには「今でも機械にたよらず、杜氏や蔵人の手仕事で酒造りが行われている」と紹介されていました。杉玉と注連縄がこんなに似合う佇まい・・さすがに某TV局がロケ地として目を付けただけのことはあります(笑)

漆喰壁やマホガニーを多用した洋館風の内装が施された応接室は、阪神淡路大震災で被災するまでは、事務所として使用。震災以降は、有料で試飲ができるサロンとして開放。酒匠館ショップでは、保冷貯蔵タンクから目の前で瓶づめをした旬の酒の量り売りもやっています。

しかしながら、2009年に廃業により閉店。【瀧鯉】の銘柄は「桜政宗」に引き継がれましたが、歴史ある素晴らしい建物は取り壊され、更地となったと聞きました。

訪問日:2006年9月23日

 


灘五郷(西郷)沢の鶴 in 兵庫県神戸市灘区

2023年06月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

神戸市灘区新在家・灘五郷の一つで大石地区の酒蔵地帯・西郷。ここでは「沢の鶴」・「金盃」・「富久娘」などの銘柄が醸されています。今回お邪魔させて頂いたのは、神戸市灘区大石南町にある「昔の酒蔵:沢の鶴資料館」

「昭和53年11月、古い酒蔵をそのままに酒造りに関する民俗文化財を収蔵・展示した資料館として公開。昭和55年には酒造り道具とともに兵庫県重要有形民俗文化財に指定。平成7年1月に発生した阪神淡路大震災で大石蔵は全壊。1999年3月に最新の免震システムを施した2階建の沢の鶴資料館が再建され、「西郷」における酒造りの歴史を伝える民俗資料館として公開されています。」公式HPより

入口を入って最初に入館者を出迎えるのは、東大寺館長『清水公照氏』の作による「酒精円座」。酒の精霊と言うにはあまりにも迫力がありすぎるような、不思議な強さを与えてくれる作品群。

資料館の再建にあたって、過去の酒蔵の構造を解明するために神戸市教育委員会による発堀調査を実施。その結果、半地下式の「槽(ふな)場(醪から酒を搾る作業場)」が発見されました。地下構造の槽場は、全国でも珍しい構造だそうです。

181種類、2884点にも及ぶ酒造り道具の数々。現役から退いた道具たちは、県重要有形民俗文化財の指定を受け、静かに酒造りの歴史を語り続けています。

二階展示室

展示室の大部分を占有する帆船は、十分の一で再現された「樽廻船」。江戸における大消費地への大量輸送を可能にし、灘酒隆昌の一因となりました。

室を利用した麹づくりの様子

沢の鶴家紋入りの瓦。「※」 は、創業者『米屋喜兵衛』の職業が米屋だった事に由来。

「澤の鶴記念碑」

沢の鶴資料館のすぐ側、神戸市灘区大石南町に鎮座される「住吉神社」。主祭神は『天照皇大神』。『底筒男命・中筒男命・表筒男命』を配祀。

由緒「当社は、「敏馬神社御旅所」として、大石に鎮座。旧記は元文年間(1736~)の大石村の大火により焼失したが、旧聞によると、御神体は天和年間(1681~)に大石村の海中より御出現され、社殿を造営し奉斎した。社殿は、文化11年(1814)と昭和10年に改築したが、阪神淡路大震災にて倒壊、2002年に再建。」兵庫神社庁HPより

拝殿前より神域を守護されるのは浪花タイプの狛犬さん一対。角を持つ吽形さんの顔が何故かにやけて(笑)。

相方がしっかりしてくれないと、阿形さんもいろいろと大変そう(^^;)

訪問日:2006年9月23日