goo blog サービス終了のお知らせ 

車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

加納天満宮 in 岐阜県岐阜市加納天神町

2020年02月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

岐阜市加納天神町に鎮座される「加納天満宮」。御祭神は『菅原道真公』

「文安2年(1445)、『斎藤利永』が加納の東南に加納城を築き、その守護神として天満宮を勧請した。記録によれば創始は更に古く、それより100余年以前からすでに吉田郷(広江川の北方、上加納の地)に祭祀せられていたという。その後、『城主:斎藤利政(道三)』が稲葉山城に移り加納城は廃城となったが、天満宮は住民たちによって厚く奉斎されていた。慶長5年(1600)関ケ原戦後、『徳川家康』は凱旋の折、稲葉山城を廃し、加納城を構築した。その際に天満宮が城廓内に入ったので、新しい加納城鎮護の神として、慶長6年(1601)これを広江川(清水川)を背にした閑静な現在地に遷座し奉った。」公式HPより

木肌もまだ新しい社殿は、2003年・菅公ご神忌千百年、加納天満宮ご鎮座四百年記念として新たに築造。

新しい拝殿前より神域を守護されるのは大正9年11月建立の岡崎型狛犬さん一対。木影が邪魔をして阿形さんの姿はかなりあやふや・・・

文化七年(1810)建立の神楽殿は堂々とした佇まいで、境内でも一際存在感を放っています。明治35年(1902)に一度大修理が施され、その後の戦災を逃れた唯一の建造物です。

鳥居の内にて神域を守護されるのは、明治35年3月25日建立の狛犬さん一対。浪花系か出雲丹後系か・・議論の分かれるところですが、安定の顔立ちと体つきは出雲系に軍配が上がりました。

手水舎近く、高い台座の上より神域を守護されるのは、昭和32年(1957)3月建立の鈴しょうわ狛犬さん一対。

天満宮と言えば「座牛(臥牛)」。勿論こちらにも、明治27年・28年の戦役戦勝記念として明治33年(1900)に奉納された座牛さんがおいでです。顎の上下で阿吽を表現するという、何とも奥ゆかしい手法。本殿前には、社殿の造営に併せて奉納された青銅の「座牛像」もあります。

「境内社・津島神社」、御祭神は『素戔鳴命』と思われます。

玉垣内の小さなお社を守護されているのは、仔狛を手の下に抱く吽形さん一体のみ。お顔が欠けているのは何らかの災害があった所為かもしれません。

「境内社・福寿稲荷神社」。御祭神は『宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)』

「一心龍王」と書かれた碑があるお社、こちらに関しての記載はHPに見当たりません。

一つ一つお名前のわかる御社以外にも、境内には「八幡神社・春日神社・出雲神社・神明神社・市神神社・白太夫神社・御鍬神社・事代主神社・老松神社・紅梅神社」と多くの神々が各地域より合祀され、鎮座しています。

「御神木:楠」 樹齢推定三百五十年以上

境内の一角に建立されていた「岐阜県ボーイスカウト運動発祥之地」碑。

参拝日:2012年5月14日


岩戸八幡神社 in 岐阜県岐阜市長森岩戸

2020年02月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

岐阜市長森岩戸に鎮座される「岩戸八幡神社」。御祭神は『応神天皇』

【創祀不詳。当社はもと岐阜県美濃國海津郡高須町大字日出丸に鎮座ありしが、揖斐川改修の敷地に当たり、そのまま差し置き難きを以て将来永遠の維持保存を慮り、稲葉郡北長森村大字岩戸字西山なる現在の鎮座の地に移転せんことを請願し、明治四十三年四月許可を得て移転し、以て今日に至る。】岐阜県神社庁HPより

木々の緑が清々しい参道途中より神域を守護されるのは、昭和3年(1928)11月建立の、何とも可愛らしい初期岡崎型の悪戯すきそうな笑顔の狛犬さん一対。

参道正面の献燈所から神域を守護されているのは、昭和8年(1933)8月建立の岡崎型狛犬さん一対。

献燈所の奥には神池だったと思われるくぼ地が有り、今も石橋が架かっています。水が無いのは枯れてしまったのか、もしかしたら、これだけ緑の多い場所なので、嫌な虫対策の為かも・・・

拝殿の向こうに見えている石段と、それを覆い隠すような木々の迫力に負け、軟弱者の私とその付き添い一人、本殿への参拝は断念😓。

神池と拝殿の間より神域を守護されるのは、大正13年(1924)9月建立の狛犬さん一対。吽形さんの右手にしっかりとつかまる仔狛、玉をもったままそれを見守る阿形さんの笑顔は何とも素敵。

遷宮百年記念碑

御神馬像

境内の片隅に置かれた重さの異なる3個の「担ぎ石」。神社の境内では比較的よく目にします。祭礼の折などにこれらの石を担いで力比べがなされたのでしょう。

参拝日:2012年5月14日


葛縣(かつらがけ)神社 in 岐阜県岐阜市

2020年02月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

岐阜市池ノ上町に鎮座される「葛縣(かつらがけ)神社」。御祭神は『葛県明神(かづらあがたみょうじん)』

創建時期は不明「平安時代に編纂された『国内神名帳』では「正六位上葛懸明神」とされ、水の神を祀る。 天文の大洪水までは社前一面が大池があったため「池上宮」と称し、祓戸の大神をお祀りする。往時は長良川堤防上に鎮座していたが、昭和13年(1938)の長良川改修工事に伴い現在地に遷座。」

唐破風が付けられ重厚な造りの拝殿、その拝殿前より神域を守護されるのは、昭和16年(1941)10月建立の鈴しょうわ狛犬さん一対。

彫刻が施された流造の本殿の画像は撮り忘れましたが、本殿脇より神域を守護されるのは、大正2年(1913)建立の出雲丹後系狛犬さん一対。

社殿の右側、鮮やかな朱の鳥居は「境内社:白菊稲荷神社」。沢山の神狐さんに守られて鎮座しています。

境内に設けられた藤棚からは薄紫の花房が顔を覗かせ始めています。もう少ししたらきれいな藤の花屋根が出来上がり、沢山の虫たちの憩いの場になることでしょう。

「葛縣神社」の入り口、玉垣の中に地蔵様の祠がぴったりと収められています。地元の方たちが大切にお守りされているであろう事は、お地蔵様のお姿からも充分に感じ取れます。

さらに反対側、玉垣の内ではありませんが境内にぴったりと隣接して、赤い屋根のお堂があり、手前の祠には、白く化粧された三面八臂の仏様が納められています。合掌している真ん中の腕、左右にはそれぞれ「持仏(じぶつ)」と呼ばれる蓮華、独鈷、宝剣に羂索・・更に・・斧😱

六臂の仏像はよく目にしますが八臂は・・頭上に如来様のお顔とか馬頭は見たことがありますが・・・これ・・どう見ても「猪八戒さん」に見えます😓

参拝日:2012年5月14日


村社:縣(あがた)神社 in 岐阜県岐阜市

2020年02月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

岐阜市市橋に鎮座される「村社:縣(あがた)神社」。御祭神は『県(あがた)大明神』と思われますが、案内等が何もないため、確実ではありません。

格子状のガラス戸がめぐらされた拝殿は明るく、初夏の日差しを跳ね返して清潔さを際立たせています。その拝殿前より神域を守護されるのは、昭和3年(1928)生まれの岡崎現代型狛犬さん一対。

拝殿と本殿の間から神域を守護されるのは、昭和3年(1928)2月建立の狛犬さん。私達が「髭の狛さん」と密かに呼ぶタイプで、近江(滋賀県)地方でよく見かけます。

それにしても随分と長くて鋭い牙・・・これならどんなものでも簡単に噛み砕いてしまいそう。吽形さんの手の下でニヤッと笑う子狛さんも、親譲りの牙を見せてます。

拝殿棟の「鬼瓦」には、御社名の「縣」の文字が焼きこまれています。

参拝日:2012年5月14日


岐阜善光寺 in 岐阜県岐阜市

2020年02月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

岐阜市伊奈波通に門を構える真言宗醍醐派寺院「愛護山:善光寺(ぜんこうじ)」『善光寺如来』を本尊とします。美濃四国第1番札所で、通称「岐阜善光寺」「伊奈波善光寺」とも称し、地元の方々に篤く崇敬されています。

建立時期は不明「信長の孫『織田秀信』が、かつて善光寺如来が祀られていた地に「伊奈波善光寺堂」を建立。善光寺如来の分身を祀ったのが始まりとされます。江戸時代初期に「善光寺安乗院」に改称。明治24年(1891)の濃尾地震により本堂は全焼、現在の建物は大正元年(1912)に再建されました。」

本堂向拝で鮮やかに波間を切るのは、ちょっとおとぼけスマイルの龍。龍がおとぼけって、可笑しくないか?と私に真剣に問うご亭主殿。だってそう見えるのだから仕方ない。

本堂の屋根の上では、大きな鞠をお腹の下に抱いた獅子が、いかにも興味深そうに参拝者を見下ろしています。

こちらはまた何ともクールな顔で、鞠を両手に抱えたまま下界を見下ろしています。さて、大好きな毬遊びも忘れて獅子たちが見つめているものは・・・・

もしかして猫・・・😲 お稲荷様のお堂の前で、身動きせずに座っているのですが、その姿が何とも可愛らしくて、猫と私・・しばらく見つめあっていました😃

「末光稲荷大神」はお寺の守護神、現在のお社は昭和60年頃に新しく建てられたものです。

「水掛・願掛不動尊」の右手には「救われしゃもじ」が沢山奉納されています。ご亭主殿の願掛けは何でしょうか?不動真言を七回・・小さく唱えながら、丁寧に水を掛けていました。

そしてこれもまた、真言を唱えながら「輪廻車」を回せば、災難除けになると云われています。

参拝日:2012年5月14日


伊奈波(いなば)神社~其の二 in 岐阜県岐阜市

2020年02月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

昨日に続いての「伊奈波神社」。広い境内には、幾つもの末社・境内社が鎮座されています。この楼門は末社「黒龍神社」から見たものですが、新緑の木々とのコントラストが、まるで版画絵のような美しさ。

神社の最も重要な場所は神門の向こうで、一般参拝者には立ち入れない世界です。入れない世界だから尚更興味が湧き、ついついその先を覗き込みたくなるのですが・・神門内の左手には、奈良正倉院と同じ造りの「校倉」がありました。

神門の左手には「神厩舎」があり、木製の白い神馬が静かに佇んでいます。

一の大鳥居から二の鳥居へと進んだ先、神事案内板の前には、参集殿側で寝そべる対の龍を見つめながら、ゆったりと体を伸ばす龍。

当神社の旧鎮座地であった丸山には、烏帽子岩と呼ばれる奇石があり、古くから奉祀されてきたと言います。神橋の右手に祀られている「烏帽子岩」は、社殿の造営の折に境内から出土したもので、丸山の烏帽子岩の影向石として安置されました。その横に並ぶ「御足台石」は、御祭神の『五十瓊敷入彦命』が長良川を船で渡った際、足台にした石と云われています・

楼門の右下にある「神滝」から流れるご神水は、本殿から黒龍社を巡って楓稲荷神社まで流れ落ちていると言われています。

『高竉神』が祀られるのは、境内社「黒龍神社」。『伊奈波大神』を現在の井之口谷へ奉遷する以前より、この地に祭祀されていたと伝えられています。「黒龍神社」の右手に鎮座されるのは「和歌三神社」、御祭神は『住吉神、玉津島神、人丸神』

「黒龍神社」の右手、玉垣に守られた結界の中には「龍頭岩」。確かにこうして見ると何かの頭のように見えますが、それが龍かといわれると・・・・微妙(神聖な龍頭にお賽銭は如何なものかと・・・・)

手水舎の右手にある「末社:いなば大黒社」、御祭神は『沢田十蔵』の作と伝えられる『大己貴命:御神像』。宝永6年(1709)に御鎮座されたと云われます。

朱色の鳥居と祠が鮮やかな「末社:楓稲荷神社」、御祭神は『宇迦之御魂神』

「末社:金山神社・愛宕神社」、御祭神はそれぞれに『金山大神・迦具土神』。

「末社:秋葉神社」、御祭神は『迦具土神』。「愛宕神社」と「秋葉神社」は共に同じ祭神が祀られており、古くより火伏・防火に霊験のある神として知られています。

参拝日:2012年5月14日


伊奈波(いなば)神社~其の一 in 岐阜県岐阜市

2020年02月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

岐阜市伊奈波通りに鎮座される「伊奈波(いなば)神社」。美濃国三宮で、式内社「美濃国厚見郡 物部神社」の論社。

御祭神は、垂仁天皇の第一皇子で、この地の開拓神である『五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)』。さらに妃の『淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)』、母の『日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)』、外祖父の『彦多都彦命(ひこたつひこのみこと)』、臣下の『物部十千根命(もののべのとちねのみこと)』を配祀。これらの神々を『伊奈波大神』と総称します。

二の鳥居前より神域を守護されるのは、岡崎型狛犬さん。日当たりの加減でしょうか? 吽形さんの見目の新しさに比べて、阿形さんは酷く苔むしています。

社伝に「朝廷の命により奥州を平定した『五十瓊敷入彦命』は、その成功を妬んだ『陸奥守豊益』の讒言により、朝敵とされて現在の伊奈波神社の地で討たれたという。景行天皇14年、『武内宿禰』が稲葉山北西の椿原(現在の岐阜公園内の丸山)に『五十瓊敷入彦命』を祀ったのに始まるとされる。天文8年(1539)、斎藤道三が稲葉山城を築城するにあたり、現在地に遷座。その際『物部十千根命』を祀る「物部神社」を合祀し、稲葉山城の鎮守とした。以降、岐阜の総産土神として篤い崇敬を受けた。」

鳥居の内、下界と神界をつなぐ神橋は、神のみが渡ることを許された神聖な場所。神橋の正面には長い石段が真っ直ぐに楼門へと続いています。

 

楼門の傍らから神域を守護されるのは、明治45年(1912)4月5日建立の狛犬さん一対。尖った三角の鼻のせいで、グリム童話に出てくる「悪い小人」のような顔に見える😅

石段を登りきった先に、桧皮葺の神門。神門の奥に拝殿・幣殿・本殿と続きますが、私達が目に出来るのは拝殿まで。

神門に施された彫刻は、深い木々の中を駆け抜ける麒麟。左右の貫には阿吽の龍が睨みを利かせています。

神門脇より神域を守護されるのは、文久3年(1863)5月建立の、浪速タイプの狛犬さん一対。規模の大きな神社らしく、奉納される狛犬さんは様々な地域性を持っているようです。

狛犬さんが座す玉垣を支えるのは、大正3年(1914)4月建立の逆立ち狛犬さん一対。獅子顔の狛犬さんですが、これはとても珍しく、ご亭主殿は大喜び😍

広大な敷地を有する「伊奈波神社」、続きは「伊奈波神社~其の二」で😃

参拝日:2012年5月14日


結(むすぶ)神社 in 岐阜県安八町

2020年02月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

安八町西結に鎮座される「結(むすぶ)神社」。古くより生産、縁結びにご利益があるとされます。

鎌倉と京の都を結ぶ「鎌倉街道」沿いに鎮座し、かつては結大明神として、美濃国の歌枕にも古くから知られていました。十六夜日記の阿仏尼や、『一条兼良』らが詠った和歌に「結ぶ神」として表されています。

御祭神は『天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高御産巣日神(たかみむすびのかみ)・神産巣日神(かみむすびのかみ)・猿田彦命』

創建は平安時代の嘉応年間(1169年~1171)、一説では奈良時代とも云う。明治36年(1903)、揖斐川の河川改修の為、現在地へ移転。このころ、「結大明神」から「結神社」に改称。織田信長はこの結大明神を信仰しており、天正3年(1575)、長篠の戦いの際、7日間の戦勝祈願を行なっている。阿仏尼は建治3年(1277)にこの地を訪れ、和歌を残している。【守れただ  契り結ぶの神ならば  とけぬ恨みに  われ迷はさで】境内由緒より

参道には『斉藤道三』の重臣『日比野清実』の城であった「結城址」があったと云われており、安八町史跡として指定されています。

もう一点、文政九年(1826)に越前鯖江藩主『間部詮勝(まなべあきかつ)』によって寄贈された手水鉢が、安八町指定文化財に指定されています。

「小栗判官・照手姫」で有名な、照手姫と小栗判官小次郎助重の伝説が伝わる神社。それが縁結びのご神徳に繋がっているのでしょうか? この日も幾組かのカップルが参拝していました。

拝殿前より神域を守護されるのは、いわゆる浪速型の狛犬さん一対、阿形さんは鞠を手に。 吽形さんは子狛にすがり付かれているのですが、なんかデレデレで嬉しそう。多分、画像の角度の加減なのですが、カメラが時折生み出す不思議な一枚。

注連縄に守られた巌は「子宝之神」、縁結びの結果は子宝に恵まれる事・・ですね😊

最後の画像は「さざれ石」、小さな小石が集まって巌となり、やがて苔むすまで・・君がおわすこの世界がいつまでも安らかに続きますように、永久の平和を願う歌。

参拝日:2018年10月11日


小簾紅園(おずこうえん) in 岐阜県瑞穂市巣南

2020年02月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

揖斐川の西岸、瑞穂市呂久地区にある「史跡:小簾紅園(おずこうえん)」

かつてこの地には呂久川(揖斐川)が流れており、天正8年(1580)に『織田信忠』によって呂久の渡しが開設。江戸時代には中山道の渡船場として大いに賑わっていたそうです。

【文久元年(1861)、孝明天皇の妹『和宮』は『徳川家茂』の元に降嫁するため、京から江戸へ中山道を下向。その道中、旧暦10月26日、呂久川(揖斐川)を御座船でお渡りになる時、色麗しく紅葉している楓を一枝舷に立てさせられ、玉簾の中からご覧になり、和歌をお詠みになりました。このことを記念し、昭和4年(1929)に呂久の渡しの跡地を中心に、和宮が見た楓の庭を含めた地域を公園にする計画が持ち上がり、これが小簾紅園となりました。】

『皇女和宮』ゆかりの地として知られる公園の入り口には、「和宮御送跡」の碑。

公園は和宮が詠んだ和歌碑を中心に整備されており、紅葉の名所としても知られています。10月半ばの訪問でしたが、紅葉の時期が遅かったのか鮮やかな錦秋は見られませんでした。

園内には『秩父宮妃殿下』や、第18代徳川家当主がお手植えされたモミジなどもあります。「徳川家第十八代」なんて書くと、いつの時代の将軍?と勘違いしてしまいそうですが、昭和生まれの方です😊

庭園内の一段高く作られた場所には、『東伏見宮妃周子』様の筆による皇女・和宮の歌碑。歌碑を覆うように枝を伸ばす紅葉は、皇女が愛でたそのままに、美しくあたりを包み込んでいます。

【 落ちて行く  身と知りながらもみじばの  人なつかしく こがれこそすれ 】

自らを「落ちて行く」と表現した16歳の和宮、その胸に去来したものは何だったのでしょう。

庭園内には他にも沢山の碑が建立されており、どれもこれも興味深い内容のものばかり。『西脇関風』の漢詩、さすがに読み上げる事は無理ですが、文字から内容はおおよそ理解できます。

【清流揖川呂久津 寡是和宮駐○也 悲痛挺身救国難 哀歌一首泣郷民】

『八世八仙斎』歌碑【青史には さあり栬(もみじ)葉 かつ散るや】

この詩碑は、11歳の時、宮様の降嫁の行列をお迎えした経験を持つ呂久の詩人『馬淵観雲』が、その遺徳を後世に残そうと自費で建立。【天地長く留めん 碑に涙落とす】と結ばれています。

【福碑には、遺跡造営の経緯や願いが記されています。前段の部分は、宮さんが降嫁する自らの思いを、美しく紅葉する楓によせて詩を歌われたことを紹介しています。中段では降嫁の歴史的背景が書かれ、後段では建碑の願いが書かれています。撰文は『下田歌子』書は『棚橋絢子』です。岐阜県と関わりが深いこの二人は、明治から大正にかけて、皇族や貴族の子女教育をはじめ、日本の女子教育の推進と発展に活躍しました。】(碑の内容は、瑞穂市の「ようこそ小簾紅園へ」より転載させて頂きました。)

訪問日:2018年10月11日


美江寺宿跡と美江神社 in 岐阜県瑞穂市巣南

2020年02月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

瑞穂市美江寺に鎮座される「美江神社」。御祭神は「家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)」

「創祀不詳。美濃國神明帳内本巣郡二十九座の内美江明神是なり。中古以来社号を熊野神社と称す。明治十四年社号を復し、美江神社と改称せんことを県庁へ誓願。同年三月十九日許可。」岐阜県神社庁より

お寺の本堂を思わせる拝殿。拝殿前より神域を守護されるのは、岡崎型の狛犬さん一対。

「境内社:秋葉神社」。御祭神は神仏習合の火防・火伏せの神とされる『秋葉大権現』と思われます。

境内奥の「美江寺観音堂」は、永禄十年(1567)に『織田信長』の命によって建立。

かってこの地には、中山道六十九次:五十五番目の宿場「美江寺宿」が置かれていました。それを示すのは「美江寺宿」と刻まれた碑のみ、後方の案内板には、その詳細が記されています。

こちらの高札場は、美江神社入り口横の街道沿いにあったものを、境内に復元。

【 廣重乃  ○に名あり みゑじ宿 】○の部分の漢字一文字が読めません😔

街道沿いに建つ「旧庄屋・和田家」。屋敷の主は美江寺城主:和田氏の末裔と伝えられています。もっとじっくり見て歩けば、宿場らしい佇まいも見つけられたかも知れませんが、時間ぎれです。

訪問日:2018年10月11日