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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

阿南市~ふらっとドライブ in 徳島県阿南市

2020年09月26日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

四国南部の室戸岬から徳島県南部の海岸一帯を占める「室戸阿南海岸国定公園」。中林町の紀伊水道に面する「北の脇海岸」は、「日本の渚百選」に。また夏季に開かれる北の脇海水浴場は「とくしま88景」に選定されています。
ちょっと面白いと感じたのは「日本の渚百選」碑の文字が「阿南室戸海岸国定公園」となっている事。何となく、地元の拘りが感じられる記念碑です。

本来ならば白砂青松の美しい海岸を見る予定だったのですが、生憎のお天気・・・ (>_< ) 時折吹き付ける風が海面を叩き、小雨に混じって冷たいしぶきを運んできます。

いくら名所で、いくら予定を変えられないと言っても限度というものがあると思うのですが・・・それでも折角なのだからと来てしまう(^^;) 海岸を見に来てこんなお天気では本当にしゃれにもなりません(笑)

海岸に面した一画に朽ちかけた漁師小屋のようなものがあり、風を避けて避難することに。 そこで沢山のネコさんたちに遭遇してしまいました。どの子もどの子も、切ないくらいに人懐こく擦り寄り、頭を撫でさせます。

近くに住む誰かが与えているのか、小屋には水と煮干が置いてあります。出来うるならば、負の連鎖にならない為にも、避妊と去勢が正しくなされますように、猫好きの願いはただ一つ、どうかその時が来るまで、命をまっとうできますように・・

阿南市、今回の観光メインは、泊の岬にある、椿泊集落を見ること。観光案内によれば【四国最先端の椿泊の岬にある集落で、ハモ漁が盛んな椿泊漁港がある漁師町。約2Kmの細い道の両脇には、阿波水軍の名ごりをとどめる長い家並みが続いており、趣向を凝らした手すりを施した家も多く見られ、独特の雰囲気を味わいながら岬突端まで行き、ヒウチ岬で雄大な海を見渡せる。】ね!目一杯そそられる文句でしょう d(-_^) 

知らないって、ある意味強いというか愚かというべきか・・・車で集落まで行って、何処かに駐車して、ゆっくりと街並みを歩いて・・・
なんて考えがいかに無謀であったか・・・(^^;)、集落に入った瞬間に悟りました。 車は軽のワゴン車だし、狭い道でもそれなりに走れるだろうし、そりゃあ昔からの漁業集落だから、一応狭い道だろうとは思っていましたが、まさかこれほどとは・・・( ̄□ ̄;)!!

引き返すことも出来ず、脇に嫌な汗をかきながらどれくらい走ったのでしょうか? やっと見つけたよそ様の駐車場を無断でお借りし、集落から出た時は、本当に溜息が出ました(笑) そんなわけで、写真はいずれも車内からですが、ちゃんと撮っているところが流石の私(笑)

同じ道を通っている筈なのに、来るときには気がつかなかった光景が見えてきました。堤防に並んでぶら下がっているのは「四つ手網」と呼ばれるもので、「ヒウオ(白魚)漁」に使われるそうです。

川岸に据え、産卵のために遡上してくるヒウオを、この蚊帳網で作った四つ手網で掬い上げるという、およそ200年前から受け継がれた伝統漁法で、椿川では4月上旬まで見る事が出来るそうです。

 

訪問日:2013年3月17日


  


お松大権現~其の三 in 徳島県阿南市加茂町😆

2020年09月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

資料館の左手の鳥居を潜ると、緑のトンネルを思わせる坂道が続き、そこにも様々なお猫さんが思い思いの形で神域を守護されています。

こちらは「猫不動さま」。徐魔、除厄、除災の御神徳を持つとされる、神域の守護神。ちなみに不動尊が右手に持っている「利剣」は、迷いや邪悪な心を断ち切り、左手の「羂索(けんさく)」は、悪い心をしばり善心を起こさせる事を現します。背中に「迦楼羅焔(かるらえん)」をまとった姿で、磐石の上に鎮座されています。

そこから鋭角に上に進むと「猫大佛」さんが鎮座されています。でも折角「猫大佛」とされるのなら「招き猫さん」スタイルじゃない方が良かったと思うのですが・・😅

さらに奥に進むと、今度は定番の「七福にゃん様」😆。それはもうきっちりとお揃いで並んでおられます。

定番の「恵比寿・大黒天」、紅一点は「弁財天」。七人の中では唯一武闘派の「毘沙門天」、財力担当の「布袋」。そして南極星の化身とされ、共に長寿と福禄を担当される「福禄寿・寿老人」・・・可愛いから許可!😆

まるで猫さんのテーマパークの様相を見せている境内ですが、それは私の好みが突出した所為。そして・・こちらにあるのは猫の供養塚。「お猫さまの祠」なるものも奉納されています。

「境内社:熊野権現」。石祠の左右にはかって何処かの留蓋に居たと思われる一対の獅子が神域を守護されています。

一段高い場所に奉られるのは「境内社:荒神社」。手前にある注連縄が掛けられた板碑には「剣山本宮」と刻まれています

「観音窟」と書かれた木札の下には、観音像が刻まれた板碑。それを守るように五輪塔が並びます。こうしてみるとここは元々お寺の境内だったのかもしれません。

拝殿内に奉納されていたすらりと美しい毛並みの三毛さん・・・伝承の中では魔となり主の仇を討ち、後に猫神さまと奉られたけれども、叶う事ならいつまでも、屈託なく主様の膝でじゃれて甘えていたかっただろうにね🙏

参拝日:2018年6月19日


お松大権現~其の二 in 徳島県阿南市加茂町

2020年09月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

境内入り口、一の鳥居の向って右手に鎮座されるのは「高さ2mのキャラクター猫。可愛い笑顔でみなさまのご参詣をお招きしています。」とHPで紹介されているジャンボ招き猫さん。冗談抜きにインパクトあります😄

石段参道を上がった先に袖壁付きの門。内側から振り向けば、袖屋根の上にゆったりと寛ぐお猫さん一対。

どちらも寛ぎすぎて、とろけて餅化してます😅。相方さんの顔が真っ黒なのは、焼き魚の匂いにつられて、煤の中に顔でも突っ込んだのでしょうか?

境内に入れば、「日本一社」の標柱の上で、凛々しい顔立ちの招き猫さんが出迎えてくれます。

拝殿前には「お松権現」の由来の案内があり、事の顛末が細かく記されています。由来書の前には、膝を正して参拝客を迎えてくれるお猫さん。

さらに拝殿前にはゆったりと座りながら神域を守護される狛猫さん一対。つややかな体とピンと立てた耳、きっとモデルになった猫さんは美しい毛並みだったんだろうな。

頑張って神域を守護されるのは狛猫さんだけではありません。拝殿の屋根の上、ほらあんな高いところでも姿勢を正して守護の任につかれている猫さんが!

拝殿からご本殿へ、そちらにもたくさんのお猫さんが奉納されています。こちらは「さすり猫さん」。治癒したい護身の患部をこの猫に置きかえさすることにより、病魔退散のご利益があると云われています。

「さすり猫さん」と並ぶように座るのは、まるでスフインクスのような雰囲気を漂わせるお猫さん。絵馬賭けの前で両手を合わせ、何かを念じているお猫さん。絵馬に籠められた願いをこうして一緒に念じてくれているのでしょうか? 

ぎっしりと隙間もないほど詰め込まれた沢山の願い・・叶うといいですね。私たちは・・・我が家の愛すべき猫さんの長寿と健康を・・何なら「猫又」さんになってくれても構いません・・手ぬぐいだって何十枚でも用意します!!

という事で、下の境内の紹介は終わり・・・明日は少し坂道を上がった先からを紹介します。

参拝日:2018年6月19日


お松大権現~其の一 in 徳島県阿南市加茂町

2020年09月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

阿南市加茂町に鎮座される「お松大権現」。日本一社として、通称「猫神さま」の名で親しまれています。

約330年前の伝承により生まれた「お松大権現」。有馬・鍋島と共に日本三大怪猫伝の1つと云われています。ただ、有馬・鍋島の怪猫伝説は映画やドラマなどで知っていましたが、こちらの「お松大権現」の顛末は今回の参拝を思い立って初めて知りました。

由緒「時は天和~貞享年間(1682~1686)。阿波国那賀郡加茂村は不作続きの年をむかえ、この村の庄屋:惣兵衛は村の窮状を救うため、私有の田地五反を担保に近在の富豪 野上三左衛門よりお金を借り受けていた。返済期限も近づき、丁度通りがかりの三左衛門にお金を返すが、通りがかり故証文を受け取っておらず、庄屋 惣兵衛は間もなく病死する。惣兵衛の死後、その妻お松は幾度となく証文を請求するが渡そうとしない。後にお金は受け取っていないと偽られ、担保の五反地までも横領される。思案の末、奉行所に申し出るが、お松の華麗な容姿に心を寄せ、食指を動かそうとする奉行 越前。お松は奉行の意に応じなかったため、また三左衛門からの袖の下を受け取っていた奉行は非理非道な裁きを下してしまった。お松は権力におもねる悪行に死を決して抗議する。それは直訴であった。 お松さま 貞享3年5月、藩侯の行列をよぎり直訴、その年の3月15日、お松は日頃寵愛の猫 三毛に遺恨を伝え、処刑に殉ずる。その後、三左衛門、奉行の家々に怪猫が現れ怪事異変が続き、両家は断絶している。」公式HPより

由緒に書かれたお松さまの伝承は、資料館に展示された「宮田雅之画伯」の切り絵10点と共に順次説明されています。

犬と違って猫は自分ファーストだと常々思っている私ですが、昔から理不尽な罪で殺される飼い主の恨みを晴らすのは何故か猫。まぁ・・猫飼いなら「ある・ある」の、あの密着度を思えば、魔の物となってでも復讐を果たした三毛の心根は悲しいくらい理解できるし、「よう頑張ったね」と頭を撫でてやりたい。

拝殿扉の切り絵を並べてみると、飼い主の膝近くでおだやかに暮らしていた猫が、理不尽に主を奪われ、魔となって復讐を果たし・・飼い主と共に神となる経緯が端的に表現されていて、感動さえ覚えるほど。何しろ夫婦揃って大の猫好き。化け猫だろうがなんだろうが、主思いの猫に罪は無い!!

今は神として奉られる主と共に、勝負事・願い事の神様として知られ、受験シーズンは合格祈願の参詣者で賑わう「お松大権現」。

境内には約1万体の招き猫が奉納されており、それはもう、実に圧巻の眺め。

が・・・・1万体の招き猫さんで驚いてはいけません。「お松大権現」が「猫神さま」の名で呼ばれる所以は、境内に足を踏み入れた瞬間に納得できるのですが・・・それはまた明日のブログで😊

参拝日:2018年6月19日


見能林(みのばやし)八幡神社 in 徳島県阿南市

2020年09月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

阿南市見能林町に鎮座される「見能林(みのばやし)八幡神社」。御祭神は『譽田別命、素盞嗚命、市杵嶋姫命』。社殿等はまだ新しいものの歴史のある神社と思われます。が、境内に案内等がなく創建・由緒などは不明。

「境内社:子安神社」は安産子育ての神として各地に祀られています。御祭神はおそらく『木花開耶姫神』と思われます。

社殿の前より神域を守護されるのは、天保5年(1834)9月建立の出雲丹後狛犬さん。大きな玉を咥えた阿形さんの嬉しそうな顔と、不満そうな吽形さんの顔が対照的で楽しい一対。

小さいのぞき窓が設けられたこの建物が「境内社」なのか、それとも祭礼山車を納めたものなのか、今更では調べようも無く不明。

その建物の両脇より神域を守護されるのは、明治37年(1904)建立の狛犬さん一対。 何があったのか、吽形さんのお顔は少し削ぎ取られており、何とも痛ましく見えます。

参拝を終えて帰りかけたとき、参道の石垣に不思議な形の何かを見つけました・・一瞬狛犬さん?と思いましたがまさかねぇ😅・・・まさかでした😲

最初は何かの冗談か、それとも奇をてらったオブジェかと思ったのですがどうやら本物の狛犬さん。先代さんとして片隅にひっそり置かれるのが普通かもしれませんが、この場所から参拝者を見守るのも有かなと思うと、驚きは別にして、奇妙に優しい気持ちになりました。

参拝日:2013年3月17日


大宮八幡神社 in 徳島県阿南市

2020年09月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

阿南市福井町大宮に鎮座される「大宮八幡神社」。御祭神は『品陀和気命(応神天皇)』。社殿が鎮座される石垣と比例してあまりにも新しい鳥居が二基あり、いずれも最近の奉納と思われます。

石段参道を上りきった場所より神域を守護されるのは、明治41年(1908)建立の狛犬さん。白い前垂れと足にくくり付けられた賽銭箱がとっても迷惑だと言いたげなお顔😅

境内に案内等の類もない為、創建由緒等は不明。周囲の様子や御神木などからも、それ相応の歴史を経た神社であろうと思われます。

拝殿挙鼻に施された彫刻は「龍虎の戦い」。竹林からうっそりと姿を表すのは二匹の虎。

迎え撃つ龍は逆巻く波を身にまとい、低く唸りを上げて睨みつけ、戦いの始まりを待っています。

何度見ても見飽きない木鼻の獅子・・・う~~ん、もう少し離れて写せば良かったかな。

拝殿前より神域を守護されるのは、これ以上は無理と思えるほど低く身構えた明治20年代建之の狛犬さん。

あまりにも低く身構えているので、白い前垂れで足元がまったく見えません😓

拝殿屋根の鬼瓦さんは、大江山辺りに出没しそうな、変に人間くさい顔立ちで下界を見下ろしています。

神馬舎から除き見た御神馬・・・偶然なのか意図的なのか、しっかりと目が合う位置に居られる様で、度肝を抜かれてビックリ😲

推定樹齢:2000年と伝えられる、阿南市天然記念物「大宮八幡神社の大クス」。 複雑に絡み合っているのが、根なのか幹なのか・・。地上に近い部分は大きな空洞なのに、見上げた先には濃い緑の葉が生い茂っているのです。

参拝を終え改めて見上げた石垣。朽ちて又新たに芽吹く楠の様をずっと見続けてきたのかと思うと、この瞬間がとても愛おしく感じられてなりません。

参拝日:2013年3月17日


坂野八幡宮&八坂神社と地蔵寺の宝寿水 in 徳島県小松島市

2020年09月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

小松島市坂野町大場に鎮座される「坂野八幡宮」。御祭神は『誉田別尊・多岐津姫命・多岐理姫命・市杵嶋姫命・息長帯姫命

神社新築記念碑に「元禄元年(1688) 8月15日に宇佐八幡宮の分霊を勧請して奉祀し、以来農漁民の守護神として崇敬してきましたが、宝暦4年(1754)に崇厳な社殿を建立し、大場、目佐、坂野、田北、刈屋、和田屹の6村により奉燈祭事を行っていた・・」

拝殿前より神域を守護されるのは、建立年代不明の狛犬さん一対。この顔立ち、とっても可愛いと言ったら、ご亭主殿に笑われました😅 それにしても、首に下げられているのはどうみても、お正月飾りのウラジロとミカン・・・・もう三月も半ばだと言うのに、徳島県の風習なのでしょうか。

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小松島市松島に鎮座される「八坂神社」。御祭神はおそらく『素戔嗚尊』と思われます。たまたま目的地の側に鎮座されていたので、参拝させて頂きました🙏🙏。

目的地は、小松島市松島町に門を構える、真言宗大覚寺派寺院「國伝山:地蔵寺」・・・の、境内にある、名水「宝寿水」を頂くこと😄
かって、阿波藩主:足利公方が来訪した際にこの水を所望し、賞賛されたと伝えられる名水。 車中泊の旅では、こうした地元の名水に巡り合えるのも、楽しみの一つ。

 

「地蔵寺」の境内に祀られていた「三宝荒神社」、小さな狛犬さんが神域を守護されています。

参拝日:2013年3月17日


金長神社&建島女祖命神社&旗山八幡神社 in 徳島県小松島市

2020年09月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

たぬき一色だった小松島の「たぬき広場」。主役の「金長親分」は阿波狸合戦で落命しましたが、染物屋の茂右衛門が『金長大明神』として手厚く弔い、江戸時代後期の弘化5年(1848)には正一位を与えられ、屋敷神社として祀られてました。

中田町脇谷にひっそりと鎮座される「金長(きんちょう)神社」。主祭神は『金長大明神』

昭和31年(1956)、商売繁盛、開運の神としてこの地に勧請され、今も市民の方々に大切に守られています。

奉納絵馬の『金長大明神』、現代的手法で作られる陶器の狸さんと違って、とても凛々しく、流石に貫禄も威厳もたっぷり。

石像の『金長大明神』も負けてはいないのですが・・・”タヌキとはこうあるべき”的な発想からか、滋賀の某所あたりでは至るところでお見掛けするお姿😅

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小松島市中田町広見に鎮座される「式内社:建島女祖命(たつしまめおやのみこと)神社」。この社名を持つ神社は全国でも唯一、此処のみです。

御祭神は『建嶋女祖命』、合祀『應神天皇』。創祀年代は不詳「諸誌によると、883年従五位上の「埴生女屋神」とあり『建島女祖下照姫命』を祭るとある」と案内に記されています。

参道石段の脇より神域を守護されるのは、建立年代不詳の狛犬さん一対。このスタイルと顔貌は岡山県の備前地方に多く見かけます。

社殿近くより神域を守護されるのは、慶応3年(1867)建立の出雲構え型狛犬さん。阿形さんは大きな玉を咥えて得意げにこちらを見つめ返してくれます。

拝殿の画像は有りませんが、破風の鳳凰と木鼻の獅子はしっかりと捉えています。 こういう素敵な宮彫刻に出会えると辛い石段参道も頑張ろうと思える😄

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小松島市芝生町に鎮座される「旗山八幡神社」。御祭神は『誉田別命』と思われますが、由緒等は不明。

境内入口より神域を守護されるのは、嘉永6年(1853)8月建立の狛犬さん一対。こぶりながらも中々の面構えですが、見る角度の所為か、泣いているような目で参拝者を見上げます。

「境内社・王子神社」。こちらも由緒や案内は無くご祭神等の詳細も不明。

社殿前より神域を守護されるのは、慶応4年(1868)5月建立の、さらに小ぶりな狛犬さん。いわゆる「団子鼻」が特徴で、親近感を持たせる一対😅

参拝日:2013年3月17日


小松島ステーションパーク:たぬき広場 in 徳島県小松島市

2020年09月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

マンホールのデザインにも使われた「タヌキ」。ここ小松島市には江戸時代末期に阿波国で起きたというタヌキたちの大合戦の伝説が残されています。「阿波の狸合戦」とも、また「金長(きんちょう)狸合戦」とも呼ばれ、四国に数あるタヌキ伝説の中でも特によく知られ、徳島のタヌキ伝説の中では、最も名高いものといわれています。

小松島ステーションパークの前には「金長だぬき郵便局」管内の郵便ポストがあるのですが、その上にとても恰幅の良いタヌキ様が、郵便配達のバッグを首に提げて立っています。

さて、それでは金長タヌキ一家が勢ぞろいしているという「たぬき広場」の探検。私たちを出迎えてくれるのは、阿波踊りの連を組んだ狸の一団。

阿波踊りと言えば徳島県の代表的な祭り、決して徳島市だけの専売特許では有りません😄 小松島のタヌキだって陽気な阿波踊りは大好きなのです。 鳴り物鳴らし、高張り提灯掲げて「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ~♪」

「踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々~~~♪」

「ヤットサー~ヤットサー~」「ヤットサー~ヤットサー~」

狸囃子に乗って賑やかに踊っていても、さすがに狸のまんまじゃ「連(れん)」に入れない・・かくなる上はと、可愛く化けた「こまぽん君」

映画にもなった「阿波狸合戦」。もちろんリアルタイムで見た事はありません😅。伝説の詳細は「阿波狸合戦/小松島」で検索していただくと、詳しく出てきます。それではいよいよ、狸合戦で活躍した狸たちとご対面!屏風の前、床机に座って指揮を取るのは「小松島の金長親分」

続いては、金長の一番の子分で、親分の命を助ける為に合戦で討ち死にした「藤ノ木寺の鷹」

幼さが残る「藤ノ木寺の小鷹と熊鷹」は、先の藤ノ木寺の鷹の子供たちかな?

こちらはくノ一「一本松のおたけ」、化けるのが得意の狸さんが、更に忍術を会得して忍者になると、どんな事になるのやら・・

戦上手と噂に高い「田浦太左衛門」、今度の戦の相手は中々に手ごわいですよ。

少々お年を召していますが金長親分の片腕として頑張る家老の「衛門三郎」・・と、おやおや、飛び入り参加は・・狸に見えなくも・・いやいや、どうひいき目に見ても、青い目が綺麗な猫ちゃんです😄

ばれてしまっては仕方がないと木陰に隠れてこっちを伺う姿の可愛らしいこと。思わず顔中がとろけてしまいそうですよ😍

たぬき広場には、手をたたくと水が流れる「高さ5m・胴まわり5m・重さ5トン」の世界一大きなたぬき像があります。市内にも沢山のタヌキさんたちがいますが、これほど巨大なタヌキさん、何所を探したっていやしません。

沢山の狸さんに出会ってすっかり楽しんでしまった二人。おやおや~?広場にあるこの水飲み場・・・はてさて、どの狸が化けたものやら😲

訪問日:2013年3月17日


胴の鳥居八幡神社&桑原神社 in 徳島県徳島市

2020年09月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

徳島市八万町宮ノ谷に鎮座される「八幡神社」。一の鳥居は、慶長9年(1604)に『蜂須賀至鎮(はちすか よししげ)公』が寄進したもので、鳥居に銅版が巻かれていることから、「胴の鳥居神社」とも呼ばれます。

有名な胴の鳥居のうちより神域を守護されるのは、明治31年(1898)9月吉日建立の出雲構えの狛犬さん一対。 遠く海を隔てた阿波の地で健気に頑張っておられます。

御祭神は『誉田別大神・大己貴大神』。目の前には軽く眩暈のしそうな石段😣

石段を登った先、二の鳥居より神域を守護されるのは、昭和13年10月建立の、ちょっと体格の良い狛犬さん。

吽形さんの気難しげな顔に、阿形さんの雄叫び。反り返った胸が何とも力強い一対。

阿形さんの背後にある建物は絵馬堂の様で、かなりの大作と思える「龍」の奉納額。 絵馬堂からさらに上に続く石段・・・ここで二人とも心折れて、スゴスゴと回れ右😓

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徳島市南島田町に鎮座される「桑原神社」。境内にも神社庁にも由緒・案内が無く、御祭神も不明。

三月も半ばですが、拝殿には注連飾り。

ゆったりとした田園風景の中に鎮座される狛犬さんは、あまり緊迫感を感じることが無いのか、とても大らかな顔で神域を守護されています。お首の注連縄と裏白って、もしかしてこれもお正月の名残?

参拝日:2013年3月17日