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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 兵庫県旧今田町(丹波篠山市)

2023年07月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧多紀郡今田町(こんだちょう)は兵庫県中部に位置し、六古窯の一つ「立杭焼」で知られた町です。町域には「立杭陶の郷」「兵庫陶芸美術館」があり、例年10月に開催される「丹波焼陶器まつり」は、窯元めぐり市など陶芸に親しめるイベントが盛り沢山です。また今田町今田新田にある天台宗寺院「西方寺」は、樹齢600年のサザンカの寺として知られています。「町の花:サギソウ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、多紀郡今田村が発足。

1960年、今田村が町制を施行、多紀郡今田町となる。

1999年、篠山町・丹南町・西紀町と合併し、篠山市となりました。

マンホールには、町章を中心に「立杭焼の器」と「町の花:サギソウ」がデザインされています。

昭和27年制定の町章は「「今田」を図案化し、中央の三角形は和田寺山を表したもので、今田村章として制定され、町制施行後に継承。色は「今田」の部分は金色・三角形の部分は緑色が指定されています。」合併協議会資料より

撮影日:2017年9月4日

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧西紀町(丹波篠山市)

2023年07月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧多紀郡西紀町(にしきちょう)は兵庫県中部に位置した町です。「西紀」の地名は1955年の合併時に付けられたもので「多「紀」郡「西」部に「錦」をかけたもの」と言われています。丹南町、篠山町、春日町に、また県を跨いで京都府瑞穂町、三和町に隣接。舞鶴若狭自動車道サービスエリア:上り線から見た三岳や黒頭峰などの山々。800mに満たない標高ですが、その険しい山容から多紀アルプスと通称されています。「町の花:シャクナゲ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、多紀郡南河内村・北河内村・草山村が発足。

1955年、南河内村・北河内村・草山村が合併、多紀郡西北村が発足。即日改称し多紀郡西紀村となる。

1960年、西紀村が町制を施行し、多紀郡西紀町となる。

1999年、篠山町・今田町・丹南町と合併し、篠山市となりました。

マンホールには、「町の花:シャクナゲ」が大きくデザインされています。

昭和35年1月1日制定の町章は「全体を「西」で表し、三つの輪を象徴したもので、昭和43年10月に再制定されました。」

町域にあったマンホール、自治体名と自治体章が何故か削られています(-_-;)

撮影日:2019年12月21日

2014年11月の車泊旅ではこちらの西紀上りSAにて車中泊をさせて頂きました。「丹波路味わい食堂」で頂いた「黒豆うどん」は癖のないシンプルな味でとても美味しく体もホカホカ(⌒∇⌒)。車で旅をする私たちにとってこうした施設は本当に有難く大切な場所です。 その節は本当に有難うございました。

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧丹南町(丹波篠山市)

2023年07月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧多紀郡丹南町(たんなんちょう)は兵庫県南部に位置した町です。 町名は丹波地域の南に位置していることに由来。町域には篠山口駅や、舞鶴若狭自動車道:丹南篠山口インターチェンジがあり、旧篠山町への玄関口として機能してきました。三田市、篠山町、西紀町、今田町、柏原町、山南町、春日町に隣接。「町の花:桜」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、多紀郡味間村・城南村・古市村・大山村が発足。

1955年、味間村・城南村・古市村・大山村が合併、多紀郡丹南町が発足。

1999年、篠山町・今田町・西紀町と合併し市制を施行、篠山市となりました。

マンホールには町章を中心に「町の花:サクラ」がデザインされています。

中央のマークは町章ではなくロゴマークと思われますが、詳細は不明。

昭和40年10月1日制定の町章は、丹南の頭文字である「丹」を図案化したものです。

撮影日:2017年9月4日

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧篠山市(丹波篠山市)

2023年07月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧篠山市(ささやまし)は兵庫県中部に位置した町です。兵庫県域の約4.5%、県内では第8位を占める自然環境の豊かな地域で、古来より旧丹波国として京都への交通の要として栄えてきました。「篠山」の名は築城の礎となった丘陵「笹山」 の名に由来し、独立丘を崇拝した往古の思想からサ(聖)で聖々山(神聖なる山の意、佐々婆夜麻)の転訛した 名称であるといわれています。笹山の東中腹に東面して貞観のころから春日神社 がまつられ神山として崇められていました。西に丹南町、西紀町、南に三田市、猪名川町と、県をまたいで大阪府能勢町。更に東は京都府瑞穂町、丹波町、園部町に隣接。江戸時代初期に農民の間で歌われていた盆踊り唄が起源とされる、篠山市無形文化財「デカンショ節:発祥地」としても知られ、2015年4月24日に文化庁により日本遺産の最初の18件の一つとして「丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」が選ばれました。

旧キャッチフレーズは「緑と文化 幸せ多いデカンショの町」

篠山市東部の日置地区は“波部黒”と呼ばれた丹波黒大豆発祥の地として知られ、目につく畑のそこかしこに丹波黒大豆が栽培されています。「市の木:松」「市の花:ササユリ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により多紀郡篠山町・八上村・畑村・城北村・岡野村・日置村・後川村・雲部村・福住村・大芋村・村雲村が発足。

1955年、日置村・後川村・雲部村が合併、城東村が発足。福住村・大芋村・村雲村が合併、多紀郡多紀村が発足。

1955年、篠山町が、八上村・畑村・城北村・岡野村と合併。改めて多紀郡篠山町が発足。

1960年、多紀村が町制を施行、多紀郡多紀町となる。

1960年、城東村が町制を施行、多紀郡城東町となる。

1975年、城東町・多紀町と合併、改めて多紀郡篠山町が発足。

1999年、今田町・西紀町・丹南町と合併、篠山市となりました。

マンホールには篠山城址と「市の花:笹百合」「市の木:松」がデザインされています。(大正ロマン館近くの舗道に敷設)

村雲(むらくも)地区集排マンホールには、「市の花:笹ゆり」と、「市の木:松」、中央に「清流・篠山川と鮎」がデザインされています。

雲部(くもべ)地区集排マンホールには、「多岐連山と田園風景」「市の花:笹ゆり」、周囲に「市の木:松」がデザインされています。

大芋(おくも)地区集排マンホールには、「多紀連山」と、「田園風景・稲穂」、「篠山川の鮎」がデザインされています。

三岳地区集排マンホールには「多紀連山と篠山川」、「市の木・松」「市の花:笹百合」がデザインされています。

昭和9年6月8日制定の町章は「ささやま」を図案化し、「ささ山」で形どったもので、旧・篠山町制時に制定され、新町制施行後に継承されました。」旧公式HPより

文字から古いものと思われる「ガス」用の小さい角蓋。

撮影日:2009年5月30日&2017年9月12日

 


ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県丹波篠山市

2023年07月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

丹波篠山市(たんばささやまし)は兵庫県中東部、四方を山に囲まれた自然環境の豊かな篠山盆地に位置する市です。1999年4月1日、旧多紀郡篠山町・今田町・丹南町・西紀町が合併して市制を施行し、篠山市が誕生。2019年5月1日に市名を「篠山市」から「丹波篠山市」に変更。古来より、旧丹波国として京都への交通の要としても栄えてきました。西脇市、三田市、丹波市、加東市、猪名川町に、また県を跨いで大阪府能勢町、京都府南丹市、福知山市、京丹波町に隣接。

キャッチフレーズは「人・自然・文化が織りなす食と農の都」

「市の木:桜」「市の花:笹百合」を制定。

丹波篠山市のマンホールは、篠山町時代のデザインが踏襲されており、特に新しいものは作成されていないようです。

篠山城址

丹波篠山市八上地区集排マンホールには、八上城を中心に、市章と「市の花:笹百合」「旧市の木:松」「市の特産品:黒豆」がデザインされています。

旧丹南町のデザイン、中央の市章のみ丹波篠山市のものに変えられています。

2000年5月20日制定の市章は「丹波篠山市を象徴するササの葉を2枚あわせ、篠山の頭文字である「S」を表すとともに、上方に向かって限りない発展と飛躍を感じさせるデザインとしています。」公式HPより

CCB用の角蓋

市役所近くに設置されていた方位プレート。方位の中心には「市の花:笹ゆり」が美しく描かれています。

丹波篠山市マスコットキャラクター『まるいの』は、篠山にすむイノシシのおさむらい。明るく元気な男の子で、丹波篠山のおいしい黒豆や山の芋が大好き。『まめりん』は、黒枝豆の妖精で豆づくりが得意な女の子。黒枝豆のエリの服がお気に入りなのです。

撮影日:2007年7月7日&2009年5月30日&2017年9月4日

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2017年8月1日、第5弾として全国50自治体で52種類(計191自治体222種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「篠山市」のマンホールカードは、「篠山市役所 上下水道部 下水道課」でいただけます。

1991年に設置開始されたマンホールには「篠山城址」と「市の花:ささゆり」、「市の木:松」がデザインされています。

「かつて城下町として栄えた丹波篠山は、江戸時代の民謡を起源とするデカンショ節によって地域のその時代を切り取った風土や人情、名所、名産品が脈々と歌いこまれ、今なお新たな歌詞を生み出しています。 丹波篠山デカンショ節には「風が吹く吹く 篠山城の松に武勇の 声高く」とあり、本デザインはその一節を題材に制作しました。 中央に篠山城址の石垣と濠を描き、上下に旧篠山町の木「松」と花「ささゆり」をあしらったものです。 市内には、歴史的な町並みや美しい景観、伝統文化が数多く残っています。 散策の際は、ぜひマンホールのデザインにも注目してください。」

配布場所展示:ミニサイズマンホール

篠山市内のマンホール一覧と市内マップ

「がんばろうニッポン!」長島鋳物:展示マンホール

2019年5月1日より、市名が丹波篠山市に変更になったため、カードの地域名も「丹波篠山市」に変更になりました。「丹波篠山市」のマンホールカードは、「丹波篠山市役所 上下水道部 下水道課」でいただけます。

訪問日:2017年9月4日&2019年10月9日

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧東条町(加東市)

2023年07月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧加東郡東条町(とうじょうちょう)は兵庫県の南東部に位置していた町です。黒谷・秋津地区には、鴨川ダムの建設によって出来た町のシンボル的存在「東条湖」が有名。特に、湖底に沈んだ土井集落に対する感謝の意を表すとともに観光の発展を願って守護神を祭った「水天宮」は、東条湖八景の中でも最も美しいと言われています。三木市、小野市、三田市、社町に隣接。町域を占めるゴルフ場の面積が日本一である事から「ゴルフ場銀座」の異名も持ちます。主産業として釣針・鯉のぼりの製造が盛んで、旧庁舎近くでは「鯉のぼり」のモニュメントが風に揺れています。「町の木:松」「町の花:コスモス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、加東郡中東条村・上東条村が発足。

1955年、中東条村・上東条村が合併、加東郡東条町が発足。

2006年、加東郡社町・滝野町と合併、加東市となりました。

マンホールには「町の花:コスモス」と「町章」、風に泳ぐ「鯉のぼり」がデザインされています。

昭和40年7月30日制定の町章は「「と」を図案化し、円形は平和と東条湖を表したもの。」合併協議会資料より

町章と火消し纏がデザインされた消火栓

道の駅東条の壁に架けられていた看板。「太閤殿下の昔から作り続けられているひな人形 五月の風に舞う鯉のぼり 釣り針づくりは日本一 歴史と文化を大切に 人の手のぬくもりのある 清らかな水と緑の東条町 にっぽん人の心のふるさとです」

「道の駅:東条」の記念スタンプは、特産の「鯉のぼりと釣り針」

撮影日:2009年5月3日&2014年12月5日

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧滝野町(加東市)

2023年07月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧加東郡滝野町(たきのちょう)は兵庫県の中南部、加古川中流部に位置した町です。西脇市、加西市、小野市、社町に隣接。滝野町上滝野の加古川中流にある「名勝:闘龍灘(とうりゅうなだ)」が有名で、特に奇岩・怪岩が加古川の川底いっぱいに起伏して連続し、岩に阻まれた川の流れは激流や滝を形成、飛び鮎の名所としても知られています。「町の木:松」「町の花:菊」を制定。

また1989年11月に、アメリカ合衆国カリフォルニア州のホリスター市と姉妹都市提携を結んでおり、町にはそれを記念したプレートと、ロデオのモニュメントが設置されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により加東郡滝野村・加茂村が発足。

1925年、滝野村が町制を施行、加東郡滝野町となる。

1954年、加東郡加茂村と合併、改めて滝野町が発足。

2006年、加東郡社町・東条町と合併、加東市となりました。

マンホールには、町の名所「闘龍灘」と、キャラクターの「アユッキー」がデザインされています。

 

雨水用マンホール

昭和31年10月20日制定の町章は「「たきの」をカタカナにして「タ」を図案化したもの」です。

プラ汚水桝の蓋には、町章の中に「闘龍灘の鮎」と周囲に「町の花:菊」がデザインされています。

仕切弁、空気弁、消火栓はいずれも『アユッキー』が主役で頑張っています(^^;)

「たきの」の文字と、阪神水道企業団のキャラクター『ピュアリン』がデザインされたプラ汚水枡。

日本一早く鮎漁が解禁される滝野町のマスコットキャラクター『アユッキー』。「鮎」をモチーフに昭和63年(1988)に誕生しました。

撮影日:2009年5月3日&2014年12月5日

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧社町(加東市)

2023年07月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧加東郡社町(やしろちょう)は兵庫県の中南部に位置した町です。北播磨の主な官公庁の出先機関や裁判所などが所在しており、兵庫教育大学などの教育機関が集まる町としても知られ、合併後の加東市の市役所所在地となりました。西脇市、小野市、三田市、篠山市、滝野町、東条町に隣接。町名は「佐保神社」の社前町として発展してきたことに由来します。「町の木:ケヤキ」「町の花:ツツジ」「町の鳥:メジロ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、加東郡社村・福田村・米田村・上福田村・鴨川村が発足。

1912年、社村が町制を施行し加東郡社町となる。

1955年、加東郡福田村・米田村・上福田村・鴨川村と合併、改めて社町が発足。

1956年、社町大字古川・久保木を小野市に編入。

2006年、加東郡滝野町・東条町と合併、加東市となりました。

マンホールには「町の花:ツツジ」「町の鳥:メジロ」がデザインされています。

枡用の蓋には「町の花:ツツジ」がデザインされています。

昭和30年5月11日制定の町章は「佐保神社の紋「三蓋菱」を外に向かって伸びようとする形に組 かえ、あわせて頭文字「Y」を図案化」合併協議会資料より

中国自動車道:社パーキングエリアにあった壁画。旧社町畑にある朝光寺での「鬼追踊(兵庫県無形文化財)」の一場面で翁1人と4人の鬼方(松明の赤面鬼、斧の青面鬼。太刀の黒面鬼、錫杖の鬼面鬼)で演じられます。

こちらは、旧社町東古瀬の平池公園で開催される「夏のフェスティバル花火大会」の様子を描いています。

撮影日:2009年5月3日&2014年12月5日

 


ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県加東市

2023年06月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

加東市(かとうし)は兵庫県中央部やや南よりに位置し、播磨地方の東側に位置する市です。市域の東西を中国自動車道が貫き、市の西部を南北方向に一級河川の加古川が流れ、また日本標準時子午線が通る町としても知られています。東に丹波篠山市、三田市、南に三木市、小野市、西に加西市、北で西脇市に隣接。「市の木:桜」「市の花:コスモス」を制定。

2006年3月20日に、旧加東郡社町・滝野町・東条町が合併して発足。市名は、合併によって消滅した旧郡名から取られました。日本一の酒米と言われる「山田錦のふるさと」、また「播州針のふるさと」として有名です。

「播州針」は幕末の嘉永年間、『小寺彦兵衛翁』を元祖として旧東条町を中心とした地域に興ったと伝えられています。

キャッチフレーズ は「山よし! 技よし! 文化よし! 夢がきらめく★元気なまち 加東」

2006年3月20日制定の市章は「人と自然が息づくまち・加東市の頭文字「K」を、合併数を配して図案化したもので、豊かな自然と共生する人々の伸びやかな、活力に満ちたふれあいの田園都市を表したものである。」公式HPより

加東市マスコットキャラクター『加東伝の助』は、「釣り針」を伝えた「小寺彦兵衛」さんの思いを受け継いで誕生した江戸時代の男の子。チャームポイントは加東市の「か」の髪形。市域のあちこちで見かける伝の助君は何故かいつもゴルフをしています(笑)。旧東条町は町の面積に対するゴルフ場面積の割合が日本一、「ゴルフ場銀座」と称される程ゴルフ場が多いのです。

撮影日:2014年12月5日

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マンホールカード、頂きました

2020年6月1日、第12弾として全国53自治体で62種類(累計535自治体667種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「加東市」のマンホールカードは、「加東市観光協会」でいただけます。

1993年に設置開始されたマンホールには「闘竜灘と鮎」「アユッキー」がデザインされています。

「加東市の名勝である加古川・闘竜灘と、そこで飛び跳ねる特産の鮎をあしらったマンホール蓋です。 加東市への合併前に作られたため、蓋中央には旧滝野町のマスコット『アユッキー』が描かれています。 アユッキーは、その名のとおり鮎をモチーフにしていますが、単に特産品を擬人化したわけではありません。 かつて、環境悪化により漁獲量が激減した闘竜灘の鮎漁。 その過去をもとに、彼は、環境保護のシンボルとして誕生したのです。 マンホール蓋をはじめ、あらゆるところで環境保護を訴えた彼の活躍と、下水道などの整備が実り、現在、加東市では、鮎の住める清流が復活しています。」

 


ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県宝塚市

2023年06月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

宝塚市(たからづかし)は兵庫県南東部、阪神間北部に位置しており、西は六甲山系、北は長尾山系に囲まれた市です。市名の「塚」は、「盛り土をした墓(古墳)」を意味し、宮の町地区に門を構える「宝塚山(ほうちょうざん)宝泉寺」の地に、神功皇后の母である『高額比売命(たかぬかひめのみこと)』を祀った古墳があり、この「高額塚(たかぬかつか)」が「宝塚(たからづか)」へ転訛したと言われています(他にも諸説あり)。神戸市、伊丹市、西宮市、川西市、三田市、猪名川町に隣接。市の中心部を流れる武庫川の畔には阪急阪神東宝グループの創始者:小林一三が手がけた宝塚歌劇団の本拠地:宝塚大劇場があり、『歌劇の街』として全国的に有名。「市の木:山茶花・山法師」「市の花:スミレ・ダリア」「市の鳥:ウグイス・セグロセキレイ」を制定。

また漫画家:手塚治虫が青少年期を過ごした町としても知られており、宝塚市武庫川町に「宝塚市立手塚治虫記念館」を設立。全国から多くのファンが訪れています。

キャッチフレーズは、「市民の力が輝く 共生のまち宝塚」

明治22年(1889)、町村制の施行により、川辺郡小浜村・長尾村・西谷村、武庫郡良元村が発足。

1951年、小浜村が町制を施行して改称、川辺郡宝塚町となる。

1954年、武庫郡良元村と合併、宝塚市が発足。

1955年、宝塚市大字荻野・荒牧・鴻池・大野新田を伊丹市に編入。

1955年、川辺郡長尾村、西谷村を編入、現在に至っています。

マンホールには「市の花:すみれ」と、「ベル」がデザインされています。

池田市マンホールサミット展示蓋

名古屋市下水道科学館:展示蓋

下二枚は同一に見えるマンホールですが、外枠に小さく入れられた矢印(↓ ↑)の向きが異なっています。この矢印によって流れの方向を表示しています。

「市の花:スミレ」がデザインされた小型マンホール

昭和29年4月10日制定の市章は「「タカラ」の⽂字を表し ています。 中⼼の太い⾈形の線は、武庫川 をはさんで合併した川辺郡宝塚町 と武庫郡良元村の融和を意味する 架け橋を表現しています。」公式HPより

街歩きの途次で見かけた建物は、昭和10年(1935)に建てられた「旧宝塚音楽学校校舎」。戦前戦後を除き、1998年までの約45年間にわたって、多くの卒業生を送り出してきた施設です。現在は「宝塚文化創造館」として、舞台芸術に関わる市民の活動の場となっているそうです。

中国自動車道:西宮名塩SA記念スタンプ:「宝塚歌劇団のラインダンス」

撮影日:2008年5月17日&2019年8月12日

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2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「宝塚市」のマンホールカードは、「宝塚市上下水道局総務課」でいただけます。

1988年に設置開始されたマンホールには「スミレ」と「ベル」がデザインされています。

「宝塚市の花「スミレ」、観光ロゴマークにも採用された「ベル」がデザインされたマンホール蓋です。 スミレは明るさと清潔感を出すためにスミレの花を中央に大きく、そして音楽の町・宝塚を表現するために楽器のベルを周辺に散りばめ華やかさを演出しました。 蓋のデザインについては汚水、雨水共通です。蓋に書かれている文字は当初、ローマ字表記でしたが、近年ひらがな表記に変更を行い、より分かりやすくしています。 「スミレ」という名の由来は、一説に、花の形が大工道具の「墨入れ(すみいれ・墨壺)」に似ていることからこの名があるとされています。」

訪問日:2018年8月12日