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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 石川県旧輪島市(輪島市)

2017年11月25日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧輪島市(わじまし)は石川県北部、能登半島の北部に位置する市です。古くから港町として栄え、室町時代には国人の温井氏が天堂城を築城し、戦国時代に入ると温井氏の城下町として栄えてきました。輪島を代表する観光スポット「輪島の朝市」は1000年以上の歴史を持ち、新鮮な海山の幸を求める買い物客で賑わいを見せています。

また、白米町には、日本海に面して、小さな田が重なり海岸まで続く絶景「白米の千枚田」があり、日本の棚田百選、国指定文化財名勝に指定され、奥能登を代表する観光スポットとして親しまれています。「市の木:あて(あすなろ)」「市の花:水芭蕉」「市の鳥:カモメ」を制定。

旧キャッチフレーズは「住んで楽しく、訪れてうれしい 人が行き交うにぎわいのまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により鳳至郡(ふげしぐん)輪島町・大屋村・河原田村・鵠巣村・西保村・三井村・南志見村・町野村・西町村・岩倉村が発足。

1908年、町野村、西町村、岩倉村が合併、鳳至郡町野村が発足。

1940年、町野村が町制を施行、鳳至郡町野町となる。

1954年、鳳至郡輪島町、大屋村、河原田村、鵠巣村、西保村、三井村、南志見村が合併、輪島市が発足。

1956年、輪島市が鳳至郡町野町を編入。

2006年、鳳珠郡門前町と合併、改めて輪島市となりました。

マンホールには旧市章と、日本三大朝市である「輪島の朝市」がデザインされています。

旧市章と、伝統的工芸品に指定された「輪島塗の漆器」お椀とお箸がデザインされています。

昭和32年10月2日制定の旧市章は「中心の輪をカタカナの「マ」が4つでかこみ「輪4マ」で「輪じま」を表し、市民の協和と市勢の飛躍発展を念じています。」合併協議会資料より

撮影日:2011年10月15日&2015年5月23日

 


ご当地マンホールとマンホールカード in 石川県輪島市

2017年11月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

輪島市(わじまし)は石川県北部、能登半島の北部に位置する市です。2006年2月1日、鳳珠郡(ほうすぐん)門前町と合併し、改めて輪島市となりました。古くから港町として知られ、中世には三津七湊という日本を代表する港の一つとなり、北前船の世紀には「親の湊」と呼ばれ、海上交通の要衝として栄えてきました。曹洞宗大本山總持寺を有し、伝統産業である輪島塗や輪島朝市、御陣乗太鼓などで知られており、多くの観光客に親しまれています。「市の木:アテ(档)」「市の花:雪割草」を制定。

キャッチフレーズは「"あい"の風がはぐくむ 快適・活気・夢のまち」

マンホールには能登を代表する無形文化財「御陣乗太鼓」がデザインされています。

2006年2月1日制定の新市章は、「輪島市の頭文字「ワ」を基本にして、「ワジマ」の文字をデザイン化し、 自然と調和したまちを表現しています。 また、ゆるやかな曲線が、快適な暮らし、活気ある未来、交流の輪を象徴し、美しい自然や肥沃な大地、豊饒の海、輪島塗をイメージし ています。」HPより

撮影日:2011年10月15日&2015年5月23日

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マンホールカード、頂きました

2020年6月1日、第12弾として全国53自治体で62種類(累計535自治体667種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「輪島市A」のマンホールカードは、「輪島キリコ会館」でいただけます。

1996年に設置開始されたマンホールには「御陣乗太鼓」がデザインされています。

「輪島市名舟町発祥の「御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)がデザインされています。 御陣乗太鼓は、夜叉や幽霊の面を被った打ち手が叩く異様な陣太鼓で、 天正5年(1577年)、当時の名舟村に攻めこんできた上杉謙信の軍勢に対して、 武器を持たない村人達が村の知恵者の指示に従って樹の皮で面を作り、 海藻を頭髪とし、太鼓を打ち鳴らしながら寝静まる上杉勢に夜襲をかけ、 戦わずして追い払ったという故事に由来します。 以来、氏神への感謝を捧げるため、奥津比咩(おきつひめ)神社の夏の大祭で 神輿渡御の先駆をつとめる習わしとなっています。 他の太鼓にはない一種独特な迫力を是非体験してみてください。」

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2020年12月17日、第13弾として全国50自治体で50種類(累計557自治体717種類)の マンホールカードの配布が開始されました。「輪島市B」のマンホールカードは、「国指定重要文化財 旧角海家住宅」でいただけます。

1995年に設置開始されたマンホールには「雪割草」と「あての葉」がデザインされています。

「輪島市の花「雪割草」がデザインされたマンホール蓋です。 雪解けの頃、春の訪れと共に花が咲き出すことから「雪割草」と呼ばれ、その可憐で美しい姿が、日本だけでなく世界的な人気を集めています。 花言葉は「忍耐」であり、輪島市民の寡黙で粘り強いところと相通じるものがあります。 雪割草はキンポウゲ科ミスミソウ属オオミスミソウに分類され、本市門前地区にある猿山岬一帯は、日本一ともいわれる一大群生地です。 3月中旬」から4月上旬にかけて、色とりどりの花が目を楽しませてくれます。 また、例年雪割草の見頃に合わせ總持寺祖院周辺で「雪割草まつり・門前そばの市」が開催されます。」

 


ご当地マンホール in 石川県珠洲市

2017年11月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

珠洲市(すずし)は石川県の北東部、能登半島の先端に位置する市です。出雲風土記の国引き神話にもこの地の名が見られ、古来より、出雲、佐渡、「えぞ」を繋ぐ海洋交通の関門として発展してきました。市域には、文治3年に奥州に向かう義経一行が武運を祈願した「三崎権現」や、日本の灯台50選「禄剛崎灯台」、珠洲岬の海辺に建つ「ランプの宿」など、数多くの観光資源を有しています。「市の木:赤松」「市の花:椿」「市の鳥:鶯」を制定。

紀元前:第10代崇神天皇の時代に創建したと伝えられる「須須神社」の社伝縁起 第一に「高倉宮・金分宮の2社からなることが出ており、高倉宮主神ニニギノミコトが来臨した折、鈴を以てこの地を鎮める、とある」。鈴の万葉仮名は須須・須受で、その佳名(かめい)が珠洲であり、 スズの地名はそこからと云います。

キャッチフレーズは「きらり珠洲 人が輝くまちづくり」

明治22年(1889)、町村制の施行により、珠洲郡飯田町・鵜島村・黒峰村・見付村・上戸村・東若山村・西若山村・直村・正院村・三崎村・ 鉢崎村・大谷村・大崎村・日置村・蛸島村が発足。

1907年、日置村・大谷村・大崎村が合併、珠洲郡西海村が発足。

1908年、鵜島村・黒峰村・見付村が合併、珠洲郡宝立村が発足。 東若山村・西若山村が合併、珠洲郡若山村が発足。 鉢崎村・三崎村が合併、改めて珠洲郡三崎村が発足。

1940年、宝立村が町制を施行、珠洲郡宝立町となる。

1941年、正院村が町制を施行、珠洲郡正院町となる。

1954年、飯田町・宝立町・正院町・上戸村・若山村・直村・三崎村・西海村・蛸島村が合併、市制を施行し珠洲市となりました。

マンホールには、「市の木:赤松」と「見附島」「禄剛埼灯台」がデザインされています。

「見附島」

「禄剛埼灯台」

プラ枡蓋、中央に「市の花:ツバキ」。

昭和29年9月16日制定の市章は「片仮名の「ス」の字を組合わせて珠洲を現わして図案化し、和合を意味する「丸」で囲んだものです。」公式HPより

「禄剛埼灯台」へといたる途中に設置されていた「三角点基準点」。

撮影日:2011年10月17日&2015年5月22日

 


ご当地マンホール in 石川県旧柳田村(能登町)

2017年11月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧鳳至郡(ふげしぐん)柳田村(やなぎだむら)は石川県の北部、能登半島では唯一、海のない内陸に位置した村です。「平成の大合併」により自治体としては石川県内最後の村でしたが、2005年の合併により消滅しました。「村の木:ケヤキ」「 村の花 :ササユリ」「 村の鳥 :ヤマセミ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により鳳至郡柳田村・上町村・岩井戸村・神野村が発足。
1908年、上町村、岩井戸村と合併、あらたに鳳至郡柳田村が発足。
1955年、鳳至郡神野村中斉・神和住地区を編入。
2005年、鳳至郡能都町・珠洲郡内浦町と合併、鳳珠郡能登町となりました。

マンホールには「村の鳥:ヤマセミ」と、周囲に「村の花:ササユリ」がデザインされています。

二級河川:上町川に架かる「余の井橋」親柱のレリーフ「ヤマセミ」

二級河川:上町川に架かる「うえい橋」手摺りに「ヤマセミ」

昭和44年7月1日制定の村章は「柳田村のイニシャル「や」をひらがなの太字に図案化したもので、村の力強い発展を単純、明解に表現したものです。」合併協議会資料より

集落排水:大サイズマンホール

撮影日:2015年5月27日

 


ご当地マンホール in 石川県旧内浦町(能登町)

2017年11月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧珠洲郡内浦町(うちうらまち)は石川県能登半島の北部に位置した町です。日本百景の一つに数えられる九十九湾に面しており、特に、七尾北湾に続く「恋路海岸」はその悲恋伝説から「恋人たちの聖地」として若者たちに人気のスポットとなっています。「町の木:もちのき」「町の花:いわかがみ」を制定。

旧キャッチフレーズは「ロマンチックタウン うちうら」

明治22年(1889)、町村制の施行により、珠洲郡木郎村(もくろうむら)・松波村・宮崎村が発足。

1907年、松波村、宮崎村、木郎村が合併、新たに珠洲郡木郎村が発足。

1948年、木郎村が町制を施行・改称し、珠洲郡松波町(まつなみまち)となる。

1955年、能都町字小木、越坂、市之瀬、明野、羽生に一部を編入。

1958年、珠洲郡松波町が改称し、珠洲郡内浦町となる。

2005年、鳳至郡能都町・柳田村と合併、鳳珠郡能登町となりました。

マンホールは「ロマンの里内浦」のコミュニティマークと、周囲に「町の木:もちのき」「町の花:いわかがみ」がデザインされています。

「ロマンの里内浦」のコミュニティマークは、恋路のイメージからハートが基調になっています。

「ロマンの里 内浦町」の文字と、町章が描かれたマンホール。周囲の線は波を表しているのでしょうか?

昭和36年10月1日制定の町章は、「内を基台に「鎌」と「いかり」を組み合わせて、町の主産業である農業と漁業を意味し、円形を以て全体の「協和」を図り、町の飛躍発展をする姿を大とりの羽ばたきで表現しています。」合併協議会資料より

恋路海岸近くで見つけた、自治体章がない消火栓。

撮影日:2011年10月17日&2015年5月22日

 


ご当地マンホール in 石川県旧能都町(能登町)

2017年11月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧鳳至郡能都町(のとまち)は石川県能登半島の中北部、奥能登に位置した町です。地名は、能登の都へという願望に由来してつけられました。 26kmに及ぶ海岸線には良港が多く、多数の漁船が富山湾を中心に活動しています。「町の木:赤松」「町の花:のときりしま」「町の鳥:シラサギ」「町の魚:ブリ」を制定。

町内に在る「真脇(まわき)遺跡:縄文館」の脇には「日本漁業発祥の地」と刻まれた碑があります。

明治22年(1889)、町村制の施行により、鳳至郡宇出津町・三波村・神野村・鵜川村・山田村、珠洲郡小木村が発足。

1908年、鵜川村と山田村が合併、新たに鳳至郡鵜川村となる。

1921年、小木村が町制を施行、珠洲郡小木町となる。

1939年、鵜川村が町制を施行、鳳至郡鵜川町となる。

1955年、鳳至郡宇出津町、三波村、神野村の一部、珠洲郡小木町が合併、鳳至郡能都町が発足。

1956年、鳳至郡鵜川町を編入。

2005年、鳳至郡柳田村・珠洲郡内浦町と合併し、鳳珠郡能登町となりました。

マンホールには町章を中心に、「町の木:赤松」と、「町の魚:ブリ」がデザインされています。

昭和50年6月1日制定の町章は「町の基幹産業たる漁業の魚と、水稲の発芽をもって農業をあらわし、能都町の「のと」と併せて和を図案化して平和の町を表徴したもの」合併協議会資料より

プラ汚水桝

「能都町」の自治体名がある消火栓。漢字の変換がわかる蓋もやがて消えるのかもしれません。

冒頭で紹介した真脇遺跡は、縄文時代前期から晩期にいたる集落跡の遺跡。そこから発掘される史料は非常に豊富で「考古学の教科書」などとも呼ばれています。またその遺跡からは夥しいイルカの骨が出土し、古代においてイルカ漁が行われていた事を示唆しており、「日本漁業発祥の地」と称しています。ちなみにこの巨大な顔は真脇遺跡公園にあったモニュメントで、特に意味は有りません(笑)

撮影日:2011年10月17日&2015年5月22日

 


ご当地マンホール in 石川県能登町

2017年11月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

鳳珠郡能登町(のとちょう)は石川県の能登半島北部に位置し、日本海に面した町です。2005年3月1日に、鳳至郡能都町、柳田村、珠洲郡内浦町が新設合併し、新に能登町となりました。「町の木:モチノキ」「町の花:能登霧島」「町の鳥:カワセミ」「町の魚:ブリ」を制定。

キャッチフレーズは「奥能登にひと・くらしが輝く ふれあいのまち」

マンホールには「手わたそう 青い海」の文字と、「いるかに乗った少年」がデザインされています。 「いるかに乗った少年」と言うと、古い歌謡曲のフレーズがよみがえる・・・(^^;)

マンホールにデザインされた少年は、誰も知らない縄文時代の南の海からやって来た『加夢加夢くん』。旧能都町のキャラクターです。

旧能登町バージョンで、中央の町章と地名の漢字表記が「能都→能登」・「町」のカナが「まち→ちょう」に変わりました。

旧内浦バージョンのマンホール、自治体名が「能登町」に変更されています。

2005年3月1日に制定された町章は、「アルファベットでNOTO町の頭文字である「N」の形から、人と人とが手を取り合って見えるように表し、旧3町村が活気あふれる町となるよう願いを込めました。」公式HPより

消火栓

仕切弁

緑のしずくのような生き物は、能登町イメージキャラクター『のっとりん』。能登里山:里海の妖精で、名前は能登の方言「勢いがある」にちなんでつけられました。「能登町ふるさと大使」として町のPRに勤しんでいます。

撮影日:2011年10月17日&2015年5月22日

 


ご当地マンホール in 石川県旧押水町(宝達志水町)

2017年11月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧羽咋郡押水町(おしみずまち)は石川県の中部、日本海に面していた町です。町名は紺屋町地区にある弘法水伝説の湧水「押しの泉」に由来してつけられました。「町の木:黒松」「町の花:コブシ」を制定。

観光キャッチフレーズ は「モーゼが眠る街 押水」。町域にはモーゼの墓があり、「モーゼはシナイ山に登った後、天浮船(あまのうきふね)に乗って能登宝達に到着。583歳の超人的な天寿を全うした」という案内もあるそうです。

明治22年(1889)、町村制の施行により、羽咋郡柏崎村・末森村・中荘村・北荘村・北大海村が発足。

1954年、柏崎村、末森村、中荘村、北荘村、北大海村 が合併、羽咋郡押水町が発足。

2005年、羽咋郡志雄町と合併、宝達志水町となりました。

マンホールには「町の花:コブシ」と「OSHIMZU TOWN」。周囲に町章を配しています。

昭和40年11月3日制定の町章は「 押水町の「水」を樹木で図案化したもので あり、「団結」と「発展」をあらわす。」合併協議会資料より

集落排水マンホール

プラ汚水桝

消火栓

撮影日:2011年10月14日&2015年5月25日

 


ご当地マンホール in 石川県宝達志水町&旧志雄町

2017年11月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

羽咋郡宝達志水町(ほうだつしみずちょう)は石川県のほぼ中央部に位置し、北は羽咋市、 南はかほく市と津幡町、西は日本海、 東は富山県氷見市と高岡市に隣接する町です。2005年3月1日、羽咋郡志雄町と押水町が新設合併して発足しました。町内には能登地方の最高峰である宝達山(標高637メートル)があり、石川県内で最初の旧石器が発掘された事でも知られています。「町の木:ブナ」「町の花:桜」「町の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「水と人が奏でるハーモニーのまち」

2005年7月1日制定の町章は「宝達志水町を象徴する宝達山の頭文字「宝」がデザインモチーフです。グリーンは、宝の「ウ」かんむりで、緑豊かな自然を表します。ブルーは、「宝」の下の玉で、町域を潤す清流や日本海の波と飛躍的な人を表します。それは、宝達志水町の「人は宝」だという意味でもあります。そして、全体で「水と人が奏でるハーモニーのまち」を象徴します。」公式HPより

宝達志水町のマスコットキャラクター『ほっぴーさん』は宝達山の妖精。ほっぴーさんの帽子は、宝達山の山頂にある「山の龍宮城」なのです。

「千里浜なぎさドライブウェイ」は、日本で唯一、一般の自動車やバスが、砂浜の波打ち際を走ることができる道路。日本海に面する石川県羽咋市南部から、宝達志水町今浜にかけておよそ8キロのドライブウェイが続きます。

「のと里山海道・千里浜IC」から「ドライブウェイ」に降りたってほんの数メートルだけ歩いてみました。砂丘を歩くときについて周る、あの砂に沈み込む感じが全く無くて、とても不思議な感覚。

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旧羽咋郡志雄町(しおまち)は石川県の中央部、日本海に面していた町です。石川県内で最初の旧石器が発掘された事でも知られ、縄文時代や弥生時代の遺跡も町内各地で発掘されています。「町の木:椎」「町の花:山百合」「町の鳥:ウグイス」を制定。

「志乎・桜の里古墳公園」は、6世紀の後半に築造された6基の円墳群を擁する公園です。周囲には36種類にも及ぶ桜:1,000本が植栽され、全国的にも珍しい公園として知られています。旧キャッチフレーズは「志乎・桜の里」

明治22年(1889)、町村制の施行により羽咋郡志雄村・樋川村・南志雄村・北志雄村・南邑知村が発足。

1933年、志雄村、樋川村、南志雄村、北志雄村、南邑知村が合併、改めて羽咋郡志雄村が発足。

1936年、志雄村が町制を施行、羽咋郡志雄町となります。

2005年、羽咋郡押水町と合併、羽咋郡宝達志水町となりました。

マンホールには、志乎・桜の里古墳公園にちなんで、桜の一枝が描かれています。

昭和44年12月8日制定の町章は「志雄町の「志」を形どった町章は、二つの 三角形を上下の位置方向に組み合わせたもの で、一つは山を、一つは海を表しています。 この組み合わされた六角は、旧六校下の団 結を示しており、三つの菱は行政機関、議会、 町を示す。」合併協議会資料より

サクラをモチーフにしたマスコットキャラクター『さくらちゃん』。桜の里で生まれた桜の妖精です。

撮影日:2011年10月14日&2015年5月25日

 


ご当地マンホール in 石川県旧高松町(かほく市)

2017年11月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧河北郡高松町(たかまつまち)は石川県の中部に位置し、日本海に面した町です。のと里山海道高松SAに位置する「道の駅・高松」は、能登の入口にあたり、日本海を一望できるロケーションで知られています。「町の木:松」「町の花:ハマナス」「町の鳥:シロチドリ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により河北郡高松村・金津谷村が発足。羽咋郡南大海村が発足。

1907年、河北郡金津谷村と合併、改めて河北郡高松村が発足。

1922年、高松村が町制を施行、河北郡高松町が発足。

1954年、羽咋郡南大海村と合併、新たに河北郡高松町が発足。

2004年、河北郡宇ノ気町、七塚町と合併、かほく市となりました。

マンホールには、「町の木:松」と特産の「ぶどう」、それに高松海岸の波頭がデザインされています。(かほく市庁舎に展示)

昭和34年12月21日制定の町章は「頭文字の「タカ」を図案化し、円と両側の翼で表したものです。」合併協議会資料より

集落排水マンホール

プラ汚水桝

仕切弁

撮影日:2011年10月14日&2015年5月25日