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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 石川県旧鳥屋町(中能登町)

2018年01月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧鹿島郡鳥屋町(とりやまち)は石川県能登地方、能登半島の中ほどに位置した町です。旧町域から七尾市にかけて点在する、前方後方墳「川田ソウ山1号墳」等の群集墳からなる「川田古墳群」が有名です。「町の木:梅」「町の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行に伴い、鹿島郡鳥屋村・相馬村が発足。

1939年、鳥屋村が町制を施行、鹿島郡鳥屋町が発足。

1954年、鹿島郡鳥屋町が相馬村の一部を編入。

2005年、鹿島郡鹿島町、鹿西町と合併、鹿島郡中能登町となりました。

マンホールには、図案化した能登半島と「町の木:梅」、「町の鳥:ウグイス」が描かれています。

昭和50年8月16日制定の町章は「鳥屋町の頭文字「と」を図案化したものです。飛翔する水鳥の力強さに、平和と健康を表現し、町政の大きなはばたきをあらわしています。」合併協議会資料より

撮影日:2011年10月18日&2015年5月20日

 


ご当地マンホールとマンホールカード in 石川県中能登町

2018年01月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

鹿島郡中能登町(なかのとまち)は、石川県の能登半島中部に位置する町です。 2005年3月1日に、鹿島郡内の鳥屋町、鹿島町、鹿西町が新設合併して誕生しました。新たなシンボルとして、旧3町より「町の木:桜」「町の花:石動山ゆり」「町の鳥:うぐいす」を制定。

キャッチフレーズは「ふるさと ふれあい 心を育む 中能登町」

2005年3月1日制定の町章は「中能登町の「中」の文字をモチーフに、3町の合併を表現。豊かな自然と、こころ豊かなふれあいが町を包む様子をデザインしています。」公式HPより

撮影日:2015年5月19日

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マンホールカード頂きました。

2020年6月19日、第12弾として全国53自治体で62種類(計535自治体667種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「中能登町」のマンホールカードは、「道の駅 織姫の里なかのと」でいただけます。

マンホールには、 中能登町のイメージキャラクター『おりひめちゃん』がデザインされています。

「中能登町には神代の昔、里人に地元で群生していた真麻を使った麻織物の技術を伝え、 この地の女子に「能登上布」のハタ織りを教えたと伝えられている2人の「織姫」の 伝説が残っています。 この伝説にちなんで、「織姫」を町のイベントである「織姫ものがたり」のシンボルキャラクターとして、 また「道の駅 織姫の里なかのと」のマスコットキャラクターとして、町の基幹産業である 「織物」を広くPRしています。 このかわいく親しみやすいキャラクターを使用することで下水道に親しみを持って頂けたらと思い、 マンホールのデザインに使用しました。」

「道の駅:織姫の里なかのと」展示の『おりひめ』

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旧鹿島地区にある「道の駅:織姫の里なかのと」。新しい事もあってとても綺麗な道の駅です。 お野菜の種類の多さ、特にそのカラフルさは思わず使い道に悩んでしまうほど。取捨選択にかなり悩みました(-_-;)

情報センターには、伝統織物「能登上布」で作られたと思われる古代衣装が展示されています。そのうち「おりひめ祭り」とか開催されたら活躍しそう(*´꒳`*ノノ゙

もう一つ、とっても不思議な展示物があったのですが、これ、一体なんだと思います? 何とこの黒い物体、「日本最古のおにぎり」のレプリカ(^^;)。1987年11月、旧鹿西町金丸地区の「杉谷チャノバタケ遺跡」で発見されたそうです。

2015年の車泊旅では、こちらの「道の駅:織姫の里なかのと」で車中泊をさせていただきました。車で旅をするものにとってこのような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました

 


ご当地マンホール in 石川県羽咋市

2018年01月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

羽咋市(はくいし)は本州の中央部、石川県能登半島の西の付根に位置する市です。東は碁石ヶ峰を境に富山県氷見市に接し、西は日本海に面して、千里浜と呼ばれる砂浜が南北に連なっています。地名の由来は『垂仁天皇』の皇子、『磐衝別命(いわつくわけのみこと)』が、この辺の領民を苦しめていた怪鳥を退治した時、皇子の連れてきた3匹の犬が怪鳥の羽を食い破ったという「羽喰伝説」からといわれています。

また、江戸時代から未確認飛行物体の目撃例があったとされる場所で、「UFOのまち」として町おこしを行っており、市内には本物の宇宙船がある宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」があります。

「市の木:黒松」「市の花:サツキ」「市の鳥:白鳥」を制定。

キャッチフレーズは「市民とともに創ります。健やかで心豊かに、自然と共生するまち -はくい」

明治22年(1889)、町村制の施行により、羽咋郡羽咋町・粟ノ保村・富永村・一ノ宮村・越路野村・千里浜村・上甘田村・邑知町、鹿島郡余喜村・鹿島路村が発足。

1954年、羽咋郡羽咋町が、粟ノ保村、富永村、一ノ宮村、越路野村、千里浜村。上甘田村と合併、新たに羽咋郡羽咋町が発足。

1956年、羽咋郡邑知町、鹿島郡余喜村・鹿島路村と合併、新たに羽咋郡羽咋町が発足。

1958年、羽咋郡羽咋町が市制を施行、羽咋市となりました。

マンホールには「千里浜海岸の天然ハマグリ」と「日本海の波」がデザインされています。

農業集落排水マンホール

昭和33年9月30日制定の市章は「「はくい」の平仮名3字を図案化したもので、外円は平和を表し、内円の結びは団結を松葉で象徴、その広がりは市勢が無限に伸展する意を表しています。」公式HPより

農業集落排水マンホール:大サイズ

仕切弁

吐泥弁

羽咋大橋の親柱「市の鳥:白鳥」。羽咋の町中を歩いてると、市にまつわる伝説や民謡、市のシンボル等が橋の欄干や親柱にデザインされています。

撮影日:2011年10月24日&2015年5月25日&2018年10月14日

 


ご当地マンホール in 石川県旧能登島町(七尾市)

2018年01月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧鹿島郡能登島町(のとじままち)は七尾湾に浮かぶ能登島に位置した町です。七尾湾を塞ぐ形にあり、その形からひょうたん島にも例えられ、島全体が能登半島国定公園に含まれています。

能登島北岸には、石川県唯一の水族館「のとじま臨海公園水族館」があり、館内には、能登半島近海の魚介類500種:約40,000匹を始め、大型魚類などが展示されています。

1982年に対岸の和倉温泉地区とを結ぶ全長5.5kの「能登島大橋」が開通した事で、本州との陸上交通が結ばれ、観光客の誘致に多いに貢献しました。

1999年には、対岸の中島町とを結ぶ、橋長620mの「ツインブリッジのと(中能登農道橋)」も開通。

「町の木:赤松」「町の花:鬼百合」「町の鳥:キジ」「カワダイ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により鹿島郡東島村・中乃島村・西島村が発足。

1955年、東島村、中乃島村、西島村が合併、鹿島郡能登島町が発足。

2004年、七尾市、鹿島郡田鶴浜町、中島町、能登島町が合併、新しい七尾市となりました。

マンホールには、「町の花:鬼百合」と、周囲に「町の木:赤松」が描かれています。

「町の花:鬼百合」

この二種類のマンホールには、抽象化された「町の木:赤松」と「松葉」がデザインされています。

昭和40年3月2日制定の町章は「太い線は「のと」、中央の三本線は合併した三つの村を表しています。」

撮影日:2011年10月17日&2015年5月21日

 


ご当地マンホール in 石川県旧田鶴浜町(七尾市)

2018年01月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧鹿島郡田鶴浜町(たつるはままち)は石川県北部、鹿島郡のほぼ中央に位置した町です。七尾西湾に面した平坦な地形であった事と、七尾湾と日本海を結ぶ道があることから、古くから能登地方の交通の要衝となっていました。「町の木:モミ」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により鹿島郡田鶴浜村・端村・赤蔵村・金ヶ崎村・相馬村が発足。

1934年、鹿島郡田鶴浜村・端村・赤蔵村が合併、鹿島郡和倉町が発足。

1939年、和倉町奥原・和倉の2地区を七尾市に編入。鹿島郡田鶴浜町と改称。

1954年、鹿島郡田鶴浜町と金ヶ崎村、相馬村の一部が合併、新・田鶴浜町が発足。

2004年、旧七尾市、中島町、能登島町と合併、新しい七尾市となりました。

マンホールには町章を中心に、「町の花:サツキ」が大小で描かれています。

昭和40年6月19日制定の町章は「頭文字である「た」を図案化したものです。」

撮影日:2015年5月21日

 

ご当地マンホール in 石川県旧中島町(七尾市)

2017年12月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧鹿島郡中島町(なかじままち)は石川県能登半島の真ん中、七尾市の北側に位置した町です。町域には古墳も数多く残されており、また紀元前100年には米作りも行われていた事が確認されています。主要な産業として、大正に入ってから行われるようになった七尾湾での牡蛎養殖「能登牡蠣」や、独自の葉物野菜「中島菜」の産地として知られています。

中島上部地区には、『仲代達矢』が主宰する無名塾が1985年から毎年石川県中島町で合宿していたことが縁で1995年5月に開館した「能登演劇堂(のとえんげきどう)」があり、演劇専用ホールとして今も多くの舞台が上演されています。

「町の花:ササユリ」「町の木:杉」「町の鳥:カワセミ」「町の魚:クロダイ」を制定。

能登では「カワダイと呼ぶが、掌大までをチンタと言い、塩焼きや刺身は大変美味。(「道の駅・なかじまロマン峠」の看板より)

明治22年(1889)、町村制の施行により鹿島郡中島村・西岸村・熊木村・豊川村・笠師保村、羽咋郡釶打村が発足。

1948年、羽咋郡釶打村が、鹿島郡釶打村へ変更。

1954年、鹿島郡中島村・西岸村・熊木村・豊川村・笠師保村・釶打村が合併、鹿島郡中島町が発足。< /p>

2004年、旧七尾市・鹿島郡田鶴浜町・能登島町と合併、新たに七尾市となりました。

マンホールには、「町の花・ササユリ」がシンメトリーにデザインされています。

昭和31年6月23日制定の町章は「中島町の頭文字「な」を図案化したものです。」

撮影日:2011年10月17日&2015年5月21日

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「道の駅・なかじまロマン峠」の名物は中島菜を使ったプリンや手延うどん、中島菜の粉末などもあります。この中島菜、明治時代から食べ継がれてきた漬け菜の一種で、塩漬けにしても花が咲くという!生命力の強い野菜と言われています。

能登ツインブリッジに近いこの道の駅では、2011年と2015年の二度、車泊をさせていただきました。 怖いもの見たさ(食べたさ)で買った「中島菜ぷりん」・・・・・気になった貴方!ぜひ現地で(^▽^)/

車で旅をするものにとってこのような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました。


ご当地マンホール in 石川県旧七尾市(七尾市)

2017年12月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧七尾市(ななおし)は石川県能登半島の中央部に位置し、富山湾、七尾湾に面していた市です。昭和26年(1951)に重要港湾に指定された「七尾港」を擁し、「第九管区海上保安本部」「自衛隊石川地方協力本部」が置かれています。 七尾マリンパーク内【七尾港開港100周年記念絵図】

市域にはいくつかの温泉街があり、中でも七尾湾に面して旅館が並ぶ「和倉温泉」は、全国有数の高級温泉街として知られています。

「市の木:タブノキ」「市の花:ツツジ」「市の鳥:カモメ」「市の魚:タイ」を制定。

明治4年(1871)、廃藩置県により七尾藩領が金沢県に編入。金沢県から分離し七尾県が発足し、県庁所在地が所口村(もろぐちむら)に置かれる。

1872年、七尾県が廃止され、石川県に編入される。

1875年、所口村から七尾町に呼称を統一する。

明治22年(1889)、町村制の施行により、鹿島郡北大呑村・崎山村・南大呑村・高階村・東湊村・矢田郷村・徳田村・西湊村・石崎村が発足。

1939年、鹿島郡七尾町、東湊村、矢田郷村、徳田村、西湊村、石崎村と和倉町奥原・和倉地区が合併、七尾市が発足。

1954年、鹿島郡北大呑村・南大呑村・崎山村・高階村を編入。

2004年、旧七尾市、田鶴浜町、中島町、能登島町が合併、新たに七尾市となりました。

マンホールには七尾市の市章を中心に、「町の花:ツツジ」がデザインされています(カラー蓋は、和倉温泉街近くに設置)

農業集落排水のマンホールには、旧市章を中心に市の花ツツジが大きく描かれています。

漁業集落排水のマンホールには能登湾を跳ねる「市の魚:タイ」と「市の鳥:カモメ」がデザインされています。(七尾市佐々波地区の国道160号線沿いに設置)。

コミュニティプラントは漁業集落排水マンホールと同じデザイン。(国道沿いから一歩中に入った集落内に設置)

昭和15年2月22日制定の旧市章は「クローブを表し、その中に畠山氏の紋章を配したもの」合併協議会資料より

空気弁

仕切弁

七尾市にある和倉温泉の「調整弁」。中央には温の文字がありますが、いわゆる規格蓋です。

北陸電力マンホール。石川県全域の他、富山県全域、福井県、岐阜県の一部に電力を供給しています。

撮影日:2011年10月18日&2015年5月20日

 


ご当地マンホール in 石川県七尾市

2017年12月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

七尾市(ななおし)は石川県の北部、能登半島の中央に位置し、北は穴水町、西は志賀町、南は中能登町と富山県氷見市に接っする市です。2004年10月1日、旧七尾市、鹿島郡田鶴浜町・中島町・能登島町が合併し発足しました。市名は日本で最大規模の山岳城「七尾城」が築かれていた城山に七つの尾根(松尾、竹尾、梅尾、鶴尾(菊尾)、亀尾、竜尾、虎尾)があったのが「七尾」の名の由来とされています。「市の木:松」「市の花:菜の花」「市の鳥:カモメ」を制定。

能登半島は珪藻土埋蔵量が日本一と言われ、その珪藻土から作られる「珪藻土切り出し七輪」は保温断熱効果が高く、能登の特産品として知られています。(七尾フィッシャーマンズ・ワーフ・能登食祭市場入り口展示)

キャッチフレーズは「七尾湾と温泉をいかした能登から世界への架け橋」「~人が輝く交流体感都市~」

マンホールは旧七尾市当時のもので、新市章を中心に「旧市の花:ツツジ」が描かれています。

漁業集落排水マンホールも旧七尾市のもので、新市章に「七尾湾とカモメ」、元気に跳ねる「ハチメ(メバル)」がデザインされています。

市章は2004年10月1日に制定、【七尾市の頭文字の「N」を使って、豊かな恵みをもたらす美しい七尾湾の波と温泉の湯けむり、さらに未来、世界へ向けて躍動する市民の姿を表しています。】公式HPより 

七尾市観光協会マスコットキャラクター『とうはくん』は、絵師『長谷川 等伯』をモデルに誕生しました。趣味は七尾市内の寿司の食べ歩き 、水墨画を描くこと 、日本全国を旅すること 、温泉に入ること。能登半島のど真ん中「七尾市」をこよなく愛しています。

天文8年(1539)~慶長15年(1610)。安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した絵師『長谷川 等伯』。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人として知られています。金碧障壁画と水墨画の両方で独自の画風を確立し、晩年には自らを「雪舟五代」と称しました。東京国立博物館に収蔵される代表作『松林図屏風』は日本水墨画の最高傑作として名高く、国宝に指定されています。

撮影日:2011年10月18日&2015年5月20日

 


ご当地マンホール in 石川県穴水町

2017年12月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

鳳珠郡(ほうすぐん)穴水町(あなみずまち)は能登半島の中央に位置する町です。町域の北部及び西部は能登丘陵の一部をなし、南部は七尾北湾の北辺、東部は富山湾に面しています。農林水産業が主な産業で、農産物ではスイカ、栗、水産物では牡蛎貝、ナマコ、メバル、クロダイなどが特産品であり、「まいもん(=美味いもの)の里」づくりとして、食の集積地を目指しています。「町の木:あて」「町の花:笹百合」「町の鳥:キジ」を制定。

キャッチフレーズは「まいもん(=美味いもの)の里 穴水 住みよいまちづくり」

明治22年(1889)、鳳至(ふげし)郡穴水村・島崎村・東保村・兜村・住吉村・諸橋村が発足。

1903年、穴水村が町制を施行、第一次鳳至郡穴水町が発足。

1908年、島崎村、東保村と合併、第二次鳳至郡穴水町が発足。

1954年、兜村、住吉村と合併、現在の鳳至郡穴水町が発足。

1955年、鳳至郡諸橋村を編入。

2005年、鳳至郡から鳳珠郡に変更、鳳珠郡穴水町となり現在に至っています。

マンホールには、能登半島のボラ漁に使われた「ボラ待ちやぐら」と、星空の町108市町村の一つであることから、周囲に星がデザインされています。

能登半島:七尾湾付近で「ボラ漁」に使われた「ボラ待ちやぐら」

ボラは警戒心が非常に強いため、漁師はこの櫓の上から海底に張ったフクロ網の上を通るのを待ち、網を通るとすぐさま引き上げます。この猟法は江戸時代に始まり、かつては、湾内に多数の櫓を見ることができましたが、1970年代から急速に減少。現在は観光用に残されているのみで、1996年を最後に行われなくなりました。

もう一種には、町章を中心に、「町の木:アテ」と、「町の花:ササユリ」、星空の町らしく「流れ星」がデザインされています。

昭和34年1月10日制定の町章は「穴水の「穴」を鳩にあしらい図案化し、平和飛躍を意味づけ、町の発展を表徴したものです。」公式HPより

真名井川に架かる「真名井橋」の高欄に描かれた「ぼら」

撮影日:2011年10月17日&2015年5月22日

 


ご当地マンホール in 石川県旧門前町(輪島市)

2017年12月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧鳳珠郡門前町(もんぜんまち)は石川県の能登半島西部に位置した町です。元亨元年(1321)に開山した「曹洞宗大本山・總持寺」の門前町として知られ、地名もそれにちなんでつけられました。「町の木:あて(あすなろ)」「町の花:雪割草」を制定。

旧キャッチフレーズは「自然と調和した住みよい町づくり」

明治22年(1889)、町村制施行により鳳至郡櫛比村(くしひむら)・本郷村・七浦村・浦上村・諸岡村・黒島村・剱地村が発足。

1930年、櫛比村が町制を施行、同時に改称し鳳至郡門前町が発足。

1954年、本郷村、七浦村、浦上村、諸岡村、黒島村と新設合併、新たに鳳至郡門前町が発足。

1956年、鳳至郡剱地村を編入。

2005年、所属郡が鳳至郡から鳳珠郡に変更、鳳珠郡門前町となります。

2006年、輪島市と新設合併し、輪島市門前町となりました。

マンホールには「町の花:雪割草」と「町の木:あて」の葉が描かれています。

「町の花:雪割草」と消防車がデザインされた消火栓。

昭和38年8月26日に制定の町章は「躍進する門前町の「モン」をモノグラム化して、融和、発展、雄飛、協和の姿を表したものです。」合併協議会資料より

撮影日:2011年10月14日&2015年5月24日