![]() | 街道をゆく (1) (朝日文芸文庫) |
司馬遼太郎 | |
朝日新聞社 |
今年(2013年)は司馬遼太郎の生誕90周年である。早速、「月刊 文藝春秋」3月号が特集を組んでいる。私の亡父は司馬遼太郎の大ファンだった。家には『龍馬がゆく』や『坂の上の雲』などの小説がずらりと書棚に並んでいたし、定期購読していた「週刊朝日」が届くと、まっ先に「街道をゆく」を読んでいた。
しかし私はほとんど読んでいなくて、奈良で1人暮らしを始めたばかりの1980年(昭和55年)に『項羽と劉邦』がベストセラーになったとき全巻買って読み「これは面白い」と思い、それ以後、時々文庫本などを買うようになった。私は小説よりも、エッセイや講演録、対談や座談会のほうに関心があり、それは今も同じである。
![]() | 項羽と劉邦 (上) (新潮文庫) |
司馬遼太郎 | |
新潮社 |
昨年の11月、古事記ゆかりの地をめぐるバスツアー(奈良まほろばソムリエの会と奈良交通とのタイアップツアー)で、葛城市を案内することになったとき、ソムリエ仲間でガイド名人の田原敏明さんから「笛吹神社には、司馬遼太郎が来ていましたね。『街道をゆく』に出ていました」という話をお聞きした。私もかすかに読んだ記憶があったが、早速、朝日文庫『街道をゆく1』630円を買い直して読んだところ、これがめっぽう面白い。ここ数年、古代史や奈良の歴史などを勉強したので、以前に比べ、面白さがよく分かるようになっていたのだ。今年は生誕90周年でもあるので何か記念ツアーを組むヒントになるかも知れないと、急いで司馬遼太郎を読み直しているところである。
読んでいると「うーん、そうだったのか!」と思わず膝を打つようなフレーズがぞろぞろ出てくる。忘れてしまってはもったいないし、ブログ読者の皆さんも興味を持っていただけると思うので、これから思いつくまま、紹介することにしたい。
さて、初回は朝日文庫『司馬遼太郎全講演[1]』の「歴史小説家の視点」から(1968年4月30日 新潮文化講演会 新潮カセット講演『司馬遼太郎が語る 第2集』が初出)。3月4日、当ブログに「天誅組を『南山踏雲録』から読み解く(2)」という記事を書いた。天誅組については「よくもこんな無茶な武装蜂起をして、あたら若い命を落としたものだな」と思っていたが、司馬遼太郎はこんなことを書いていた。
![]() | 実録 天誅組の変 |
舟久保藍 | |
淡交社 |
幕末の志士たちは死ぬことが平気で、すぐ死んじゃう。すぐ死んじゃうのに、「死んだ後、どうするんだ」と聞いても、きっと何も答えられないだろうと思うんです。死ぬことが平気なくせに、宗教がなかった。
われわれ日本人は、大変植物的な民族ですから、死ぬことは、比較的怖くない。幕末の志士は特にそうでした。幕末の志士とは、一言で言ったらどんなやつだというと、非常にたぎった時代ですから、たぎった人間を出します。平和な時代では想像できない人間を出す。
ここで高杉晋作の話が登場する。
高杉は将軍(徳川家茂)を暗殺してやろうと思ったんです。何も将軍は大物でないですから、暗殺する必要はないんです。しかし、将軍が暗殺されるという政治的効果を、この革命の天才は思ったんですね。将軍が暗殺されるとなれば、いままで大変なものだと思っていた徳川幕府が、何だこの程度だったのかということになる。時代の風潮がいっぺんに変わる。
![]() | 司馬遼太郎全講演 (1) (朝日文庫) |
司馬遼太郎 | |
朝日新聞社 |
さすがは革命の天才、これは五條代官所を襲撃した天誅組と同じ発想である。高杉が京都・二条城近くの下宿で仲間と暗殺計画の相談をしていたとき、1人の浪士(浪人の志士)がやってくる。
その浪士に、「将軍の暗殺は、自分たち長州藩の人間でやるので、他藩の人間の力は借りません」と、木で鼻をくくるようにして断った。そしたらその浪士は、別の場所で怒っちゃったんですね。自分を臆病者だと思ったのかと。「臆病者でない証拠を見せてやる」と言って、軒下で立腹切って死んじゃった。考えられないことじゃないですか。死んだらそれでおしまいだのに(笑)。これで実証はされたわけです(笑)。だいたいその種類の人間が、京都で走り回っておるわけです。
これはびっくり仰天であるが、ほんの150年ほど前の日本の話なのである。この講演の趣旨は、幕末には《芸術がほとんどなかったことと、宗教が全くなかった》ということである。締めの言葉は《「ない」ということからだけでも、いろんな具合で観察ができる。おもしろいものの考え方ができる。そういうことぐらいが今日の結論でしょうか》。
おかげさまで、天誅組を見る目が少し変わった。司馬遼太郎さん、有難うございました。
あまたの理不尽、思い切りの中で前進することもあるのでしょうか。
司馬さんは戦国、幕末ものを中心に数多くの人物を取りあげておられますが特にユニークな(時として変人も?)すぐれ者の描写は素晴らしいですね。
もちろん対談、講演の中身は何度読み返しても深く、こんなに後世にも文筆をしっかり残し、啓蒙してくださるとは。。
アジアの見方、国際情勢の中での日本の位置を考える上でも司馬さんの観察は大変勉強になっています。
奈良の位置付もアジア、世界という切り口で今後の価値を考えていけば色々な解がでてくるかもしれませんね。
> 対談、講演の中身は何度読み返しても深く、こんなに
> 後世にも文筆をしっかり残し、啓蒙してくださるとは
本当に素晴らしいです、司馬史観の面目躍如。司馬遼がハーフ奈良県人で、今や我々の学校の先輩となったことは、特筆すべきことですね。
> 奈良の位置付もアジア、世界という切り口で今後の価値
> を考えていけば色々な解がでてくるかもしれませんね。
司馬遼というと江戸~明治、特に幕末というイメージですが、座談会(中公文庫)では朝鮮半島と日本の関係を論じていて、ここに奈良時代がたくさん登場します。私はこの辺りの鋭い発言に注目しています。また当ブログで、紹介いたします。