tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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ナント・なら応援団への感謝状贈呈式

2010年12月22日 | 平城遷都1300年祭
奈良国立博物館・学芸部長の西山厚さんが毎日新聞奈良版に連載されているエッセイ「奈良の風に吹かれて」(12/22付)に、こんなことが書かれていた。当日のタイトルは「平城遷都1350年に向けて」である。《遷都1300年祭は成功したと言ってよい。やってよかったと本当に思う。奈良の人は奈良を知らないと言われて久しいが、今年、奈良の多くの人たちが奈良を知った。奈良のよさを知り、それを伝えたくなった。今年の最大の成果はそこにあると私は思っている》。

《奈良の人が奈良のよさを知ったのは、「奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳」事業によるところが大きいと思う。奈良の各地で実施された特別開帳には、平城遷都1300年記念事業協会の職員、公民館のスタッフに加え、たくさんのボランティアが協力した。奈良をもっと知り、奈良のためにがんばりたいという人たちが、猛暑の平城宮跡会場で献身的に活動してくれた方々を含め、今年、奈良に続々と現れたのである》。


薬師寺で行われた感謝状贈呈式(12/15)

これは有り難いお言葉である。平城宮跡探訪ツアーガイドは約400人、宮跡でのもてなしボランティアは約1900人、奈良マラソンは約4000人。秘宝・秘仏開帳のガイドでは、学生86人(南都古社寺研鑽会の86人が、20の社寺等で約350人日)と、会社員OB・OG36人(ナント・なら応援団の36人が23の社寺等で約900人日)が協力した。 こんなにたくさんのボランティアが活躍したイベントというのは、例がないのではないか。ほぼ1年間にわたるという期間の長さも、驚異的である。

12/15(水)、南都銀行の退職者36人によるボランティアグループ「ナント・なら応援団」が、薬師寺と荒井知事から表彰された。まず午前10時30分、薬師寺本坊で、執事の生駒基達(いこま・きたつ)さんから感謝状が授与された。藤田優さんが、同応援団を代表して拝受した。同寺では4~10月の毎月2日間、1日あたり5人が拝観者の誘導・案内役を務めた。「もてなしの心」を発揮して丁寧に応対し、拝観者からご好評いただいた。



生駒執事からは、猛暑だった7~9月にも、汗だくになりながら懸命にお手伝いしたメンバーへのねぎらいと感謝の言葉を頂戴した。この期間、他のお寺への派遣はなく、唯一、薬師寺チームだけが出動したのである。おまけに立ったままの仕事だったので、労力は大変なものだったのだ。

午後3時からは、荒井正吾知事(社団法人平城遷都1300年記念事業協会理事長)から「ナント・なら応援団」と、地元学生らによるボランティアグループ「南都古社寺研鑽会」に感謝状が贈られた。朝日新聞奈良版(12/21付)「ボランティア2団体を知事が表彰」によると、《平城遷都1300年祭の主要事業として県内の50を超す社寺で行われ、県内外から多数の拝観者が訪れている「祈りの回廊~奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳~」。「ご開帳したくても人手がない」という社寺をボランティアで手伝った県内2団体が、荒井正吾知事から表彰された。》。「ナント・なら応援団」への感謝状は、南都銀行を代表して、嶌川安雄常務取締役が拝受した。
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000351012210001



《南都銀行OBでつくる「ナント・なら応援団」(36人)は、薬師寺(奈良市)や金峯山寺(吉野町)など23カ所で活躍。大学教授らから奈良の歴史について計20時間の講義を受け、各社寺での研修を経て臨んだ。最初はカンニングペーパーを見ながらたどたどしかった人も、慣れるにつれワンマンショーのように解説できるようになったという。多い日で約1400人が訪れた壺阪寺(高取町)の三重塔でガイドを務めた吉本幸弘さん(63)=橿原市=は「プロじゃないので、立て板に水というわけにはいきませんが」と断りながらも、スラスラと約5分間にわたって寺や塔の歴史を語った。》。
※平城遷都1300年記念事業協会のプレスリリース
http://www.1300.jp/about/news/press/2010/pres101209.html

《「塔の建築技術は東京スカイツリーにも参考にされる高い技術」など興味深い解説に思わず拍手する拝観者もいた。長年接客経験を積んできた元銀行員にガイドは打ってつけのようで、メンバーからは「新たな生きがいを見つけた」と来年以降の継続を望む声も出ている。社寺からのリクエストもあり、何らかの形で活動を続ける方針という》《15日に県庁であった表彰で、荒井知事は「遷都祭の成功は陰にひなたに助けてくれたボランティアの方たちのお陰。大変お世話になりました」とお礼を述べた》。
※知事から「ナント・なら応援団」に感謝状!(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/14a6bdc55e46a8fccb4a59eb3ab1b4f9



奈良新聞(12/17付)でも《拝観者のもてなしに努め、文化財や拝観者の安全確保に取り組むなど、事業の成功に貢献した》《ナント・なら応援団の門口誠一さんは「自分にとっても勉強になり、楽しく案内説明をさせていただいた」》と報じられた。
http://www.nara-np.co.jp/20101217102051.html

今回の寺院ボランティアガイドで特筆すべきは、拝観者、お寺、主催者(平城遷都1300年記念事業協会)から感謝されただけではなく、ボランティアをしたOB本人からも「楽しかった」「新たな生きがいをみつけた」と喜んでいただいたことである。発案者の私としては、とても光栄なことである。

毎日新聞奈良版(12/9付)に連載されている仲川順子さん(奈良NPOセンター理事長)のエッセイ「順子さんのわくわく通信」に、こんな話が載っていた。タイトルは「退職後の居場所」である。


12/18(土)、今年の活動の最終日となった壷阪寺三重塔前で(次の写真も)。吹く風は冷たかった

《いつの頃からか、活動仲間に退職男性の姿が増え始めました。お酒が入ると、いつも物静かな男性たちからも本音がでます。「なぜボランティアを始められたのですか」と問うと、「会社のために一生懸命働くことが家族や社会にとって一番良いこと、みんなを幸せにすることだと信じてきました。仕事がなくなって振り返ってみると、取りこぼしてきたことも多かったかなと……。地域のことも政治への関心もすべて後回しにして、仕事最優先。やっと時間ができて地域に戻ってみると、隣近所に知り合いもなく、誰にも必要とされていないようで、孤独でゾオッとしました」》。

《今はNPOに居場所を見つけて「こんな世界もあったのですね。楽しいですよ」と柔らかい表情で語っていました。「あまり縛られるのはもう堪忍してほしい。でもどこかに帰属しているという実感がほしかった」という男性もいます。活動時間や場所を自分で選べて、柔軟に受け入れてもらえるところがあると活力を取り戻せるそうです》。



《人の知恵や力を必要としている団体はたくさんあります。そこで活動を始めた人たちは、モノやお金に換算できないやりがいと優しさを体感します。自分を再発見する人も多いです。ゆっくりとソフトランディングしながらでも、社会を良くしていく活動に参加してみませんか》。

通常、ボランティアグループというものは「ヨコ社会」であり、企業は「タテ社会」。すると、一企業の退職者ばかりを集めたグループは、ヨコ社会にタテ社会の論理を持ち込むリスクがある。だから内心「現役時代の職位を、そのまま持ち込む人が出てくるのではないか」と危惧していたし、企画段階で「人間関係がうまく行かず空中分解するから、やめておいた方がよい」との助言もいただいた。しかし、それは全くの杞憂(きゆう)であった。グループの中では上下関係ではなく、ごく自然な役割分担・機能分担が出来上がり、きわめて良好なチームワークが形成されたのである。

来年以降の同応援団の方向性は、現在検討中であるが、今年の活動で培った貴重な経験は、地元・奈良県を盛り上げる大きなパワーとなるに違いない。36人の先輩たち、1年間の素晴らしい活動を有り難うございました!

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