tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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飛鳥川沿い、風神と雷神「気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社跡」(明日香村)

2024年07月24日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に、「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.7.18)掲載されたのは、〈かつて雷神祭り 雨乞いも/気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社跡(明日香村)〉、執筆されたのは同会会員で桜井市にお住まいの瀨川泰紀(せがわ・やすのり)さんだった。
※写真は、気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社跡(北より臨む)

この神社、かつては「延喜式神名帳」に記載された名神大社だったが、現在は廃絶され、田んぼの中の大木のある場所が跡地とされている。では、以下に全文を紹介する。

かつて雷神祭り 雨乞いも/気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社跡(明日香村)
気吹雷響雷吉野大国栖御魂(いぶきいかづちなるいかづちよしのおおくずみたま)神社は「延喜式神名帳」に記載された名神大社でしたが、現在廃絶社となっています。

明日香庭球場の西側、田んぼの中の高まりにエノキとセンダンの大樹が寄り添う場所が神社の跡地とされています。近くを飛鳥川が流れており、地元の人の話では、元々は少し上流の雷丘(いかづちのおか)の近くにあったものが、洪水でこの場所に流れ着いたものと伝承されています。

祭神は気吹雷神と響雷神の二神です。「気吹」とは神の吐く息を意味し、風のこと、「響」は雷鳴のことです。つまり「風神雷神」のような神様だと想像します。

ところで明日香村にある神社に何故、吉野、国栖の地名が入っているのでしょうか。かつてこの場所に九頭(くず)明神を祭る社があり、干ばつの時に雨乞いをしていました。国栖は九頭と同様に「クズ」の呼称を持つことから、この神社も龍神など、水との関わりが深い神社だったのでしょう。

また、吉野の国栖と言えば、大海人皇子を助けた逸話で知られる、壬申の乱を想起させます。現在痕跡のない神社跡ですが、近くに雷丘、天香具山。少し南に歩いて西を眺めると畝傍山、二上山が、飛鳥時代と変わらぬ、万葉集にも歌われた美しい姿をとどめます。(奈良まほろばソムリエの会会員 瀨川泰紀)

(住 所)明日香村雷
(祭 神)気吹雷(いぶきいかづち)神、響雷(なるいかづち)神
(交 通)橿原市コミュニティバス(大和八木駅~橿原神宮前駅・土日のみ)、または赤かめ周遊バス(飛鳥駅~橿原神宮前駅東口)で、明日香小山下車。徒歩約5分


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