tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

同時進行!平城遷都1300年(29)県民の誇り、新たな歴史刻む大事業

2010年11月23日 | 平城遷都1300年祭
平城遷都1300年の宮跡会場は、予想の1.5倍、363万人もの来場者を記録し、11/7(日)に閉幕した。 週刊奈良日日新聞(11/19付)は、一面トップで同祭の成功を報じた。見出しは《県民の誇り 平城遷都1300年祭》《メーン宮跡会場363万人で幕 1300年の歴史は日本一 1年で語り尽くせぬ》。

記事には《平城遷都1300年祭のメーン会場「平城宮跡会場」は、当初の来場者予測を大幅に上回る363万人を記録、大成功を収めて幕を閉じた。全国に「奈良」をPRし、近畿圏ばかりでなく全国各地から訪れる人でにぎわいを見せた。47都道府県中で最も歴史が深い古都・奈良。同祭成功を通じて県民は、その誇りを再認識することができた》。


「県庁伐折羅(ばさら)チーム」のバサラ踊り(11/7)

読売新聞(11/21付奈良版)は、《「1300年祭成功は市民力」 日本遺跡学会 ボランティアら支え 》《遺跡の保存・活用などについて研究、交流する日本遺跡学会の2010年度大会「史跡におけるアニバーサリー・イベントの意義と在り方~平城遷都1300年祭を中心として~」が20日、奈良市の奈良文化財研究所平城宮跡資料館で行われ、学会員や市民ら約80人が参加した》。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20101121-OYT8T00005.htm

《平城遷都1300年記念事業協会の林洋事務局長が記念講演し、同祭について「せんとくんへの批判や寄付協賛の確保など、(当初は開催が)不安視されたが、大きな事故もなく、予想をはるかに上回る363万人強の人が訪れ、成功だったといえる」と振り返った》。


こちらは奈良市役所の「チーム八重櫻」(全4枚。11/7)

《奈良文化財研究所の田辺征夫所長は「1300年祭の裏には、150年の研究と保存の歴史がある」と、明治時代に平城宮跡の保存運動に取り組んだ棚田嘉十郎らの活躍などを紹介。「成功は、ボランティアらの支えがあってこそ」と締めくくった》。

同大会を報じた朝日新聞(11/21付奈良版)は《林氏は、同祭の全国への経済波及効果が2千億円以上とする開幕前の試算と、平城宮跡に想定以上の来場者があったことを説明し、「文化という切り口で多大な経済効果がもたらせることを示すことができた」と総括。「本物の歴史を見ていただけた。その拠点となった平城宮跡の意義は大きい」と分析した》。
http://mytown.asahi.com/areanews/nara/OSK201011200163.html



《田辺氏は平城宮跡保存運動の歴史を振り返った上で、「大極殿の復元が、(平城宮跡に)360万人もの人が来たことへのインパクトとなったことは間違いない」と強調。平城宮跡について「歴史公園として、多様な活用をどう実現していくかのモデルケースとしての役割を担っている」と述べた》。



宮跡会場のイベント(平城宮跡事業)は、従来の博覧会や祭典にはない、特異なスタイルで大成功を収めた。従来のアニバーサリー・イベントは「ニセもの(人工の作り物)、ハコもの(パビリオン)、見せもの(有料の興行)」が中心だった。



宮跡会場は奈良時代のホンモノの皇居(平城宮)の跡地で、今もお宝が眠っていて「地下の正倉院」といわれている。1300年祭に合わせて建てられたハコものは、復原された大極殿のほかは、いずれも小規模な平城京歴史館となりきり体験館くらいのものだった。有料の見せもの(興行)はごくわずかで、ほとんどは仮設舞台(まほろばステージ)で演じられる無料のステージイベントだった。そもそも会場への入場料はおろか、駅や郊外駐車場からのシャトルバスも、会場内を周遊するハートフルトラム・カートも、すべて無料だった。


最終日のフードコートは、ご覧のとおり満杯だった(11/7)

ニセもの・ハコもの・見せものを否定したこのスタイルは、巨額の建設費を投じなくてすむし、来場者に媚びる必要もない。何より、環境にやさしい(循環型社会に適合する)。今後の博覧会やアニバーサリー・イベントの方向性を示唆するものではないだろうか。


私とコンビを組んだ日の、Kさんのツアーガイド(全2枚。10/30)

とりわけ好評だったのはボランティアガイドによる平城宮跡探訪ツアーで、約160人が会場内の見どころを案内した(私も末席を汚した)。ほとんどが「奈良まほろばソムリエ検定」のソムリエまたは奈良通1級の合格者、または宮跡などでのボランティアガイド経験者だった。探訪ツアー(セルフガイドシステムの貸出を含む)の利用者は、約6万8千人に上った。ガイドツアーは、1.5時間コースが1人300円、2.5時間コースが500円と、格安料金で利用できたが、それは、交通費(上限千円)とスタッフ弁当を支給されるだけのボランティアガイドによって運営が支えられていたからである。



ガイドツアーについて毎日新聞(11/9付奈良版)は《充実感でいっぱい ボランティアガイド存続検討》の見出しで、《特に好評だったボランティアガイドについて、平城遷都1300年記念事業協会は存続させる方向で検討している。夏場を除く期間中、毎日8回行われたガイドツアーでは、約160人のボランティアが大極殿や朱雀門、遣唐使船などの見どころを案内した。奈良の歴史に精通したガイドたちが活躍する機会は今後もありそうだ》と報じた。
http://mainichi.jp/area/nara/news/20101109ddlk29040568000c.html


奈文研による解説ボランティア登録説明会。私は登録しなかった(11/13)

奈良新聞(11/21付)は、論説「金曜時評」で振り返った。執筆されたのは、論説委員の小久保忠弘氏である。《シンボルとして復元された第一次大極殿が威容を誇る平城宮跡は、これまで奈良市民にとってただの広場でしかなかった空間が意味のある物になり、新たなエピソードを伝える「うつわ」としての機能が吹き込まれたことの意味は大きい》。
http://www.nara-np.co.jp/20101112100157.html

《そこは、本物の歴史の現場が時空を超えて存在するという全国にも希有(けう)な場所である。特別史跡に指定され、世界遺産に登録されているゆえんも、東アジアの古代都市の中でも宮殿の遺跡と都に計画的に建設された木造建築群によって当時の姿を伝えている例として他にないからだ。その場所をイベントに利用してしまうという今回の仕掛けを設計し、構築し、運営・展開して成功に導いた関係者の労はおおいにたたえられるべきであろう。21世紀にも耐え得る大事業だったといえよう》。


説明会のあとは198日間を振り返る会。挨拶されるのは
田中敏彦さん(平城遷都1300年記念事業協会 事務局副局長)

《それは単に360万人という予想を上回る来場者の数だけではない。古代史の素顔に触れたいと願う、はっきりした目的意識を持った人たちが、何一つ享楽的施設のない会場を黙々と歩いていたという事実が重い。イベント好きの国民が、他に競合する場所がないから奈良にやってきたという消極的理由を挙げる向きもあるが、むしろ現在の政治、経済、社会の各分野で行き詰まり感が広がる中で、古都奈良の持ち続ける落ち着き感と宗教的情操感が評価されたと言えるのではないか》。


ガイドツアーをご担当いただいたスタッフの皆さん
長い間お世話になりました、有難うございました!

《それを維持し、今日まで伝えてきたからこそ「我が国の古くから伝わる文化を守り育ててきた奈良の人々の幸せを祈る」という天皇陛下のお言葉に結実したのであろう》《それにしても安直なパビリオンなど造らなくて本当に良かった》《県民に身近にあるものの文化的価値を再認識させたという点でも、1300年祭の意義があった》。

天皇陛下のお言葉とは、10/8(金)、第一次大極殿前庭で催された「平城遷都1300年記念祝典」でおっしゃったものである。後半部分を宮内庁のHPから引用すると《万葉集の中に,平城京のことを小野老(おののおゆ)が「青丹よし奈良の都は咲く花の匂ふがごとく今盛りなり」と詠んでいますが,復元された第一次大極殿を見るとき,かつての平城京のたたずまいに思いを深くするのであります》。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h22e.html#D1008


天平美人たち(撮影に応じてくれるボランティア)。暑い夏の間も、この衣装で待機されていたのはご立派!(9/11)

《平城京について私は父祖の地としての深いゆかりを感じています。そして,平城京に在位した光仁天皇と結ばれ,次の桓武天皇の生母となった高野新笠(たかののにいがさ)は続日本紀によれば百済の武寧王(ぶねいおう)を始祖とする渡来人の子孫とされています。我が国には奈良時代以前から百済を始め,多くの国から渡来人が移住し,我が国の文化や技術の発展に大きく寄与してきました。仏教が最初に伝えられたのは百済からでしたし,今日も我が国の人々に読まれている論語も百済の渡来人が持ち来ったものでした》。

《さらに遣唐使の派遣は,我が国の人々が唐の文化にじかに触れる機会を与え,多くの書籍を含む唐の文物が我が国にもたらされました。しかし遣唐使の乗った船の遭難は多く,このような危険を冒して我が国のために力を尽くした人々によって,我が国の様々な分野の発展がもたらされたことに思いを致すとき,深い感慨を覚えます》。


平城遷都1300年記念祝典(10/8)。トップ写真と次の写真も

《平城京は,都が長岡京,続いて平安京に遷都された後,市街地とならなかったことから,発掘が可能であり,長年にわたって調査が行われてきました。近年の発掘調査の大きな成果は大量の木簡の発見であると聞いています。今日,遺跡や出土遺物に対する保存や調査の技術は著しく進歩しています。研究が進み,平城京の歴史がますます解明されていくことを期待しています。ここに,この地域の保存,調査研究に尽力された関係者,また復元のために尽力された関係者に深く敬意を表します。終わりに,遷都1300年をことほぐとともに,我が国の古くから伝わる文化を守り育ててきた奈良の人々の幸せを祈って,お祝いの言葉といたします》。

お言葉の締めくくり、《古くから伝わる文化を守り育ててきた奈良の人々の幸せを祈って,お祝いの言葉といたします》というくだりは、現場で聞いていて目頭が熱くなった。北浦定政(さだまさ)、関野貞(ただし)、棚田嘉十郎の各氏はもとより、「開発と保存」というジレンマに悩まされつつ、この地を守ってきた地元民の粘り強い努力を分かっていて下さったのだな、と感じたからである。陛下が地元民にねぎらいの言葉をおっしゃるとは、異例中の異例ではないか。



しかし一方で、今回の成功に難癖(なんくせ)をつける報道があったのは、残念である。朝日新聞(11/8付奈良版)は、大見出しで《感激フィナーレ 名残惜しみ6万人》としながら、小見出しで《「巡回の仕掛け弱い」》とした。《「成功」のうちに幕を閉じた主会場だが、一部の観光関係者からは不満の声も聞こえる》として、ならまちの「奈良町情報館」が《昨年と今年5月の連休期間中(2~5日)で比べると、昨年は4344人、今年は2784人と3割以上落ち込んだ》と書く。この数字も関係者のコメントも、同紙奈良版が5/7に報じた記事内容の焼き直しである。
※同時進行!平城遷都1300年(22)春季フェアを振り返る(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/cb03710eac43d4b32d785f566b9737a9


11/7のファイナルステージ。tsujikenさんからいただいた(全3枚)

記憶をさかのぼっていただきたい。昨年(09年)のゴールデンウィーク(GW)は、阪神なんば線が09年3月20日に開業して、初めて迎えた大型連休だった。ならまちは神戸からの観光客でごった返していて、関係者によると「この時期、ならまちはバブルだった」。08年GWに比べて、09年GWの来訪者は5割程度増えたのだという。

特殊要因によるバブルの時期と比べて、10年GWは「3割以上落ち込んだ」と書くのは詭弁である。電卓を叩くとすぐ分かることだが、以上を数式で表すと
08年GW:09年GW:10年GW=1:1.5:1.05
となる。つまり特殊要因のない平年(08年)と10年とを比べると、ちゃんと5%増えている。

しかも、読売新聞(5/25付奈良版)によると《「奈良町情報館」では、4月24日~5月23日までの来館者数が前年同期比で約1割減の9961人》と、1か月の間では(3割減ではなく)1割減にとどまっている。(1週間ほどの誤差があるが)もういちど数式で表すと、
08年5月:09年5月:10年5月=1:1.5:1.35
となる。つまり、平年(08年)と比べると、10年は35%も増えている。これは立派なものだ。半年前の記事を引き写す前に、ライバル紙をちゃんとチェックし、情報をアップデートしてから載せるべきではないか。毎日の来館者数をカウントしている奈良町情報館に照会すれば、そんな半年前の数字ではなく、直近の数字も判明するだろう。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/c007a87e571cc53e5fd7268d14fd2018



しかも朝日新聞(11/8付奈良版)では《奈良市柳生町の「旧柳生藩家老屋敷」では来場者が1割ほど減った。柳生観光協会の岡田洋事務局長(62)は「いい影響を期待したのに、増えるどころか減ってしまった」と肩を落とす》としているが、昨年(09年)の5~10月の来場者はわずか8,602人、1日に直すと46.75人である。だから1割減といっても、たかだか1日5人弱である。こんな規模の小さい施設(1日46.75人)と宮跡会場(1日1万8千人)とを比べるのにはムリがあるし、実数(5人弱)でなく比率(1割減)で示すところに、作為を感じる。
http://narashikanko.jp/j/data/irekomi/h21/irekomi_21.pdf

そもそも柳生を訪ねる人は、たいていマイカーで訪ねる。バスで訪ねる人は、ほとんどがハイキング客で、1日かけて柳生を回る人たちだ。JR・近鉄奈良駅~柳生間のバスの便は、1日5本しかないし、片道50分もかかる。宮跡会場に来るほとんどの個人観光客は、(マイカーではなく)鉄道とシャトルバスで来場する。宮跡会場で半日過ごしたあとシャトルバスで駅まで戻り、そこでバスを乗り継いで柳生に行き、柳生の観光地を回るというのは物理的にムリだ。私だって相談されれば止めるだろう。奈良時代の宮跡と江戸時代の剣豪の里とは、歴史的に直結するわけではないし、柳生観光協会が直通バスを出してくれるわけでもない。

同紙の論調に従えば、「大きな祭典があれば、自動的に周辺観光地が潤うようにすべきだ」と主張しているように読み取れる。しかしこれは(同紙がこれまで叩いてきた)「大仏商法」の発想そのものではないか。



同紙では、奈良県立大学教授の《1300年祭を「ぎりぎり合格の60点」と評価する。県南部への波及効果は「イベントだけでは難しい。住民が一体となった時間をかけた取り組みが必要」と指摘する》というコメントを載せている。まだお祭りが終わっていない時点で1300年祭全体を点数で評価させるのは、早計に過ぎる。第一、「奈良まほろばソムリエ検定」では、60点だと不合格だ(70点で合格)。教授のコメントには40点もの減点の根拠も示されず、「時間をかけた取り組みが必要」とのコメントも、誰に対して具体的にどうせよと「指摘」しているのか、曖昧模糊としている。

ともあれ、宮跡会場が大成功裡にフィナーレを迎えたのは、めでたいことである。1988年のなら・シルクロード博では、巨額の赤字と、パビリオンを取り壊したあとの瓦礫の山が残ったが、今回はどちらも回避できそうである。あと1か月と1週間、関係者の方には気の抜けない緊張の日々が続くが、ぜひこれを乗り切っていただき、今世紀の「アニバーサリー・イベントの新しいスタイル」を、古都奈良から全国に発信していただきたい。

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9 コメント

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奈良へ出掛けたい (鴨媛)
2010-11-23 09:16:39
平城宮跡会場での皆様のがんばりに、
感謝いたします。
仕事を持ちながら東京から出掛けるのはそれなりに無理があり、
目白押しのイベントの殆どを体験出来なかったのが心残りです。

私の周囲の人々からも、
「奈良へ出掛けたい」という声が良く聞こえるようになりました。
『これからの奈良』が県外の人々から魅力的に見えるよう、
末永い成果であって欲しいと願うばかりです。

私的には、
「真珠の小箱」のような旅心をくすぐるコアな情報の登場を期待したいです。
まほろば館で来館者のお話を聞いても、
まだまだ本当の魅力に気づいていない人ばかり。

今後の皆様のご活躍、お祈りいたします。
日本全体への波及 (あをによし南都)
2010-11-23 17:54:20
数値分析はまさに御指摘の通りでうっかりうのみにしてしまうと大変な誤解になってしまいますね。
やや元気がない日本ですが、今回の事業は地元だけでなく日本全国にとって「歴史のはじまり」の地の再確認になって良かったと思います。
経済的な波及効果では奈良以外でも効果がありました(例えばJR東海の今回の1-2Q決算での貢献)し、経済的数値効果だけでなく全国向けのコンテンツ発信での歴史・文化の再確認という意味では大極殿の復元はもちろんそれぞれのイベントの意義はもっと大きかったと思います。
日本全国でそれぞれアニバーサリーイベントがあってそれはそれで郷土盛り上げで大変好ましいと思います。
それらは地元の為として大変意義深いことですが、奈良の場合は地元の為はもちろんですがむしろ日本全体のための奈良という位置づけも重要かと思います。
大極殿の復元事業はもちろん今後、国営公園としての平城宮跡の維持など国と奈良が一緒になって日本のシンボル、顔として奈良の遺産をしっかり維持復元して盛り上げていくことが大事かと。
大極殿は素晴らしい出来栄えで復元されましたがせめて前庭を囲む回廊はしっかり復元し、一体感のある平城宮国営公園として歴史を学ぶ場所として又、イベントの会場として、そして日本の顔として、役割発揮していってくれたらと願っています。
出来れば歴史の教科書で奈良時代の項ではしっかり復元大極殿の写真を掲載し、国と地元が取り組んだ歴史的イベントに言及してもらいたいものです。
そして今回の事業をきっかけに興福寺の中金堂や東大寺七重塔復興等で弾みがつき、奈良が奈良らしさを取り戻し、日本の顔として世界的に認知される「美しい古都」としてのブランド構築につながれば素晴らしいかと。
1300年祭の意義 (松永洋介)
2010-11-24 10:44:56
>奈良時代の宮跡と江戸時代の剣豪の里とは、歴史的なつながりもない

鉄田さんがこのような認識を持たれるということ自体、祭典コンセプトの不徹底を示しているのではないでしょうか。
知事の説明によれば、1300年祭は過去から現在まで奈良の歴史が続いてきたことをことほぐ祭りです。1300年前のことだけを扱うのであれば、シルク博で終っているはずです。

11月5日の毎日新聞奈良版「奈良経済観測」では、帝国データバンク奈良支店の人がこう書いています。
「第1次大極殿の復元には総工費約180億円もの巨費が投じられた。奈良市内の道路高架化や拡幅工事などのインフラ整備を含めると、国・県が相当な予算を投入している。これらがもたらした県への経済効果はどうだろうか?」「様々な業種の企業経営者に取材していると、業績面で恩恵を受けたという企業は少数派だ」「県経済が良くなったという実感にはやや乏しい」「一過性のイベントに終わらせず(…)恒久的な観点による施策を講じることが、県経済を浮上させる上で重要」
これも「難癖」でしょうか。
恒久建築である大極殿は完成したけど、いつもの朱雀門の閑散ぶりを見ていると、今後も人が押し寄せるとは思えません。もともと数十年しか存在しなかった、しかも現在は目的を喪失しているものを実際に再建してしまったこと自体、疑問に思います。
薬師寺大講堂や興福寺金堂は、ミッションがはっきりしている(再建・復興であり、「復元」を騙ってもいない)。大極殿は使途未定。ただ建っているだけで、180億円+維持費の価値があるのでしょうか。ビジョンなしに建ててしまった責任を誰がとるのでしょうか?
大極殿は、同等規模の薬師寺大講堂の3倍以上の建設費用を使っているのに、高御座は「費用の関係で」漆でなくカシュー(人工塗料)仕上げ。薬師寺大講堂ではちゃんと本物の奈良漆の技法で論議台など作っています。お金の意味がわかりません。「ほんものの奈良」が泣きます。
平城宮跡の国営公園化というのも、趣旨がわかりません。奈良は、高松塚古墳を国に任せきりにした結果あんな惨事を招いたのに、やっぱり自分たちで地域の歴史遺産を守り育てていくつもりがないのかな、と思ってしまいます。

松岡正剛事務所に1億7000万円とか、谷村新司に1000万円とか、結局は「中央」にお金を貢いで、まともなリターンを得られないようすを見るのは、とても情けない。

平城宮跡にたくさん人が来たのに、シャトルバスは駅へ行くだけ。県内各地への誘導、近くでもせめて県庁あたりへ人を運べなかったのか。行先が駅だけというのは、要するに「大極殿を見たら帰れ」というメッセージだと思います。
せっかく1300年祭を開催したのに、県内各地をめぐる定番ルートが開発できたという話も聞きません。県内観光のスタート拠点も整備できませんでした。従来通りの「詳しい人といっしょでないと満喫できない奈良」のままです。それはそれでいいのかもしれませんが。
1300年祭のことを考えると、いつも気持ちが落ち込んでしまいます。
大成功! (tetsuda)
2010-11-24 18:50:12
鴨媛さん、あをによし南都さん、松永さん、コメント有り難うございました。帰省のため、2日間家を空けていましたので、コメントが直ちに反映されない設定としていました、失礼。

> 私の周囲の人々からも、「奈良へ出掛けたい」
> という声が良く聞こえるようになりました。

東京からそういう声が上がるとは、奈良にとって大変有り難いことです。来年以降も、頑張ります。県も、プロジェクトチームを組むとのことでした。

> 経済的数値効果だけでなく全国向けのコンテンツ発信での
> 歴史・文化の再確認という意味では大極殿の復元はもちろん
> それぞれのイベントの意義はもっと大きかったと思います。

奈良県民自身が、やっと地元の素晴らしさに気づき、来県者に懸命にPRしている姿が、私には新鮮でした。これは必ずや、来年以降に活かされると思います。

> 奈良が奈良らしさを取り戻し、日本の顔として世界的に認知される
> 「美しい古都」としてのブランド構築につながれば素晴らしいかと。

その通りです。県民が地元の「景観価値」に気づく日も、近いでしょう。

> このような認識を持たれるということ自体、祭典
> コンセプトの不徹底を示しているのではないでしょうか。

私は観光振興の「タナボタ主義」(大仏商法)に異を唱えているだけで、コンセプト自体は認めています。宮跡から剣豪の里へと誘客する努力が行われたのか、寡聞にして存じません。チラシすら、配っていなかったのではないでしょうか。天は自ら助くる者を助く(自助論)。

> 「企業経営者に取材していると、業績面で恩恵を受けたという企業は少数派」

> これも「難癖」でしょうか。

南都経済センターの調査によると、県下全業種の中で、恩恵を受けたという企業は3割でした。これを多いと思うか、「少数派」と思うか、の違いです。私は多いと思います。なにしろプラスチック製造業から不動産賃貸業までを含めた「全産業」なのですから。

「難癖」は、明らかに昨年は異常値(特殊要因)だと知りながら(または不勉強のため異常値だと気づかずそれを隠し)、「3割以上落ち込んだ」という報道を1度ならず2度までも繰り返す記者の無神経ぶりが理解できなかったから、そう書いたまでです。私がデスクだったら、必ず再調査を命じます。地元民なら、誰でも肌で感じていることです。おそらく松永さんも。

> 大極殿は完成したけど、いつもの朱雀門の閑散ぶりを
> 見ていると、今後も人が押し寄せるとは思えません。

11/21付の奈良新聞に「1300年祭主会場閉幕から2週間 にぎわい続く平城宮跡」という1面トップ記事が載っていました。電車の中からでも、土日の賑わいぶりを知ることができます。

> 1300年祭を開催したのに、県内各地をめぐる定番ルートが開発できた
> という話も聞きません。県内観光のスタート拠点も整備できません
> でした。従来通りの「詳しい人といっしょでないと満喫できない奈良」
> のままです。それはそれでいいのかもしれませんが。

ある程度、それはそれで良いのではありませんか。奈良は東京ディズニーランドでも、USJでもありません。「県内各地をめぐる定番ルート」は、県の魅力創造課が作っていて、徐々に認知されつつあります。私は「県内観光のスタート拠点」は、「平城宮跡」にすべきだと思っています。従来の東大寺南大門前(または若草山麓)から、シフトさせるべきでしょう。

> 1300年祭のことを考えると、いつも気持ちが落ち込んでしまいます。

私は1300年祭の成功ぶりを考えると、いつも心が高ぶるのを感じます。せっかくの休日をつぶして宮跡ガイドをして、本当に良かったと思います。
成功の定義 (Naraniyosi)
2010-11-25 01:29:44
いつも拝見しております。

tetsudaさんらしくない、安価な思考に陥ってますね。

僕は、小滝さんの論調大好きです。

1300年祭開幕の数年前より、辛口論調を貫かれていますね。
「本当に出来るのか」
「大丈夫か?」
「このままでは、大ゴケするのではないか」

僕は、もっと書けもっとやれと、応援していました。

「やったやった、目標超えた、奈良が盛り上がった」
と喜んでいるだけでは、中身のある成長はできませんね。

おそらく、tetsudaさんなりの反省総括もおありかと思います。

そして、私はtetsudaさんの成功の定義と、根本的にかな違います。

tetsudaさんは、
いつも数値最重視ですよね。

そのような、浅いところでの判断でよろしいでしょうか。

私が思っております1300年祭の成功の定義は、
奈良の存在意義、そしてその役割を考えないと、奈良に積もり積もった歴史の数々も、仏教・万葉・神道などの精神文化も、全く無意味になると考えております。

これだけ経済的、物質的に充実した世の中であっても、連日いじめ、虐待、殺害事件等が噴出し、幼い命、青春真っ只中の命が次々と逝っています。

数値的目標を達成して、「大成功」と、わいわい喜んでいてよろしいですか。

今こうしてコメントを書いている間にも、自ら命を断っている人は
奈良の再評価 (tetsuda)
2010-11-25 04:45:37
Naraniyosiさん、コメント有り難うございました。

> 「本当に出来るのか」「大丈夫か?」
> 「このままでは、大ゴケするのではないか」

本当に出来ましたし、大丈夫でしたし、大ゴケもしませんでした。

> 「やったやった、目標超えた、奈良が盛り上がった」
> と喜んでいるだけでは、中身のある成長はできませんね。

「中身のある成長」云々の前に、奈良にたくさんの人が集まることで、県外の人に「奈良って意外にいいな」と思っていただき、また地元民が「奈良っていい所だったんだ」と気づき、自信を取り戻すことが大切なのです。

> tetsudaさんは、いつも数値最重視ですよね。

いえ、私は皮膚感覚で動いています。毎週のように宮跡会場を訪れ、ガイドツアー参加者など来場者と言葉を交わし、「これはいけるぞ」と感じていました。そのような感覚を「数値」という客観的なモノサシを使って説明しているわけです。

> 奈良の存在意義、そしてその役割を考えないと、奈良に
> 積もり積もった歴史の数々も、仏教・万葉・神道などの
> 精神文化も、全く無意味になると考えております。

宮跡会場を巡ることで、奈良の奥深い歴史の一端を感じていただけたと思います。巡る奈良事業の「祈りの回廊~奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳」では、神社仏閣に伝わる宗教文化を感じていただけたと思います。記紀万葉は、2012年の「古事記編纂1300年」で、スポットライトが当たることでしょう。

> 経済的、物質的に充実した世の中であっても、連日いじめ、虐待、
> 殺害事件等が噴出し、幼い命、青春真っ只中の命が次々と逝っています。

そのような現代社会の閉塞感で息苦しくなっている人々が、奥深い精神文化を感じさせる奈良に足を運ばれたのではないでしょうか。

安倍文殊院のご住職は「悩んでいる人にいつでも来ていただけるよう、お寺を365日・24時間開けています」とおっしゃっていました。有り難いことです。
本当に満足? (おぜん)
2010-11-25 17:06:42
私は、難癖意見があった方が、いいと思いますよ。物事は反対意見があるからこそ発展するものだと思います。

目標の人数をクリアできたのかも知れませんが、どれだけの方が本当に満足して帰られたのでしょうか?
それが心配です。

最終日のフードコートも満席・・とありますが、食べるところがないじゃないですか。
しかたなく食べてらっしゃる方も多いと思いますよ。
私の周りでは、食事が美味しくなかったという声を沢山聞きました。他府県から来てる方もさんざん待たされた挙句、あまりにも美味しくないと・・・。私自身、フードコートやお弁当をいただいてないのでなんともいえませんが・・。

やはり、胃袋をつかむのが一番と思いますが。
その辺はどうなんでしょうね。
平城旧跡とならまち (藤丸タダアキ)
2010-11-25 23:30:12
tetsudaさんこんばんは。

私が提供した情報がこう使われるとは思いませんでした。

少し長くなりますが、
まず、平城遷都1300年祭は会場での開催は成功だったと思います。僕も3回行きました。
 この1300年祭はかなり早い段階から情報発信をされていたので、注目度もあり、宣伝度合いに応じて、奈良全体も観光客が3年ぐらい前から増えていたのではないでしょうか。

ならまちは元興寺極楽坊が世界遺産になった1998年から地道に訪客を増やし、当時80軒程度だった界隈の商店も現在は200軒近く存在します。
 同時に、ならまちでは多くの方が企業努力で、顧客を増やしていってます。
 もう一つ、断っておきます。弊社が運営する奈良町情報館は2007年10月5日からスタートした民間の案内所になります。
補助金などはまったくいただいていませんので、自分たちの力で毎年少しずつ、人を集客できる努力をしています。
 それは2008年・2009年と情報館の来館者数が増えている要因の一つでもあると思います。

その中で昨年は、今思うと春も秋もすごい人手でした。春は阪神なんば線・秋は阿修羅像。

それに対して、今年は3月・4月と悪天候で
雨が降れば人が来なくなる「ならまち」の弱点をさらけ出しました。
 そして、GWを迎えました。
今年は平城遷都1300年祭の年である。
そして人が減りました。
ならまちの商店の失望感は言葉に表せないぐらい悲痛でした。

私は朝日新聞の記者から取材を受けた段階で、
情報館の来館者数だけではなく、5~6軒の
お店を一緒に回り、現状を紹介しました。
お店の方は、県庁という大きな組織に対して
表だってお客さんが減ったと言うのは怖いということで、匿名で記事にしないという事でしか話を聞かせてくれませんでした。
取材の記者の方と、掲載に載ってた記者名が
違いましたので、若干行き違いはあったかも
しれませんが、その町の全体的な失望感を伝えることができたと思います。

私はお店を20軒程回って感じた感想なども伝えました。tetsudaさんはお店の情報などを集められましたでしょうか。

そして、読売新聞の記事については、春のフェアの期間中の情報を比較してもらいたいという取材要請でしたので、その情報を出しました。

昨年はインフルエンザがあり、GW後の集客は著しく落ち、売上の減少は甚だしかったです。

ならまちの事を長々と書きましたが、
個人の感想としては、次への課題を明確に
することが重要なのではないでしょうか。

ならまちも、柳生も特に1300年祭に対して大きな対策を打ったわけではなかったと思います。
それは弊社の反省材料でもあります。

しかし、平城宮跡に合わせて何かイベントをやる事の方が、僕は大仏商法なのではないかと思います。

ならまちはならまちのコンセプトがあります。
町中には
「日本で一番古い町です大切にしましょう」。
というような言葉があります。

この町は、昔からの変わらない日本らしい生活風景が残っており、それを見て感動する人がまた町を訪れます。
地域の氏神神社・風習・変わらない建物。
その中に人と人が無意識に繋がっている
コミュニケージョンツールが沢山存在します。
多摩ニュータウンの孤独死はならまちでは
起こりにくい事象だと考えます。
ならまちに来て、自分の今住んでいる地域を
見つめ直す。地元に帰ってその人のまちづくりが始まる。またまちづくりにつまずいて、
ならまちを見に行く。

 そこに変わらないこの町の魅力があります。

ならまちに来て多くの人が感動して帰ってくださいます。
「氏神祭り、来年も見に来ます」。
「祝日の国旗掲揚忘れてました。私も帰ったら祝日は掲揚したいと思います」。

そんなならまちには何の派手さも鮮やかさも
ないですが、人の心に響く物が存在すると思います。これはならまちのコンセプトだと思います。

ここに1300年祭という大きなイベントが現れます。洪水のようだったと思いました。

ならまちの商店がこれまでに作り上げてきた
顧客の中では
「今年は忙しそうだから来年行くわ」と
お店のDMへ返事が来たり、同じ内容の電話の連絡があったりと、これまでの地道な努力が
今年、途切れたという出来事もありました。


それと、今回の平城遷都1300年祭は県内需要と供給がマッチしていたとは言い難いと思います。

県内にはならまちと同じように地域の生活文化を残しており、まちづくりが盛んになっている地域が多く存在します。大和高取・宇陀松山・御所町・五条新町・今井町・大和高田。
他にも魅力的な場所は沢山あり、そこには大都会にはない、日本らしさが存在します。

奈良観光はこれまでの名所や旧跡を回る事以上に、ならまちを中心とする生活文化を見る
「まちあるき型」への広がりを進めていくべきではないでしょうか。
「まちあるき型」の観光地は購買力のあるお客さんが来ます。食事をして、施設を見て、お茶をして、おみやげを買って帰っていきます。

名所の近くでうどん・そばを食す事との経済効果の差は歴然としているのではないでしょうか。
また、弊社が掲げる観光を主体とした地域経済の発展は早急課題であると思います。
ならまちに人が来て、吉野が潤う、
今井町に人が来て葛城の農業が潤う。
購買力を集める努力をする中で、周辺地域が潤えば、観光はもはや小さな産業ではなくなります。
県内の各旧市街地はその可能性を大いに秘めています。

今回の平城遷都1300年祭にはこの奈良らしい
地域住民の日常の風景がなかった事が少し残念でした。

思う事をそのまま書きすぎましたので、あまり
まとまっていませんが、思う事を書かせていただきました。

 個人としての感想は、あと1年後に1300年祭が
あればそれなりに準備して参加できただろうと思いました。
まちあるき型観光 (tetsuda)
2010-11-26 06:19:06
おぜんさん、タダアキさん、コメント有り難うございました。

> 食事が美味しくなかったという声を沢山聞きました。他府県から来てる
> 方もさんざん待たされた挙句、あまりにも美味しくないと…。私自身、
> フードコートやお弁当をいただいてないのでなんともいえませんが…。

私も、もっぱらスタッフ弁当をいただいていましたので、フードコートはあまり利用していません。最終日には立ったまま食べておられる方がいらっしゃいましたが、予想の1.5倍来られましたので、待ち時間や席数に問題があったことは想像できますね。

> 私はお店を20軒程回って感じた感想なども伝えました。
> tetsudaさんはお店の情報などを集められましたでしょうか。

はい。私は奈良町情報館さんの記事が出た1~2か月後、確認のため、何軒か飲食店を訪ねてヒアリングしましたが、「失望感」や、報道にあった「宮跡に客を取られた」という感じではなかったです。「遠くで花火が上がっている」(ウチには関係ない)という感覚でしょうか。

この秋にも、財団の関係者に聞きましたが、「年間を通じては、やや増えたという感じ」というものでした。比較する時点が違うのかも知れませんが。

> ここに1300年祭という大きなイベントが
> 現れます。洪水のようだったと思いました。

> 平城遷都1300年祭にはこの奈良らしい
地域住民
> の日常の風景がなかった事が少し残念でした。

タダアキさんのおっしゃる意味が、少し分かりました。古き良き日本の伝統が残り、ゆっくり歩いて回っていただきたい「まちあるき型」の観光地であるならまちと、「洪水」のように全国の人を集めた1300年祭とでは、コンセプトとして相容れないものがあった、ということですね。

それは分かります。遠くから団体バスでわあっと宮跡に押し寄せ、午後からは奈良公園や西ノ京にわあっと散っていくお客は、もともとならまちには不向きな観光客だったのでしょう。ならまちに足を運んだところで、すぐに退屈して帰ってしまいそうです。

しかも、今後とも奈良がめざすべきは、ゆっくり歩いて回る「まちあるき型の観光」なのに、「従来型の物見遊山的観光(派手なイベント)で人を集めた」と騒ぐのはお門違い、ということですね、私はそう理解しました。

> 個人としての感想は、あと1年後に1300年祭があれば
> それなりに準備して参加できただろうと思いました。

1300年祭の宮跡会場は物見遊山型観光(マスツーリズム)で成功を収めましたが、来年以降は、そうは参りません。「歩く奈良」は、ポスト1300年の最大の観光テーマの1つです。タダアキさんのところとも連携して、「まちあるき型の観光」「まちおこし型の観光」に取り組まねばなりません。私も何か協力できればと思います。

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