田中利典師の名著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』扶桑社新書から抜粋して紹介するシリーズ、4回目の今日のタイトルは「それぞれの役割をもつお経」。『父母恩重経』という中国で作られたお経(偽経)の話である。師のFacebook(1/17付)から抜粋する。
拙著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』は4年前に上梓されました。もう書店では置いてないですが、金峯山寺にはまだ置いています。本著の中から、しばし、いくつかのテーマで、私が言いたかったことを紹介しています。よろしければご覧下さい。
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「それぞれの役割をもつお経」
お経は耳で聞くだけでなく、自分が唱えるということにも意味があります。私は一日に三回くらいは「般若心経」を唱えますが、そのほかにも修験でよく唱え、一般の方にもおすすめなのが「本覚讃」というお経です。これは簡単に言うなら、誰もが仏になれる、あるいはもともと仏性をもっているということを説いたものです。
帰命本覚心法身(きみょうほんがくしんぽっしん)常住妙法心蓮台(じょうじゅうみょうほうしんれんだい)本来具足三身徳(ほんらいぐそくさんじんとく)三十七尊住心城(さんじゅうしちそんじゅうしんじょう)普門塵数諸三昧(ふもんじんじゅしょさんまい)遠離因果法然具(おんりいんがほうねんぐ)無辺徳海本円満(むへんとくかいほんえんまん)還我頂礼心諸仏(げんがちょうらいしんしょぶつ)
私たちは仕事でもプライベートでも煩悩を捨てきることができず、あれやこれやで忙殺されて、自分を見失いがちですが、一日の終わり、就寝前に唱えられると、改めて自分を見つめ直すことができると思います。
お釈迦さまは相手に応じて説かれるお話の内容を変えられました。これを「応病与薬」といいますが、お腹が痛い、腹をくだしている人にはお腹の薬、頭痛に苦しむ人には頭痛薬を処方するように、状況に応じた伝え方をされたのです。お釈迦さまの教えは「八万四千の法門」といわれているように、お経もたくさんできました。
じつは私は地元FM局「FMいかる」で月に数回パーソナリティを務めており、毎回、いろいろなゲストをお招きしているのですが、以前に中学生が社会勉強を兼ねて遊びにきてくれたときに、彼らにお教えしたのが『父母恩重経』です。お釈迦様は親への恩がいかほどのものかを具体的にいくつも挙げ、その恩に報いること、感謝することの大事さを「父母の恩重きこと、天の極まりなきが如し」と説かれたのです。
人は遅かれ早かれ死んでいきます。死は必ず平等に訪れる。それはわかっているのに、そのことを意識しないまま、親に対して、「しかるに長じて人となれば、声を荒らげ、気を怒らして、父の言に順がわず、母の言に瞋を含む。すでにして妻を娶れば、父母に背き違うこと、恩なき人のごとく、兄弟を憎み嫌うこと、怨みある者のごとし」 という態度をとってしまうことがあります。しかし父母に十種の恩徳があるのです。
第一懐胎守護(かいたいしゅご)の恩。
=懐妊中、お腹の子を思い身も心もくだいてお守りくださる恩である。
第二臨産受苦(りんさんじゅく)の恩。
=出産、陣痛の苦しみに耐え忍び、わが子をお守りくださる恩である。
第三生子忘憂(しょうしぼういう)の恩。
=出産し赤子の顔を見るときは心身の苦しみを忘れ、お喜びくださる恩である。
第四乳哺養育(にゅうほよういく)の恩。
=自らの血液、180石もの母乳を与え、養育してくださる恩である。
第五廻乾就湿(えけんじゅしつ)の恩。
=母は汚れた所に寝て、乾いた所へ我が子を寝かせてくださる恩である。
第六洗濯不浄(せんかんふじょう)の恩。
=子が排泄した不浄物を、洗い浄めてくださる恩である。
第七嚥苦吐甘(えんくとかん)の恩。
=自らはまずい食物を口にして、子にはおいしい食物をくださる恩である。
第八為道悪業(いぞうあくごう)の恩。
=子供に代って、地獄におちても子の幸せを念じてくださる恩である。
第九遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩。
=親を離れて子が旅をするとき、我が子の無事を念じてくださる恩。
第十究竟憐愍(くぎょうれんみん)の恩。
=父母は我が身に代えて子を守り、死んだ後もお守りくださる恩である。
まさに「父母の恩重きこと、天の極まりなきが如し」です。『父母恩重経』を知って、ふだんからそれに接していれば、「親孝行したいと思ったときには親はいず」と悔やむこともなくなるでしょう。生き死には必ずしも順番はありませんが、たいがいは親のほうが先に逝きます。親を弔うということを意識するなら、この『父母恩重経』もぜひ知っておきたいお経です。
私たちは、自分の生命の灯が消える日がいつくるのか、自分のことなのにわかりません。そして避けることもできません。でも、生まれてきたからには、誰もがいつか死を迎えるのです。「生まれてきたから、死んでいく。ただそれだけのことだ」とお釈迦さまも言われました。
最晩年、お釈迦様は信者のもてなしを受けてそのご馳走に(茸とか豚肉といわれています)にあたって、臨終の苦しみのなかにあったとき、自分のせいでこうなったと悲しみにくれる者に対して、死を前にしたお釈迦さまがこう言われたのです。
いつ死ぬかはかわからなくても、考えていた通りの死に方はできなくても、死の瞬間まで、「よく生きる」ことはできるのです。周りの方々や尊敬する方々の死を受け止め、そこに人としての生き方を倣うことができたらいいと思います。
*写真は『父母恩重経』。
~拙著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』(扶桑社BOOKS新書)からの跋文/電子書籍でも読めます。
拙著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』は4年前に上梓されました。もう書店では置いてないですが、金峯山寺にはまだ置いています。本著の中から、しばし、いくつかのテーマで、私が言いたかったことを紹介しています。よろしければご覧下さい。
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「それぞれの役割をもつお経」
お経は耳で聞くだけでなく、自分が唱えるということにも意味があります。私は一日に三回くらいは「般若心経」を唱えますが、そのほかにも修験でよく唱え、一般の方にもおすすめなのが「本覚讃」というお経です。これは簡単に言うなら、誰もが仏になれる、あるいはもともと仏性をもっているということを説いたものです。
帰命本覚心法身(きみょうほんがくしんぽっしん)常住妙法心蓮台(じょうじゅうみょうほうしんれんだい)本来具足三身徳(ほんらいぐそくさんじんとく)三十七尊住心城(さんじゅうしちそんじゅうしんじょう)普門塵数諸三昧(ふもんじんじゅしょさんまい)遠離因果法然具(おんりいんがほうねんぐ)無辺徳海本円満(むへんとくかいほんえんまん)還我頂礼心諸仏(げんがちょうらいしんしょぶつ)
私たちは仕事でもプライベートでも煩悩を捨てきることができず、あれやこれやで忙殺されて、自分を見失いがちですが、一日の終わり、就寝前に唱えられると、改めて自分を見つめ直すことができると思います。
お釈迦さまは相手に応じて説かれるお話の内容を変えられました。これを「応病与薬」といいますが、お腹が痛い、腹をくだしている人にはお腹の薬、頭痛に苦しむ人には頭痛薬を処方するように、状況に応じた伝え方をされたのです。お釈迦さまの教えは「八万四千の法門」といわれているように、お経もたくさんできました。
じつは私は地元FM局「FMいかる」で月に数回パーソナリティを務めており、毎回、いろいろなゲストをお招きしているのですが、以前に中学生が社会勉強を兼ねて遊びにきてくれたときに、彼らにお教えしたのが『父母恩重経』です。お釈迦様は親への恩がいかほどのものかを具体的にいくつも挙げ、その恩に報いること、感謝することの大事さを「父母の恩重きこと、天の極まりなきが如し」と説かれたのです。
人は遅かれ早かれ死んでいきます。死は必ず平等に訪れる。それはわかっているのに、そのことを意識しないまま、親に対して、「しかるに長じて人となれば、声を荒らげ、気を怒らして、父の言に順がわず、母の言に瞋を含む。すでにして妻を娶れば、父母に背き違うこと、恩なき人のごとく、兄弟を憎み嫌うこと、怨みある者のごとし」 という態度をとってしまうことがあります。しかし父母に十種の恩徳があるのです。
第一懐胎守護(かいたいしゅご)の恩。
=懐妊中、お腹の子を思い身も心もくだいてお守りくださる恩である。
第二臨産受苦(りんさんじゅく)の恩。
=出産、陣痛の苦しみに耐え忍び、わが子をお守りくださる恩である。
第三生子忘憂(しょうしぼういう)の恩。
=出産し赤子の顔を見るときは心身の苦しみを忘れ、お喜びくださる恩である。
第四乳哺養育(にゅうほよういく)の恩。
=自らの血液、180石もの母乳を与え、養育してくださる恩である。
第五廻乾就湿(えけんじゅしつ)の恩。
=母は汚れた所に寝て、乾いた所へ我が子を寝かせてくださる恩である。
第六洗濯不浄(せんかんふじょう)の恩。
=子が排泄した不浄物を、洗い浄めてくださる恩である。
第七嚥苦吐甘(えんくとかん)の恩。
=自らはまずい食物を口にして、子にはおいしい食物をくださる恩である。
第八為道悪業(いぞうあくごう)の恩。
=子供に代って、地獄におちても子の幸せを念じてくださる恩である。
第九遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩。
=親を離れて子が旅をするとき、我が子の無事を念じてくださる恩。
第十究竟憐愍(くぎょうれんみん)の恩。
=父母は我が身に代えて子を守り、死んだ後もお守りくださる恩である。
まさに「父母の恩重きこと、天の極まりなきが如し」です。『父母恩重経』を知って、ふだんからそれに接していれば、「親孝行したいと思ったときには親はいず」と悔やむこともなくなるでしょう。生き死には必ずしも順番はありませんが、たいがいは親のほうが先に逝きます。親を弔うということを意識するなら、この『父母恩重経』もぜひ知っておきたいお経です。
私たちは、自分の生命の灯が消える日がいつくるのか、自分のことなのにわかりません。そして避けることもできません。でも、生まれてきたからには、誰もがいつか死を迎えるのです。「生まれてきたから、死んでいく。ただそれだけのことだ」とお釈迦さまも言われました。
最晩年、お釈迦様は信者のもてなしを受けてそのご馳走に(茸とか豚肉といわれています)にあたって、臨終の苦しみのなかにあったとき、自分のせいでこうなったと悲しみにくれる者に対して、死を前にしたお釈迦さまがこう言われたのです。
いつ死ぬかはかわからなくても、考えていた通りの死に方はできなくても、死の瞬間まで、「よく生きる」ことはできるのです。周りの方々や尊敬する方々の死を受け止め、そこに人としての生き方を倣うことができたらいいと思います。
*写真は『父母恩重経』。
~拙著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』(扶桑社BOOKS新書)からの跋文/電子書籍でも読めます。
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