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古式ゆかしい国栖奏(くずそう)、浄見原神社(吉野町)で今年は3月1日奉納/毎日新聞「ディスカバー!奈良」第53回

2018年02月10日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が毎週木曜日、毎日新聞奈良版に連載している「ディスカバー!奈良」、今週(2/8)掲載されたのは「翁が演じる国栖奏 吉野町の浄見原神社」、筆者は同会会員で「姫路から来た優等生」こと池内力(いけうち・ちから)さん。姫路市の出身・在住である。この神社、『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』(山と渓谷社刊)によると、
※トップ写真は翁の舞(吉野町の浄見原神社で。吉野町の提供写真)

浄見原神社(吉野郡吉野町南国栖) 
南国栖の吉野川右岸断崖上に鎮座する旧村社。毎年旧正月14日国栖翁の末裔の人々によって国栖奏が奉納される。国栖奏とは石押分(いわおしわく)の末孫の翁筋の人々が朝廷の大儀に御贄を献じ、歌笛を宮中の儀鸞門外で奏した美しい故事に則ったもので、舞翁2人、笛翁4人、鼓翁1人、謡翁5人の計12人で奏上する。岩壁に建つ神殿は、神明造一間社。


今や国栖奏の日には長蛇の列ができて、なかなか拝観することができないそうだが、私は幸運にも、2010年の「平城遷都1300年記念祝典」(平城宮跡)と2016年の「御鎮座記念祭」(橿原神宮)で拝観することができた。『日本大百科全書』の「国栖奏」によると、

古代部族「国栖」の歌舞。『日本書紀』応神天皇19年には、吉野行幸のおりに、その地の土着民、国栖が献上物を持って訪れ、歌を詠み終わって口を打ち仰ぎ咲(わら)うさまが記されているほか、『古事記』にも「口鼓(くちつづみ)を撃(う)ち伎(わざ)を為(な)し」たとある。

吉野国栖のこの独特の所作は、後の豊明節会(とよあかりのせちえ)をはじめとする諸節会に参勤して奏された国栖舞、あるいは国栖奏ともいわれる風俗歌舞の起源を示すものであろう。国栖奏は、大嘗祭(だいじょうさい)、諸節会などの朝廷の大儀に重要な役割を果たすようになった。



舞殿へ参道を上る翁たち(同)

では、池内さんの記事全文を紹介する。

旧暦の正月14日に浄見原(きよみはら)神社(吉野町南国栖)で行われる国栖奏(くずそう)は、応神天皇の前で演じたのが始まりだと言われています。古代から宮中で奉納されてきましたが、平安時代末期以降は、壬申の乱の際に大海人皇子をかくまった場所に創建された同神社で奉納されています。

歌笛を演じるのは翁筋(おきなすじ)と呼ばれる家の12人で、神官を先頭に笛を演奏しながら参道を上ります。舞殿では、鈴とサカキを持って舞い、笛と鼓を演奏し、「正月」「延栄(えんえい)」とはやします。最後は、全ての翁が右手を口元に当てて上体を反らす「笑いの古風」を行って終わります。

神饌(しんせん)は、栗や一夜酒、ウグイ、根芹(ねぜり)、赤カエルと珍しいものです。地元の人たちに伝え継がれる古式ゆかしいお祭りで、多くの参拝者で賑わいます。

【メモ】浄見原神社へは近鉄大和上市駅からコミュニティバスで「南国栖」下車、徒歩約7分。今年は3月1日午後1時ごろからの予定(奈良まほろばソムリエの会 池内力)。


アカガエルは「毛瀰(もみ)」とも呼ばれ、大変美味しいものなのだそうだ。私もウシガエル(食用蛙)はいただいたことがあるが、鶏肉のささ身のような味だった。この毛瀰がないことを「もみない」、これが関西弁の「もむない」(=美味しくない)の語源だそうだ。なおこの国栖奏は、古代のままで伝わっているのではなく、『日本大百科全書』の続きによると、

室町時代以降はこれも行われなくなり、国栖奏は廃絶した。今日、昭和初年に雅楽の多忠朝(おおのただとも)がまとめたといわれる国栖奏が、奈良県吉野郡吉野町浄見原(きよみはら)神社の旧1月14日の例祭に行われている。

と、昭和になって復活されたものなのだそうだ。なお多忠朝は、太安万侶の「多氏」の末裔である。トニー谷の「さいざんす」などを作曲したジャズミュージシャン・多忠修(おおのただおさ)も、多氏のご一統。まあこの辺りはトリビアだが。

池内さん、いいお話をありがとうございました!


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