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興福寺別当・経覚(きょうがく)は大乗院門跡「大安寺墓所」に眠る/毎日新聞「ディスカバー!奈良」第99回

2019年02月21日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。1月24日付で掲載されたのは《「応仁の乱」証人しのぶ/奈良市の大乗院門跡大安寺墓所》、筆者は同会理事の石田一雄さん。
※トップ写真の手前やや右に「経覚大僧正」の文字。写真はブログ「マントラよ」から拝借

中公新書のベストセラー『応仁の乱』は、当時興福寺の別当だった経覚と尋尊(じんそん)の日記をもとに記述されている。石田さんはその経覚の墓(大安寺から北へ約200m)を探し当てたのである。では記事全文を紹介する。


大乗院門跡大安寺墓所の石標(石田さんの撮影)

『応仁の乱』(呉座勇一著、中公新書)は、乱の時期に興福寺のトップ・別当であった大乗院門跡経覚(だいじょういんもんぜききょうがく)の日記『経覚私要鈔(しようしょう)』と次代の大乗院門跡尋尊(じんそん)の日記『大乗院寺社雑事記(ぞうじき)』に書き残された奈良から見た乱の様子を基にしています。

4度も別当を務めた経覚の墓があるのが、大乗院門跡大安寺墓所です。復元された大安寺北面中房跡(僧坊跡)の道を挟んだ向かい側に石標が立っています。中へ入ると、三つの墓標や墓石、五輪塔などが並んでいて、真ん中の墓標が経覚のものと伝わります。

奈良時代に官大寺として威勢を誇った大安寺は次第に衰微し、室町時代には大乗院門跡の隠居所として己心寺(こしんじ)がありました。経覚は引退後もここを拠点に活動し、大和の動乱に影響を与えました。なお尋尊は、興福寺境内の菩提院大御堂(ぼだいいんおおみどう)の南東隅に墓所があります。

■メモ JR奈良駅からバス「大安寺」下車徒歩5分(奈良まほろばソムリエの会理事 石田一雄)



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