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日本遺産登録めざす「龍田古道」/毎日新聞「ディスカバー!奈良」第101回

2019年02月27日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。2月7日(木)付で掲載されたのは「聖徳太子も通った道/三郷町から柏原市への龍田古道」、執筆されたのは柏尾信尚さんだった。龍田古道は現在、「日本遺産」登録を申請中だ。三郷町の公式Facebookによると、
※トップ写真は龍田古道の案内板

三郷町では現在龍田古道の日本遺産登録を目指しています。平成28年11月8日、柏原市と「包括協定」を締結し、日本遺産登録への道のりがスタートしました!柏原市と三郷町は龍田古道を中心として亀の瀬や水運・鉄道など、古代から近代に至るまでの「大和と河内を結ぶ道」をテーマに日本遺産に登録したいと考えています。

そして本年1月24日付で、三郷町と大阪府柏原市は「歴史と地すべりが創り出す壮観な風景と龍田古道~古代から現代まで苦悩に満ちた龍田越え~」として奈良県庁経由で文化庁に日本遺産申請が行われたのである。ではそろそろ柏尾さんの記事を紹介する。


峠八幡神社(大阪府柏原市)

JR関西線(大和路線)三郷駅付近から大和川右岸沿いに西へ大阪府柏原市に向かう道は、古代から大和と河内を結ぶ重要なルートです。北路、中路、南路と複数あり、それら総称して「龍田古道」と呼ばれています。

大和盆地の河川がすべて集まる河内国境の場所は亀の瀬と呼ばれ、川幅が狭く両側に山が迫り、現代も地すべり対策工事が行われている交通の難所でした。聖徳太子が主導して「官道」として整備したといわれ、道沿いには太子ゆかりの寺院が建っていたようです。

峠越えで最も高低差の少ない大和川添いの道(南路)が多く利用されたと考えられ、奈良時代には平城宮から郡山、斑鳩を経て難波宮に至る歴代天皇の行幸路でもあったようです。三郷駅近くの磐瀬の杜には、鏡王女(かがみのおおきみ)の万葉歌碑が建っており、道中には旅人の安全を護る峠八幡神社が鎮座しています。


日本遺産申請のタイトルが「歴史と地すべりが創り出す壮観な風景と龍田古道~古代から現代まで苦悩に満ちた龍田越え~」というのには驚いた。「地すべり」とか「苦悩に満ちた」という言葉が入っていたからだ。発表は5月、今から楽しみにしています!


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