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コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

近鉄下田駅から北へスグ、うどん・丼物「一八(いっぱち)」/昭和レトロ食堂(37)

2022年05月03日 | グルメガイド
久々に「昭和レトロ食堂」を紹介する。うどん・丼物の「一八」(香芝市下田西2-2-51)で、近鉄下田駅から北へ210m、コーナンのすぐ北にある。交通量の多い国道168号に面していて、手前には堂々とした白壁の鹿嶋神社と大きな歩道橋がある。訪ねたのは日曜日(2022.5.1)の正午ごろだった。カウンターの向こうにはご店主と奥さん。



お店には先客の男性が2人いて(カウンターで別々に座っていた)、お2人とも「豚しょうが焼定食」税込み(以下同じ)1,050円を食べていた。少し心が動いたが、私は「こぶうどん」520円と「おにぎり」190円を注文、出て来たのが写真の料理である。なお520円というのは最安値で、他には月見うどん、玉子とじ、きざみうどんがこの価格帯である。





うどんツユは関西風のあっさり味で、これは私の好みである。たっぷりのおぼろ昆布は美味しくツユに溶ける。おにぎりは、注文を聞いてから奥さんが握ってくれた。大きな保温ジャーから取り出したばかりのご飯を手早く握っていて、「熱くないのかなぁ」と少し心配になった。具は昆布の佃煮だ。できたてあつあつで、これはいい。



ご店主に聞いてみた。「なんで一八(いっぱち)なのですか?」「もとは大阪でクジラを商っていましたが、商売替えしました。未知の仕事を始めるので『イチかバチか』で一八です」。イチかバチかのチャレンジが成功されたというわけだ。

お店を出たあと、すぐ南(近鉄下田駅前)の鹿嶋神社にお参りした。同神社のHPには、

香芝の地名は当社の「カシマ」に由来するともいわれています。「もりのみやさん」「おうぎのみやさん」とも呼び親しまれ、往古からこの地の守り神「鎮守の杜」として、広く皆様から大切にされています。



当社の創建は第80代高倉天皇の承安2年(1172年)3月に、源義朝の家臣であった鎌田政清の子・鎌田小次(二)郎政光が常陸国(現、茨城県)鹿島神宮の御分霊を勧請したのが始まりとされます。



当社に伝わる古文書(鹿嶋文書)によると、平治元(1159)年、平治の乱にあって源義朝が平清盛に敗れ、東国へ敗走中に義朝の第一の家臣であった鎌田兵衛藤原政清の舅 尾張国(現、愛知県)半田郡野間の長田庄司忠致に匿われました。 しかし、忠致は恩賞目当てに義朝を浴場で暗殺、政清も忠致の子景致に殺害され、随行家来の大半は討死致しました。鎌田政清の子・政光はかろうじて難を逃れ、常陸国 鹿嶋神宮に辿り着いたとされています。



そこで、源氏の再興を祈願し、百日の参籠を行い、昼夜一心に法華経を誦唱しました。 満願の夜、夢に一老翁が現れ「庚子(の年)源氏栄え、汝の福 西にあり」との御神託があり、御分霊の御幣を奉じ西方へと向いました。大和の下田の里で夕暮れとなり、土手(田のほとりとするものもある)の松の木の下で野宿し、翌朝この地の景色が極めて鹿嶋に似ていた為、懐かしく思いここに小祠を建て鹿嶋大明神を祀ったといわれます。

これは初耳だった。源義朝は頼朝・義経の父だから、ほぼ「鎌倉殿の13人」の時代である。しかも今年は2022年なので、ご鎮座から850年の節目の年に当たる。コロナ禍のなか、特別な祭事はHPには出ていないが、このままコロナが落ち着けば10月16日の例祭(秋祭り)は賑わうことだろう。

皆さん、ぜひ「一八」をお訪ねください、そして帰りには、「鹿嶋神社」にお参りしてください!
※食べログは、こちら

※5/15追記 5/6にお店を再訪した。注文したのは、人気の「豚しょうが焼定食」税込み1,050円。豚肉とキャベツの量がとても多くて驚いた。これは人気を集めるはずである。美味しく完食させていただいた。






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