tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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田中利典師の「粉骨砕身」(『月刊住職』2016年3月号)

2016年03月14日 | 奈良にこだわる
「寺院住職実務情報誌」と銘打った興山舎刊『月刊住職』2016年3月号(1,404円)を買った。お寺の住職に転職しようと思ったのではない。金峯山寺長臈(ちょうろう)田中利典師へのインタビュー記事が載っているからである。利典師のブログ「山人のあるがままに」には
※人物写真は利典師のFacebookから拝借

『月刊住職』3月号(3月1日発売)に、大変、褒めていただいて、私のことを紹介して頂きました。取材は昨年にあったのですが、ようやく、今月号で記載されました。とても丁寧な取材で、記者のUさんが、わざわざ東京から綾部までおいでいただき、熱心にお話をきいていただき、また合計8ページにも及ぶ熱烈なる文章を書いていただきました。以前に取材でお会いした方でしたので、私も気さくにお話が出来ました。

「衰えかけた吉野山修験道を世界に知らしめた住職の粉骨砕身」
明治政府により壊滅的に破壊された奈良の吉野山修験道だが、今やユネスコの世界文化遺産にも認定され日本文化の中心として世界中から注目を集めている。その立役者が金峯山修験本宗の元宗務総長でもある京都府綾部市の住職だ。修験再興への奮迅の軌跡をルポ。

…とまあ、少々というか、針小棒大にかなりな褒めすぎの内容ですが、よろしければ、書店で手にとって見ていただければと思います。まあ、いないとは思いますが、私のファンなら、涙がちょちょぎれるような内容です。いささか恥ずかしいです。




「涙がちょちょぎれるような内容」とあれば、利典ファンとしては読まないわけにはいかない。書店では見つけられなかったので、ネットで興山舎に注文した。日本では膨大な数の業界誌(業界紙)が刊行されているそうだが、お寺の住職向けの業界誌があるとは驚きだ。一読、これは良いインタビュー記事である。「針小棒大にかなりな褒めすぎ」ではなく、利典師のありのままが出ている。8ページの全文を転載する訳にはいけないので以下、私が特に注目した箇所を抜粋して紹介したい。

世界文化遺産認定への発信力
金峯出修験本宗の開祖は役行者。金剛蔵王権現を本尊とし、顕密二教を包括する修験道教団だ。平成26年版『宗教年鑑』によると、寺院133、教会86。教師は1,672人で男女比率はほぼ半々。信者は10万2千人に上る。

現在、仏教系の修験道は当山派修験・真言宗醍醐派(総本山醍醐寺)や本山派修験・本山修験宗(総本山聖護院)などが主だが、古より修行の聖地は吉野金峯山を中心とした吉野・大峯山系である。毎年5月、「大峯山戸開け式」が行われると、鈴懸衣を身に着けた修験者や信者たちが続々と入峰修行に挑む。新緑から9月にかけて、「懺悔懺悔、六根清浄」の山念仏が大峯山中にこだまする。



一千年以上続く信仰の聖地を守る教団の宗務総長に、田中往職が就いたのは平成13年。まだ45歳の時だっ元。以後、昨年春に辞任するまで4期14年の長きにわたり、金峯山修験本宗の実務リーダー、いや実質、プロデューサーとして、明治以降、衰退しかけていた修験道の再興に走に続けてきた。活動は多岐にわたるが、内には教団制度の立て直しに始まる各種改革の険しい断行だった。

宗務総長辞任後の今も、精力的に全国を飛び回る。だが、意外にも「どちらかといえば以前は話すより、書くほうが好き。私はトッププレーヤーではなく事務局タイプ」と笑う。修験道再興のきっかけは、田中住職の熱い志にあった。



なんといわれようと山のため
しかし、宗務に携われば携わるほど、利典師には募るものがあったという。歴史ある金峯山寺の知名度の低さである。「当時、地元の人でさえ、蔵王堂は知っていても『金峯山寺』を知らなかったと振り返る。ショックを受けたのが、昭和60年の伽藍大修理落慶に合わせたご開帳だ。何十年ぶりかのご開帳だったが、ほとんどお参りがなかったのだ。

「“薬師寺の高田好胤さんみたいな人が金峯山寺から出なあかんな”といわれたのです。薬師寺には橋本凝胤和上もおられたが、その弟子の好胤さんが出たことが再興につながった。立派な仏様や伽藍があっても、現実には人を介してしか伝わらない。順教猊下にお願いに行ったところ、“わしは歳やからなれん”といわれたのです。そこで不肖、自分は高田好胤にはなれないけれど田中利典にはなれる、と」

なんといわれようと、お山のためにやるしかないと、そ札が始まりだった。教学部長を経て平成13年、宗務総長に就任。同時に金峯山寺執行長にも就いた。同年、師父の遷化に伴い、林南院を継ぐ。45歳。改革は内も外も山積みだった。


修験道は日本のキーワードだ
「明治以降、金峯山寺は衰え、権現様は外に出して壊せと命じられた時期もあった。13年間、鏡を置かれて神社になった時もある。でもあの権現様のお姿は、ありがたいものは何でも取り入れようという、日本人の信仰の融合体みたいなものです。日本人の信仰のよりどころを隠してはいけないと思う。特別ご開帳に毎年、何万人もの参詣者が来てくださる。この時代に修験信仰や権現信仰が意味を持ちえるということ自体、いま思えば時代の要請だったという気もしています。私も、そうさせらたというほうが大きいのかもしれませんね」

この4月、昨年の秋に続いて姿を現す秘仏金剛蔵王権現。そのするどい威光を前にした人々の心に何が湧き起こるだろうか。吉野山で受け取ったそれが1人ひとりから発信される時、社会の中に修験道、いや広く仏教の豊かな世界がさらに広がるに違いない。


いかがだろう。ごく一部の抜粋に過ぎないが、利典師の思いがビンビンと伝わって来るだろう。「薬師寺の高田好胤さんみたいな人が金峯山寺から出なあかん」と言われて一念発起した利典師。その獅子奮迅の努力により吉野山修験道を再興し、「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録を果たされたのだ。

利典師は岡本彰夫氏(春日大社元権宮司)と手を携えて私塾を開かれている。環境問題を考える会(一般社団法人自然環境文化推進機構)も発足された。利典師は長臈(ちょうろう)とはいえ60歳と、まだまだお若い。これからも世の中を良くするため、「粉骨砕身」をお願いします!




                                                
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