てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

モノクローム・ド・パリ ― ドアノーを回顧する ― (3)

2009年02月27日 | 美術随想

『群集』1969年

 ドアノーの写真には、ある“たくらみ”が込められているのではないか。それが、このたび200点あまりに及ぶ彼の写真をつぶさに観た率直な感想だった。何必館の梶川芳友氏は「写真は創るものではなく、探すものだ」というドアノーの言葉を伝えているが、彼はただカメラをぶら下げてパリの街をほっつき歩いていたわけではない。シャッターチャンスはどこにでも転がっているものではないのである。

 画廊のウィンドーにエロティックなヌードの絵を掛けておいて、それを眺める人々のさまざまな表情をとらえた連作があった。あからさまに眼を白黒させている人、分別くさく考え込む人、まさしく十人十色である。また今回の展覧会場にも巧妙な仕掛けがあって、その写真が掛けられている壁はマジックミラーのようになっており、裏側で作品を鑑賞しているお客の顔が透けて見えるようになっていた。ということは、このぼくの顔も誰かに見られていたということである。

 ルーヴル美術館で『モナリザ』を眺めている人々を写したものもあった。以前に観たエリオット・アーウィット展での、ゴヤの裸体画の前にたむろする男たちの写真を思い出したが(「茶室と庭のある写真展 ― エリオット・アーウィットを観る ―」)、あちらは後ろ姿だったのに比べて、こちらは世界的名画を前にした人々の表情が克明にとらえられている。満足、緊張、驚き・・・いろいろな思いが彼らのうえに明滅する。絵を観ているとき、ぼくたちは変に感情をむき出しにした、無防備な顔をしているものらしい。

 展示室の一角に座っている監視員の人は、そんな人たちの顔を、見ないふりして実はたくさん見てきているのだろう。来場者の多い有名美術館の場合は監視する側のストレスも相当なもののようで、ルーヴルやオルセーでは監視員のストライキが起こったりもしているが、秘められた人間観察の場としてはまことに申し分ないような気がする。価値はあるけれど決して動かない美術品よりも、ときとして予想もできない反応を示す人間のほうに関心が深くなければ、この仕事は勤まらないのかもしれない。そう考えてくると、やや意外なことだが、監視員は写真家と同じカテゴリーに属する職業のようにも思われる。その両方が一体化された「監視カメラ」なるものがあちこちで見られるようになったのも、時代の必然なのかもしれない。

                    ***

 ドアノーの写真を観るおもしろさは、生活する人々を通して、その背景としての街が次第に浮き彫りにされていくところにあるようだ。活気ある市場を撮影した写真をモンタージュのように組み合わせたパネルは、まるで巨大な生き物の内臓と、そのなかでうごめく細胞を思わせる。セザンヌはリンゴでパリを征服すると豪語したそうだが、ドアノーはカメラ一台でパリを包括的にとらえるために、実にさまざまな試みをしている。こんな写真家が、東京や大阪にもいたらおもしろいだろう(ぼくが知らないだけで、すでにいるのかもしれないが)。

 『群集』を観たとき、思わず背筋がぞっとしてしまった。車の大群が無秩序に押し寄せてくるほんの手前を、シンプルなベビーカーを片手で押しながら若い母親が横切ろうとしている。危険きわまりないが、彼女の彫像のように美しいシルエットは、迫りくる自動車の群れを圧倒するほどの存在感を放ち、崇高ささえ感じさせる。ドアノーの意図はどうあれ、ぼくには車社会とすれすれのところで生きのびている人間のささやかな抵抗をみるような思いがした。機械文明が生活を侵食しはじめていた時代。パリの街も、明らかに変わろうとしていたのではなかろうか。

 21世紀の今、花の都はいったいどんな変貌を遂げているのだろう。観光客が見落としがちな生活感あふれるパリの姿を、ヒューマニズムの視線に徹して撮りつづけた写真家が世を去ってから、早くも15年が過ぎようとしている。

(了)


DATA:
 「ロベール・ドアノー写真展 パリ・ドアノー」
 2009年1月31日~2月22日
 美術館「えき」KYOTO

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