
ジェームズ・アンソールは、実はぼくが長いこと黙殺してきた画家である。というと大げさだが、正直な話、感覚的にどうしても受け付けないところがあるのだ。ひとことでいえば、彼の絵はあまり美しいとは思えない。むしろグロテスクでとげとげしく、色調もかなり、どぎつい。
骸骨や仮面といったモチーフが繰り返し登場し、わがもの顔に絵の中を跋扈する。首吊りや排泄といったショッキングなシーンが好んで描かれたりもする。どう考えても、心穏やかに鑑賞するたぐいの絵とはいえない。
アンソールの生涯については ― 好きでもない画家について調べることもないので ― あまり詳しく知らないが、その画風の背景にはやはり、画家を取り巻く社会との根深い軋轢があることはたしかだろうと思われる。ゴヤの先例を持ち出すまでもなく、社会批判が時として不気味で衝撃的な絵画を生み出す例はいくらでもあるからだ。
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今回出品された『ロシア音楽』(上図)は、そんなアンソールのイメージからいちじるしくかけ離れたものであった。この穏和な室内の情景は、ボナールの絵をちょっと思い出させるところがある。画家が21歳のとき、まだ骸骨や仮面が彼の絵に現れる前の作品だという。
このたびようやく重い腰を上げて、アンソールについてごく大まかに調べてみると、彼は10代の終わりに王立の美術学校で学んでいるようだ。しかしそこで受けた正統的かつ保守的な教育は、生来の異端者たるアンソールの意にかなうものではなく、卒業を待たずに退学している。『ロシア音楽』はその直後に描かれたものらしい。
それにしても、この絵にはどことなく陰気な感じがともなう。窓際には大きな壺などが置かれ、ピアノの上には一枚の絵画すらかかっている上流家庭のサロンの中で、ピアノの演奏を楽しむことはまことに趣味のいい話にはちがいないが、ここからはいかなる美しい音楽も聞こえてはこない。真後ろを向いた女の姿と、厳しい横顔を見せる男との間には、音楽を仲立ちとした濃密な関係が生まれているはずなのに、そういった親しさもない。
一見すると穏やかに見える日常生活の中にも、必ずや不穏な要素が隠されている・・・。そのことを、若き日のアンソールはすでに見抜いていたのかもしれない。ほどなく、うつろな眼窩をした死神や派手な化粧を塗りたくった仮面が彼の作品の常連になってくると、絵のテンションは一気に上がり、声高なトーンでおのれを主張しはじめるのである。
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19世紀の末に描かれた『仮面の中の自画像』(上図、メナード美術館蔵)は、そんなアンソールの絶頂期を代表する一枚であろう。画家はいわば、忠実な役者たちを従えた舞台監督のように堂々としている。奇怪な仮面にぐるりと囲まれて、彼の男ぶりにもますます磨きがかかって見えるが、ただ、その目つきにはどことなく不安の陰が付きまとっているような気がしないでもない。
20世紀になるとアンソールの名声は上昇し、爵位が授けられ、公的な栄誉にも浴するようになるが、反対に彼の絵は精彩を欠きはじめる。こんにちアンソールの代表作といわれるものは、ほとんどすべてが19世紀のうちに描かれたものだそうだ。ついにはベルギー王国の紙幣の顔にもなり、国民的画家という扱いを受けるようになるアンソールだが、彼の後半生は牙の折れた獅子のようなものだったのかもしれない。
ここでもう一枚、自画像を観てみよう。『仮面のある自画像』(下図、フィラデルフィア美術館蔵)は、アンソールが77歳のときの風貌を伝えている。彼は数体の仮面を前にして絵筆をとっているが、かつての自信に満ちた傲然たる物腰とはちがい、まるで店番をしている古物商の爺さんといったおもむきだ。ずり落ちた眼鏡越しにこちらを見やる表情は、やはり一抹の不安を宿しているようにも見える。彼は基本的に、内気で臆病な人間だったのではあるまいか?

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そんなアンソールのもうひとつの側面が、素描家または版画家としての顔だ。そのうちのいくつかには、米粒のような人物が気の遠くなるほどびっしりと描かれているものがある。『大聖堂』(下図、ジェームズ・アンソール・アーカイブ蔵)というエッチングは、ぼくは写真で知っているだけだが、実に何千人という大群集がひしめき合っていて、圧巻といわざるを得ない。しかもこの絵の寸法が、B5サイズをひとまわり小さくしたほどだというのだから、なおさら驚く。

だが、それだけではない。群集を尻目に毅然と建つ聖堂の描写を観ていると、やはりアンソールも『聖女バルバラ』を描いたファン・エイクの血を受け継いでいるにちがいないと思われてくる。彼はベルギー絵画の反逆児にして、フランドル絵画の継承者であったかもしれないのだ。アンソールという画家は、なかなか一筋縄ではいかない存在のようである。
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