てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

てつりう“光源学”(3)

2006年10月19日 | 美術随想
 「和の明かり」が成立するためには、どうやら和紙が必要不可欠のようだ。思えば、木と紙でできた家に長年住みつづけてきた日本人にとって、その素材はごく身近にあったはずである。障子越しに日の光が射し込む、その柔和な明るさは、われわれの先祖にとって親しいものであったにちがいない。行灯や提灯といった、光源を和紙で包み込むという発想は、普段の生活の中から自然に生まれ出てきたものではあるまいか。イサム・ノグチも、堀木エリ子も、その伝統の上に立って仕事をしているのだろう。

 その点、西洋の明かりはランプのように、透明なガラスで包まれていた。明るさをストレートに伝えるガラスの照明は、ほのかな「和の明かり」とは対極にあるといっていい。そこには光と闇という、厳しい二律背反の図式が透けて見えるようである。暗黒に拮抗し得る、確実で揺るがぬ光をこそ、西洋人は求めていたのかもしれない。

 そしてこれはぼくの想像だが、キリスト教のいわゆる“神の光”というものが、西洋の明かりの感覚に影響を及ぼしているようにも思う。それは闇を打ち砕く、強靭な光でなければならなかったはずだからだ。しかしぼくはクリスチャンではなく、西洋人でもないので、本当のところはわからない。

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 ガラスといえば、オランダの住宅はガラス窓が非常に大きいということを、何かのテレビで見たことがあった。しかも曇りガラスなどではなく、透き通ったガラスであり、それをしょっちゅう磨き上げてはピカピカにしておくのだという。カーテンやブラインドなどもあまり使わないそうである。

 おのずと家の内部は丸見えになるはずで、プライバシーは大丈夫なのかと心配にもなるが、そうやって広く開けられたガラスの空間からは、北国のあまり高くはのぼらない太陽の光がさんさんと射し込んでくるのだろう。そういえば「ガラス」という日本語は、もともとオランダから入ってきた言葉らしい。

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 ジャポニスムを取り入れたといわれているエミール・ガレやドーム兄弟のランプシェードも、もちろんガラス製である。だが彼らの場合、それがガラスであるといわれても、にわかに信じられないことが少なくない。ぼくたちはまず、ガラスは透明で脆いものだと頭から思い込んでいるが、ガレたちの作るガラス作品はしばしば不透明で、重厚な物質感をもっているからである。しかし照明を透かしてみると、確かにほんのりと明るいのだ。ぼくはガレのランプを初めて観たとき、「光を孕んでいるようだ」と感じたことをよく覚えている。

 ガレたちは、花鳥風月といった和のモチーフを採用したというだけではなく、ひょっとしたら日本人の感性を深いところで理解していたのではなかろうか? なぜなら、彼らは日本人が昔から和紙でやってきたことを、ガラスという新しい素材を使って試みようとしているかに思われるからだ。色ガラスを何層にも被(き)せ、金銀の箔を散らし、光を妖しく拡散させる手法は、照明に微妙なニュアンスを求めた「和の明かり」と相通ずるものがあるような気がするのである。

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 余談だが、ガレは1900年に開かれたパリ万博にこれらのガラス工芸を出品し、グラン・プリを獲得した。またドーム兄弟はガラス部門の大賞を受賞してもいる。彼らのガラス作品が最も高い栄誉に包まれたこのときの万博会場は、グラン・パレというガラス天井の建物であった(今でも現存している)。しかしその天井に嵌め込まれたガラスは、ごく普通に日の光をとおす、透明なガラスである。

 鉄骨とガラスとでできたこの巨大な建物は、きたるべき20世紀建築のモデルとなったかもしれないのだが、その建物の中で展示されて喝采を受けたのが、ガレとドーム兄弟のガラスだったということは、ぼくには大いなる皮肉に思われる。ふとかえりみれば、ガラスと鉄骨でできた街に日々暮らしつつ、ガレのランプを愛してやまない日本人の屈折した状況が、そのときすでに予言されていたかのようではないか?

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