てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

有名と無名のあいだ ― マルク・リブーの写真を観る ― (1)

2012年04月22日 | 美術随想

〔何必館の最上階にある「光庭」〕

 京都の祇園にある何必館(かひつかん)では、素敵な写真展がしばしば開かれる。もともと写真というジャンルに疎いぼくには、はじめて聞く写真家の名前も多い。マルク・リブーも、そのひとりだった。だいたいカメラという機材が芸術の、それ以上にジャーナリズムの必需品になってからというもの、写真家に分類される人種は世の中にあふれるほどいるはずである。

 展覧会のポスターでたまたま見かけた一枚の写真が、リブーに対する興味を無性にかき立てた。絵画などとちがって印刷物と現物との印象が天と地ほど異なるということは、こと写真の場合に関しては少ないかもしれない。けれども、是非ともあの何必館の静謐な空間で、壁にかけられたリブーの写真を観たいと思った。膝の上で写真集をめくるのとはまたちがったやり方で、彼の写真と対面してみたくなったのだ。

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『ジャン・ローズ』(1967年)

 生まれてはじめて彼の展覧会を観たあとでも、リブーという写真家に関して何も詳しくなったわけではない。彼は来年90歳を迎えるほどの高齢で、かの有名な写真家集団「マグナム・フォト」のメンバーだった、ということがわかったぐらいである。

 だが、『ジャン・ローズ』という写真は、そんな個人の地位や名声を超えて、時代の象徴を見事にとらえた作品ではないかと思う。ぼくがポスターで見かけて、どうしてもリブー展に足を運ぼうと決意させたきっかけは、これだった。

 題名の「ジャン・ローズ」というのが何を意味するのかわからなかったが ― 会場には作品の背景などの説明は一切なかったからだ ― あとから調べてみると、右側の女性の名前であるらしい。けれども、別に有名人というわけではない。1967年のこと、アメリカ・ペンタゴンの前で大規模なヴェトナム反戦デモがおこなわれ、花を捧げたひとりの少女が、銃剣を構える兵士たちの前に進み出た。その瞬間を撮影した一枚である。

 この写真は、『ジャン・ローズ』というタイトルではインパクトがないと判断されたからか、『銃剣に花を捧げる少女』というセンチメンタルな題で呼ばれることもある。けれども、彼女が花を捧げたのは、はたして銃剣に対してだったのだろうか? そうではあるまい。ヴェトナムという不慣れな土地に送り込まれ、命を落としたり怪我をしたりした数万人もの米兵たちに向けられた一輪の花だったはずである。

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 このシーンの直後、ジャンは兵士たちに向かって両手を広げ、どうぞ私を撃ちなさい、といったポーズを見せた。その瞬間も、リブーは撮影している。何必館の展示室の壁には、2枚が並べて展示されていた。ぼくはそれらを見比べながら、たくさんの兵士に狙われながらまったく表情を変えようとしない少女のことを考えていた。

 そして、フォト・ジャーナリズムというものが置かれている立場を、この写真から教えられるような気もしたのだ。相対立する被写体の、どちらの側に加担することもなく、それらをいわば真横から記録するのが、彼らの役目なのである。写真家には、ある種の非情さが要求されるものなのだろう。

 写真が登場する以前の優れた画家たちも、先天的に同じような距離感を身につけていたのではないかと思う。以前「東京ゼロ泊 ― ゴヤ展その他のこと ― (16)」で取り上げたゴヤやピカソの絵の構図が、つい45年前のアメリカでも繰り返されていたことに、どうしようもない無力感を覚えざるを得なかった。

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