てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

ジャポニスムの行方(2)

2014年12月06日 | 美術随想

ジェームズ・マクニール・ホイッスラー『灰色のアレンジメント:自画像』(1872年、デトロイト美術館蔵)

 展覧会はホイッスラーの自画像からはじまっていたが、ぼくが知るかぎり、他の画家のいかなる自画像とも異なったものだった。そこには人物そのものが、色合いの要素のひとつとして表現されていた。いや、ホイッスラーの顔はある程度識別できるように、肖像画としての役割を果たすべく描かれてはいるけれど、首から下の部分はグレーの絵の具をなすりつけただけといってもよかった。

 この絵のタイトルを見ても、主役は画家その人ではなく、灰色という絵の具を使って画面に一種の諧調の美を生み出す、そのための手段としてホイッスラー本人が登場してきているにすぎないことがわかる。無論、やはり近代の画家である以上は、そこにはある程度の自己主張というか、おのれの存在をキャンバスにとどめようという意志があったにちがいないが、それがそのまま、彼の追い求める画風の手段のひとつとして、色彩のために奉仕する役割をも担っているのだ。

 この筆触の速さに、きたるべき印象派の時代の息吹を感じ取ることもできるかもしれないが、ホイッスラーの意図は、おそらくそこにはなかった。この絵は、みずからが実験台にのぼって試みられた、エスキスの一環なのではなかろうか。健康的な血色で彩られた顔の表情とは異なり、手袋をはめたかのように沈んだ色の右手は ― 観かたによっては左の袖から出ているような“ちぐはぐさ”も感じさせるのだが ― 彼が視覚的リアリティーからは遠く離れてしまっていることを示していよう。

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ジェームズ・マクニール・ホイッスラー『灰色と黒のアレンジメント No.2:トーマス・カーライルの肖像』(1872-1873年、グラスゴー美術館蔵)

 同じころに描かれたカーライルの肖像画は、さらに徹底しているといえる。夏目漱石や、近年では安岡章太郎も小説に取り上げた偉大な歴史家が、およそ肖像画にはあり得ないほどのポーズで、鬱々とした“素”のままの存在を晒している。彼が残した輝かしい功績も、世界的な名声もそこにはなく、ただ黒っぽい大きな塊として、眼の前に座っているのである。

 ホイッスラーは、この絵に『灰色と黒のアレンジメント』というタイトルを与えた。カーライルみずからが望んでホイッスラーに肖像を描かせたということだが、だからといって、依頼主をたたえる絵にはなっていないところがおもしろい。カーライルの、やや憮然とした顔つきが、俺は絵画のモチーフとしてこの身を捧げているのだ、といったような自虐性を帯びてさえ見えるではないか。

 いうまでもなく、ここにカーライルという人物の個性がどの程度反映されているのか、21世紀の日本に生きるわれわれには判断しようもないのだが、少なくとも他の肖像写真や肖像画とは一線を画しているといえるだろう。それを受け入れたカーライル自身も、かなり度量の広い、新しい芸術に理解のある人物であることを、この絵を通じて知らしめたのだともいえる。

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参考画像:ジェームズ・マクニール・ホイッスラー『灰色と黒のアレンジメント No.1:母の肖像』(1871年、オルセー美術館蔵)

 なお、カーライルに先立って描かれた同タイトルの作品が、映画のなかでMr.ビーンが致命的なダメージを与えたところの、例の『母の肖像』という名作である。この絵は数年前、神戸でオルセー展が開かれたときに来日していたが、先ごろまで東京で開かれていた展覧会にも出品されていた。つまりある期間、『灰色と黒のアレンジメント』の1作目と2作目がともに日本に来ていたという、まことに贅沢な状況にあったわけである。

 ぼくは神戸でも、そして今年の東京でも、両方ともに『母の肖像』を実際に観ることができた(なお東京の展覧会では『灰色と黒のアレンジメント第1番』という、より音楽的なタイトルになっていた)。ただ、オルセー美術館の顔ともいうべき印象派のそうそうたる画家たちのなかに混じって、ほとんどモノクロームで覆われた画面ははるかに地味な印象を与えたし、ジャポニスムの観点からいうならば、ドガやロートレックなどが得意としたトリミングの妙、つまり人物が画面の端で切れたりすることのない、まっとうな構図で描かれているというべきなのだ。

 ただ、ぼくの心を惹きつけたのは、画家の母親の年老いた、しかし凛とした鋭さを感じさせもする描写だった。眼の前にある何かを ― おそらくそこには何もないはずだが ― 真剣に見つめているかのような彼女の眼差しは、こちらと視線を合わせることがなくとも、背筋をピンと正させる威力をもっているようだった。

 さらにいえば、ホイッスラーが母の姿を描くのに、正面からではなく真横から描くことを選んだのは、彼自身が母の眼に真っ直ぐ見つめられたくなかったからではないか、というような気もしたのである。考えてみると、日本の浮世絵のなかには、絵師の家族の肖像を描いたものなど皆無に等しいのではあるまいか。冒頭の自画像を含めて、まるで落款のように描かれたサインのほかには、ホイッスラーと日本の関係はまだまだ顕在化しているとはいえないだろう。

つづく
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