てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

去年の暮れ、東京のあれこれ(4)

2013年02月16日 | 美術随想
メトロポリタンでの時空の旅 その2


レンブラント・ファン・レイン『フローラ』(1654年頃)

 気がついてみると、ぼくはレンブラントについてかなり頻繁に書いている。これまでもっとも多く言及した画家のひとりであるかもしれない。

 それもそのはず、海外のコレクションを紹介する大掛かりな展覧会があるたびに、レンブラントは日本にやって来ている。フェルメールとちがって数が多いため、さしてニュースにならないだけだろう。最近記事にしただけでも、去年のベルリン、エルミタージュから、今年に入ってから観たマウリッツハイスに至るまで、世界の主要な美術館の常連であるようだ。

 だから、もうそろそろ書くことが底を突いてもよさそうなものだが、なかなかそうはならない。ぼくは決してレンブラントの熱狂的なファンではないけれど、やはりその作品に出会ってしまうと、何かいわずにはおれないものがある。彼自身が、栄光の前半生と失意の後半生を送った人物だけに、複雑な光と影が織りなすその画面のなかに、レンブラントの人生観のようなものを探そうとしてしまうのかもしれない。少なくともフェルメールやルーベンスよりは、その人間くささが匂い立ってくるようでもある。

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 この『フローラ』という絵を観た人は、やや世代の古い人なら「花を召しませ 召しませ花を」という歌のフレーズを思い出すかもしれない。つまり“花売り娘”のような風情で、道行く人の誰かに花を差し出しているところのようなのだ。

 ぼくが思わずそんな連想をしてしまうのも、この“花の女神”の姿が、豪華な帽子以外は至って地味に見えるからである。フローラといえば、ボッティチェリの『春』に出てくる、全身が花柄で覆われた派手なドレスをまとい、まるで花咲か爺さんが灰をまくようなしぐさで咲き乱れた花弁を周辺にまき散らす、美の権化のような姿を思い出す。この絵のなかで神々が立っている地面が花畑のようになり、かぐわしい春の喜びに満ちあふれているのは、ひとえにこのフローラのおかげである。


参考画像:サンドロ・ボッティチェリ『春(プリマヴェーラ)』(部分、1482年頃、ウフィツィ美術館蔵)

 レンブラントが描いたフローラも、まくり上げたスカートの裾にたくさんの花を入れ、そのなかのひと掴みを手にしているところは、ボッティチェリのフローラを踏襲しているといえる。しかし、その服装のシンプルさ以上に、彼女のちょっと沈んだ視線が、ぼくには気になって仕方がないのだ。まるで、気が乗らないのにこのかっこうをさせられているといった雰囲気が、絵を通してもひしひしと伝わってくるようではないか?

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 この絵のモデルになったのは、妻サスキア(「フェルメールと、その他の名品(13)」参照)を亡くしたあとのレンブラントを支えたヘンドリッキェという女性だという。

 なお、サスキアがモデルになったといわれるフローラの像もレンブラントは描き残している(最近ではモデルは別人であるという意見もあって、真相ははっきりしない)。こちらは背景が暗いものの、まるで京都の舞妓さんのように艶やかで、可憐である。


参考画像:レンブラント・ファン・レイン『フローラに扮したサスキア』(1634年頃、エルミタージュ美術館蔵)

 もし、彼が生涯でもっとも大切にしたふたりの女性を、ともに同じ女神に見立てて描いたとするなら、レンブラントは女性のデリケートな心を理解しない鈍感な男だ、というそしりを甘んじて受けなければならないだろう。だいたい、レンブラントは絵の才能がずば抜けていた分、素顔はどうしようもない浪費家で、あまり褒められた人物ではなかったようだ。

 ただ、ぼくにはフローラの扮装をしてたたずむヘンドリッキェが、その陰りのある風貌のなかに、「才能に恵まれながら私生活はだらしのないレンブラントには私がついていなければ」といった静かな熱情を燃え立たせているようにも感じられる。レンブラントはどうやら、人生の後半にさしかかって、ようやく献身的な伴侶を得ることができたのかもしれない。

 ただ、彼女は『フローラ』が描かれてから10年も経たないうちに、38歳の若さで世を去ってしまった。残された画家の孤独な心境は、彼自身が描いた晩年の自画像に余すところなく描かれているとおりである。

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