てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

難しいシャガール(1)

2012年11月10日 | 美術随想

〔「シャガール展2012 ― 愛の物語 ―」のチケット〕

 シャガールの展覧会は、これまで何回観ただろうか。日本の美術館にも、シャガールの絵は数多く所蔵されていると思う。紛れもなく、20世紀の画家のなかではもっとも成功したひとりである。

 その証拠となるような歌があった。NHKの「みんなのうた」で放送された『展覧会で逢った女の子』。作詞をしたのは『千の風になって』で知られる新井満(まん)で、歌っているのも本人だが、そのなかにシャガールのことが出てくる。

 雨 月曜日の昼さがり
 シャガールの展覧会へ行きました
 黄色いリボンの女の子
 青いサーカスの絵の前で
 どうしてあんなに泣いてたの
 僕もかなしくなっちゃった
 展覧会で逢った黄色いリボンの女の子

 この歌が放映されたのは1980年というから、シャガールが亡くなる5年前のことである。生前から、シャガールの名声はすでに世界中に知れ渡っていた。

                    ***

 シャガールのニックネームは、「愛の画家」。本人が聞いたらどう思うかわからないが、そんなふうに呼ばれるのも無理はない。彼の絵には、ところかまわず抱き合う男女が繰り返し登場する。まるで愛の伝道師たらんことを自分に課したみたいに、シャガールは飽きることなくカップルの姿を描きつづけた。

 それらを“偉大なるマンネリ”と呼びたい気持ちが、ぼくにはある。恋人たちが宙を飛んでいたら、それはすなわちシャガールの絵であるし、逆にいえばシャガール以外には誰も描こうとしない絵であった。

 しかも恋人たちだけではなく、ヴァイオリン弾きや、鶏や牛や、故郷ヴィテブスクを象徴する聖堂など、シャガール絵画の常連ともいうべきお馴染みのモチーフはたくさんある。それらの組み合わせを少しずつ変えながら、彼は無数の絵を世に送り出していったのである。

                    ***

 さっき、シャガールは20世紀でもっとも成功した「愛の画家」だ、といった。彼はほぼ1世紀に近い歳月を生き抜き、世界中で親しまれる存在となったのだから、そのバイタリティーたるや並大抵のものではない。だが、シャガールが人生を送った年月が、愛に満ちあふれているばかりの円満な時代ではなかったこともまた明白だろう。ほんの少しだけでも彼と同時代を生きた人なら、なおさらそう思うにちがいない。

 シャガールもさまざまな苦境に立たされたし、戦争にも翻弄された。しかも、生まれたのはユダヤ系の家庭であった。そういった複雑な事情を鑑みれば、シャガールがただ愛だけに生きた人物ではなかったことがわかるはずである。

 彼の出自や宗教にまつわる独特のいいまわしが、その絵のなかに頻繁に描かれているという。しかし、すでにシャガールをよく知っているつもりのわれわれは、「またいつものシャガールか」と思うぐらいで、あまり気にもとめない。

 けれどもぼくは、かなり以前からシャガールの絵のなかにある種の“噛み切れなさ”のようなものを感じてきた。彼の展覧会に足を運ぶたびに、今度こそそれを噛み切ってやろうと意気込むのであるが、いつも空回りしてしまうのだ。

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