テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

政太夫の説教節

2018-09-21 15:13:33 | Weblog
先月31日、説教節政太夫さんの説経節を日暮里に聴きにいってきた。
政太夫さんとは遊行かぶき創立以来のお付き合いだから、もう20年以上になる。
私が説経節を最初に聞いたのは、1996年、つまり遊行かぶき旗揚げの年。ところは時宗総本山清浄光寺(遊行寺)。その本堂で、政太夫さんの師匠に当たる武蔵大掾師の「小栗判官一代記」を聴いたのが最初だった。
 舞踏家大野一雄氏とコラボしたこの歴史的舞台で、初めて接した説経節は言葉もわからず、節回しも初めて聞くものだったが、深い郷愁を呼び覚ますような独特の響きがあり、なぜ知らずその懐かしい世界に身をゆだねていた。武蔵大掾はその後体調を崩され3年後にお亡くなりになったので、再会は果たせなかったが、代わりに弟子の若松若太夫と政太夫さんの演奏を聴くことができた。
 とくに政太夫さんは「遊行かぶき」の狂言回しとして、その後20数回の公演にお付き合いいただき、間近かで拝聴してきた。全6時間余りに及ぶ「小栗判官一代記」全段通し公演という荒行も2度聴かせていただいた。その間の精進をつぶさに見て、芸道の厳しさを改めて認識させられたものだった。
 説経節とは、中世末から近世にかけて行われた語り物芸能の一つで、仏教の説経が平俗化し、節をつけて音楽的に語られるようになったものである。原型は、中世に竹でできた「ささら」をすりながら語った大道芸や門付芸で,江戸時代にはささらの代わりに三味線が伴奏に使われるようになった。操り人形との共演も行われた。
 元禄以前には浄瑠璃よりも盛んで,「かるかや」「さんしょうだゆう」「しんとく丸」など、いわゆる五大説経が人気を博した。最近、私がよく聞いている講談や浪曲などの語り芸のルーツともされている。
 明治になって一時、衰退したが、初代若松若太夫が新しい台本と節で復活させた。戦前は講談や浪曲に次ぐ人気を誇っていたが、戦後は久しく後継者が絶えた。それを復活させたのが、前出武蔵大掾(二代目若松若太夫)である。
 政太夫さんは私とほぼ同年代。近年、大きな病をえたが、それを克服してからの進境が著しい。今回もますます冴えわたる政太夫の「勧進帳」を堪能したが、この公演では、「江戸映し絵」との共演も見どころだった。
 写し絵とは、要するに幻灯のことである。数台の幻灯機を使ってスクリーンに絵を裏から映す。それを自在に動かすことによってアニメーションのような効果を生み出すのである。
 江戸時代後期、オランダから渡来した幻灯機を、日本の伝統的語り芸に取り込むことで完成した。からくり儀右衛門(田中久重)に代表される江戸からくりの精華の一つであり、日本アニメの隆盛の原点ともいえる貴重な芸能と言ってよい。説経節と同じように一度途絶えたが、平成の世になって(一九九四年)、有志の手で復活した。
 前述のように説経節はもともと人形芝居や影絵との組み合わせが多かった。その延長上の新しい試みは、互いを引き立てあって大成功だった。
 説経節、写し絵とも、今後も公演予定があるので、古典芸能や江戸からくりに興味がある方にはぜひお勧めしたい。

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