テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

★はずれの町から盆踊り(4)

2005-10-20 13:16:35 | Weblog
 藤沢でも歴史的な街づくりへの取り組みがなかったわけではない。だがその対象はたいてい近世の宿場町だった。しかし、藤沢固有の文化ということなら、中世都市藤沢を掘り起こさない手はない。
 藤沢に時宗総本山遊行寺があるということは、藤沢が踊念仏や説教節の本拠地だということである。踊り念仏から歌舞伎や盆踊りが生まれ、説経節は落語、講談などのルーツとなったわけであるから、おおげさにいえば藤沢は日本の芸能のふるさとでもあることになる。藤沢市民はこの文化遺産、地域資源を大いに誇ってよい。他の町がこのことを知ればきっとうらやましがるにちがいない。
 だが同時に市民の側にも、このすばらしい文化遺産を長く放置したことに対する少なからぬ反省は必要だろう。
 我田引水をおそれずにいえば、わたしもかかわっている文化サークル「遊行フォーラム」と演劇集団「遊行舎」十年の活動は、藤沢の中世に注目し、そこから文化活動や芸能活動を立ち上げようという試みだった。遊行寺のご理解をえて、本堂や境内を活動の拠点にさせていただいているのもそのためである。
 ただこれまでは町との協力・連携が十分だったとはいいがたい。その反省に立って商工会議所や市との連携のもとに創作盆踊りに協力させてもらうことにしたのである。
 藤沢の歴史を中世まで掘ることの意味はもうひとつある。藤沢の中心部は東海道線で南北に分かれている。これが観光スポットとしての湘南・片瀬江の島と遊行寺の分断にもつながってきた。
 だが、中世に帰れば、両者は江の島道によってつながっていたし、踊り念仏を通した芸能の絆でも結ばれていた。そこを起点にすれば湘南海岸と北口・遊行寺が接続される。遊行寺や説教節の「小栗判官」との縁では、北部の西俣野ともつながるだろう。
 表層では分断されている町が、歴史的深層ではつながっていたと知ることは新たな観光ネットワークの形成にもつながる。もちろん、そのネットワークはそれぞれの町の固有の歴史・芸能を通じて全国に広がっている。
 話が大きくなりすぎたが、来年の全盆踊り大会開催とそれに向けた盆踊り創作は、地域の歴史と町おこし、町づくりの関係を見直すよいきっかけになるのは間違いない。

★はずれの町から盆踊り(3)

2005-10-19 22:12:43 | Weblog
 都市の基盤整備が一段落した1980年代、多くの地方都市で芸術や文化に基づく町づくりが盛んに行われたことは記憶に新しい。
 豪華な博物館、美術館、文化ホールなどのハコモノが次々に建設された。相場とかけ離れた高価な絵画が購入され、どこにでもある文化財が仰々しく展示された。海外からはクラシック、オペラ、ミュージカルなどの一流アーチストが高額なギャラで次々に招聘された。
 しかしバブル崩壊後の財政難から経営難に陥り、維持が困難になっている施設も多いときく。
 もちろん財政が豊かならよいという話ではない。厳しい今だからこそ文化行政の内実が充分に検討されなければならないのである。
 市民社会の形成とともに発展した近代の芸術や文化には、普遍性を目ざすことによって、土地の歴史や地縁・血縁を超越・排除する傾きがある。だからこそ市民社会が世界に拡大するにつれて、その芸術も世界に広がっていったのである。
 とはいえ、西洋においても、すぐれた芸術がそれを育てた土地と無縁でないことはいうまでもないだろう。でなければ芸術の意味自体が失われてしまう。それをふまえた上での普遍性なのである。
 日本では明治以降、西欧崇拝、西洋コンプレックスから西洋の芸術・文化を無反省に許容する土壌ができている。しかし西洋の風土に花開いた文化をそのまま移植すれば、借り物による無個性化はさけられない。
 それが町おこしや文化行政に適用されると、印象派の絵画を展示する美術館や、クラシック、オペラ、ミュージカルなどを招聘するホールが日本中に氾濫することになる。これが財政難以上に地方文化行政が直面する大きな問題点なのだが、行政も当の芸術家このことには驚くほど無頓着である。
 だからこそ芸術ではなく芸能なのである。
 中世に起源をもつ芸能は近代の芸術や文化のよってきたるところであり、祈りと踊り、布教と芸能が一体であった時代の影を引きずっている。主人公は人間の姿をしていても、その本質は神や魔的なものであり、それを通じて土地土地の固有な霊、地霊と結びついている。
 そこに息づいているのは抽象的な精神ではなく、自然的で荒々しい原型的な魂、そのエネルギーである。
 こうしたありかたは一見、普遍性とは無縁のようだが、その原型性においてもうひとつの普遍性を形成しているのである。
 近代の洗練以前のそのエネルギーをとらえ返すことは、貧血気味の近・現代芸術に活力を与えることになるし、同時に歴史的な町づくりや文化行政の突破口にもなるだろう。(この項さらにつづく)

★はずれの町から盆踊り(2)

2005-10-18 21:38:17 | Weblog
 藤沢の歴史というとき、市民ですら藤沢のルーツが中世にあることを忘れがちである。藤沢の町はもともと鎌倉時代に時宗総本山清浄光寺(遊行寺)の門前町にはじまった。しかしこの歴史的知識はあっても、最初にイメージするのは東海道五十三次の宿駅であり、歴史の探求もそこに焦点が当てられがちである。
 しかし藤沢はまずもって中世都市であり、鎌倉の周縁都市であった。このことを強調するのは歴史学者、清田義英氏である。清田氏は好著「鎌倉のはずれの風景」(江ノ電沿線新聞社)の中で、一遍が逗留した「龍の口」、すなわち片瀬から腰越を含むあたりの地域を鎌倉の「西のはずれ」と位置づけている。
 そこには日蓮の法難や蒙古使節の処刑地として知られる龍ノ口刑場があり、一遍が踊り念仏を奉じた片瀬の浜の地蔵堂があった。まさに地獄と聖域が混在する周縁の地だった。
 清田氏は「龍の口」だけでなく、遊行寺やその近辺までを含めて鎌倉のはずれだったのではないかと指摘されている。藤沢は中世都市であったばかりか、はずれの中世都市でもあったのである。
 このご託宣は市民にとってはあまりありがたくないだろう。だれでもはずれよりは中心のほうがよいに決まっている。鎌倉のはずれの町よりは、湘南の中核都市のほうがきこえがよいし、誇りももてそうな気がする。
 しかし中世鎌倉のはずれであった藤沢は、近世にあっては江戸のはずれであり、今も東京のはずれに位置する。このことは事実として受け止めたほうがよい。
 それに、開き直ってしまえば、はずれも決して悪くない。いや、はずれだからこそ見えてくる可能性もある。
 文化人類学者山口昌男氏の周縁論によれば、はずれ、すなわち周縁とは、闇と混沌に支配された場所であり、そこでは本来交換不能な内と外、生と死、此岸と彼岸などが交換可能となる。こうした周縁的土壌によってはぐくまれた文化が芸能である。
芸能の本来の役割は、その表現によって共同体の人々に反秩序の闇を示し、生きる意味を確認させることにあった。同時にそれを通して共同体のけがれを排除する役目もあった。とりわけ重要なのは死のけがれの排除、すなわち死者の鎮魂だった。芸能のルーツたる中世芸能、たとえば能、神楽、平家琵琶、説経節、踊り念仏などにはその特徴が顕著に見られるが、だからこそ死者と生者が交わる周縁がふさわしいのである。
 また、芸能のにない手にとっても周縁は本来の住処となる。
 網野義彦氏も指摘するように、中世芸能をになった説経語り、琵琶法師、遊行聖、熊野比丘尼、遊女、白拍子、ばくち打ちなどの芸能民は、商人、職人、乞食、などとともに諸国をめぐった漂泊民だった。
 彼らは周縁、境界を渡り歩きながら、秩序と反秩序をつなぐ媒介者(異人)として存在した。死者供養を本分とした遊行聖が、鎌倉のはずれの龍ノ口で踊り念仏を奉じたのは偶然ではない。
 はずれはが育てた芸能は、現在進行中の藤沢駅北口周辺の町おこしでも重要なキーワードなっている。
 来年、商工会議所が中心となって藤沢で全国盆踊り大会が企画されている。そこで藤沢発の創作盆踊りの立ち上げが予定されているが、その原型は一遍が継承・発展させた踊り念仏になるはずである。中世以来のはずれの都市にはまことにふさわしい町おこしだといえる。
 そして、これは藤沢の町づくりや文化行政にとっても画期的なことなのである。(この項つづく)

★はずれの町から盆踊り(1)

2005-10-13 21:41:57 | Weblog
 今週の日曜日、市内の某居酒屋で、藤沢発新作盆踊り制作に向けた下打ち合わせがあった。参加者は演出家・劇作家の白石氏、遊行フォーラム事務局長の高須氏、ジャーナリストの藤村氏、盆踊り研究家の柳田氏、HP「盆踊りの世界」管理者の石光氏、舞踊家の榊さん、そしてわたしの七人である。
 盆踊り研究の集まりにテスラ研究家が混じっているのも妙な話だが、人にはいろいろな顔がある。地元藤沢では歴史・町おこしフォーラムの新戸である。
 今回のテーマは、新しい盆踊りを立ち上げるまでのプロセスをどうするかだった。
 冒頭、白石さんからこのような提案があった。
 現在、各地で踊られている盆踊りを借りて、それらしくかたちをつけるのは簡単だろう。プロの振付師にお願いすればすむ話だ。しかし、それでは盆踊りのふるさとを自認する藤沢で、新しい盆踊りを立ち上げる意味がない。
 大事なのは基礎となる踊り念仏である。まず、長野県の佐久や遊行寺に残る踊り念仏、「一遍聖絵」に描かれた踊り念仏などを検証しながら、踊り念仏のエッセンスを取り出す作業から始めるべきではないか。その基礎固めができれば、新しい盆踊りのかたちは自ずと決まってくるだろう。
 この意見に全員が賛同した。わたしも新しい盆踊りは、藤沢市民が苦労してつくっていくところに意味があると思う。はじめから「盆ダンス」や「盆サンバ」に逃げないことが大切である。
 歌や楽器にしても、一遍の和讃や「ささら」、鉦など、できるだけ古いものを尊重しようということで意見が一致した。その後も、スケジュールの決定、さらには盆踊りサミットの話題などで大いに盛り上がった。
 今回、盆踊りによる町おこしに参加して、いろいろ考えさせることがあった。それは遊行フォーラムの活動や、遊行舎の演劇活動を通しても考えてきたことだが、新たに柳田さん、石光さん、榊さんといった若い人たちとの交流をへて、町おこしのあるべき姿が少しまとまってきたような気がする。
 明日から、そのあたりのことを2回に分けて書いてみたいと思う。

★パソコン不調でまいった…

2005-10-07 21:20:30 | Weblog
夏の終わりから秋の初めにかけて続いたイベントの季節が一段落して、読書と執筆の秋にはいろうと思っていた矢先に、パソコンがいかれた。いろいろ試してみたが、どうしても起動しない。ネットで検索してみたら、けっこうやっかいなトラブルみたいで、修理に出そうか、あきらめようか迷っている。
まあ、3年以上使ったのでマシンに未練はないが、データのバックアップをおろそかにしていたので、それが問題だ。木村多江秘蔵アルバムはあきらめるとして、テスラ関係のデータベースだけはなんとしても取り出したいのだが。住所録やメールもどうにかしたい。
とりあえず購入したばかりのノートパソコンで仕事をしながら、復旧の手だてを考えているところ。
今後はこまめにバックアップをとろう、って前に壊れた時もおなじこと考えたんだよな。


★痛快ポップ・アバンギャルド「泥棒論語」

2005-10-02 21:39:56 | Weblog
 昨日は両国シアターXで、白石征演出「泥棒論語」の再演を観てきた。原作は花田清輝。花田といえば、戦後アバンギャルドのカリスマとして一世を風靡した批評家、文学者である。戦後左翼世代には文学者の戦争責任を巡る吉本隆明との論争(「花田・吉本論争」)が鮮烈に残っているだろう。
 わたしは学生時代、SF作家小松左京の影響で彼の「復興期の精神」を読んだことがある。「楕円幻想」というエッセーでは、焦点は2つ、中心は1つという楕円の幾何学から、たくみなレトリックで暴力と平和、正義と悪のはざまに第三の道を模索する作者の強靱な精神に強く惹かれた覚えがある。
 その後、戯曲(「鳥獣戯画」「爆裂弾記」)にも手を出したが、こちらは理屈っぽさが裏目に出ている気がして挫折した。世代的にも離れていることがあって、それ以上の関心はもてなかった。
 昨年の初演では、そのレトリックと論理の鬼のような花田作品を白石氏がどう料理するか。期待と不安を胸に劇場に足を運んだ。冒頭たちまち不安は吹っ飛んだ。
 書かれざる土佐日記をめぐって、作者紀貫之とそれを奪おうとする悪党、革命家が虚々実々の駆け引きを展開する。古今集の「たをやめぶり」と万葉集を対比させ、たおやめの強靱性に非暴力の可能性を追求するところや、貫之の娘紅梅姫、平純友、平将門、陰陽師阿部幽明などの登場人物が入り交じり、正統と異端をかいぐぐる議論を展開するところなど、いかにも花田らしい。
 白石版「泥棒論語」は花田の政治性や論理性は残しながらも、政治と革命の問題は政治と文学や政治と芸能に再解釈され、痛快なエンターテインメント作品に仕上がっていた。とくに貫之と紅梅姫の掛け合いが楽しかった。
 今回はさらにグレードアップし、前衛の花田が現代に蘇ったようなポップで、アバンギャルドな作品になっていた。前回から引き続き登場のちねんまさふみ、中村真知子、特別出演のベテラン横山通乃など、役者陣もよかった。
 最後に映し出されるニュース映像には賛否両論があるようだが、わたしはなくてもよいと感じた。それでなくてもテーマの現代性は充分に感得できたからである。
 考えてみれば白石氏には、寺山修司のアクロバティックな作品を鮮やかに料理した「瓜の涙」や「十三の砂山」のような秀作がある。難物の演出はお手の物といってよいだろう。白石氏が次にどのような古典作品相手に腕を振るうか、その挑戦を期待しつつ待ちたいと思う。