藤沢でも歴史的な街づくりへの取り組みがなかったわけではない。だがその対象はたいてい近世の宿場町だった。しかし、藤沢固有の文化ということなら、中世都市藤沢を掘り起こさない手はない。
藤沢に時宗総本山遊行寺があるということは、藤沢が踊念仏や説教節の本拠地だということである。踊り念仏から歌舞伎や盆踊りが生まれ、説経節は落語、講談などのルーツとなったわけであるから、おおげさにいえば藤沢は日本の芸能のふるさとでもあることになる。藤沢市民はこの文化遺産、地域資源を大いに誇ってよい。他の町がこのことを知ればきっとうらやましがるにちがいない。
だが同時に市民の側にも、このすばらしい文化遺産を長く放置したことに対する少なからぬ反省は必要だろう。
我田引水をおそれずにいえば、わたしもかかわっている文化サークル「遊行フォーラム」と演劇集団「遊行舎」十年の活動は、藤沢の中世に注目し、そこから文化活動や芸能活動を立ち上げようという試みだった。遊行寺のご理解をえて、本堂や境内を活動の拠点にさせていただいているのもそのためである。
ただこれまでは町との協力・連携が十分だったとはいいがたい。その反省に立って商工会議所や市との連携のもとに創作盆踊りに協力させてもらうことにしたのである。
藤沢の歴史を中世まで掘ることの意味はもうひとつある。藤沢の中心部は東海道線で南北に分かれている。これが観光スポットとしての湘南・片瀬江の島と遊行寺の分断にもつながってきた。
だが、中世に帰れば、両者は江の島道によってつながっていたし、踊り念仏を通した芸能の絆でも結ばれていた。そこを起点にすれば湘南海岸と北口・遊行寺が接続される。遊行寺や説教節の「小栗判官」との縁では、北部の西俣野ともつながるだろう。
表層では分断されている町が、歴史的深層ではつながっていたと知ることは新たな観光ネットワークの形成にもつながる。もちろん、そのネットワークはそれぞれの町の固有の歴史・芸能を通じて全国に広がっている。
話が大きくなりすぎたが、来年の全盆踊り大会開催とそれに向けた盆踊り創作は、地域の歴史と町おこし、町づくりの関係を見直すよいきっかけになるのは間違いない。
藤沢に時宗総本山遊行寺があるということは、藤沢が踊念仏や説教節の本拠地だということである。踊り念仏から歌舞伎や盆踊りが生まれ、説経節は落語、講談などのルーツとなったわけであるから、おおげさにいえば藤沢は日本の芸能のふるさとでもあることになる。藤沢市民はこの文化遺産、地域資源を大いに誇ってよい。他の町がこのことを知ればきっとうらやましがるにちがいない。
だが同時に市民の側にも、このすばらしい文化遺産を長く放置したことに対する少なからぬ反省は必要だろう。
我田引水をおそれずにいえば、わたしもかかわっている文化サークル「遊行フォーラム」と演劇集団「遊行舎」十年の活動は、藤沢の中世に注目し、そこから文化活動や芸能活動を立ち上げようという試みだった。遊行寺のご理解をえて、本堂や境内を活動の拠点にさせていただいているのもそのためである。
ただこれまでは町との協力・連携が十分だったとはいいがたい。その反省に立って商工会議所や市との連携のもとに創作盆踊りに協力させてもらうことにしたのである。
藤沢の歴史を中世まで掘ることの意味はもうひとつある。藤沢の中心部は東海道線で南北に分かれている。これが観光スポットとしての湘南・片瀬江の島と遊行寺の分断にもつながってきた。
だが、中世に帰れば、両者は江の島道によってつながっていたし、踊り念仏を通した芸能の絆でも結ばれていた。そこを起点にすれば湘南海岸と北口・遊行寺が接続される。遊行寺や説教節の「小栗判官」との縁では、北部の西俣野ともつながるだろう。
表層では分断されている町が、歴史的深層ではつながっていたと知ることは新たな観光ネットワークの形成にもつながる。もちろん、そのネットワークはそれぞれの町の固有の歴史・芸能を通じて全国に広がっている。
話が大きくなりすぎたが、来年の全盆踊り大会開催とそれに向けた盆踊り創作は、地域の歴史と町おこし、町づくりの関係を見直すよいきっかけになるのは間違いない。