テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

★変な科学者の話(2)ヘヴィサイド

2005-08-17 21:25:44 | Weblog
 1957年、イギリス南海岸に建つ小さな別荘の屋根裏から、おびただしい量の数学論文が発見された。論文の執筆者は20年以上前、ここにひっそりと住んでいたひとりの老人だった。老人は付近の住民からは狂人扱いされていたが、業績を知る者の間では天才と認められていた。論文を調査した専門家はその難解さと先駆性に驚嘆した。
 この老学者の名はオリバー・ヘヴィサイド。卓越した数学者であると同時に、ケネリーとほぼ同時に電離層の存在を予言し、電気工学の分野でも業績を挙げるという有能で多才な科学者だった。
 1850年、ロンドンに生まれたヘヴィサイドは、16歳で正規の教育を終えた後は独学で数学の勉強を続けた。20歳の時に電信会社に就職したが、聴覚障害をのために退職し、以後は一切の職に付かず、孤高の科学者として一生を終えた。
 若い頃は数学に熱中し、電磁気に関するマクスウェルの方程式をベクトルを用いて書き直すことに成功し、演算子法と呼ばれる数学の一分野を独力で開拓した。その後は電気学に熱中し、電気計算に高度な数学的表現を与えるのに貢献した。
 技術の分野では、誘導コイルを附加する独創的な長距離送信法を提案した。はじめは技術者に受け入れられなかったが、のちに彼が正しかったことがわかった。
 ヘヴィサイドは非常な人見知りで、孤独を愛し、終生独身を通した。その生涯は数々の奇行や奇癖のエピソードに彩られている。
 暗い部屋にはほとんど家具がなく、花崗岩のブロックがぽつんぽつんと置かれているだけだった。おそろしく寒がりだったヘヴィサイドは夏でも部屋をガス暖房し、高騰するガス料金のためガス会社といつも喧嘩していた。
 死後発見された彼の論文は統一場理論の研究に捧げられたものだといわれているが、生前は屋根裏部屋と一階の間のクッション替わりに敷き詰められていた。

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1 コメント

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横浜カモメの港みらい (小英博物館館長)
2017-01-04 23:15:47
 なぜヘビサイドは不遇な人生になったか?それは理論を提示した時代、画期的すぎて論敵をつくった。これくらいな素人でも思いつく。
 しかし、なぜ英国が国を挙げて過去の偉人探しを行ったかのほうが、歴史性がある。
 英国は馬鹿な指導者チャーチルの浅知恵により、米国に日本との戦争を仕組んだのが第二次世界大戦の構図であるが、それにより帆船時代の大海洋帝国を失った。
 その戦術を発明したのが日本人であったが、その成果は天皇を擁する大日本帝国全体の成果として挙げられれ、科学的分析もなされず大艦巨砲主義は終戦まで続くことに成った。帆船と戦艦は歴史的連続性を意味するが、航空機は歴史的断続性、あるいは飛躍をいみしていたにも関わらずにだ。
 大英帝国はこうやって民族自決主義などのりゅうこうによりますますたちゆかなくなっていった。
 一方米国は、広大な北米大陸を自国とし、帆船時代の産業と決別し、モータリゼーションを波及させ、コンピュータを開発し、宇宙まで人間を届けるようになった。
 英国は古典力学(微積分学)の創始者ニュートン(数学者の間ではフランスのライプニッツを指すことが多い)
を起点とし壮大な自然科学における学術的権威を、米粒のように小さくなった自国の領土を見ながら必死に考えたことによる。
 トライボロジーなどもそうで、着眼点は素晴らしい。しかしEHLなどは権威維持のための理論であまり有用ではいとも聞く。
 天才は世に認められることは実はほとんどなく、ノーベル賞などはそれを救済すべく作った仕組みらしいが、ほとんど機能せず政治の道具となっている。つまり天才は歴史から必要とされない限り掘り起こしてはもらえない、ツタンカーメン王のようなものだ。
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