テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

映画「プレステージ」初日の反響

2007-06-10 01:15:19 | Weblog
 話題の映画「プレステージ」 が昨日から公開。

 ブログや2ちゃんねるで読む限り、観た人の評価は分かれている。平均して5段階で3から4の間といったところか。
 評価要素は衣裳や効果、キャスティング、主役二人の演技力、練り込まれたストーリーなど。 
 マイナス要素は時間軸が錯綜してストーリーを追いにくいところと、最後のオチらしい。ミステリーかSFかわからんという意見も意外に多い。
 逆にわたしはそのあたりはすべておもしろいと思ったのだが。したがって採点は5点満点の5。
 わたしの場合、ニコラ・テスラとテスラコイルが出てくれば当然採点は甘くなるし、しかもコロラドスプリングズの研究所の再現なども加味されているので、あまり参考にはならないが。

 あと、テスラってだれ? とか、あのトンデモ発明家とかいう発言もけっこうあったが、テスラなら納得という意見がそれより多いのに安心した。

 さて、興行収入のほうはどうかな。






テスラの無線送電、MITで実験成功

2007-06-08 22:19:37 | Weblog
 米マサチューセッツ工科大学(MIT)のマリン・ソウリャチッチ助教授のグループは、電源から2メートル強離れた60ワットの電球に無線送電し、点灯に成功したと発表した。
 その方法はいわゆる「電磁放射」ではなく、磁気的な共振を利用したもの。共振を利用することでより効率的に、また磁気の使用によって外部から影響が少ない送電を行えるという。

 これぞまさにテスラの世界システムの小型版である。世界中に送電というわけにはいかないまでも、室内で携帯電話やノートPCにコードレス給電することくらいなら可能だろう。
 MITでは、これを「WiTricity」(「ワイヤレス」と「電力」の造語)と名付けたそうだが、こは当然「World System」とすべきではないか。
 2メートル強で世界はおこがましいというなら、せめて「Tesla System」にはしてほしい。

 ソウリャチッチ助教授は名前からしてスラブ(セルビア)系のようだが、やはりテスラの業績にヒントをえたのだろうか。だとしたらなおさら「Tesla System」にしていただかないと。
 いずれにしても、テスラの先進性がまたも証明されたということで、けっこうなニュースだった。

ITmedia
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0706/08/news021.html

唐沢俊一「新・UFO入門」でわかったこと(下)

2007-06-02 21:52:10 | Weblog
 平野威馬雄氏は戦後活躍した著名な文筆家で詩人である。専門の仏文学以外にもあらゆる分野に関心をもち、数多くの著作をあらわした。また、UFOファンで、一時期CBAとも関わりが深かった。その関わりの一部始終を書いたのが、唐沢氏も紹介している「それでも円盤は飛ぶ」(高文社)である。
 この本はわたしがUFOに関心をもつきっかけにもなった著作でもあり、そのことは自著でもふれた。それでわたしと平野氏が同一人物だと誤解したのだろうというのが、唐沢氏の推理である。
 たしかにそう考えると楓月氏の怒りがすっと頭にはいってくる。当時、楓月氏の本をちゃんと読んでいればすぐにわかった事実だが、そのときは関わりたくないという思いが先にたってそこまで考えられなかったのである。

 しかしそうはいっても、私と平野氏を混同するというのはまったくありえない話である。
 平野氏は1900年生まれ、わたしは1948年生まれ。50歳近く歳が離れている。しかも平野氏は1986年にはお亡くなりになられている。いくらオカルトがらみの話とはいえ、95年にニコラ・テスラの本を出せるわけがない。
 そんなとんちんかんな批判に反応しないで正解だったと、あらためて思ったものである。
 
 とまあ、長々と私事を書き連ねてきたが、唐沢氏のこのUFO本は、と学会風の批判(ツッコミ)本でもなく、礼賛(ボケ)本でもない。氏自身は自著を「B級ポップカルチャーの歴史を洗い直すもの」と位置づけているが、CBA問題のほか、アダムスキー問題、UFO情報論、UFO運動論、日本SFとのかかわりなど、戦後日本におけるUFO現象のありかたを探究した一書である。

 氏は本書の最後で、戦後あれだけ騒がれたUFOを、現代人が見なくなったのはなぜだろうと疑問を提している。たしかに最近はUFOの話題がマスコミに取り上げられることは少ない。それはたぶん、現代人がUFOに象徴される未来を夢見られなくなったからだろうというのが唐沢氏の見解である。
 そしてUFOが見られない時代は寂しい。「またUFOが飛び回る時代が来ればいいなと、最近の私は念じているのである」と結んでいる。

 たしかに戦後、UFOは宇宙であり、来るべき科学であり、未来そのものだった。それらのもつイメージの力は現代日本ではたしかに衰えている。成熟社会にはいった現在ではやむをえない面もあるが、UFOと希望が重なりあっていた若々しい時代にほのかなノスタルジーを覚えることも事実である。

 ◎唐沢俊一「新・UFO入門」(幻冬舎新書)


唐沢俊一「新・UFO入門」でわかったこと(上)

2007-06-01 21:25:31 | Weblog
 唐沢俊一氏の新著「新・UFO入門」(幻冬舎新書)を読んでいたら、自分の名前が出てきてびっくりした。

「……この、”ニコラ・テスラに関する本を出版した”物書きというのは、おそらく新戸雅章氏であろう。彼は1995年にマガジンハウス社から出した『ニコラ・テスラ未来伝説』の中で、少女の誘いでCBAに入会させられそうになった顛末について語り……その後のCBAの活動を、オウム真理教事件の原型として位置づけている」

 これはUFOカルト団体CBAの活動を紹介した中の一節である。
 CBAは今から4、50年昔に活発な活動を展開していた「宇宙友好協会」の略称である。最初は科学的な研究団体として出発したが、松村雄亮というカリスマが指導するようになってから、しだい大洪水による地球の終末とUFOによる救済をうたうカルト団体へと変貌していった。それにつれて青少年への悪影響や献金騒ぎが取り沙汰され、マスコミにも大きく取り上げられた。(詳細はこちらから⇒「六〇年代のハルマゲドン」)。

 わたしは中学生のころ、この団体に傾倒する少女に誘われて観測会に一度参加したことがあり、その後、UFO関係の本をまとめて読んだ時期があった。
 ライターになってからそのことを思いだし、SFかミステリ小説のネタにでもならないかと思って調べたことがあった。オウム真理教事件のあと、その顛末がCBAと重なるところがあると思い、単行本やエッセーで言及した。
 もちろんCBAはオウムのような殺人集団ではない。しかし終末を中心にすえ、カリスマに率いられるカルトは多かれ少なかれ、似たような運命をたどって消えていく。そのようなカルトの消長の典型としてCBAを紹介したのだった。
 UFO研究家志水一夫氏によれば、CBAもカルトの宿命には逆らえず、70年代に解散したそうである。

 単行本を出した数年後、CBAの元幹部である楓月悠元(ふうげつゆうげん)氏が「全宇宙の真実、来たるべき時に向かって」(たま出版)という著書を刊行、その中で「最近、ニコラ・テスラの本を出した」人物を裏切り者として痛烈な批判を展開した。楓月氏は名指しこそしなかったが、それがわたしを指していることは明らかだった。
 楓月氏によれば、この元「CBA関係者=わたし」は、マスコミにCBAに関する悪辣なデマを流した。しかもその邪悪な行動ゆえに最高指導者の松村雄亮から叱責されたのを逆恨みし、ペンネームを変えてテスラの本を書き、出版物によって自己弁護をした。これは卑劣な行為であり、断じて許されないというのである。

「彼らはいったい、自分の行った反逆行為というものを反省することが出来ないのであろうか」「なんという卑劣な人間たちなのであろう」と。

 この批判は当時から目にしていた。すぐに裏切りだとか言いだすのはカルトの常だが、それほど深くCBAにかかわったおぼえもないので、だれかと混同されているらしいという違和感だけが残った。
 いわゆる「信者」のやっかいさはよく承知していたので、それ以上かかわりあいになるのをおそれ、楓月氏が混同した人物が誰かも考えずに放置した。そのうちに忘れてしまった。

 今回、唐沢氏の本を読んで楓月氏の批判に対する疑問がひとつ晴れた。彼の批判にはひとつ大きな勘違いがあったのである。その勘違いとは……。
 わたしのペンネームが、仏文学者平野威馬雄氏のもうひとつのペンネームである、という信じられない勘違いだった。(続く)