テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

★のんびり箱根紅葉旅

2005-11-29 00:42:21 | Weblog
 北海道在住の親しい画家山内龍雄が個展で上京したので、友人で画商の須藤一実らと1泊2日で箱根に行ってきた。国内旅行は半年ぶり。紅葉が盛りで、宴会部長の働きで宿にも恵まれ、久しぶりにゆっくりと羽を伸ばした。
 美術の専門家、愛好家が揃った(わたしはにわかファンだが)ので、2日目は朝からポーラ美術館に足を運んだ。岸田劉生の麗子像をじっくり見ることができたのが収穫。ほかにピカソ、クレー、モジリアニ、スーティン、高橋由一、村山塊多、萬鉄五郎などが印象に残った。横に下手な学芸員以上の解説者がいて適切な論評を加えてくれるのもありがたかった。
 日本の絵画史は西欧の絵画史を見ればわかるな、などと浅学をかえりみない感想も浮かんだが、同時に、絵画が一流派を超えた精神と形象の歴史であることも実感できた。
 生来、出不精のわたしだが、やはり時には出かけて本物を見るべきだと改めて思った。

★「はやぶさ」の快挙に拍手、拍手

2005-11-27 01:31:52 | Weblog
 探査機「はやぶさ」が、小惑星イトカワの岩石採取に成功したようだ。実際には装置の作動を示すデータを受信しただけで、確定するのは2007年の地球帰還・回収後のことだそうだが、確度はかなり高いらしい。まずはめでたい。
 今回の成果は低予算の中、先進的な技術に挑戦し、初志を貫徹したJAXA担当者の努力の賜物である。糸川英夫博士も草葉の陰でさぞお喜びのことだろう。
 2003年に打ち上げられたはやぶさは、これまでにも世界初づくしだった。イオンエンジンによる長期間航行、地球スウィングバイ、光学情報に基づく自律航法、小惑星とのランデブー、金属弾の打ち込み、着陸、離陸。いずれも宇宙先進国アメリカ、ロシアもなしえなかった成果である。
 そこに今朝の再着陸、試料採取、再離陸が加わったわけである。これを快挙といわずしてなんといおう。マスコミはアポロの月着陸並の報道をしてしかるべきだろう。せめて宇宙開発関係者を呼んで特番を組むくらいのことはしてよい。
 日本のマスコミなら――。
 ところが実際は中国の有人飛行にもはるかに劣る扱いである。
 テレビではキャスターの小倉智昭氏が番組の冒頭で、成果を力説しているのを見たくらい。あとはどのニュースも最後のほうで短く取り上げるだけ。気持ちよいくらいの冷淡さである。
 地球から3億キロも離れた宇宙空間で満身創痍になりながらも、ミッションに全力を尽くすはやぶさの姿は、いっそけなげである。ワイドショーもたまちゃんや立ち上がったレッサーパンダにうつつをぬかすくらいなら、今日のはやぶさくんをリポートするべきではないか。
 日本のマスコミが自国の宇宙開発に冷淡なのは今に始まったことではない。成功よりも失敗を大きく扱い、海外のニュースは熱心に報じるくせに、ふだんはろくに取材もしない。これで「技術立国日本の将来はあやうい」などとよく書かけるものである。
 そんななかで目についたのが毎日新聞永山悦子記者の健闘、もちろん成功の瞬間を追い続けた松浦晋也氏のブログもはずせない。2ちゃんねるの実況も全体に暖かかった。
 今後、サンプルリターン成功までには、まだまだ難関が横たわっている。これまででも満点以上なのだが、ぜひ成功して最大限の成果をあげられるよう祈っている。
 無人での成功を見て、今後、日本は有人はやめて無人探査に集中すべきという意見も出るだろう。しかしわたしはそれには同意しかねる。その理由はいずれまた――。

★日本マイナースポーツ応援団

2005-11-25 22:04:59 | Weblog
 このところ日本マイナースポーツ(とくにマイナーアマチュア系)応援団長としてはよいニュースが続いている。
 高橋尚子の復活や浅田真央のグランプリ・シリーズ金もよかったが、とくにうれしかったのが体操世界選手権の冨田洋之、水鳥寿思のワンツー・フィニッシュ。個人総合優勝は1974年世界選手権の笠松茂以来だそうだ。
 高校時代に体操を少しやっていたので、笠松のことはよく覚えている。体操日本黄金期の名選手たちのなかでも、わたしが一番好きな体操選手だった。線の美しさと長身をいかしたダイナミックな演技は今も目に焼き付いている。
 笠松以降、具志堅幸司のオリンピック金メダルはあったが、体操日本の凋落とともに個人総合も金から遠ざかって久しかった。
 昨年のオリンピックでも団体は金をとったが個人はとどかなかった。今回の冨田の金で体操日本完全復活ということになる。
 冨田の演技を見ていると、かつての体操日本の線の美しさ、独特のさばきや間が、時を超えて継承されていることがわかる。機械的な正確さではない、心地よい間のある流れるような演技。その日本的美学を冨田にはこれからも追求していってもらいたいと思う。

 Qちゃん、真央ちゃんの活躍の影で、加藤条治選手のスケートW杯500メートル、世界新記録で優勝がかすんでしまったのはかわいそうだったが。

★テスラ役にデヴィッド・ボウイ!?

2005-11-24 20:59:23 | Weblog
「ハリウッド・リポーター」などによれば、クリストファー・ノーラン監督「奇術師」のテスラ役にデヴィッド・ボウイが決まりそうである。
 ボウイといえば1960年代から活躍する大物ロックアーチスト。映画俳優としてはSF映画「地球に落ちてきた男」(1976年)や「戦場のメリークリスマス」(1983年)が有名である。
 今回のテスラ役について、わたしは無名の役者を探してくるのではないかと予想していた。似た俳優といってもそう簡単にはみつからないだろう。そう思っていたからだ。(わたしが最近の映画俳優に詳しくないからという理由もあるが)。ボウイとは意表をつかれた。
 しかしネットで彼の近影を見ているうちに、けっこういけるのではないかと思えてきた。なにより知的なまなざしがよい。彼ならテスラの狂気と情熱を表現できるだろうし、これは当たりのキャスティングなのではないか。
 ボウイのカリスマ的な人気は今も衰えない。彼に決まれば、欧米はもちろん世界的な話題になるのは間違いない。あわせてテスラの知名度も上がるだろう。そう考えれば、よいことづくめのニュースである。
 現在は交渉中とのことだが、こうなれば一日も早く決定してもらいたいものだ。

★巨人レスラーが好き

2005-11-22 21:31:36 | Weblog
 熱心なK1ファンというわけではないが、テレビ中継があるとなんとなく見てしまう。
 先日の「K1グランプリ」東京大会では、なんといっても優勝したセーム・シュルトに驚かされた。
 2メートル12の身長で、よく動くことよく動くこと。一瞬たりとも休まないから、つけいる隙がない。テクニシャンもハードパンチャーもものともせず圧勝した。
 今回の試合では、もともと2メートル18センチの韓国チェ・ホンマンに注目していた。一回戦負けでがっかりしたが、埋め合わせておつりがきた。

 昔から、からだが大きな男に関心がある。プロレスファンだったころ若いころも巨人レスラーが大好きだった。なんか眺めているだけでうれしくなるのである。
 スカイハイ・リーって2メートル3センチもあるんだって。でかいなー。力道山勝てるかなー。今度、ジャイアンツからプロレスにはいった馬場って2メートル9センチもあるんだってな。日本人でもそんなでかいやついたんだな。
 モンスター・ロシモフ(のちのアンドレ・ザ・ジャイアント)は2メートル18センチかよ。人間じゃねえよな。カール・ゴッチならジャーマンで投げられるかもな。ロビンソンの人間風車は手が回らないから無理だろうな。――なんて思いながらワクワクしてテレビにかじりついていた。
 巨人レスラーの重要な条件はやはり強いことである。アンドレのように強すぎるとかえってニクらしくなることもあるが、ラジャ・ライオン(226センチ)のように弱いのは問題外である。
 でっかくて強いことをせいぜいアッピールして、ハンディキャップ・マッチで小柄なレスラーを蹂躙し、最後の最後でテクニシャンのベビーフェイス(善玉)にやっつけられるのがよい。

 ところで、ここで書いてきた身長はすべて公称である。レスラーの場合、身長を3、4センチさばを読むのは常識になっている。高身長レスラーファンとしては、つねにフィルターを通してみなければいけないのである。
 ビックショーはぜったい2メートル28センチもないよな、アンダーティーカー(2メートル10センチ)と比べてそんなに差がないもんな。せいぜい2メートル14、5センチどまりだよ……。
 そういえばアンドレもアメリカに行ったら急に5センチ伸びてしまった。しかし、その後日本でジャイアント馬場とタッグを組んだときの映像を見たら、あまり変わらなかった。2メートル18センチもあやしいものだと思った。
 第一、馬場自身デビュー当時から3センチくらいさばを読んでいたから、アンドレは2メートル15センチ以下のはずだ。ビッグショーと対戦すればわかったのに、早逝したのが惜しまれる……。

 大きいものに対する好奇とあこがれは、わたしの場合、天才に対するあこがれと似ている。この世ならぬ才能に恵まれた天才。そこには規格外のもののみがもつ強大な力とともに、ある種の滑稽さ、哀しみが漂っている。
 ここが巨人レスラーと似ているのである。あえていえば天才と巨人レスラーは、同じ化け物類に属する生物なのである。
 それを鑑賞することによって、わたしも彼らと同じロマンを共有できた気になれる。その怪物ロマンを満たしてくれたシュルトには大いなる感謝と尊敬の念を捧げたい。

(なぜ急に大男について書きたくなったかと思ったら、昨日、キングコングのことを書いたからだと気づいた。そういえば、力道山時代に同名の巨漢レスラーがいたっけ)


★キングコング

2005-11-21 21:10:17 | Weblog
 ものごころついた頃に見て強烈な印象が残っている映画が2本ある。一本は「キングコング」、もう一本は「オズの魔法使い」である。
 そのうちキングコングを廉価版のDVDで購入した。
「キングコング」を両親と映画館で見たのはたしか5歳ぐらいのときだった。とにかく怖い映画だったという印象があるが、とくに怖かったシーンがふたつあった。ひとつはキングコングが大木を渡した橋を抱えて揺するところ。懸命にしがみついている撮影隊員が、ひとり、またひとりと振り落とされていく。下は谷底。もちろん落ちれば命がない。
 このひとりずつ落ちていくところが怖かった。最後までしがみついていた男は橋もろとも落とされてしまう。今のSFX映画なら、コングのパワーで一気にたたき落としてしまうだろう。それでは本当の恐怖感が出ない。その点、この怪獣映画の名作はさすがによくできている。
 もうワンシーンはキングコングがヒロインを追って集落に向かってくるところ。集落の住民と撮影隊はジャングルを隔てる大きな扉を閉めて侵入をふせごうとする。しかし、怒り狂ったコングはその扉を力まかせに押す。住民たちは扉の反対側で懸命に押さえるが、コングの力で扉は少しずつ開いていく。がやがてかんぬきが折れ、最後に扉が開いて凶暴な野獣が躍り出る。
 このシーンでも一挙に扉を開けたりしない。少しずつ、開いては押し戻し、押し戻しては開くという間があって、観客の恐怖心をあおっていく。今見ても、幼い頃の目をつむりたくなるようなドキドキ感がよみがえってくる。
 今回あらためて見直して、こうした手法が随所にちりばめられているのがわかった。数年前にビデオで見たときには気づかなかった場面もあった。、
 怪獣映画とはサスペンス映画である。この当たり前の真理を元祖怪獣映画との再会によって確認できたのは収穫だった。

★テスラ講座、無事終了

2005-11-21 00:37:02 | Weblog
 連続講座「ニコラ・テスラの真実」は、11月19日(土)の第3回「テスラーガーンズバック連続体」をもって無事終了した。
 今回の講義では、準備段階からテスラとSFの深いつながりに驚かされた。初期のアメリカSFはテスラの夢そのものではないか。
 そのテスラとSFをつなぐ媒介者となったのが、「アメリカSFの父」ヒューゴー・ガーンズバックである。ガーンズバックはアメリカ初の商業SF誌「アメージング・ストーリイズ」を刊行する以前に、その母胎となる無線雑誌「モダン・エレクトリック」や「エレクトリカル・エクスペリメンター」を刊行していた。
 とくに後者はテスラ博物館といってよいほどテスラのイメージで埋め尽くされていた。そのイメージを具現化したのが、ガーンズバックと名コンビを組んだSFイラストレータ、フランク・R・ポールである。
 ポールによって醸成されたテスラの想像力は「アメージング・ストーリイズ」にも引き継がれた。初期のアメリカSFにテスラの想像力がいかに寄与したかは、その表紙やイラストを見れば一目瞭然である。
 我田引水と誤解をおそれずにいえば、SFもまたテスラの発明品のひとつだったのではないか? こんなことを書くと古いSFファンにはあきれられるかもしれないが、まったく根も葉もない話ではない。資料が整理できたら、いずれまとまったかたちで文章にしたいと考えている。

 講座のほうは、初のテスラ講座ということでいろいろ不安もあったが、ふたをあければよい参加者にめぐまれ、全3回を通して講師が一番楽しませてもらった。遠路はるばるお越しいただき、長時間の講義をご傾聴いただいた参加者には、この場を借りて御礼申し上げたい。

★タイトル変更2回目

2005-11-17 00:09:39 | Weblog
「テスラと多江と盆踊り」というタイトルにしたら、木村多江さんですべて検索されてしまう。「SFもテスラが発明した」なんて日記は、多江さんファンは読みたくないはず。
 ということで、タイトルをもとに戻すことにした。

 最近、テスラ講座、ブログ、mixi、HP更新と割とがんばっているので、反響がいろいろある。でも困ったことがひとつある。それはちくま文庫の「発明超人ニコラ・テスラ」が品切れ状態だということ。そのせいでamazonなどで高値がついてしまっている。
 安価に入手できるテスラ伝記がほかにないということで、重宝してもらっていたのだが。さて、どうしたものか。
 筑摩さんにお願いしてみようかとも思うんだけど、だめだったらなにか考えなくては……。

★SFはテスラの発明品だった!?

2005-11-16 00:18:20 | Weblog
 次回の「テスラ講座」の準備中に確信したこと。
 SFもまた、テスラの数ある発明品のひとつだったこと。

 まあ、こんなことを書いているのをSFファンの友達が知ったら、完全におかしくなったと思われるだろうな。新戸のやつ、いつのころからテスラ、テスラと口走るようになったが、とうとうそこまで病気が進行したのかと、と。
 もちろん、いくらボケたといっても、SFの元祖がメアリー・シェリー、ヴェルヌ、ポー、ウェルズたちだということはよく承知している。
 にもかかわらず、なぜSFはテスラの発明品だと言い張るのか?
 その理由は第3回テスラ講座で。
 と、最後はまた宣伝になってしまった……。



★ネットワーク・ビジネスの元祖ガーンズバック

2005-11-10 21:21:54 | Weblog
 東京で開催している「テスラ講座」の第3回は「テスラーガーンズバック連続体」(11月19日(土))。今回は「アメリカSFの父」ヒューゴー・ガーンズバックとの交友を軸に、テスラの発明的想像力がメディア形成に果たした役割を見ていこうと思っている。
 その原稿を準備しているうちに、ガーンズバックこそ現在のITビジネス、オタクビジネスの先駆けではないかと思うようになった。
 ルクセンブルグ生まれのガーンズバックは発明家を志して20歳でアメリカにわたった。発明家としては成功しなかったが、ビジネスの世界に転じて成功した。
 20世紀初頭のアメリカは発明ブームにわき、とくに当時の最先端技術である無線の人気は高かった。彼はそれに乗り、またブームを先導するかたちで無線部品の通販ビジネスに進出したのである。
 同時に通販カタログや無線雑誌「モダンエレクトリック」を発行、自らもライターとして健筆をふるった。この雑誌を通してアマチュア無線家同士のネットワーク構築にも成功した。
 さらに無線雑誌の延長に世界最初の商業SF誌「アメージング・ストーリイズ」を創刊、サイエンス・フィクションのジャンル的なアイデンティティ確立に寄与した。この雑誌の読者欄を利用して「SFファンダム」というファン同士のコミュニティ成立にも貢献した。
 ヒューゴー賞という有名なSF賞が彼の名前からとられたのもこうした業績による。
 アマチュア無線家やSFファンが初期のITやインターネット普及の推進力となったことはよく指摘されている。彼らは元祖オタクとして、何十年も前からインターネット的世界を体験してきたし、技術的なことにもあまり抵抗感がなかったのである。
 このようにネットメディアの開発者としてガーンズバックは、現代のホリエモンや三木谷さんの大先輩にあたる。いや、SFという巨大なコンテンツもあわせて開発したのだから、それ以上だろう。
 そのガーンズバックが、テスラの影響下にいかにしてSF的/発明的想像力をふくらませていったか。そのあたりの話は本番で。