テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

アイム、ソビエト

2009-03-23 20:29:57 | Weblog
今日は午後から東京に出て、広尾の都立中央図書館で調べ物。目指す資料が一発で見つかり、思いがけない付録もあって、よい気分で早めに引き上げた。

その帰り、有栖川公園の通路で外人の男の子に、英語で話しかけている男がいた。
年は35、6ぐらいだろうか。少し小太りで、ラフなかっこうのどこにでもいるおっさんという感じの男だった。
通りすがりに、その会話が耳にはいってきた。男の英語はあまりうまくない。

男「おまえ、なに人?」
子供「スペイン人」
男「そう、スペインか」
子供「おじさんは?」

当然、「アイム、ジャパニーズ」という答が返ってくるとばかり思っていた。
ところが男の答は意外なものだった。

「アイム、ソビエト」

(えっ、ソビエトって……)
わたしは思わず足を止めて、横目で男の顔をうかがった。
どう見ても日本人である。しかもちょっとキモオタ(これ差別用語だったっけ?)風の。
それがロシア人でもなく、ソビエトって。
コリアンやチャイニーズならまだわかるが。

ちょっと間があって男が真剣な顔でしゃべり出した。
その言葉は、ロシア語のようでもあるし、単なるでたらめのようでもあるし、なんとも判断に窮するような言葉だった。
タモリのインチキ・ロシア語のような説得力にもかける。なにかふにゃふにゃして、全身の力が抜けるような言葉だった。
可愛いスペインの男の子は、懸命に話す男をきょとんとした顔で見上げている。

男がこちらに気づきかけたようなので、わたしはふたたび歩きだした。しかしやはり気になって、歩きながら振り返った。
すると、男の子がその場から駆け去るのが見えた。さすがに男のあやしさに気づいたのだろう。

さらに少し歩いてからもう一度、今度は立ち止まって振り返ってみたが、「アイム・ソビエト」の姿はもうなかった。

たまに出かけてみると、やはり東京は刺激的な町だ。


「怪人二十面相・伝」を三茶で観る。よきかな。

2009-03-22 00:02:01 | Weblog
 遅ればせながら「Kー20 怪人二十面相・伝」(佐藤嗣麻子監督)を、三軒茶屋シネマで観てきた。
 始まってすぐににんまり。テスラ装置(テスラコイル)の講演会の舞台にニコラ・テスラの大きな顔写真が掲げられている。割とよく使われる40代の頃の写真だった。それから同じ場面で、うん、うん、うん、と三度うなづいた。もちろんテスラ装置のデモをするシーン。

 テスラコイルのかたちが、ワーデンクリフ型のオーソドックスなタイプでよかった。放電のかたちがリアルで満足。装置について講演するのが八木(多分、八木アンテナの八木秀次)教授というのも、くすぐられた。佐藤監督、なかなかツボを心得てらっしゃる。これだけでも900円(シルバー割引)分の価値は充分にあった。

 あとは童心に帰って、最後まで楽しませてもらった。ありがちな話で、ストーリーにはツッコミどころもあった。ディストピア的な設定にもう少しこだわって、20面相と権力側との関係を描けば、さらに厚みが出ただろう。
 とはいえ、後味のよい娯楽作としてかなりの出来だと思った。

 役者ではシャイで根暗な感じの金城武に惹かれた。もっと陰影をつけてもよいくらい。鹿賀丈史、國村準も、仲村トオルもはまっていたし、小林少年役の男の子も雰囲気があった。
 松たか子はこういうお嬢様役が似合っている。木村多江だったらもっとよかったのにとはいわない。松で適役だった。
 ただ、木村多江なら女マッドサイエンチスト役で、自分のつくったテスラコイルの放電を浴びて身もだえる、なんてシーンが見てみたい。
 そんなシーンがあったら、もう完璧に昇天してしまうだろうな。シルバー割引だけに。

 エンドロールで薬試寺美津秀さんのお名前を確認して、いい気分で帰路についた。三茶まで出かけた甲斐があった。レトロでスティームパンクな佐藤監督の次回作に期待したい。

 
 

おたく文化に咲いた日陰の花

2009-03-15 15:36:14 | Weblog
 行ってきました、黒のホワイトデー。
 実行委員長とTOKON10の結婚式って……。
 よくもあしくも、あれがSFファンの乗りなんですよね。

 柴野御大も病身に鞭打って、二宮から出ばってこられたわけだし、実行委員はいやでもがんばらなければならなくなったわけです。

 会場で、最近『おたくの起源』(NTT出版)という著書を上梓された吉本たいまつさんに紹介された。その著書は未読だったが、主張の骨子はDAIKON3と4の間におたく文化の起源があるということらしい。間と言えば、TOKON8ではないか。
 吉本さんによれば、今回の本ではTOKON8についてはあまり書けなかったので、次回作のために話を聞きたいとのことだった。
「はい、喜んで」ということになった。
 先日、TOKON8について書いたのがきっかけになったわけでもないだろうが、話すにはよい機会だと思った。80歳を過ぎても頭脳の衰えない柴野御大とは違って、このところのわたしの記憶力減退はひどいから。今のうちということで。

 おたく文化起源論的には、実はTOKON8というのはかなり重要なんですね。さすがにお目が高い。しかもわたしなんぞに話を聞こうとは。
 わたしはSFおたく文化の日陰の華というか、ちょっとした隠し味ではあるんですね。新戸に話を聞いたということは、うーん、よくそんなマイナーなところまで調べたなということになるわけです。

 ということで、吉本さん、よろしく。


巽孝之:「TOKON10には、TOKON8のリベンジの意味もあるんですよ」
わたし:「そうですね」
巽:「挫折した夢も多かったですからね」
わたし:「まったく」
巽:「どうですか。この際、『SF論叢』を復刊されては」
わたし:「えっ? えー、そ、それは……」

 SF界の仕掛け人は、相変わらず恐ろしいことを考える。


SF大会で人生を間違えないために

2009-03-12 17:05:13 | Weblog
 来年、東京でTOKON10(第49回日本SF大会、立花眞奈美実行委員長、斎藤喜美子事務局長)が開催される。
 わたしがTOKON8の運営に参加したのは1982年のことだったから、もう四半世紀以上前のことになる。その間に東京で一回しか開かれていなかったというのに改めて驚いた。東京にパワーがなかったというより、地方ががんばったというべきだろう。
 わたしはもはやロートルだが、久々の東京だし、なにかお手伝いできることがあればと考えている。

 1982年のTOKON8当時は、「スターウオーズ」「未知との遭遇」などが引き起こしたSFブームが続いていたこともあって、SF大会の人気は高かった。1500人の定員はすぐにいっぱいになった。それもろくに宣伝しないで、その数だった。
 最初からその気で宣伝していれば、おそらく1万人ぐらいは集まっていたのではないだろうか。これは決してオーバーな数字ではない。締め切り後も、その倍近くの申し込みがあったし、志賀隆生ががんばったプログラムブックの広告の数を見れば、当時のSFに対するメディアの期待の大きさがわかるからである。

 企画段階の中心になったのは「イスカーチェリ」「科学魔界」「SF論叢」といった当時、硬派を自認していたファンジンだった。東京でSF大会をやろうと言い出したのが誰かはよく覚えていないが、気が付いた時にはみないっせいに走り出していた。
 実行委員長にSF評論で活躍されていた大宮信光さんを立て、柴野拓美さん、野田昌宏さんなどにもご協力をお願いした。実行段階では牧眞司さん、鹿野司さんら、東京理科大や日大などのSF研やそのOBも加わった。

 わたしは企画担当ということになり、実行委員から企画を募った。御前憲弘さんが時刊新聞のアイデアを出したり、中井紀夫さんが会場ツアーを提案したり、とさまざまな企画が提出された。わたしも「大宮信光・松岡正剛対談」とか、いくつか企画をでっちあげた。「大江健三郎・井上ひさし・筒井康隆」パネルという無理目の企画も考え、実現寸前までいったが、諸事情から頓挫した。オープニングCG、ドキュメントフィルム「福島正実」の未完成(原因はどちらも予算超過。とくにCGについては、途中で製作費を知って真っ青になった)などとともに、今思い返しても残念である。

 考えてみると、企画だけみても不思議な混沌とした大会だった。波津博明、沼野充義のソ連・東欧(左翼?)SF誌「イスカーチェリ」、巽孝之のポストモダンSF誌「科学魔界」、志賀隆生、永田弘太郎、そしてわたしのサブカル+現代思想誌「SF論叢」が、SF大会というコンベンショナルなイベントを共同開催しようというのだから、おかしなことにもなる。
 しかもこの3誌、みな理屈はいいが、実際に動ける仲間は10人もいなかった。結局、それ以前に大会の運営経験のある人たちの助けを借りることになる。
 個人的には、台頭しつつあったアニメなど映像SFに対する活字SFへのこだわり、ニューウェーブの再評価、SFと現代文学、現代思想、ポストモダンの融合など隠されたテーマもあった。ファンダム的には反「一の日会」というテーマもあったかもしれない。しかし当日が近づくにつれ目が回るような忙しさになり、そんなことはどうでもよくなった。最後なんとか辻つま合わせができたのは、SF大会という伝統の力のなせる技だろう。
 大きな事故がなかったのも幸いだった。直後、大宮実行委員長は心労の余り倒れてしまったが。
 これを機にわたしは役所勤めをやめ、あとあとまで、「あのときおまえが役所をやめなければと」と母親や姉に言われ続ける原因となった。そういう意味でも、思い入れが深い。来年までには、どこかで機会をつくって思い出話などもできればと思っている。
 若いSFファンがSF大会で人生を間違えないためにも。





怪人二十面相・伝

2009-03-07 22:53:12 | Weblog
 2月半ば、知り合いの女性から正月映画の『怪人二十面相・伝』にテスラコイルが出ているとおしえられた。この方はテスラ生誕150年記念イベントにも出席されていたので、テスラコイルだとすぐにわかったという。観に行きたいと思いながら、つい忙しさに取り紛れてそのままにしていた。

 昨日、日本SF大賞の受賞パーティに出席した際、永瀬唯、立花眞奈美(TOKON10実行委員長)といった方々から、そのことについて声をかけられた。

 映画の評判もよかったようだし、テスラコイルも迫力があったという。これはなんとしても観にいかなくてはと思って、帰ってからネットで上映館を調べたら、正月映画だけにどこも上映終了。かろうじて「三軒茶屋シネマ」で3月21日(土)から上映されることがわかった。なんとか都合をつけて観にいくつもりだ。

「新戸さんのクレジットがはいってませんでしたよ」と、永瀬氏には冗談交じりに言われたが、まあ、それだけテスラが認知されてきた証拠だろう。
 ストーリーを読むと歴史改変ものらしいので、この点にも興味を惹かれる。DVDが出たら買うことにしよう。

 監督の佐藤嗣麻子さんは、水谷さんや小谷真理さんたちのお仲間らしいが、ぼくにとっては木村多江の出た「アンフェア」の脚本家。あの悪多江に変貌した家庭教師が煙草をふかすシーンはなかなか秀逸だった。