テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

慶応大学理工学部でテスラについて講演

2008-03-20 21:11:53 | Weblog
 4月30日(水)に慶応大学理工学部で講演することになった。「理工学概論」の特別講義で演題はおなじみのニコラ・テスラだが、新入学生対象の教養講座なので、どんな話にしようかと考えている。
 時間の制約もあるし、人物と業績の紹介だけでもよいのだろうが、今回は、それとあわせて電気の不思議さ、おもしろさについても伝えられればと思っている。
 1980年代半ばから90年代後半にかけて、わたしは現場の研究者や科学者に取材する機会が多かった。そのとき確信したのは科学者にとってのイメージの重要性だった。
 アニメ、漫画、映画、伝記などからえたイメージが、アイデアだけでなく、研究の目的や動機の部分でもいかに支えになってきたか。そのことを熱心に語ってくれる研究者が意外なほど多かったのである。
 電気に捧げたテスラの生涯は豊かな科学的・電気的イメージに満ちあふれている。それはテスラの才能と電気自身のもつ魅力が共振した結果だと思われるが、未来の研究者にそのあたりを感じてもらえれば大成功だと思っている。
 薬試寺美津秀さんのテスラコイルのパフォーマンスがあれば鬼に金棒なのだが、今回は予算、日程等を考えて見送ることにした。
 これで慶応での講演は3度目になる。最初は理工学部で、今回と同じ高橋信一先生からのお誘いだった。2度目は旧知の巽孝之先生から声がかかった。相手が文学部の学生だったので多少とまどったが、文化史的な観点も加味してお話させてもらった。
 過去二回の反省も踏まえて、少しでもよい講演にしたいと思っているが、今回とくに重視しているのがビジュアルである。ビジネス社会ではパワーポイントでプレゼンというのが常識らしいが、大学でもこのスタイルが浸透しつつあるとのこと。今回は動画や写真を多用するつもりなので、この機会にちょっと勉強してみようと思っている。

巨星墜つ! アーサー・C・クラーク、90歳で逝去

2008-03-20 01:30:01 | Weblog
 アーサー・C・クラークが亡くなった。享年90歳だった。「巨星墜つ」という表現がこれほどふさわしいSF作家もいないだろう。
 彼が脚本に関わった『2001年宇宙の旅』は計5、6回見た。最初は学生の時。それまでの東宝特撮物とは段違いのリアリティに度肝を抜かれた。映像はキューブリックの手柄だが、底流にある宇宙哲学は間違いなくクラークのものだった。
 小説では『都市と星』がお気に入り。永遠の都市ダイアスパーの硬質なイメージがなんとも心地よい。もうひとつの代表作『幼年期の終わり』も、個人的にはキリスト教的な形而上学になじめなかったが、傑作であることはいうまでもない。
 科学エッセーの大家でもあり、『未来のプロフィル』のような技術的予言に真価を発揮した。予言といえば静止衛星は生前に実現したが、宇宙エレベーターのほうは見られずに亡くなったことになる。
 晩年はスリランカに住み、ダイビングを楽しみながら、最後まで健筆を振るった。SFを代表する大作家の死に心から哀悼の意を表したい。
 
 

フルタイムライターに復帰

2008-03-12 21:44:50 | Weblog
ダイエー藤沢店クリーンスタッフ洗浄機担当
新戸雅章 60歳 還暦
片手ターンが得意なキムタエのファンでございます。

ということで、このほどパートの現業を離れて、
勝手にフルタイムライターに復帰することにしました。
仕事はまだフルとはいかないので、お仕事募集中です。
テスラやサイエンスもまだまだやりますが、経歴を活かして、
「公務員はなぜ働かないのか」とか、「格差社会におけるパート労働者の実態」
といったハードなものにも挑戦する意欲満々です。

その前に今かかっている連載原稿や翻訳を早く仕上ないと
怒られるでしょうけど。

父の遺言

2008-03-02 20:53:03 | Weblog
 父の一周忌の件で親戚一同に電話する。早いものだ。
 父が89歳で亡くなったのは昨年の3月21日。死因は急性心筋梗塞だった。
 15年ほど前、心臓の大手術を乗り越えた後は元気に過ごしていたが、最後の数年でその心臓のほか、腎臓、肝臓などに不具合が見つかり、亡くなる2年ほど前からはほとんど寝たきりの状態が続いていた。覚悟はしていたが緊急入院して一週間後、最後はほとんど苦しまなかったのがさいわいだった。
 とはいえわたしのような半端者には親の死はこたえた。甘い親で息子のわがままを許しくれる一方、長男として期待もしていたと思う。その期待にほとんどこたえられなかったばかりか、最後まで心配のかけどうしで見送ることになった。
 亡くなる少し前、父の夢を何度か見た。現実には寝たきりの父だったが、夢に出てくる父は不思議と元気な頃の姿ばかりだった。家業は父が始めた洋品屋だったが、商売をしている場面はまったく出てこなかった。たいていはのこぎりや金槌をもった父が家の中でなにかをつくったり、塀や家のまわりを修理をしたりしていた。
 桶屋の長男に生まれた父は海軍にはいって家業は継がなかった。それでも子供の頃から祖父を手伝っていたおかげでカンナやノミをよく使った。その父の大工仕事の手伝いをするのがわたしは好きだった。たとえ夢の中でも元気に道具を使う父の姿はうれしかったし、一家を支えてくれていることを実感させてくれた。
 亡くなる直前に見た夢では、父は布団に寝ていた。といっても、まだ元気な頃の父で、寝ている部屋も以前住んでいた旧い店舗併用住宅の居間だった。わたしが長い昼寝からさめて階下へ降りていくと、寝ていた父がわたしを見上げて「もう11時だぞ」とひとこといった。柱時計を見ると針が11時を指し、外は真っ暗闇だった。
 ああ、こんなに寝てしまったのか。夢の中でも12時が自分の時間の終わりだとわかった。あと1時間でなにができるだろう。なんでもっと早く起きられなかったのか。後悔のうちに目がさめた。
 父は最後までなにも言わなかったが、夢の中でのんびり屋のわたしをいましめたにちがいない。気づくのが遅すぎるといわれればそれまでだが、今はその言葉を父の遺言だと思ってかみしめている。