テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

講演「幕末軍艦奉行と海軍無線の父 ー木村摂津守・駿吉父子の海軍創成物語ー」のお知らせ

2012-01-29 01:48:02 | Weblog
先日、このブログでお知らせした講演会の詳細が決まりましたのでご案内します。
「海軍無線の父」で、テスラとも縁のある木村駿吉と、その父木村摂津守のお話です。
ご興味のある方は、下記、幕末史研究会までどうぞ。


第194回 幕末史研究会

幕末軍艦奉行と海軍無線の父 ー木村摂津守・駿吉父子の海軍創成物語ー

 幕末の軍艦奉行木村摂津守喜毅は、咸臨丸を率いて初の太平洋横断という快挙を成し遂げた。その子息木村駿吉は、36式無線の開発で日露戦争の勝利に貢献、「海軍無線の父」とよばれた。幕末明治を生きた父子の海軍創成物語。

日 時: 2012年2月25日(土) 午後2時00分~4時00分
会 場: 武蔵野商工会館4階 (吉祥寺駅中央口徒歩5分)
講 師: 新戸 雅章 (しんど まさあき)
参加費: 一般 1500円 大学生 500円 高校生以下 無料

講師略歴: 1948年生まれ。横浜市立大学卒。SF作家クラブ会員。テスラ記念協会会員。
主な著書
『天才の発想力』(ソフトバンク・クリエイティブ)
『逆立ちしたフランケンシュタイン』(筑摩書房)
『バベッジのコンピュータ』(筑摩書房)
『超人ニコラ・テスラ』(筑摩書房)
『発明皇帝の遺産』(祥伝社)

申込方法 定員 90名  先着順
下記のFAX、メールのいずれかで、2月22日(水)までに、お申し込みください。

幕末史研究会
事務所:〒180-0006 東京都武蔵野市中町2-21ー16
     FAX 0422-51-4807
     Eメール: spqh4349@adagio.ocn.ne.jp
     ブログアドレス: http://blogs.yahoo.co.jp/bakumatsushiken

テスラのデスマスク

2012-01-23 03:30:47 | Weblog

 テスラをはじめ、ベートーベン、ヒッチコック、リンカーンなど著名人11人のデスマスクを並べたブログを見つけた。 (⇒kuriositas.com)
 よく知られているように、テスラのデスマスクを制作させたのは「アメリカSFの父」ヒューゴー・ガーンズバック。だれより深くテスラを信奉するガーンズバックは、完成したデスマスクをオフィスに飾って、来客に披露したという。
 現在、このマスクはベオグラードのテスラ博物館に収蔵されている。1996年に、テスラ博物館を訪問した際に念願の対面を果たして、深い感銘を受けたことを思い出す。他の有名人のデスマスクについても、それぞれに制作者の思いがあふれているのだろう。
 途中にはさまれている制作風景も興味深い。テスラのデスマスクもこうやってつくられたのだろうか。


映画脚本「テスラ -電気の詩人」

2012-01-13 01:39:08 | Weblog

 米国フィラデルフィア市の「テスラ科学財団」が、ハリウッドの映画プロデューサーによるテスラ伝記の脚本にお墨付きを与えたという記事を目にした。
「スタンダード・ニュースワイア」の2012年1月9日付け記事によれば、財団は、映画プロデューサーのジェームズ・ジェーガーによる「テスラ ─電気の詩人」が「テスラの生涯に新たな視点をもたらす最良の脚本」であると讃辞を贈った。

 脚本の詳細は不明だが、関係者によれば、テスラを真の科学者、エネルギーの予言者として描きながら、テスラのロマンスや、マーク・トウェイン、サラ・ベルナール、ジョン・ジェイコブ・アスターといった著名人との友情にも踏み込んだ作品だとのことである。
 脚本はジェーガーによってハリウッドにオファーされ、これまでのところ二社が、適当な監督の参加という条件付きで、企画の「始動」を申し出たという。とはいえジェイガーの希望にそう監督はまだ見つかっていないようだ。
「プロジェクトに興味を表明した著名監督は多い。しかし我々が本当に求めているのは、テスラのみならず他の素晴らしい配役に関しても完璧なキャスティングができる本物のテスラフリークスの監督だ」と、ジェーガーはきっぱり語っている。

 ジェーガーはこの道30年のベテランで、史実にそった物語ということなので、脚本自体に大外れはないと思うが、さてどうなるだろうか。


新年のごあいさつと、木村摂津守・駿吉父子についての講演のご案内

2012-01-10 01:13:53 | Weblog

 新年を機にブログを再開したいと思います。

 ここ十年来の懸案だった「木村摂津守父子」の物語を書く準備がようやく整い、昨年から書き出した。偶然というか、「幕末史研究会」の小美濃清明さんからお誘いを受けていた木村父子の講演が2月25日(土)に決まった。
 小美濃さんとは遊行フォーラムの高須譜生さんのご紹介で知り合い、木村の本が出てから講演したらという話をいただいていた。しかしいつまでも原稿があがらず、のびのびになってきた。今回はここらで発奮させようという小美濃さん、高須さんのご配慮だと思う。心して準備を進めたい。

 幕末の軍艦奉行木村摂津守喜毅は、勝海舟、福沢諭吉らを率いて初の太平洋横断を成し遂げた幕末の偉人である。しかしその人物、業績についてはほとんど知られていない。
 幕府きっての俊才岩瀬忠震に引き立てられて目付にのぼった木村は、軍艦奉行として幕府海軍の創建に尽力、のちの明治海軍、日本海軍の礎を築いた。その功績は勝海舟にまさるとも劣らない。
 また、咸臨丸の渡米前に一介の陪臣であった福沢諭吉を使節団に加える決断をし、世に出るきっかけを与えたのも彼だった。福沢は終生、木村を尊敬してやまなかった。
 咸臨丸渡航に際して、喜毅は家伝の骨董・美術品を売り払い、借金までして3500両の大金を用意した。いざという時に備えるためと、士官や水夫、火夫の不充分な報酬を補うためだった。
 初の大洋横断は困難をきわめたが、彼の清廉・実直な人柄が、外国人士官、日本人士官、水夫などの融和を保ち、航海とその後のサムライ外交を成功に導く原動力となったのは間違いない。
 帰国後、のちの明治海軍につながる大海軍計画を献策したが、幕末期の混乱の中で陽の目を見なかった。最後は勘定奉行勝手方として、官軍への明け渡しという難事を成し遂げて引退。その後は明治政府の要請にも応じず、一切の公職につかなかったのも彼らしい。
 いわゆる勝者史観によって、明治維新の敗者である幕府側の人物は過小評価されがちである。福沢は生前、喜毅の業績が忘れられていることを嘆いて、「わが国の海軍史上に特筆大書してその功労は遂に埋没すべからず」と記している。しかしこの事情は今も余り変わっていない。

 彼のふたりの子息は二男の浩吉が海軍にはいり、日清戦争の黄海海戦で活躍、のち少将にのぼった。三男駿吉はハーバード大学に留学して数学と物理学を修め、帰国後は第一高等学校、第二高等学校をへたのち海軍に転じて、無線機の開発に従事した。
 日本海海戦において哨艦信濃丸が「敵ノ第二艦隊見ユ」とバルチック艦隊発見の報を打電したのは、彼が技師松代松之助とともに開発した三六式無線機だった。これを秋山真之参謀が「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直チニ出動コレヲ撃滅セントス。本日天氣晴朗ナレドモ波高シ」とアレンジして大本営に打電したのだった。
 秋山と島村速雄参謀長とは、終戦後ただちに駿吉に深甚な感謝の意をあらわし、凱旋した乃木大将、児玉大将、黒木大将らは打ち揃って彼のもとを訪れ、礼を述べたという。
 ちなみに駿吉は無線事情の調査で渡米した折り、かのニコラ・テスラに面会して無線について教えを乞い、その放電パフォーマンスを目撃している。

 近代日本建設に特筆すべき功績を挙げながら、己を誇らず、出処進退をわきまえた一人のサムライと、その意志を継いだ父子の物語は近日大公開というわけで、本年もよろしくお願いいたします。

「幕末史研究会」
http://blogs.yahoo.co.jp/bakumatsushiken