藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

本郷雑話・・2

2017-09-17 08:12:11 | 日記・エッセイ・コラム

 奥様のブログ「山姥珍道中記」を読んでみたら、  沼田川の流れを見ていると、まさに

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。・・・。」と、鴨長明のような気分になってきます。 

  、皆様に報告していました。・・・・・・・ハハーン奥様、沼田川(ぬたがわ)をお渡りになるとき、川面に鴨三羽優雅にお過ごしの姿を見つけて、こんな気分になったのだろうと思い、本人にたずねてみたら「図星」。 先ずは鴨の姿お見せして・・・・・。

 お話は一昨日の続きです。

 江戸時代の山陽道を西に進むこと五百メートル、右手に一つの石碑、そのわきに急な階段があり、「天神様」がお祭りしてあった。

文面には、

甑靈泉

寄付者 今田国吉

発起者 中村謙助

古昔醍醐帝延喜元年菅公西

謫ノ際茲ニ御船ヲ寄セラレ手ヅ

カラ此井ヲ鑿チ給ヒ地人清水ヲ

以テ炊飯献リシ遺跡ナリ

昭和三年四月

北方小学校校長 河原義雄謹書

と、あり 菅原道真が大宰府に流されるとき、水を求めて船を寄せた場所だそうだ。 船を寄せては見たものの、この地は当時水がなく、人も住まない処であったが、菅公自ら井戸を掘られたところ、「清水」が、こんこんと 湧き出したそうである。

 

 天神様の境内から、山陽道を見下ろしてみた。 後にはこの地が、港の役目を負ったそうである。 江戸時代浅野藩の郡役所がこの地に置かれた訳は、港が存在し、島々の取り締まりに便利であったからであろう。

菅公にまつわる話は、広島県には少ないが、私が知る限りでは二つ目である。

明日は・・・・・あてにしないでください。 今一つの菅公のお話と、本郷の町並みを紹介したいと思います。

 


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