藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

最後のアスベスト

2011-12-20 05:01:02 | 社会・経済

  から「父さん、本からアスベストがなくなるよ」電話 うなのです後まで国が使用を認めていた、ス管のパッキン及び、管シール材がついに使用禁止になった。 スベストの危険が判明して、年月が過ぎ、まりにも多くの犠牲者が出て、っと終焉を迎えた。 ぜもっと早くに、使用禁止できなかったのか、問が残る。 替商品の開発が出来なかったはそう説明し、民を欺いてきた。 だ政治家が自分に及ぶことの無い危険に対し、鈍感なだけである。しばかりの研究開発費をもんじゅ」発費から回していれば、っと早く開発されたであろう事なのである。うした開発を産業界に押し付け、んの手助けもせず、だただ傍観してきた政府の責任は重いと思う。

後悔先に立たず。 害者のピークは2020その先そのピークが何年続くのか予想がつかない。使用されたアスベストの量があまりにも多く、入統計からしか予測できないからである。かし、使用目的、使用場所により国民にどの様な影響が出てくるのか誰も予測不可能である。

  アスベスト被害で災保険の破綻しかねないように思う。生労働省の資料を見ると、スベストの使用は、産業に及び、ンを焼く釜にまで使用されている。本の国は、スベスト漬けの国である。の様な状況を、が許し、が奨励したか、て政府であり国である。火基準、火基準、両の性能基準、々な法や政令でアスベスト漬けにした政治家と行政機構の罪は重い。

  日から、十年後いや、数年後アスベスト被害者がになる日がいつなのか、も予測できない。日も早いその日の来るのを願っている。

  夜も深夜二時半、みで目覚めた。夜より軽く呼吸は楽である。

「花てぼ」まから頂いたCDを聞きながら、明けを迎えている。聞配達のバイクのエンジン音が今日の一日の始動を告げているようだ。

達された新聞の一面は、正日」去の記事で埋まっている。歳の死。 まりにも私の年齢に近く、しショック。 かに権力者であろうとも、の掟には勝てなっかたようである。てさて、代目は果たしてどの様な舵取りをするのであろうか。 続税の無い、鮮人民共和国の跡取り、代で崩壊の見出しが、いつの日か訪れて、致被害者が帰国されん事を願うばかりである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 眠れぬままに | トップ | 緊急報告 取り残されたアス... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

社会・経済」カテゴリの最新記事