本日八時十五分から始まった原爆犠牲者追悼式の中での、広島市長のメッセージの中身の無さに憤りさえ感じた。
市長の読み上げたメッセージは、過古 被爆者が書き残した文章や、語り部が語った文言の羅列でしかなく、自らの心からの言葉は 微塵も感じられなかった。六十七年前 一瞬にして、この世から消えていった同胞を思う時、普通の人間ですら 怒りと悲しみがわいてくるはずである。 その感性の無い人間が、広島市の頂点にいると思うと悲しみさへわいてくる。 歴代の市長が全て良かったとは言わない。 右に流れたり、左に流れたりしたが、「ノーモアー・ヒロシマ」の声は間違いなく心の底からの叫びであった。
私と同じ被爆者がどの様に聞いたか、これから終戦記念日に向け批判が高まることは事実である。
今日、「ノーモアー・ヒロシマ」は死んだ。
さる七月二十五日、「原爆の子の像」の前で行われた「碑前祭」で読み上げられた子供たちのメッセージの方が、「ノーモアー・ヒロシマ」「ノーモアー・フクシマ」を自分たちの言葉で訴えていた。
広島市長 貴方の言葉は、ヒロシマの子供たちより劣っていると断言する。
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