藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

我が家のカープ熱、少しは下がったようです。

2016-09-22 15:06:12 | 日記・エッセイ・コラム

 奥様のカープ熱、少しは冷めてきたようです。 しかしながらこれからが本番。 さてさてどうなることか、いまから心配している。 

 加えて、石牟礼道子さんの著書に嵌った奥様、深夜まで読書三昧の生活である。 高校時代の生活に戻ったと、本人御満悦であるが、それは「上げ膳据え膳」を表しておりまして、この四日間「体調不良」の私のおかげで冷蔵庫の整理がついたようである。

 痛む身体を横たえていながら徒然に思うに、明治維新以来、日本の国は若者の犠牲のうえに成り立ってきたのだとつくづく思うようになってきた。 それまでは戦場には武士の師弟のみが参加し、その代わりに身分が保証されていたが、国際社会との軋轢と戦う為には、一般庶民の若者を動員してその犠牲のうえに日本国が成り立っていたことは確かである。

 その社会的構図が、太平洋戦争の終結で終わりかと思いきや、より一層の若者の犠牲で復興を成し得た事が、経済成長の裏に隠れて埋没していたことに気付いた。 地方からの集団就職、炭鉱争議、ベビーブムに対するいい加減な政策。 特に駅弁大学の設置は単なる自己満足の為の、大学卒業者量産政策であり、真の学力の底上げになってはいなかったと断言したい。

 あわてた行政は、各種資格試験制度を設けて網をかぶせ、底辺の底上げを図ったがこれもうまく行かず、はたまた少子化のあおりを受けて、若い成人の数が減り、いざ国際紛争時に駆り出せる若者の数を増やすには、18歳成人説を持ち出してきた。 今後未成年の深夜労働など大きく変わってくる。 保守政治(資本家)とは、市民から吸いあげる方策をよく思いつくものだと感心する。 今に、14歳元服説など出てくるのではなかろうかと、ついつい思ってしまう。

 今の若者はそのような危機感を持っているのだろうか。 ポケモンを追っかける暇に、自らの足元の怪物に気づいてもらいたいものである。

 


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