藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

広島市中央青年学級「羽立会」50周年記念同窓会顛末記(1)

2015-07-01 12:32:19 | 日記・エッセイ・コラム

 広島市中央青年学級「羽立会」とは。

昭和40年1月15日、広島市の成人式は建設されたばかりの旧県立体育館で行われた。 対象者は、「昭和20年生まれ」(原爆投下の年に生まれた)の、この年成人に達する若者であった。 成人式の会場で、広島市教育委員会が、「新成人の為の政治教養講座」の募集していた。 

 新成人の為の「政治教養講座」は、昭和40年の2月と3月で合計6回の講座であった。 一回が約に2時間。 会場は、「旧広島市中央公民館」、旧広島市民球場の北側に位置し、周りは「原爆スラム」の中に位置し、木造平屋建て、200人用のホールと、30人が入ると一杯の講義室が二つ、の粗末なものであった。 しかし、 講師には広島大学の名だたる諸先生や、後に「家裁の人」のモデルになった家庭裁判所の先生など、多士済々であった。 最終回は、平和公園の中の「原爆資料館」の会議室で行われた。 日時は、3月の最後の日曜日で、この日だけ「昼食費」が参加費用として徴収された。 最後の行事、「記念撮影」の為に、荷物を会議室に置いたまま屋外に出た。 「峠 三吉」の詩碑の前での記念撮影の時、事件が発生した。 空き巣が入ったのだ。 貴重品が全て無くなっていた。 この事件が、若者たちにどの様な影響を及ぼしたかは定かではないが、少なくとも被害の救済を申し立てたのは言うまでも無い。 

広島市の職員である、「警備員」が常駐していての事件だけに、私は許せなかった。 被害の無い私が一番強行に保証を要求した。 広島市との「喧嘩」の始めである。結果は、後日、盗難が証明できる物については、広島市が弁済することとなった。

最後の閉会の時に、「もし皆様方が続けて勉強したいのなら、広島市は引き受ける準備がある」との言葉が、教育委員会から青年たちに投げかけられた。

その場で、4月第1日曜日に検討会を開こうということに成った。 一つには、「空き巣被害」の問題解決もあったからである。当初の参加者は、28人であったように記憶している。 それからの3ヶ月間で会員は倍増して行く。 

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