藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

墓参り

2015-08-12 08:53:16 | 日記・エッセイ・コラム

 両親、祖父母、・・・・・・・。墓参に行ってきた。 墓所の清掃を兼ねて、早朝4時から出かけた。 住まいから30キロは離れているので、年に2回か3回しか出かけていない。 高齢になると自動車の運転が一番の苦痛となってきたからである。 

 植込みの木を伐り、草をむしり、雨の中奥様と共に清掃したが、横目で他人の墓碑を見ると、昭和20年8月7日、9日等・・・・、原爆投下後の記述が目に入る。 没年も、15歳や16歳等、今では中高生の年齢である。 いわば子供。 「軍」は、この子供達を使って広島市内の建物疎開をさせ、建物の下敷きで亡くなった話を、嘗て聞いたことがあるのを思い出した。 況や、8月6日の子供たちの犠牲者は、幾万なのであろうか。 母の兄も、原爆の犠牲者である。 東練兵場で射撃訓練中に、銃が暴発し、右手親指を損傷したのは19年のことであったそうである。 除隊し、奉仕団として広島の建物疎開に駆り出され、爆心地から800mのところで被爆、一度は私の母のところまで逃げてきたが、その後行方不明となり、草津国民学校で、瀕死の重傷の状態を見つけたのは、実の母親であった。 祖母である。祖母は足の裏を見ただけで探し当てたという。 3日後鬼籍に入った。 校庭で火葬し、廿日市町の生まれ故郷に帰ったのは、11日であったそうである。 子供のころ聞き及んだ事は脳裏に焼き付いていて忘れることが出来ない。 その墓も私以外には縁者はなくなりつつある。

 戦後70年とは、そうした記憶をこの世から消し去るのに十分な時間なのであろうか。 


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