藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

体を病むと、心も病む

2023-11-22 10:06:22 | 日記・エッセイ・コラム

 危機を脱出した心不全だが、不整脈は依然として続いている。 食物規制、大量の薬。 うんざりの毎日である。 嬉々としてお過ごしの皆様のブログを拝見すると、やっかみが起こる。 やりたいことは山ほどあるが、全てドクターストップ。 一番が「ウイスキー」。 飲みたいなーと思っていたら、来年度から50%の値上げだそうだ。 辞めるには良い機会かもしれない。 女もダメ、酒もダメ、せめて宝くじと思えども、売る場の前は人だかり。 順番を待ってからとは到底思えない。 変り映えのしない食事を一日三回。(薬を飲むために) 風呂に入るのも、億劫になって来た。 私が入らないと奥様も、お湯がもったいないと入らない。 段々と負の連鎖が始まっている様だ。 被爆者には、東区まで行けば、市営の天然温泉がある。 被爆者は格安。 付添人は半額。 出かければよいのだが、自宅から距離が5Kmある。 専用のバスも無く、車で行くとなると、事故が頭に浮かんできて・・・・。 後期高齢者の糞図まり状態である。


未だにもやもや

2023-11-15 09:41:56 | しごとの思い出

 自宅に帰って何日なのだろうか?、自分ではハッキリしない。 危機を脱した病人は、即退院。 病室が足りないのだ。 それでも一日余分に置いていただいたそうだ。 病院に到着時の脈拍数は、20から30程度で、「駐車場から自分で歩いて診察室まで来たのは、君くらいしか見たことが無い」と言われた。 診察途中からは意識が混濁。 首に電極を付けられたのは、日にちが変わってからだったそうだ。 麻酔も懸けづ、電極を付けられて気が付いた。文句を言ったら、「麻酔薬を使って死にたいですか」の一言。 それから先は、心臓電極、心電図計、血圧計、点滴二本、排尿管一本を付けられ、もうろうとして寝ていたが、翌日の夕方からは、看護師としっかりやり取りできるまでに回復した。 直ぐにでも帰っていいと言われたが、一日延期していただいた。その代わり、部屋を三回変わり、廊下でよ時間を過ごした。 急患が多すぎて、受け入れオーバーとなっているそうである。 多くの患者さんが、90台。 私などはまだか駆け出しの年齢。 昭和一桁生まれが大半だった。 中には交番の巡査が、縁側に倒れているのを見つけて送られてきた女性もいた。 彼女は99歳だそうだ。私より21歳上。 恐れ入り屋の大権現である。


三度目の命拾い

2023-11-10 17:39:08 | 日記・エッセイ・コラム

 九日、体調不良が続いていた。 内科に行ったら、ワクチン接種の行列。 仕方なしに時間をずらして行くことにしたが、これが失敗の始まり。 午後五時前から、滝のような汗。 七回着替えたが止まらず。 市民病院に駆け込んだ。 到着時の心拍数38。 完全な心不全で、20分遅れたらあの世行だった。 即緊急入院、36時間点滴が続きやっと心臓が回復。 それまでは、首を通っている心臓に行く神経に電極を付けられて、機械で生かされていた。 此れが三度目の死にぞこないであった。 しかも、前々回診察してくれた医師。 麻酔もされず首に電極とはひどい話だが、最早麻酔を打ってはいけない状態だったそうだ。 こんな病人が救急車でなく、奥様の車で、しかも診察室まで歩いた事にびっくりされた。 奥様は先生の説明を聞いて顔色が変わっていた。 前回は胆嚢の反乱。 心臓は二回目。 死ぬる時はそんなに難しい事では、なさそうだ。 医学の進歩は目覚ましい物が有る様だ。 看護士の態度や、知識の深さには今回改めて、感服した。 四度目の命拾いは無いものと思えと、医師に言われたが、これ以上の節制はどうすればよいのか・・・・。 私には判りません。 送り込まれてくる患者が多いいので、一定の回復を見たら自宅療養だそうである。 飲む薬が又増えてしまった。


全てに疲れたようだ

2023-10-25 15:55:41 | 日記・エッセイ・コラム

 九時から買い出しに行った。 此の処どのスパーも、荷物の入れ替えが激しい様である。 店長と話すと本音は出て来ないが、言外に今の物価高が潜んでいる様だ。 大量消費の時代も終わりですかねと、逆に聞かれた。 私は大量消費をしていないので、何と答えてよいやら困ってしまった。 小春日和の様な今日など、野の草でも摘みに行きたいが、体が動かない。 運転時間も片道三十分までにしている。 週三回までで、全てを済ませたいが、そうはいかない事が多いい。 一つは病院である。 点滴の回数を減らしてもらった。 その分自宅での安静時間が多くなって、なかなかパソコンの前にも座れない。 奥様が何時もにらんでいる気がするのだ。 久しぶりに同い年の友人から電話が有ったが、内容は「訃報」であった。 昭和20年生まれの者たちで作っていた、「羽立会」と言う会員が亡くなったそうである。 美人で気立ての良い人だったが、大学卒業するとすぐに結婚していったので、記憶が薄い。 今広島市の中心部は大変革を始めている。 税金を使って、昔の面影を消さねばならない事がそんなにあるのだろうか。 政治家が何か大きな勘違いをしている気がしてならない。 社会をよくする事は、新しい建物や、道を作る事ではないのだ。 何時までも住んで居たい広島を作る事のはずだが、どうも政治家の皆様は勘違いをなさっているようである。 風が吹けば倒れてくる街路樹や、暑くても木陰の無い歩道。 六本の川のほとりの汚さ。 世直ししてくれる「黄門さん」が現れない者だろうか。 無料化されない「世界平和遺産」。 何処かが狂ってしまっているのだろうか。


何時まで続くのやら・・・・

2023-10-21 12:13:26 | しごとの思い出

 十月十六日、広島大学医学部の腎臓内科を受診した。 地元医からの紹介である。 血液関係の検査は、総て正状値より15%低く、腎臓機能は全て15%高い数値で、午後二時まで延々と検査した。尿蛋白はけいそく不能だそうだ。 甲状腺刺激ホルモンは基準値の倍数。 クレア二ンは規定の二倍。 ・・・書いていくと切りがない。 胆嚢無し、前立腺無し前立腺に至っては100%癌が有ると判断した手術だったが、国立のがんセンターも、がん細胞を見つけられなかった。 勿論広大も。 今回は胆嚢のX写真から癌に間違いないと切除したが、これまた、癌無し。中の石が大量で、壁を傷つけて、癌に見えたそうだ。 一応退院したが、一日おきに点滴。三日に一度の血液検査。 一時間半の点滴は、いささか、嫌になって来た。 今日も今日とて、地元医に30P分の報告書が届いていた。 時間が懸かる検査結果と共に、12月18日に、「CT他、再度の検査を行うので来院されたし」との事である。 自宅から早ければ一時間十五分。 ラッシュ時には二時間かかる。 此方は病人だ・・・と叫びたくなったが、お偉い先生方が検査してくださるので行かざるをえまい。 せめて、天気が良ければよいが。 15歳から二年半入退院を繰り返した大学病院。 様変わりの大きさに・・・・。 嘗てあった竹林も無く、警察学校も無い。 入院の暇つぶしに、「竹秋」という短編随筆を文芸朝日に送ったら、佳作になった事が有った。 当時入院していた同年代の娘は、みんなどうして居るだろうか。 三波春夫に会ったのも、この病院の当時新館と言われた建物だった。 大江健三郎氏も又この病院だった。 当時は赤レンガの病棟(被爆建物)と、東に見える黄金山と、蓮畑だけが記憶に残っている。