TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

島原半島の地名3  読めますか?

2015年12月29日 | 島原
「大三東」  さて、なんて読むでしょうか?


正解は


「おおみさき」です。
かって島原藩領の3つの村、大野村、東空閑村、三之沢村が明治になって合併したとき、それぞれの地名を一字ずつとって大三東村となりました。
その後、隣の湯江村と合併し有明村に。有明町を経て、現在は平成の大合併で島原市に編入されています。


「大正」


大正時代に、古部村と伊福村が合併し、年号をとってこの地名となりました。古部も、伊福も歴史ある地名です。現在も地区名やバス停、駅名で残っています。



    


大正地区は、現在の雲仙市瑞穂町です。
瑞穂町は昭和31年にできた新しい地名ですが、「瑞穂」とはよく名前をつけたものだと感心します。瑞穂とは「みずみずしい稲の穂」と広辞苑に出ていますが、雲仙岳の裾野に広がるこの地区は、きれいな水が流れ、美味しいお米がとれる所として有名です。




なお、瑞穂町は大正村と西郷村が合併してできた町ですが、西郷村は明治の町村制施行時に西郷村と伊古村が合併してできたものです。西郷も伊古も中世以前から存在する歴史ある地名です。

 


このブログ作成のために、島鉄の駅やバス停の写真を撮りに出かけました。久しぶりに故郷の「三会駅」にも行きましたが、駅舎がなくなっていたのに驚きました。ひょっとしたらずいぶん前からなくなっていたのかも知れません、島鉄はあまり利用しないものですから。駅舎に期待したのは、三会の昔ながらの表記「三會」が残っていると期待したからですが…、残念でした。



ふとひらめき、それならばと、小学校に行きました。
ありました、昔ながらの「三會小學校」

古文書等に登場するのもこの「三會」です。


最後に、「神代」


「こうじろ」です。明治維新までは佐賀藩の飛び地でした。そうしたことから、この地には「神代弁」と言って佐賀の方言が多く残り、今も使われています。佐賀で小路を「くうじ」と言いますが、ここも同じく「くうじ」です。

神代は現在の雲仙市国見町になります。国見町は多以良と土黒、そしてこの神代の3つの地区が合わさったものです。なお、「土黒」は「ひじくろ」と読みます。
さて、「国見」ですが、この名前の由来は現在調べ中です。私の想像ですが、吾妻町と同じように地元の山の名前からとったのではないかと思っています。この地から見える雄大な国見岳ですが…。


吾妻町は、前回紹介したように山田村と守山村が合併したときに、新たにできた地名です。吾妻町で朝日が昇る山が「吾妻岳」です。特にこの冬の時期は朝日がきれいです。「吾妻音頭」にも昇る朝日のことが歌われています。


吾妻岳(鳥甲山より撮影)


おっと、”TENNZANBOKKA”久しぶりの山の写真です。
手前の白い花は雲仙市の木に認定されている「ヤマボウシ」です。6月にはこれを見に、狭い山域に人がいっぱい押しかけてきます。右上が多良岳で海の中を走る一本の道が堤防道路です。
なお、吾妻町から吾妻岳はよく見えるのですが、吾妻岳山頂はブッシュに覆われ展望はききません。当然、吾妻町は見られません。

最後に、次の地名は何と読むでしょうか。

①大三東 ②東空閑 ③伊古 ④伊福 ⑤古部 ⑥西郷 ⑦多以良 ⑧土黒 ⑨神代小路 ⑩三會 
答えは、次の写真の後。

昔ながらの地名を残すバス停「守山」 現在は吾妻町


【答え】
①おおみさき ②ひがしこが ③いこ ④いふく ⑤こべ ⑥さいごう(諫早市の「西郷」は「にしごう」) ⑦たいら ⑧ひじくろ ⑨こうじろくうじ ⑩みえ



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