
私のブログ名「TENZANBOKKA78」は、上の写真の「天山歩荷」を多分に意識したものでした。
今は亡き阿比留さんが、33年前に佐大ワンゲル東京OB会新聞として発行されていたものです。
後輩である私も、ありがたく拝読していました。
そして、大切にとっていました。
その3号の編集後記に、次のように書かれています。
「…途中略… それを記念し今号より紙面を大きくし、東京OB会新聞も佐大ワンゲルOB会新聞と変更させていただきました。というのは、例えば長崎の○○某が長崎支部として4号を発行したり、福岡支部が気ままに6号を発行したりしてもいいのではないかと。そのうち同じ号が2つも3つもできたりすれば楽しいのではないかと。それに近頃、『天山歩荷』を送ってくれという不届き者が九州各地に出没しているので。『天山歩荷』という名称を東京支部が独占しては悪いのではないか、何しろ天山歩荷は一人一人の思い出でもあるしと殊勝に考えましてこのようにした次第。-以下略-」
今回、あらためて読み返して、阿比留さんの遠大な志に頭が下がりました。
私は「TENZANBOKKA」とローマ字表記にしていますが、勝手に天山歩荷を標榜し申し訳なさも感じています。
阿比留さんの「天山歩荷」は、支部の、あるいはOB会全体の情報発信紙でしたが、私のは一個人のそれに過ぎませんので…。
ただ、一個人のブログですが、将来的には多良岳や上山のオリジナルな資料にまとめられないかなとは思っています。
また、ときおり30数年前のワンゲル時代の記事もアップしていますが、あの頃を熱く生きた私たちの存在証明にでもなればとも思っています。元祖「天山歩荷」の足下にもおよびませんが、これからも「TENZANBOKKA」を続けさせていただきます。
以下は、元祖「天山歩荷」の記念すべき第1号です。古くなって読みづらい部分もありますが、阿比留さんらしい文体が懐かしいです。
また、山で酒をきらし、山小屋で従業員のパーティーサイズのレッドを買う件はさすがに豪快です。



