闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

たまには人だすけ

2010-05-11 01:07:08 | 求職日記
前の記事に、最近私のアルバイト先の派遣会社の仕事量が減ってきて、派遣社員(アルバイト)は強制的に休みを増やされていると書いたが、実は、同僚のなかには、これでは生活が成り立たないと辞めていった人もいる。
このことでは私もかなり困ってはいるのだが、先日、よく知っている画廊に行ってそんな愚痴をこぼしていたら、逆にその画廊では、ちょうど今アルバイトの人がやめて困っているという話が出た。よくきいてみると、画廊のアルバイトというのは、PC入力が必須だが、あとはそれほど忙しい仕事ではないらしい。このため、週に二、三回出勤してもらえばいいというのだが、普通の人はその程度の労働量だと生活ができないので、人をやとってもすぐにやめてしまうのだという。
もちろん、この条件だと私も生活ができないので、私自身がその画廊の仕事に応じることは無理なのだが、派遣会社でのアルバイトはシフト制で、週に二、三回だけ勤務可能という条件で出社している人もいる。
そんななかでも気の合うある人にきいてみたら、その週二、三回の希望がさらにまた削られて、別に生活のためにアルバイトをしているわけではないが、そうした会社のつごうで振り回されることに不満があるので辞めるつもりだという。
彼女は仕事ぶりもてきぱきとしているのでもったいないと思い、その画廊に紹介したところ、画廊側と彼女の双方の条件がうまくあって、今日、アルバイト採用が決まったという。
画廊の仕事が彼女に合うかどうか、やってみないとよくはわからないが、まずはよかったとちょっと安堵している。

虫けらが人間より劣っている程度

2010-05-09 10:28:59 | 翻訳への道
みなさん、連休をどのように過ごされただろうか。
私は、ポーランドとのメールのやりとりが一段落し、しかもアルバイトの休みが多かったので(これは、別に私が休みたくて休んだのではなく、最近会社全体の仕事量が減ってきているので、われわれ派遣社員は強制的に休みを増やされているのだ)、寓居で『人間の精神について』を進められるだけ進めることにして過ごした。そのせいで、いつのまにか翻訳は、テクスト全体の55%程度まで進んだ。半分を切ったとおもうと気が楽だ。
訳をすすめると同時に訳した部分のコピーも少しつくって、意見をきくために、いろいろな知り合いに送った。最近寓居によく遊びにきてくれる須藤くんの大学の教官にも一部送っておいた。彼とは、ある日本史研究者の評価のことで、数年前にちょっとした論争をして、それ以来互いに疎遠になっているのだが、須藤くんによれば、研究室でときどき私の名前を口に出しているというので、この辺で多少関係を修復しておいた方がいいかと考えたためだ。

さて、訳の方だが、今取り組んでいる箇所は、文字どおり「人間の精神」について述べている部分で、内容的に作品の核を構成しているのではないかとおもわれるのだが、その分だけ訳すのも難しい。下のようなパラグラフで、数日悩んでしまった。まずはフランス語の原文。

「Le desir des grandeurs n'est fonde que sur la crainte de la douleur ou l'amour du plaisir. Si ce desir n'y prenait point sa source, quoi de plus facile que de desabuser l'ambitieux ? o toi, lui dirait-on, qui seches d'envie en contemplant le faste et la pompe des grandes places, ose t'elever a un orgueil plus noble ; et leur eclat cessera de t'en imposer. Imagine, pour un moment, que tu n'es pas moins superieur aux autres hommes que les insectes leur sont inferieurs ; alors tu ne verras, dans les courtisans, que des abeilles qui bourdonnent autour de leur reine ; le sceptre meme ne te paraitra plus qu'une gloriole .
Pourquoi les hommes ne preteront-ils jamais l'oreille a de pareils discours, auront-ils toujours peu de consideration pour ceux qui ne peuvent guere, et prefereront-ils toujours les grandes places aux grands talents? C'est que les grandeurs sont un bien, et peuvent, ainsi que les richesses, etre regardees comme l'echange d'une infinite de plaisirs.」

続いて、私がいつも参照している英訳。

「The desire of greatness is only founded on the love of pleasure and the fear of pain. If this desire did not derive its source from thence, what could be more easy than to undeceive the ambitious? "O thou !" might a person say, "who art scorched with envy, on contemplating the pomp and splendor belonging to high posts, dare to exalt thyself to a more noble pride, and their lustre shall cease to impose upon thee. Imagine for a moment that thou art as superior to other men as the insects are inferior to them; then these courtiers will seem only as bees that buz about their queen, and the sceptre itself will appear no more than a glittering bauble."
Why do men never listen to such discourses? why will they always pay respect to those who have little in their power, and constantly prefer great places to great abilities? It is because greatness is a benefit which, like riches, is capable of purchasing an infinite number of pleasures. 」

最後に、私のつたない試訳。

「偉大さへの欲求は、苦しみへの怖れもしくは快楽への愛にしか基づいていない。もしこの欲求がそこにすこしもみなもとを発していなかったならば、野心家を覚醒させる以上に容易な、どのようなことがあったというのであろうか。彼にむかってひとは言ったであろう。『ねえ、大きな地位の栄華と荘厳さを瞑想しながら羨望で乾いているあなた、自分をあえてさらに高貴な自尊心にまで高めてごらんなさい。そうすれば、そのきらめきにだまされることはないでしょう。自分が他の人間より優れている程度は、虫けらが彼らより劣っているのと同じほどだと、しばし想像してごらんなさい。そのとき、廷臣たちのなかに、自分たちの女王のまわりをぶんぶん飛び回っている蜜蜂たちしか見ないでしょう。王杖すらもあなたには「虚栄」としか思われなくなるでしょう』と。
なにゆえ人間は、こうした言葉にすこしも耳を貸さず、何もできない者をいつもほとんど考慮せず、また、大きな才能のためにはいつも大きな地位を選択するのであろうか。それは、偉大さは財産であり、富と同じように、無限の快楽との交換と見なされうるからである。」

ここでまずよく理解できなかったのは、最後の方の「何もできない者をいつもほとんど考慮せず、また、大きな才能のためにはいつも大きな地位を選択するのであろうか」という文章。世の中のありふれた人間を批判するのであれば、「彼らは何もできない者のことをいつも考慮している」とするのが普通ではないかと、私には思われた。実際、英訳を参照するとそのようにとらえているのだが、原文は「auront-ils toujours consideration(彼らはいつも考慮するであろう)」のあいだに「peu(ほとんど…ない)」が入っているので、どうしても「ほとんど考慮しない」としか解釈できない。そこでいろいろ考えたあげく、ここは、「何もできない者のことをいつも無視する」といった意味ではないかという結論に達した。つまり、英訳は間違いだということだ。また、もし英訳をいかすとすると、この部分と次の「大きな才能のためにはいつも大きな地位を選択する」という部分をどのように整合的に解釈するかも難しい。「何もできない者を無視して、大きな才能のためにはいつも大きな地位を選択する」のは一見当然のようでも、「何もできない者を無視する」ような一般人は、「大きな才能」を見抜くこともできず、彼らのために「小さな地位」しか選択できないのではないかと考えられるからだ。要するにこの箇所全体は、「何もできない者のことをいつも無視して、大きな才能(があるように思われる者)のためにはいつも大きな地位を選択する」のが世の常だと言おうとしているのだととらえることにした。そうすれば、直前の「こうした言葉にすこしも耳を貸さない」というフレーズとも、とりあえずうまく整合する。
それにしても、このあたり、原文は作者の意図がうまく表現されているようにおもえないのだが(だから英訳者は誤解したのだろう)、それをつきつめていくと、そのすぐ前の文節の表現のなかに問題があるために、ここがすっきりしないのだろうとおもわれてきた。
問題があるとおもわれるのは、「自分が他の人間より優れている程度は、虫けらが彼らより劣っているのと同じほど」という箇所(フランス語原文は「優れていなくもない」という二重否定になっているので、そのまま訳すとすっきりしない。ここは、英訳の方がわかりやすい)で、「虫けらが人間より<はるかに>劣っている」のが当たり前だと受け取ると、前半は、「自分は他の人間より<はるかに>優れている」と解釈できる。しかし作者の意図はおそらく逆で、「虫けらは人間より劣っていない(虫けらが人間より劣っているとするのはあくまでも人間中心主義)」、それゆえ、「自分は他の人間よりそれほど優れていない」ということが言いたいのではないだろうか。この部分を以上のように解釈すると、続く部分の解釈もすっきりする。
つまりそれは、「何もできない者(虫けら)も無視するべきではなく、才能と地位は比例しない」ということなのではないだろうか。
と、ここまで、自分ではどうにか納得できたものの、日本語訳のなかにこの解釈を反映させるのは極めて難しい。ここは、原文の解釈と合わせ、もう少し悩むことになりそうだ。
ちなみに、フランス語原文では、引用した最後の箇所で、「偉大さ」を「快楽」との「交換(echange)」としているところがおもしろいとおもう。しかしこの「交換」という概念がまたやっかいなので、英訳はそれを避けて「偉大さは、富と同じように、無限の快楽の購入・獲得を可能にする特典なのである」という風に意訳している。しかし作者の本来の意図は、「偉大さ」は「財産(un bien)」であり一種の「通貨」なのだということにあるとおもわれ(英訳が私に与える印象はせいぜい「クーポン券」)、私としては、この「交換」という言葉をいかして訳してみたいのだが、どうしたら作者の意図が平易かつうまく伝わるか、ここももう一工夫必要なようだ。

緊張の連続ーー不思議な一日

2010-05-02 00:45:34 | 雑記
今日は不思議な一日だった。
まず起きがけにみたのは仏教の華厳経の夢。ここのところ、18世紀のフランス思想と格闘したり、ポーランド人と展覧会のことでやりとりしたりで、仏教思想や東洋思想の勉強はすっかりご無沙汰しているのだが、突然、仏教、それも華厳の夢をみたというのは、自分でも非常に不思議だ。細部の記憶は時間がたつとともにぼんやりしてしまったが、内容的には、華厳思想とは何かということと、造形的にはそれがどのように表現されるかがからんだ、けっこうエクサイティングなものだった。ただしそのせいで神経がたかぶったせいか、アルバイトが休みだというのにけっこう早く起きてしまった(華厳経については、小ブログ内の「重重無尽ーークリスマスに仏教思想と格闘」の記事<2007年12月25日付>をご参照)。
起きてからまずフランス語のテクストを読み、しばらくして朝食の準備をしていると、警察から電話がかかってきて、今調べているある事件のことで、友達から話がききたいという。その事件は、ふだんニュースをみない私でも知っている有名な事件なのだが、その被害者の所持品のなかに友達と関係がなくもないものがあったので、情報としていろいろ教えて欲しいのだという。それを承諾すると、まもなく二人の刑事がやってきて、その所持品と関連した専門情報を、あれこれと二時間近くきいて帰っていった。私はというと、私にしても友達にしても事件にまったく関係がなく、疑われているわけではないのは最初からはっきりしているので、めったにないチャンスと、その聞き込みにしっかり立ち会わせてもらった。はじめのうちはかなり緊張感もあったのだが、そのうちそれもうち解けて、帰り間際は、かなり和気藹々という感じで話?ももりあがった。ちなみに聞き込み担当の刑事は、ふくよかながらがっしりした体型で、ちょっと魅力的な好人物だった。
もっともこのため朝食はすっかり遅くなり、1時近くになってしまったのだが、ああでもないこうでもないと友達と話しながら、そそくさとすませた。
午後は翻訳作業を再開したのだが、午前中の一種の興奮状態が残っていて、いまいち気分がのらず、はかどらない。あちこち飛ばして、簡単にすすめられるところだけすすめることにした。
夕方からは、このところメールのやりとりをしている若者とデート。彼とメールの交換をはじめてから二週間程度で、実際に会うのは今日がはじめてなので、これまた緊張。
彼が住んでいる郊外の駅まで出かけ、ファミレスで三時間半ほど、普段考えたり感じたりしていることなどを互いに話し合った。会うまでは、初対面で嫌われたらどうしようかと不安だったのだが、まずまずの感触で、近日の再会を約して11時近くに分かれた。