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夏至満月から立秋頃(サツキモチ~ミナツキスエ)2018.6.28-8.10

2018-07-30 13:13:50 | こよみ

ヲシテ文献には、縄文の頃の年中行事や祭りなども綴られています。
古来日本の慣わしや精神、思想が覗え、さらに当時のコヨミからは、
縄文の「宇宙的概念」や「死生観」をも読み取ることができます。
縄文のコヨミの概念を把握し、
古代日本人の季節感や縄文哲学とも称される宇宙的概念を感じてみましょう。

トホカミエヒタメ暦
冬至満月~立春新月~春分満月~立夏新月~夏至満月
夏至満月~立秋新月~秋分満月~立冬新月~冬至満月

祭りや年中行事の今・昔・大昔を
『縄文カレンダー』と『宇治山田市史』(宇治山田市役所編)などから、
そして伊勢志摩地域で現在行われている行事や祭り、習わしなども、
地元の方々にシェアしていただきます。





夏至満月から立秋頃、「サツキモチ」から「ミナツキミソカ」
夏の至りの満月を超え、冬へと向かう折り返し点、、
サツキ・モチ(満月)より「ト」の季節です!

トの守りは、一日に置き換えるとちょうど正午を挟んだ太陽の南中する時間帯。
夏至を過ぎ、ヲ(ウヲ・極温)は減に転じ、ヒメ(一冷)の復活により、
毎日少しずつ夜明けが遅く、日没が早くなりますが、まだまだ夏真っ盛り!!!

メ(冷・陰)の象徴「月」のシラミチ(巡る軌道)よりヒメ(一冷)が降され、
水面に伏していたヒメが起き、競い昇るゆえサミタレ(梅雨・五月雨)る。
大地に水がもたらされて、潤う季節です。



「トのカミカタチ」
 




*ミツのヒカリのハニとほり
  三本のヒカリ(温)のもたらしは、地面の中まで届きました。
  春分の「た」の季節は大気に光が満ち温かいイメージ。○から□。

*カタチはクニのナカハシラ マテにととなふトモトカミ
 リーダー(指導者・カミ)がアメ(天・宇宙)を仰ぎ、
 マテ(両手)を広げ、大自然のもたらしを普く受け、
 その理をクニのナカハシラとし、建国した初代クニトコタチのトコヨクニ、
 トのモトカミのカミカタチ。
 
*カタチケタ アのマテのイのナカハシラ クニたしなるるカミカタチ

「トのヲシヱ」:建国の理念
  大宇宙のもたらしや先祖の恩恵に感謝し、
  さらによりよい暮らしになるように、互いに協力し、得意を持ち寄って、
  創意工夫して、それぞれの力を合わせて、クニを安定させて次世代に繋いでゆく、
  立憲君主の教導恵民立国。
 




とはさにゐます         
めやわかみ みつのひかりの   
はにとほり ひのめちかぎる  
さつきなか ひとめふしおき   
さみたるゝ よろのあおばの   
かぜかほる みやにうくれば  
ながらえり
   トシウチニナスコトのアヤ



     
トの季節は、夜中のアクタ(天の川)がサ(南)に架かります。
夏至を過ぎるとヲ(温)の極大は減に転じ、ヒメ(一冷)の復活です。
ミツのヒカリのもたらしは、ハニ(地面の下)まで届いています。
ヒノメチカキルとは、極大の夏至の変化点(サツキナカ)を過ぎ経るという意。
メ(冷)の象徴、月のシラミチ(巡る軌道)よりヒメ(一冷)が降され、
地面に伏していたヒメが起き、競い昇るためにサミタレる(五月雨・梅雨)。
大地に水がもたらされて潤う季節です。





とのなめは はにみつうるふ  
さつきなか ひかりとほれは  
かつめかみ みちおかえして  
ひおこえは みひきおまねき  
しらみちの ひめおくたして  
はにふせは きそひのぼりて  
さみたるゝ あおばしげれは  
ながらえの さのかおりうく
 ミカサフミナメコトのアヤ




 




◎御神田祭(伊雜宮)
伊雜宮の御神田祭は、重要無形文化財に指定された御田植の祭りです。
祭りの起原は平安時代末頃と伝えられていますが、
今から約六百五十年前、南北朝時代の建武二年(一三三五)が記録上最古のようです。

祭りの次第に「竹取神事」があり、
神田の中央に設置された『太一』と書かれた団扇(ごんばうちわ)のついた忌竹(いみだけ)を
男衆が奪い合います。竹の一片を船に祀れば豊漁になると伝えられます。

『太一』とは、宇宙根元、北極星、大日如来、天照大神と同一視されています。
古代日本の「宇宙根元を表す哲学的概念」では、宇宙の中心・源は
北極星のその先の『アモト(アウワ)』であり、
アモトの中心からの回転の響きはクニタマ(地球)にも及び、
人の呼吸や水面のさざなみに表れるとされています。

また、ヒトの「タマ」は『アモト』から降され来て、
死後は再び『アモト』に還る、ご先祖様も皆いるところとして、
そのつながりを尊び感謝し、新月・満月には常にお祭りしていました。

『太一』の団扇を倒すのは、宇宙の源からの夏至のウルナミ(エネルギー)を
水田にもたらすとの表しなのかもしれません。



「伊雜宮の御神田祭」は、毎年西暦の六月二十四日に行われますが、
この日付は、明治の改暦以降の祭日で、それ以前は、『磯部町史』によりますと、、

明治二十四年、各区長が神宮に差し出した「御田植旧復義願」の文中には、
「御田植の義は享禄(一五ニ八年~)年中より毎年五月中滞りなく云々」。

また、『磯部の御神田』(磯部町教育委員会)には、、
元禄年中の文書に、磯部町下郷地下所蔵の伊雜宮史に、
万治ニ(一六五九)年、江戸の寺社御奉行所呈出した旧記勘例の中に、
「一、 五月中旬有 御田之神事是、、今之定例也」とあります。

もともとは旧暦(太陰太陽暦)の
「サツキナカ(望・五月十五日)」、夏至の満月(トの季節入)であり、
夏至のウルナミ(エネルギー)を享けいただくという思いが込められているのかもしれません。

冬至の満月は「ウイナメヱ」、シモツキナカです。
現在西暦十一月二十三日の「新嘗祭」にあたり、相対しています。
ハツヒ(朔)・モチ(望) アワ(天地自然)のウヤマヒ。
日本古来の祭りや行事は、やはり旧暦であるべきと思います。

参考:
◎『磯部町史』
◎『磯部の御神田』(磯部町教育委員会)
◎ウィキペディア「磯部の御神田」・「太一」





めははにみてど
うゑあつく みなづきすゑは
いよかわき ももにちまうる
ちのわぬけ ゐそらおはらふ
みなつきよ かたちはくにの
なかはしら まてにとゝなふ
ともとかみ
   トシウチニナスコトのアヤ


ミナツキ:旧暦六月
ミナツキに入ると大地に水が浸み渡りますが、地表はまだまだ熱く、
熱さと冷たさの競い合いで雷も多く発生します。
ヲ(三温・ミヲ)が勝っているため、段々と暑くなり、乾燥してきます。

ミナツキ末頃は、最も暑く乾き、苦しい時期。
夏越しの祓いの「モモマツリ」は、桃の実に活力を得ます。





みなつきは ややはにみちて
たたかえは かみなりあつく
すえはなお あつくかわけは
ももまつり きそひやむれは
ひめひらく ほぞちぢのわに
ぬけつくる みなのはらひぞ
かたちけた あのまてのいの
なかはしら くにたしなるる
かみかたち
   ミカサフミナメコトのアヤ



ミナツキ晦日はミナの祓い、夏から秋への季節の節目、一年の折り返し地点、
「チノワ抜け」はヰソラ(暑さや乾きの災い・こころを逸らせる悪影響を及ぼす働き)を払う行事。
 ※チノワ(大自然のエネルギーの集まる循環の輪)
健康長寿の習わしとして教え広められました。





旧暦ミナツキ朔前夜!
奇祭・潮かけ祭り前夜のご神事「おしょうじ」は、志摩町和具の八雲神社を
漁港に設え、神主が祝詞を奏上し、真っ暗な海に、
富士山頂参りをした有志が『アートートーアートートー』の掛け声とともに潜り、
海底の那智黒石を拾います。無病息災のお守りです。





ヲシテ目線では、掛け声がなんとも納得なのです。
『ア』は天・空・宇宙のこと、
『ト』は南の守り、季節は夏、色はアオ、
トホカミエヒタメ八神の「トのミコト」は富士山南麓に繁栄しました。

夏の太平洋に架かる天の川を讃える掛け声とも考えられます。
宇宙の源より南の空に輝く天の川のナカクタからもたらされる、
夏の光と水の恩恵は、「トの守り」の季節です。

和具の八雲神社はまさにこの夏の天の川(トの方向)に向かって建てられ、
潮かけ祭りの大島はまさにこの夏の天の川の方角なのです。

今年は薄曇りで天の川はよく見えませんでしたが、
夏は、太平洋に架かる天の川に注目です♡



参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/index.html
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎よみがえる日本語:青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎よみがえる日本語Ⅱ:青木純雄・斯波克幸著・明治書院
◎『志摩の民俗』三重県郷土史料刊行会 著者:鈴木敏雄
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。
編集:冨山喜子
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