喜びの種☆

yoshicoの徒然日月
ひとふたみよ
いつむゆななやここのたり、、ももちよろず
天の数歌

縄文の小正月❄旧暦1月望(西暦2024.2.24)

2024-02-22 13:58:53 | ナメコト(行事)
ムワタマツリ・トンドモチ【ムツキモチ(旧暦一月望・小正月)】

初春の満月!
旧暦ムツキ十五夜お月さま
西暦2024.2.24、21:30にmaxとなります。

日暮れからご来光までの夜空を一晩中照らす満月!
その朝にいただく小豆粥!
満月のエネルギー♡水に浸した小豆の月光浴!
アツキカユ、ヲシテ文字で感じるとまさにまさになヒモロケです!
恐るべし縄文の叡智✨

1月15日といえば、数年前までは成人式の祝日でした。
初春の満々の満月のエネルギーに因んでいたのではと思います。
成人を迎えられた方々へ謹んでお祝い申し上げます。
春、キザス東、のぼる朝日の波に乗り~いよいよです!



いつかの月の出。




もちのあさほぎ
あつきかゆ さむさにやふる
わたゑやみ さやけをけらに
とんどもち ゑさるかみあり
 トシウチニナスコトのアヤ


モチ(満月)の明けた朝に、ヒモロケ(日月のエネルギーの備わった食物)の
アツキ・カユ(小豆粥)で祝い、ワタ(内臓)へのヱヤミ(病気)を防ぎます。
ササ(笹・竹)、オケラ(薬草)を焚き、
モチ(トンドモチ・餅)を焼いてカユ(粥)に入れます。
小豆粥にお餅♡おしるこちゃんですね♪

現在でも1月15日は「鏡開き」・「トンド焼き」(左義長・小正月の火祭行事)が
全国各地で行われていますが、なんとヒノモト縄文起源の風習といえます!
日本のお正月♡


めをおえば もちのあしたは   
ひもろけの あづきのかゆに   
ゑやみよけ ささおけとんど   
もちやきて かゆはしらなす   
かみありの かゆふとまにや
 ミカサフミナメコトのアヤ


カユハシラナスカミアリのカユフトマニとは、
かゆ(カユ・来たりて跳ね返る様)のウラナイ(見えない世界の成り行く方向を知る)です。


※『宇治山田市史』宇治山田市役所編の年中行事より、
◎御竈木神事【正月十五日】「宮中神事」
神宮に御薪を奉納することで、これは昔、
朝廷にて臣下の薪を献ずる儀のあったのを移して、神前にも奉る式としたものであろう。
この日、一禰宜七荷、余の禰宜各六荷、権禰宜は各五荷、六位の権禰宜・大内人等は各三荷、
小内人は各二荷、諸社の祝部等は各一荷という定であった。
其の木は長さ七尺余りの白削りの細木で、九本を一荷としてある。
之を石壺の上に据えて「御木の数三千五百荷御入り候ふ」と申し、
政所が祝詞を奏し了って、御薪をば忌火屋殿に納める。

神事の祝詞には、
「吾々のかく奉るさまをば、平らけく安らけく聞食して朝廷賓位(みかどのみくらい)」は
動くことなく、常磐(ときわ)に堅磐(かきわ)に、夜の守日の守に護り幸い奉りたまひ
生まれまさむ皇子達をも慈しみ給ひ、百官(ももつかさ)に奉仕(つかえまつ)る人等をも
平らけく、安らけく、天下四方(あめのしたよも)の人民(おほみたから)の作る
五穀(いつくさのたなつもの)も豊かにめぐみ幸ひ給へ」
と祈る所に国民思想の明らかなる反映を見る。

訓読みのやまとことはのなんと美しい響き♡


◎小豆粥【正月十五日】「民間行事」
松飾りは、十四日の夜に納めるので、十五日朝に粥柱の角切餅を入れた小豆粥を煮、
飾りを取り去った跡へ供えるので、飾揚げの祝とも云った。※五十鈴落葉


参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
◎『宇治山田市史』宇治山田市役所編 国書刊行会
◎『志摩の民俗』三重県郷土史料刊行会 著者:鈴木敏雄
◎『伊勢神宮』ホームページhttp://www.isejingu.or.jp/index.html
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。





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縄文の春七草【ムツキユミハリ】(旧暦1月7日・西暦2024.2.16)

2024-02-14 14:08:12 | ナメコト(行事)
七草・シムノフシヱ【ムツキユミハリ:旧暦1月7日】

ヲシテ七草
《ごげふ・はこべら・ゐたひらこ・すずな・すずしろ・すせり・なつ》


春の陽を享けて、野草アオナがいっせいに顔を出します。
弓張を祭る七草は、イノチ(生命)を養う行事です。
冬の間のビタミン・栄養不足など、滞ったからだに、
春の最初の芽吹きの力強いエネルギーをいただき、病や災いを払い整えます。


ヒの守りは、立春から春分頃。
一日に例えると夜明け前の一番冷え込む時間帯。
今年は立春より一週間の後に新月を迎え、春の陽気を実感しますね!

新月から七日目。
満月へと向かい、生え出でるエネルギーが強まります。
「ナナクサ」は春の最初のエネルギー!
庭もだいぶ緑色が目立ってきました。





しむのふしゑは
たるむつみ ゆみはりまつる
みそのなは ぬゑあしもちか
かさくさお こげふはこべら
ゐたひらこ すずなすずしろ
すせりなつ このなゝくさに
のぞくなり
   トシウチニナスコトのアヤ




しむのより ゆみつきのよは
ゐのみづに ヌエアシモチが   
ガダヲヱオ ごけふはこべな   
いたひらな すずなすずしろ   
すせりなず なみそにのぞく
 ミカサフミナメコトのアヤ


みそのなは… 味噌の七葉・菜葉?
なみそ… なみそ 七味噌・菜味噌?
春の七草、お粥さんだけじゃなく、味噌和えや味噌汁もいいですね♡
「味噌?」は、いつからあるのでしょう?

※味噌の起源ウィキペディア参照。
日本の味噌の原型は歴史が古く、弥生時代からとする説もあるが、
豆を用いた現在の味噌とは違う液体状のもので、魚醤に近い。
日本においては縄文時代から製塩が行われ、
醤(ひしお)などの塩蔵食品が作られていたと見られる。
縄文時代後期から弥生時代にかけて遺跡から穀物を塩蔵していた形跡が見つかっている。
古墳時代からは麹発酵の技術を加えたものとなった。
現在の味噌の起源に連なる最初は、奈良時代当時の文献に
「未醤」(みさう・みしょう:まだ豆の粒が残っている醤の意味)と呼ばれた食品の記録がある。



すずな・すずしろ♡志摩の朝市




ヲシテ春七草の記述は、ホツマツタヱ <19アヤ・その2> にあります。
ノリのフミ テルタエのアヤ(抜粋)

フソヰすゝ モゝミソゑたの   
としサナト ハルのハツヒに   
ヨのヒツギ ミコオシヒトに   
ゆつります アメよりイセに   
おりいます 
          


マサカキ暦二十五スゝ百三十枝のサナト(キシヱ暦五十八年)のハルのハツヒ(元日)に、
アマテルカミは皇太子オシヒトにアマカミを譲位なさいました。
アマテルカミは譲位ののち、人を教え導くことに熱意を持たれ、
イセのミヤ(現伊勢神宮内宮)にお遷りになられ、日々教導に捧げてゆかれるお考えでした。


ときにツキスミ         
オゝクマド ひつめアオコマ   
たてまつる カミおもしろく   
おほすれば クマトにたまふ   
ミアエには ヌヱアシモチが   
がさくさも ごげうはこべな   
いたひらこ すゝなすゝしろ   
すせりなつ このナゝクサに   
のぞくなり           



ちょうどその頃に、ツキスミ(九州)のオオクマド(アメクマ)が、
ヒツメ・アオコマ(馬ムマ・詳細未詳、、)を曳き歩んで参りました。
献上されたアオコマ(馬)に大変興味を示されたアマテルカミは、
オオクマドにミアエ(御饗)を賜うことになさいました。
ヌエアシモチ(悪さをする鳥?)がガサクサ(禍や病気、皮膚炎。詳細未詳)も、、
とは、冬の間のビタミン不足など滞った健康幣害を解消するの意でしょうか、
生命エネルギーに満ち溢れた春の新芽の七草です。
「ごげう・はこべな・いたひらこ・すずな・すずしろ・すせり・なづ」、
この七草に除くなり。


さくらばなれば         
またのモチ こかねひつめの   
クロコマの タカギがひけば   
たてまつる 
          


サクラの季節の満月(春分頃)に、ヒタカミ(東北)より、
当主七代タカミムスヒ・タカギがコカネ・ヒツメ(黄金の蹄?詳細未詳)のクロコマを
献上なさいました。
タカギはアマテルカミの従兄妹であり、ご学友であり、
また、九代オシホミミのお后チチヒメのお父上でもあります。


みつほマナヰに         
のりみゆき しばしばまつり   
きこしめす これそらくもり   
あらざりき  
         


これらの献上馬にはアマテルカミのお后三名がお乗りになり、
マナヰ(トヨケカミの御陵)まで御幸をなさり、お祭りをなさいました。
ひ孫にあたるオシホミミの九代アマカミご即位のご報告です。
天下安寧の一助となり、また女性にも乗馬の技術が浸透したことには、
トヨケカミもお喜びのことと思われます。



参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。



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ハツヒマツリ【ムツキハツヒ(旧暦元旦・2024.2.10)】

2024-02-08 17:06:02 | ナメコト(行事)
2024年の旧暦元旦(旧正月)は、2月10日。
昨年は、1月22日と立春よりかなり早めのムツキ新月を迎え、
閏2月の挿入により、月の巡りの13ヶ月を経て、
今年は立春より後に旧暦元旦を迎えます。

縄文暦の年末年始の行事。      
2024年・R6
2月3日 トシワケ・節分
  4日 ハルタツヒ・立春
2月9日 シワススヱ
  10日 ハツヒマツリ・元旦・新月
  16日 ナナクサ・弓張
  24日 ムワタマツリ・小正月・満月
 

ちなみに、2023年・R5
1月21日 シワススヱ
  22日 ハツヒマツリ・元旦・新月
28日 ナナクサ・弓張
2月3日 トシワケ・節分
4日 ハルタツヒ・立春
6日 ムワタマツリ・小正月・満月



今年は立春の後に大寒波到来で首都圏は大雪に見舞われました!
春は名のみの風の寒さや~♪
早春賦のメロデイにアワウタを乗せて~~(*^^)v
旧暦ムツキ満月の小正月を迎えると
漸く春を実感できるようになりますね❀







ハツヒマツリムツキハツヒ・旧暦元旦



ヒはツサカセの 
ふたをがめ きたればひらく
はつひぐさ ハツヒマツリは
ふとまがり やまのかやくり
うみのめも ところたちはな
ゐもがしら
  トシウチニナスコトのアヤ


ヒのナメは ツサにいなさの
ハツヒより フウおやわせて
オケラたき ワカメミツくみ
しとぎもち まがりかやくり
うなところ かくいもかしら
  ミカサフミナメコトのアヤ


春のハツヒ(元旦)を祝います。
ワカメ(若女)が初水を汲み、オケラ(薬草)を焚いて、シトギモチを作ります。
天地自然に感謝を込めて(アワのウヤマヒ)、
お供えは、フトマガリ(勾玉形の餅)、山・海の幸、カク(橘)、ヰモカシラ(里芋)。


◎元旦【ムツキ元旦】の「民間行事」
※『宇治山田市史』宇治山田市役所編の年中行事より、

鶏鳴を聞いて井水を汲み、手水を遣い口を洗い清むる。
之を「若水」ということは当地に限った事では無いが、
殊更に厳粛にこの行事を重んずる点は、当地の長所といってよい。
荒木田守武長官の有名な発句「元旦や神代の事もおもはるゝ」とある句、
この風俗あって初めて其の真義が表れるものである。




「ムツキハツヒ」元日は、アマテルカミ「ご誕生の日」です。
ホツマツタヱ四アヤ《ヒのカミのミヅミナのアヤ》よりご紹介します。

フソヒスズ モモフソヰえた   
としキシヱ はつひほのほの   
いつるとき ともにあれます   
みかたちの まとかのたまご   
いぶかしや ウヲヤヲキナの   
ヤマズミが ことほぎうたふ   


マサカキ暦21スゝ、125枝、キシヱ(31年目)の元旦。
初日の出がほのほのと登り来るとともに、ミコはお生まれになられたのです。
ミカタチのマトカノタマゴ(幸帽児・ヱナ(胞衣)をかぶったままでの出産)、
極めて珍しく尊いお姿です。
ウヲヤヲキナ(後見役)のオオヤマスミは、皇子のご誕生に言祝ぎ謡います。


むへなるや ゆきのよろしも   
みよつきも よよのさいわい   
ひらけりと           
おほよすがらに         
ことぶくも ミたびにおよふ 


と、朗らかに声高く言祝ぎます。
その声は、三度、富士山の麓に響き渡ります。


ゆきよろし ひとのとわしの   
こたゑにも トヨケのカミの   
をしゑあり さわるイソラの   
みそぎにて ヱナのかこみは   
おのころの たまことならは   
ゆきよろし
           

「ゆきよろし」とは、どういう意味でしょうか?
祝賀に集う人々からの問いかけに、オオヤマスミは謹んで言葉を続けました。
トヨケカミが、皇子の誕生を希う祈願の八千回のミソキの間に、
だんだんと解ってきたことと、お教え下さいました。

誕生の安寧を祈っていましたら、そこに、
「災いの障りを及ぼしてくるかもしれないモノ」があることに気が付きました。
それは、良くない思い、羨み、妬み、怨みの心の攻撃的な思いなどです。
これを「イソラ」と言います。
「ヱナ」は、それらを防いで健やかな育成ができるようにしてくれます。
※ヱナ(胞衣)ヱ:アモトからタマが降され来る。ナ:和やかに包まれた音韻の意。
ヱナがタマを包み守る成り立ちは、
より良きように整い纏まる「オノコロ」の言葉のとおりです。

「ゆききのみち」という言葉があります。
「ゆき」とは、大宇宙の中心アモトに「タマ」が戻ること。
「き」とは、アモトから「タマ」がこの世に降され来ることです。

春の正月元旦の初日とともにお生まれになられた美しい皇子、、
きっと前世がとてもおよろしかったのでしょう。
とオオヤマスミはお感じになられたのでした。


シラヤマヒメは         
うぶゆなす アカヒコくわに   
ひくいとお ナツメがをりて   
うぶきぬの みはたてまつる
   

シラヤマヒメ(イサナギの姉)が産湯を用意し、産着は絹糸名人アカヒコと
機織名人ナツメにより柔らかな絹布の衣に仕立て献上されたものです。
※赤日子神社(延喜式記載・愛知県蒲郡市)
伊勢神宮への絹糸奉納が令義解(西暦833年)に記されています。


みめぐみや アメにたなびく   
しらくもの かかるヤみねの   
ふるあられ ヒスミにこたま   
このみづお ぬのもてつくる   
ヤとよはた ヤすみにたてて   
キミとなる クラヰのやまの   
イチヰさく よにながらゑて   
さくもつは かみのほずゑぞ

   
皇子誕生の瑞祥は、富士山にも現れ、山頂に白雲が棚引きかかり、
富士の八峰に、またヒスミ(ヒタカミ)にも霰が降り注ぎました。
このミツ(瑞祥)の表しを、八枚の絹布の旗で作りました。
ヤトヨハタと呼ばれ、アマカミご即位の際に、八隅に立てるのが恒例です。
位山のイチヰのサクは最上級です。
長命を得て、このサクを持つことができるようになる人は、
クニトコタチの教えを身に付けた人と申せましょう。<抜粋>


参考文献・参照資料
◎ヲシテ文献の世界へようこそ:日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎ホツマ辞典:池田満著・展望社 
◎よみがえる日本語:青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎よみがえる日本語Ⅱ:青木純雄・斯波克幸著・明治書院 
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。





『縄文カレンダー◇2024』
A4判カラー・竹紙20頁
一冊1500円でお分けしています。※立春より送料込。
ご希望の方は、
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✉yoshico1018@yahoo.co.jp
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