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イセノミヤ(伊勢神宮)

2017-05-09 17:25:21 | いせしまホツマ

伊勢神宮、、二十年毎に行われる式年遷宮
第一回は持統天皇四年(西暦690年)から、西暦2013年に六十二回目が行われました。
垂仁天皇二十五年(紀元前5年)ヤマトヒメさまにより伊勢の地に祭られたイセノミヤ。
ホツマツタヱ三十六アヤ『ヤマトヒメ カミシツム アヤ』よりイセノミヤをご紹介します。
※ヤマトヒメはこちらです。







◎イセノミヤ
ミツカキ(祟神天皇・瑞垣の宮)三十九年(BC59年)三月三日、
ミマキのキミ(祟神)より「トヨケカミとアマテルカミをお祭りする」とのミコトノリです。
初代ミツエシロのトヨスキヒメは、ミマキのキミ(祟神天皇)のミコ(皇女)。
アマテルカミのお告げにより、ミタマケ(アマテルカミの心の乗り代)をお担ぎになり、
ヨサ(京都府与謝郡、天橋立の宮津市付近)からアフミ(近江)よりミノ(美濃)を巡り、
イセ(伊勢)のタカミヤ(三重県松阪市山添町、神山神社)をお造りになり、
アマテルカミのお心をお鎮めになって居られました。
※この間の諸国巡行は『倭姫命世記』に詳しいが、トヨスキヒメとヤマトヒメのご交代時期の錯誤も混入。

イクメ(垂仁)二十二年(BC8年)十二月二十八日、
ヤマトヒメ・ヨシコが十歳でミツエシロに定まり、トヨスキヒメの許で三年の見習いの後、
イクメ(垂仁)二十五年(BC5年)三月八日、二代ミツエシロ二にヤマトヒメが任ぜられます。

サルタヒコの告げにより、ヤマトヒメはウヂ(内宮の場所)に至り、見て仰います。
「これは、カンカセのイセノミヤです。
 イヤマヒ(尊敬)をかえすアマテルカミご存命時代のアクライシもあります。」
ヤマトヒメは、ウチのミヤ(内宮)の場所をここに定められました。
オオハタヌシや随身のヤソ(八十)人たちに、ヰソススハラのクサ(草)を刈らせ、
オチコチ(近遠)ヤマの木を伐らせます。
モト(元)、スエ(末)、モトシ(逆にして)、マナカをもちて、オオミヤハシラを敷き立てます。
チギ(千木)は、たか(タカ・春と秋・日の出と日の入)シ(為し)りて、ミヤが成り、
ミカド(皇居)のイクメのキミに報告します。

イクメのキミ(垂仁天皇)のミコトノリです。
「ミカサのヲトト(ミカサ・カシマ)をイワイヌシとします。
ワタラヒトミはカンヌシ、アヘ・タケヌガをミカワリ(私の代理)に、
ワニ・クニフクをウチカワリ(皇后の代理)に任じます。
モノヘ・トチネをミウエカラ(皇太后代理)、
タケヒ・アサトをミコカワリ(皇太子代理)に任じます。各々、詣でてください。」

イクメ二十六年(BC4年)九月十六日(西暦10月神嘗祭?)、
ヲヲンカミ(アマテルカミ)のお遷しが執り行われます。
ヰソススカワのサコクシロのウチのミヤ(伊勢神宮・内宮)にわたましが行われ、
十七日の夜にミタケハシラ(真の御柱・スヘラギ(天皇)のタケ(身長))を納め祭りました。
ミヤコ(皇居)にて、ソロ(田畑の作物)の順調なる成長を祈り、
雨、風、ノフシ(台風)の程が良くて豊かになれと臥して澄みイヤマヒ(敬い)て
ノト(祝詞、祈りの言葉)を申す、御恵みに通じるのです。

アマテルカミも、お喜びにて告げて仰います。
「昔わが住むサコクシロのシキナミよするイセのミヤ、
 長くしつまり守るべし。トヨケノカミともろ共ぞ。」
イクメのキミは喜ばれて、早速トヨケカミの鎮まりますアメノマナヰ(京都府京丹後市、
此沼真名井神社)にニキテを持ちて、サオシカ(勅使)を派遣なさいます。
トヨケのカミを伊勢にお遷し申し上げるためのサオシカにはミワのミケモチを、
イワヒト(祝い人)はタニハ・ミチウシが任ぜられました。

○ウチミヤ
アマテルカミは、世継ぎ子を得ることを願われて、イセノミチをお説きになりました。
※イセ(イモヲセ):メヲト(夫婦)のこと、イモは妻、ヲセは夫を意味する。
 稲作の普及とともに結婚の制度が誕生(四代アマカミ)し、八代アマカミ・アマテルの御代に
 イモヲセノミチ(結婚の制度・心得)が説かれた。ホツマツタヱ十三アヤに詳しい。
 イセノミヤは、イモヲセノミチを制定したことを尊称しての呼び名。
 八代アマカミを引退してのちのアマテルカミの晩年にイサワノミヤから
 現神宮内宮のウヂにお遷りになっている。
 地名となったイセクニ及びイセミヤを指す。イセノクニは伊勢・志摩を含んでいる。
ヤモヒトクサ(全国民)を活かして恵むものですから、カツヲキはヤキ(八本)です。
チギのウチ(内)をそぐのはウチミヤ(内宮)です。
ウチ(内)を軽くして、タミを豊かにとの願いの故です。
ウチミヤ(内宮)は、母親が子供を恵み愛しむような、
キミ(天皇陛下)が国民を愛しみ恵むノリ(定め・役割・精神)なのです。

○トミヤ
トヨケカミは、サカホコのノリを強調なさいました。
アメのホシのコクラ(九星、中心とトホカミヱヒタメ)を表すカツヲキはコギ(九本)です。
チギはト(外)をそぐので、トミヤ(外宮)です。
ウチを篤くいつ(イツ・心をしっかりさせる)のタミのチチ(国民全体の父親)の役割です。
畏れ、ミチを学び得るようにしなさい。



神嘗祭は明治六年の太陽暦改暦以前は旧暦九月十七日でした。
改暦後、西暦の九月十七日に実施となりましたが、稲穂の生育が不十分な時期であるため、
明治十二年以降は月遅れとして十月十七日に実施されています。
神嘗祭は神宮の正月ともいわれ、式年遷宮後最初の神嘗祭を「大神嘗祭」と呼び、伊勢の民衆は奉祝の行事を行います。
旧暦九月十六日、イセノミヤにアマテルカミのお遷しが執り行われたとあります。
神嘗祭はアマテルカミのイセミヤお遷しの奉祝行事がその源にあったのではないかと考えられます。


参考文献・資料:
・ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所
「ヲシテ文献・大意」http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/index.html
・『ホツマ辞典』池田満著・展望社
・「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧」「神嘗祭」ウィキペディア





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