先日、私が担当させて頂いている患者様に
松本総院長から闘病記を書いてみませんか?
と、お願いしたところ、
快く引き受けて頂き、
そして、完成したので
松本総院長のブログにも掲載済みですが、
こちらでも紹介させて頂こうと思います。
「闘病記」
2013年2月1日勤務中、私は突然歩けなくなった。
詳細には右足を曲げると股関節に激痛が走るので、右足を棒のようにして左足だけで歩くという状態だ。
職場の人たちは心配したが私は楽観的だった。
なぜなら股関節が痛くなることはこれまでもあり、魔法のように治った整体をいくつか知っていたから。
その日は早めに仕事を切り上げ整体へ。
しかし治らず整体を梯子する。
それでも治らない...どうしたんだろう?
次の日、念のため整形外科に行くと、医師から
「変形性股関節症です。これは進行性の病気で、あなたはこれから一生走ることはできないでしょう」
と告げられた。
私はすぐに事態が飲み込めず
「来週大会なんですけど?」
と答えた。
私は趣味でスキーをやっており大会に向け練習を重ねていた。
「大会とか言ってる場合じゃない!スキーはもうできません!」
と即座に一喝され、看護師さんが悲しそうな目で私を見たので、これは現実なのだと実感した。
頭は真っ白、ふわふわした感じで、なんとか家にたどり着き、号泣したことを覚えている。
それから私の生活は一変した。
朝は緊急出動の消防士のように支度をし、ダッシュで出勤という生活から、
着替えも家族に手伝ってもらい、歩くのも異常に遅く、とにかく日常生活何をするにも時間がかかるようになった。
いつも人を追い越し歩いてた私が、どんどん人に追い越された。
毎日現実を突きつけられれば嫌でもボディーイメージは変わる。
いつしか普通に歩く人をみて、すごいと思う自分がいた。
もちろん、僅かな望みや治療方法を求め、股関節専門のスポーツドクターなどいろいろ回った。
しかし診断は変わらず、治療方法もなく、進行したら手術ということがわかっただけだ。
一体私がどんな悪いことをしたというのだ?怒りが込み上げてきた。
打ち込んでいたのはスキーだけではない。
仕事も大変な時期で、介護も始まった。
睡眠時間が1時間の時もあった。
正直しんどかったが自分を励まし乗りきった。
今思えば全くの無茶なのだが、その時はどれも必然で手を抜くことができなかった。
限界までいって体は壊れた。
悲しみ、後悔、焦り、こんな人生が待ってたなんて。
どん底にいた私を救ったのは一冊の本だ。
「股関節痛は怖くない」には、医師が言ったこととは、正反対のことが書かれていた。
一筋のうすい光がさした。
これを信じてみよう。
そして田山先生に出会った。
先生は
「スキー?できますよ。」
と、いとも簡単に言い当然といった感じで微笑んだ。
その優しそうな雰囲気からは想像がつかないほど施術は恐ろしく痛かったが、終わると股関節の痛みはウソのようになくなっていた。
「これが痛くない体か」
久々に味わう感覚。
知らない間に痛みに慣れ右足をかばうように生活し体はさらに歪んでいったと思われる。
この日は緩みすぎて足に力が入らずヨタヨタとしか歩けない自分がおかしくて笑いながら帰った。
心の底から笑ったのも久しぶりだったかもしれない。
希望がみえると目標が生まれる。
スキーができる体にする。
心が決まってからは、朝晩の筋肉を緩めるためのアロマも
「おいしいお肉になあれ~」
と呪文を唱えながらぬる、
私は女優という設定でショーウィンドウを見ながら姿勢をチェックするなど、悲壮感いっぱいでやっていたケアやリハビリも楽しくなった。
仕事や生活も見直し睡眠をしっかりとるようにした。
一枚一枚紙をはがしていくような感じで、少しずつよくなっていき、痛みのでない時間が長くなっていった。
しかし、やっぱり健康な足ではないと思い知らされることもしばしばで、1日が終わると鈍痛やズキンとする痛みが出てくる。
そんな時は家でストレッチや様々なケアをし、祈りながら布団に入る。
朝、痛みがないとほっとして自分の体に感謝する。
夜中、股関節痛で起き、恐怖や不安で泣いていたことを思うと格段の進歩である。
そんな生活を続けていた頃、忘れもしない2015年11月11日。
仕事が押して最終飛行機に間に合いそうにないが、何があっても乗らなければいけないという事態がおきた。
思わず職場から駆け出し電車に飛び乗る。
あれ?
走れる?
加速してみた。
乗り換えで猛ダッシュ。
ギリギリで間に合った。
飛行機の座席に深く座りながら静かに喜びを噛み締めた。
走れた。
走れた。
走れた。
一生走れないって嘘じゃん。
あの時すべてを諦めないでよかった、なんともいえない安堵感が広がった。
この2年間、いつも順調だったわけではないが、結果的に右肩上がりでよくなっている。
整形外科の常識では進行性の病気なのに、だ。
最近会った方に股関節が悪いと言うとまず驚かれる。
日常生活は問題なく、スキーもどんどん負荷をかけている。
2日連続でコブを滑っても大丈夫だった。
しかも以前より可動域が広がり股関節が動くせいか、スキーが上達した(感じがする)。
そうか、神様はスキーをうまくするために私をこの病気にしたんだなとさえ思う今日この頃である(笑)
今回松本先生に勧めていただき闘病記録を書いてみた。
振り返ると、今更ながら松本深圧院さんがなかったら、今の私はなかったと恐ろしく感じる。
整形外科で私と同じ診断をされた人たちは全国にたくさんいるはずで、みなさんどうされているのだろうと時々考える。
私はラッキーなことに、最初の頃は田山先生もまだ余裕があり2週に1回くらいのペースで通うことができた。
今は予約もなかなか取れず先日ついに3カ月待ちになっていた。
現在の私には、この待ちもこの間ちゃんとセルフケアができたか試験をされる感じで闘志が燃えるのだが、
最初の頃だったら不安でつらかったに違いない。
だから新しい店舗がオープンするとなんだかほっとする。
もっと多くの方々が救われますように。
松本深圧院さんのご発展を心からお祈りしてやみません。
いつも本当にありがとうございます。
愛を込めて。
今回紹介させて頂きた方のような経過を皆様が辿れるよう精一杯、施術させて頂きます
ジーッ
股関節の不安を一緒に取り除きましょう
松本総院長から闘病記を書いてみませんか?
と、お願いしたところ、
快く引き受けて頂き、
そして、完成したので
松本総院長のブログにも掲載済みですが、
こちらでも紹介させて頂こうと思います。
「闘病記」
2013年2月1日勤務中、私は突然歩けなくなった。
詳細には右足を曲げると股関節に激痛が走るので、右足を棒のようにして左足だけで歩くという状態だ。
職場の人たちは心配したが私は楽観的だった。
なぜなら股関節が痛くなることはこれまでもあり、魔法のように治った整体をいくつか知っていたから。
その日は早めに仕事を切り上げ整体へ。
しかし治らず整体を梯子する。
それでも治らない...どうしたんだろう?
次の日、念のため整形外科に行くと、医師から
「変形性股関節症です。これは進行性の病気で、あなたはこれから一生走ることはできないでしょう」
と告げられた。
私はすぐに事態が飲み込めず
「来週大会なんですけど?」
と答えた。
私は趣味でスキーをやっており大会に向け練習を重ねていた。
「大会とか言ってる場合じゃない!スキーはもうできません!」
と即座に一喝され、看護師さんが悲しそうな目で私を見たので、これは現実なのだと実感した。
頭は真っ白、ふわふわした感じで、なんとか家にたどり着き、号泣したことを覚えている。
それから私の生活は一変した。
朝は緊急出動の消防士のように支度をし、ダッシュで出勤という生活から、
着替えも家族に手伝ってもらい、歩くのも異常に遅く、とにかく日常生活何をするにも時間がかかるようになった。
いつも人を追い越し歩いてた私が、どんどん人に追い越された。
毎日現実を突きつけられれば嫌でもボディーイメージは変わる。
いつしか普通に歩く人をみて、すごいと思う自分がいた。
もちろん、僅かな望みや治療方法を求め、股関節専門のスポーツドクターなどいろいろ回った。
しかし診断は変わらず、治療方法もなく、進行したら手術ということがわかっただけだ。
一体私がどんな悪いことをしたというのだ?怒りが込み上げてきた。
打ち込んでいたのはスキーだけではない。
仕事も大変な時期で、介護も始まった。
睡眠時間が1時間の時もあった。
正直しんどかったが自分を励まし乗りきった。
今思えば全くの無茶なのだが、その時はどれも必然で手を抜くことができなかった。
限界までいって体は壊れた。
悲しみ、後悔、焦り、こんな人生が待ってたなんて。
どん底にいた私を救ったのは一冊の本だ。
「股関節痛は怖くない」には、医師が言ったこととは、正反対のことが書かれていた。
一筋のうすい光がさした。
これを信じてみよう。
そして田山先生に出会った。
先生は
「スキー?できますよ。」
と、いとも簡単に言い当然といった感じで微笑んだ。
その優しそうな雰囲気からは想像がつかないほど施術は恐ろしく痛かったが、終わると股関節の痛みはウソのようになくなっていた。
「これが痛くない体か」
久々に味わう感覚。
知らない間に痛みに慣れ右足をかばうように生活し体はさらに歪んでいったと思われる。
この日は緩みすぎて足に力が入らずヨタヨタとしか歩けない自分がおかしくて笑いながら帰った。
心の底から笑ったのも久しぶりだったかもしれない。
希望がみえると目標が生まれる。
スキーができる体にする。
心が決まってからは、朝晩の筋肉を緩めるためのアロマも
「おいしいお肉になあれ~」
と呪文を唱えながらぬる、
私は女優という設定でショーウィンドウを見ながら姿勢をチェックするなど、悲壮感いっぱいでやっていたケアやリハビリも楽しくなった。
仕事や生活も見直し睡眠をしっかりとるようにした。
一枚一枚紙をはがしていくような感じで、少しずつよくなっていき、痛みのでない時間が長くなっていった。
しかし、やっぱり健康な足ではないと思い知らされることもしばしばで、1日が終わると鈍痛やズキンとする痛みが出てくる。
そんな時は家でストレッチや様々なケアをし、祈りながら布団に入る。
朝、痛みがないとほっとして自分の体に感謝する。
夜中、股関節痛で起き、恐怖や不安で泣いていたことを思うと格段の進歩である。
そんな生活を続けていた頃、忘れもしない2015年11月11日。
仕事が押して最終飛行機に間に合いそうにないが、何があっても乗らなければいけないという事態がおきた。
思わず職場から駆け出し電車に飛び乗る。
あれ?
走れる?
加速してみた。
乗り換えで猛ダッシュ。
ギリギリで間に合った。
飛行機の座席に深く座りながら静かに喜びを噛み締めた。
走れた。
走れた。
走れた。
一生走れないって嘘じゃん。
あの時すべてを諦めないでよかった、なんともいえない安堵感が広がった。
この2年間、いつも順調だったわけではないが、結果的に右肩上がりでよくなっている。
整形外科の常識では進行性の病気なのに、だ。
最近会った方に股関節が悪いと言うとまず驚かれる。
日常生活は問題なく、スキーもどんどん負荷をかけている。
2日連続でコブを滑っても大丈夫だった。
しかも以前より可動域が広がり股関節が動くせいか、スキーが上達した(感じがする)。
そうか、神様はスキーをうまくするために私をこの病気にしたんだなとさえ思う今日この頃である(笑)
今回松本先生に勧めていただき闘病記録を書いてみた。
振り返ると、今更ながら松本深圧院さんがなかったら、今の私はなかったと恐ろしく感じる。
整形外科で私と同じ診断をされた人たちは全国にたくさんいるはずで、みなさんどうされているのだろうと時々考える。
私はラッキーなことに、最初の頃は田山先生もまだ余裕があり2週に1回くらいのペースで通うことができた。
今は予約もなかなか取れず先日ついに3カ月待ちになっていた。
現在の私には、この待ちもこの間ちゃんとセルフケアができたか試験をされる感じで闘志が燃えるのだが、
最初の頃だったら不安でつらかったに違いない。
だから新しい店舗がオープンするとなんだかほっとする。
もっと多くの方々が救われますように。
松本深圧院さんのご発展を心からお祈りしてやみません。
いつも本当にありがとうございます。
愛を込めて。
今回紹介させて頂きた方のような経過を皆様が辿れるよう精一杯、施術させて頂きます
ジーッ
股関節の不安を一緒に取り除きましょう